02
「……はぁ」
もう、何度目かも分からない溜息が口をついて出た。
無機質の石壁に、簡素なベッド。
頭上高くに設けられた格子窓。
ぐるりと視線を回せば、何者も寄せ付けない鉄の扉。
なぜ、こうなったのか。
理由は単純だ。婚約者であるアルマニア王国第一王子ジョゼフ・アルマニアの逆鱗にふれたから、だ。
クレイ公爵家の長女であるアクヤは、10歳の時にジョゼフ王子の婚約者に選ばれた。
それからというもの、王子妃教育に打ち込んだ。如何にして、王家を支えるか。
王子の隣に立つ者として相応しくありたいと、最善を尽くしてきたつもりだ。
ジョゼフ王子との関係も、それなりに良好だった、と、思う。手紙での遣り取りは欠かさず、ティータイムやディナーをともにすることもあった。
幼い頃から見知った関係で、ともに王国に尽くす身。相思相愛とまではいかないものの、同じ方向を向けていたと思う。
──15歳で、王立学園に入学するまでは。
アルマニア王国の貴族は、15歳から王立学園への通学が義務づけられている。
これは王族や公爵家子息などの高位貴族でも例外ではない。むしろ、そこで模範となり高成績を修めることが求められる。
それが、数年前から、平民枠も設けられる運びとなった。なんでも、教会の『平民にも学びの機会を与えろ 』という圧力に、王家が屈したのだそうだ。
ちなみに教会というのは、ヘテプ正教会のことで、その教えは唯一神ヘテプ神にお祈りを捧げれば、魂が救済され苦しみから解放されるというものだ。
王家としても、ヘテプ正教を国教に定めその信仰を推奨している。両者は建国当初から深い付き合いで、王家も蔑ろにできないのだ。
それはいい。
問題は、平民枠で入学して来た聖女レイラにあった。ブロンズの髪を緩く後ろで纏めた、清楚な見た目の少女だ。
学園の組み分けは入学試験の成績順で行われる。
聖女レイラの成績は、なんと、堂々の二位だった。
一位は言わずもがな、ジョゼフ王子だ。
そして、三位がアクヤだった。
アクヤは、レイラに負けてしまった。
これは、言い逃れのできない事実だ。
晴れて同じクラスになった三者の関係は、日に日に変化、いや、悪化していった。
ジョゼフ王子はアクヤに対する幻滅を隠そうともしなかった。入学試験の結果から、自分の隣にアクヤが並ぶべきではないと考えているようだった。
特異な出自で可憐な聖女レイラこそ、相応しいと。
アルメニア王国では、この世に生れ落ちると、例外なく教会で洗礼を受ける。その過程で、聖魔法適正が判断されるのだ。
聖魔法とは、聖なる力を宿す治癒魔法や保護魔法、浄化魔法などのことを指す。
不思議なことに、これらの魔法を使えるのは女性だけだった。生命を育める女性だからこそだ、と言われている。
彼女達は、その特別な能力から聖女と呼ばれるようになった。
聖女は、国防に欠かせぬ貴重な存在だ。その身分は教会に属し、衣、食、住が保証されるなど、優遇される。
これまで聖女を輩出してきたのは、高位貴族の名家だけだった。そのため、彼女たちは教会に出仕し、その役割を担ってきた。
一方で、レイラは平民だ。
聖女だと判明したその瞬間、教会に引き取られ、大切に育てられてきたらしい。
そんな、学業優秀で、かつ、箱入りの平民聖女の出現に周囲は沸き立った。
それだけに留まらず、レイラは、聖女としての能力においても、歴代最高と言われる程群を抜いていた。
ジョゼフ王子の気に入り様は、言うまでもなかった。入学当初は、好奇の眼差しだったものが、次第に熱を帯び始め、数ヶ月もしない内に、婚約者にしたいと考えられたようだ。
そうなると邪魔になるのが、アクヤの存在だ。
アクヤはジョゼフ王子をお諌めした。
これまで平民が王家に嫁いだ前例はない。貴族の間ですら、恥ずべきこととして忌避されるのだ。それを王子妃にすえるなど、王家の権威が失墜しかねない。
万に一つ平民出の王妃が誕生しようものなら、貴族という存在意義そのものを、揺るがしかねない。
意を決して、そうお伝えしたのだが、却って仇となった。
「お前はレイラの可愛さと才能に嫉妬しているだけだっ!
流石は強欲なクレイ公爵家のご令嬢だな。お前の顔など見たくもないっ! 」
それが、ジョゼフ王子との最期の会話になった。いや、厳密には最期から2番目の会話、か。
「アクヤっ! 今この場をもって、お前との婚約を解消するっ!
レイラに対する数々の嫌がらせは、度を過ぎている。その身をもって償うがいいっ!! 」
これが、数時間前の学生懇談パーティでジョゼフ王子からかけられた最期のお言葉だった。
身に覚えのない数々の罪状。
犯行現場を目撃したと証言する貴族子女たちは、クレイ公爵家の政敵ばかりだった。
近衛兵がなだれこんでくる。
あっという間に、アクヤは取り押さえられてしまった。
「アクヤ様がっ、そんな馬鹿げたことをなさる筈がございませんわっ!! 」
ランデンブルグ辺境伯家ご令嬢ミランダ・ランデンブルグが叫んだ。
彼女も、幼い頃からの顔見知りだ。
アクヤの志をよく知る、筋の通らないことが大嫌いな名門武家のご令嬢は、この茶番に我慢ならなかったらしい。
「辺境伯令嬢、言葉を慎めっ!! 罪人を庇いだてするのなら、お前もひっ捕らえるぞっ!!」
「罪人にされるのは、私だけで十分。関係の無い者を巻き込むのは、おやめ下さい。
逃げも隠れも致しません。どうぞ、お怒りをお鎮めください」
ミランダが口を開く前に、アクヤが割ってはいる。これ以上騒ぎを大きくするのは、得策じゃない。
ジョゼフ王子を睨みつけているミランダと視線を交わす。険しい表情のまま、互いに頷きあった。今この場で信用できるのは、彼女だけだ。
アクヤは自分を悔いた。
既に王家の一員であると、自負していた自分を。王家を内側から支えようと意気込んでいた自分を。
「さっさと罪人を幽閉塔へ連れていけっ! 」
ジョゼフ王子が憎々しげに叫んだ。
その左肩にはレイラが抱き寄せられ、恍惚の表情で王子を見上げていた。
(まだ、国王陛下のお裁きが下ったわけではないわ)
一縷の望みに希望を託し、多数の近衛兵に取り囲まれつつも、アクヤは力強く歩きだしたのだった。