婚約者は俺だ!
「え、もう婚約者を選定するのか…」
「何を仰っているんですの? 私ももう18歳になりましてよ。今からなんて遅いくらいですわ。」
そうか、もうそんな歳になるのか。
俺も21歳になったんだ。3歳下のジブリールが18歳なのは当たり前だ。
当たり前なのだが理解が追いつかないというか追いつかせたくないというか…。
この国では14歳前後には婚約者を内定させる。その後、当人たちの関係に問題がないようであれば17,8歳で正式に婚約するのが通例だ。
ジブリールの言う通り、婚約者が内定しておらず今から人選というのは遅い。特に彼女は次期公爵家当主という身だ。
「それよりも! ウィル兄様はいつ婚約をなさるのですか!? 私よりも人選が遅いというのはいかがなものかと。」
ジブリールの言うことは最もだった。耳が痛い。
これまで父が持ってきた縁談は気が乗らなくて基本断っていた。
断れない縁談も、相手の令嬢と顔合わせの茶会後に無かったことにと白紙になったこともある。
そんなこんなで婚約者がいないままこの歳になってしまった。
公爵家の跡取りとしてはいい加減に婚約をしなければいけない歳だろう。同年代はもう結婚しているのだ。
「ウィル兄様は格好よくてお優しいのですから、素敵な方だと引く手数多なのではなくて?」
そう言うとジブリールはお茶を飲む。誤魔化そうとしているようだが顔が赤いのが見てとれた。
ジブリールは俺のことを褒めた後、いつも耳まで真っ赤になるのだ。なんと可愛らしいのだろう。ジブリールに褒められるのは殊の外嬉しい。自然と頬が緩んでしまう。
「嬉しい言葉をありがとう、ジブリール。俺のことは…まぁ今は置いておこう。」
その言葉にジブリールは俺をキッと睨む。
これはお説教モードだ、と呑気に構える。
「ウィル兄様がそんなんだから…! こうやってふらりと我が家を訪れては私との時間を過ごされるから、社交界であらぬ噂がまことしやかに囁かれているのですよ!」
曰く、お忍びデートをする仲である
曰く、普段から薔薇の庭での逢瀬を楽しんでいる
曰く、公爵家跡取り同士の秘められたる恋である
なるほど…秘められたる恋とやら以外は事実だ。
2人で観劇へ行ったりお忍びで街へ買い物に行ったりしたことがあるし、今いるのは頻繁にお邪魔している薔薇の植えられた庭だ。
これでは噂の信憑性が増してしまうというもの。
この噂を流した人物は俺やジブリールに相当近いに違いない。
そんな事を考えながら
「秘められたる恋とやら以外は事実なのだから噂というのも侮れんな。」
と言えばジブリールに庭を追い出されてしまった。
かなり機嫌を損ねてしまったらしい。大人しく邸宅へと帰ることにした。
「秘められたる恋、か…。」
帰りの馬車で先ほど聞いた噂話を反芻していて気がついた。
ジブリールの婚約が遅くなってしまったのは己に責があるのではないかと。
公爵家の一人娘で跡取り。可憐で美しい容姿、淑女に必要な作法や知識は完璧だ。おまけに頭もいい。
これだけ条件がいいのだから婚約者に名乗り出る者が少ないとは考えにくい。
今まで婚約者が決まらなかったのは、ひとえに俺がジブリールの周りをうろちょろしていたからに過ぎないのだろう。
俺さえジブリールに構わなければもっと早くに婚約者が決まっていたのではないだろうか。
だが、ジブリールに会わない日々を想像したら胸が痛んだ。そんな退屈な日々は送りたくない。
思わず胸に手を当てて顔を上げると、向かいに座る従者のマイクと目が合った。
「いかがなさいました? ご気分でも優れませんか?」
「俺は…今胸が痛いのだが…なにかの病だろうか?」
マイクはつ、と目を細める。
これはたぶん呆れているときの顔だ。
「なぜ胸が痛んだかお聞きしても?」
「ジブリールのことを考えていた。婚約が遅くなったのは俺のせいではないかと…。」
そう言う俺の顔をまじまじと見つめたマイクは眉間に手を当てて深いため息をついた。
「それは責任を感じていらっしゃるのですか? それともジブリール様が婚約するのが嫌なのですか?」
思いがけぬ質問を投げかけられ答えに詰まる。
もちろん責任を感じている。それだけではないのだろうか?
