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……ギチギチギチギチ
蜘蛛は何が怒ったのか、わからなかった。
巣に引っ掛かった、いや、巣を潜り抜けてきた若い女をぐるぐる巻きにして、美味そうだ、と考えた、はずだ。
それだのに、今、視界を奪われているのは自分で、キリキリと巻き付く糸に頭が締め付けられ吐きそうなのも、その糸が首に食い込み今にもスパッとヤられそうなのも、全部、自分だった。
牙が、在らぬ方向に曲げられて痛い。
「控えなさい、無礼者っ! 」
女の声が聞こえてきた。
それだけで、それだけなのに、体の震えが止まらない。
びゅるん、びゅるん、びゅるびゅるびゅる
いきなり拘束が解かれる。
「淑女の顔に気安く触れるとはっ!
あまつさえ、そのベタベタの糸で、などっ、言語道断っ!!
それだけに飽き足らず、頭髪に触れ、唇まで奪うとはっ!!
その苦痛を、身をもって思い知りなさいっ!!」
ひゅるひゅるひゅるひゅるひゅるっ!
安堵したのも束の間、また、視界が奪われた。
自らの意志に反して、ズルりと糸が引き出される。下腹部とお尻の辺りが、言い様のない不快感に見舞われた。
「さて、何玉頂こうかしら? 」
女の愉しそうな声が聞こえてきた。
やり口が、あの魔女とまるで同じだ。煙管からぷかぷかと七色の煙をくゆらせ、ふらっとやって来ては、ごっそりと根こそぎ引きずり出していく、あの黒い魔女と。
蜘蛛は、この時初めて理解した。
悪魔であろうと人間であろうと、女は女なのだと。決して、怒らせてはならぬのだ、と。
◇ ◇ ◇
「それでは、サソリン。また、遊びに来ますわ。ごきげんよう」
アクヤは、ヨレヨレの糸を垂らし、地面にへたばっているサソリンに、そう告げた。
最初は蜘蛛だと思ったが、アクヤはあんなにお尻が反り返り、前足の太い蜘蛛は知らない。
よって、名前はサソリンになった。
結局、糸玉は30センチ大のモノを50個ほどいただいた。100玉所望したのだが、50玉を超えたあたりから、糸の太さが乱れ始め、強度も弱くなってきたので、勘弁してあげた。
所望品は既に、指輪の中に収納されている。
持ち運びについて悩んでいると、ミズタンがパクッと収めてくれた。
「そうだっ! ベビリンは? 」
帰ろうとして、はたと思い当たった。
伸びているサソリンの奥に転がる、一玉の糸に目が留まった。
(そう言えば、回収し忘れていたわね)
それは、最初に見つけた一玉だった。
側に行き抱えようと試みる。
スカッ
その瞬間、腕が空を切った。
糸玉から2本の足がにょきっと生え、逃げ出したのだ。数メートル先でストンと止まる。
スカッ……ストン。
「……」
スカッ…………ストン。
「……」
スカッ………………ストン。
「こらっ、 ベビリンっ! 待ちなさいっ! 」
糸玉は、テトテトテトっと駆け出した。
◇ ◇ ◇
アクヤは今、糸玉と散歩をしている。
目的地はゴブリン巣窟のはずなのに、この糸玉が、あっちにフラフラ、こっちにふらふらとするので、なかなか帰りつかない。
苦肉の策として、糸の端を持ち、自由な糸玉の手網を握ることにしたのだ。
何かを見つけた糸玉が、また、テトテトテトスルスルスルッと、走り出した。
「あっ、待ちなさいっ! 」
慌てて手網を引き締めようとした矢先、糸玉が消えていったのとは、反対の陰に何かが、ぼぅっと浮かび上がるのが見えた。
「えっ!? 」
思わず声がでる。
人骨が立っている様に見えたからだ。
アクヤは目を凝らした。
そして、確信する。
やはり、骸骨だ。
衣服を身に付けた骸骨が、ダラりと下げた腕に剣を握りしめ立っていた。
「ベビリンっ! 戻ってきなさいっ! 」
アクヤの声が、ガシャガシャという骨がぶつかり合う音にかき消される。
不吉な音を奏でる骸骨が、手にしている剣を大きく振りかぶり、今にもアクヤへと襲いかからんとしていた。
─とあるS級冒険者の鑑定眼─
【名前】 アクヤ・クレイ Lv.25
【種族】 人族
【ステータス】 高位貴族、小鬼ノ女王
【スキル】 王子妃の教養(免許皆伝)
回避、覇王の威圧、念話
子守唄、忍び足、調教、口撃
指輪ノ加護、神速
貴属魔法(初級): 物理反射
采配、復元、魔術介入
粘液耐性、操糸
【名前】 サソリン Lv.53
【種族】 魔族魔蟲目 魔蠍蜘蛛
【ステータス】糸祖
【スキル】 操糸
【名前】 ベビリン Lv.5
【種族】 魔族悪鬼目 幼鬼騎士
【ステータス】幼児、 狼使い、糸の申し子
【スキル】 隠密、無邪気、ママっ子、騎乗
操糸