ジブリールが幸せになるなら婚約は喜ばしいことだ。
だが、まだ見ぬ婚約者と並び立つジブリールを想像し、素直にお祝いできるとは思えなかった。
「俺は…ジブリールが婚約するのが嫌なのか。もしかしてジブリールのことが好きなのか!?」
そうか、俺はジブリールが好きだったのか。
思い返せばいつもジブリールを喜ばせたい、笑顔にさせたいと思っていた気がする。
「ウィリアム様、お顔が真っ赤ですよ。まさか今まで自覚していなかったとは…」
何やらマイクが呆れているがそれどころではない。
俺はジブリールが好きなのだ。折角その事実に気がつけたのに、まもなくジブリールの婚約者が決まってしまう。
「このままではいけない…」
馬車が到着するや否や、俺は邸宅に向かって走り出していた。
「父上!父上ー!いらっしゃいますか!?」
「なんだ、騒々しい。」
父の書斎に駆け込むと前置きもなしに話し出す。
「父上、本日ジブリールの婚約の話を伺いました。」
「おぉ、そうか。ジブリール嬢が自らお前に話すと言っていたからな。それで…」
「俺を婚約者候補として推薦してください! 俺はジブリールを好いているのです。どうか!」
頭を下げる。自分の気持ちに気づいてしまったのだから何もしない訳にはいかない。
そんな俺の勢いに驚いた父は遅れて部屋に入ってきたマイクに視線を向ける。
「これはどういうことか説明できるか?」
「はい、申し上げます。ウィリアム様には、ジブリール様より婚約者を選定する予定だという説明がございました。その際、社交界での噂話についてもお話しされております。」
「選定…噂とは秘めたる恋、というやつか。」
「はい。そしてその話を聞いて初めてウィリアム様は自身のお気持ちに気がつかれたようです。」
「なんだと? 今までは無自覚に行動していたと?」
父もまた眉間を押さえて深いため息をついた。
「ウィリアム、いくつかお前に言いたいことがあるが…まずはジブリール嬢の婚約の件だ。婚約者は既に内定している。家同士の同意も得て、な。」
なんてことだ…!既に内定しているのなら俺にはもうどうしようもないではないか!
項垂れていると父が笑みをこぼした。
「安心しろ。婚約者はお前だ、ウィリアム。」
「…は?」
バッとマイクを振り返った。笑いを堪えているのか、肩を震わせ口に拳を当てている。これは絶対に知っていたな。なぜ教えてくれなかったのか。
「すでにジブリール嬢も知っているはずだが…お前を試したのだろうな。」
「試した?何をです?」
「お前がジブリール嬢を好いているというのは周りが皆、気がついていた…お前を除いて、な。お前があまりにもジブリール嬢への好意を隠さないものだから、てっきり外堀を埋めるつもりなのだと思っていた。婚約させるつもりでこちらも2年ほど前から準備していたのだぞ。」
つまりジブリールは俺の気持ちがどこにあるのか知ろうとしたということか。なんて可愛らしいのだろう。
「社交界の噂話は…」
「時間稼ぎだ。ジブリール嬢は一人娘で公爵家の跡取り。簡単には嫁に出せまい。あちらの家の準備を整えるための時間が必要だったのだ。その間、お前たちへの縁談を減らすために噂話を広めた。」
「父上が…?」
「まぁ、私というか、私たちと言うべきか…。」
「そうですか。もうひとつお聞きしても?」
「なんだ? 構わずに聞け。」
「私の縁談も白紙になることが多かったのはこのためでしょうか?」
後ろでマイクが激しく咳き込んだ。
「あぁ…いやそれはお相手の令嬢から断られてだな…んんッ…と、ともかくこの家を継ぐのはウィリアムでその伴侶はジブリール嬢だ。いいな?」
「はい!この上なく嬉しいです!」
「そうか。では今回のウィリアムの行動についてだが…」
「申し訳ございませんが、お説教は後で! ジブリールの元へ行ってきます!」
「こら、待たんか!ウィリアム!」
父の制止も聞かず部屋を飛び出した。
急いでジブリールと話をしなければ。
「ジブリール!ジブリールはいるかい?」
馬車から降りると真っ直ぐに薔薇の庭へと向かった。
「なっ!? 何事ですか、ウィル兄様!?」
周囲の制止も聞かず、俺は驚くジブリールを抱きしめた。
このまま腕の中に閉じ込めていたい。なんて愛おしいのだろう。自分でも驚くほど気持ちが溢れて止められそうにない。
「今までごめんなぁ…俺、自分の気持ちに気がついてなかったんだ。ジブリールが婚約するって聞いて初めて分かったんだ。俺には君しかいない。君のことが好きなんだ。気づくのは遅かったけど…でも、ずっと君への愛は示していた。それこそ周囲のみんなが分かるくらい。分かってないのは俺だけだった…。」
ジブリールを離し左手を取って跪く。
「俺と結婚してください。」
見上げるジブリールの泣き顔が美しいと思った。
「気がつくのが遅すぎですわ。私がどれだけ…どれだけ…!」
ボロボロと涙が頬を伝っている。
これほどまでに追い詰めてしまっていたのか。自身の行いを反省しこれから挽回しなければ。
…そのチャンスは与えられるのか? 婚約が決まったとはいえ、ジブリールが嫌だと言えば白紙の可能性もある。
今までも俺に原因があったようだし…ジブリールに受け入れてもらえないのではと不安になってきた。
「ジ、ジブリール…?」
「そんな捨てられた子犬みたいな目で見ないでくださいまし。私の答えは決まってますわ。」
意を決したように口を開く。
「私もウィリアム様をお慕いしてます。私と結婚してくださいませ。」
こんなに幸せなのは初めてだ!
嬉しさのあまりジブリールを抱きしめてその場でくるくると回る。
「ウィル兄様! おやめくださぁぁぁ」
「あはははっ!」
その様子を周囲に控える従者・侍女たちが微笑みながら、あるいは目に涙を湛えながら見守っていた。
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