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電脳勇者の廻界譚 RE!~最弱勇者と導きの妖精~    作者: お団子茶々丸
第4章 砂塵舞う王国
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第90話 炎天下の思い出

 ~ハビンの町・とある人物の居室~


 王国軍との戦いに辛くも勝利した砂塵の牙率いる連合軍。ハビンに凱旋した彼らは、歴史的な勝利の余韻に浸ることなく次の一手への準備を着々と進めていた。町に帰還した僕は仲間の無事を確認して、休息の為に与えられた部屋で眠りについていた。いたのだが‥‥。


「すまない、こんな夜更けに呼び出してしまって。これからの方針を少し話しておきたくてな」


 何故だか眠っていたところを叩き起こされ、パーリの部屋に呼び出されてしまったのだ。


「それ明日じゃダメ?」


「ダメだ」


 ダメか。


「王国に残っている同胞からの報せによれば、今回の王国軍の敗走は国民たちにも既に知れ渡っているようだ。その影響は大きく、次なる災いを恐れて小規模ながら混乱の波が広がっているらしい」

「休んでいる暇すら惜しい。王を討つなら、情報が統制されていない今が好機だ」


 腹の傷もロクに治療せず、パーリはサン・クシェートラの地図を睨みながらそう呟いた。


「今が好機って言っても、そんな体じゃすぐには動けないだろ」


 パーリだけじゃない。他の砂塵の牙のメンバーもハビンの衛兵達も、アズラーンの騎士団にだって負傷者はいる。たとえ王国内が混乱しているとしても、少ない手勢で挑めば有無を言わさず返り討ちにされてしまうだろう。


「確かに私は満足に動けない。戦闘行為は不可能だけど――――勝つための策は兄貴が既に用意してくれていたんだ」


「ジャワが?」


「ああ、少し前にとある助っ人に話をつけていたみたいでな。遺跡の森で王国軍をやぶることが出来たなら、協力してくれる約束らしい」


「とある助っ人って‥‥?」


 僕は息をのんで、パーリの返答を待った。


「クヌム王直属の親衛隊の一人、不屈のスコルピオンだ」


「親衛隊が助っ人!?そんなのアリか!?」


「普通に考えればナシだな、王に対する最悪の裏切り行為だ。だがその王が悪王であるクヌムであれば話は別さ」


「そのスコルピオンって信用できるのか?罠って可能性は?」


 メリアメンの王への忠誠心は、正直言って異常なレベルのものだった。同じ親衛隊であったヨミも、地下牢でイリホルへの不満は口にしていたが王を侮辱するような発言はしていなかった。そんな王の懐刀である親衛隊が、砂塵の牙の作戦に手を貸すことなんてあり得るのか‥‥?


「罠の可能性はない、信用していい」


「そう断言できる理由は?」


「兄貴はスコルピオンと密会をするための見返りとして、今回の作戦に関する情報を全てヤツに教えていたんだ。もしスコルピオンが我々に協力する気が無ければ、作戦が筒抜けになった我らの軍勢は、為す術もなく王国軍に蹂躙されていたはずだ」


「じゃあつまり、僕たちが勝利できたということは―――」


「スコルピオンは我々の作戦を誰にも他言していない、ということになるな。‥‥すまない、このことはお前にも伝えておくべきだった。戦いが終わった後の報告になったことを許して欲しい」


 そう言って、パーリは傷だらけの身体で深々と頭を下げた。もしスコルピオンが情報を話していれば、僕たちは一方的に嬲り殺されていたかもしれない。その可能性があることを、ジャワとパーリは黙っていた。多分、その事実を知っていたのはリーダーである二人だけだったのだろう。


 もし話してしまえば、恐れをなして皆が戦意を無くしてしまう。だから言わなかった、いや―――言えなかったのだ。


「別にいいよ、もう終わったことだし。それより、そのスコルピオンってのは具体的にどう協力してくれるんだ?」


「我らが王国に攻め入ると狼煙を上げた時、先んじて王国内でクーデターを起こすそうだ。その混乱に乗じて、我らは攻め入る―――という感じだな」


「もしスコルピオンが動かなければ、作戦自体が成り立たない―――か」


「そ、そんな不吉なことを言うな!兄貴の話ではヤツも今の王国の在り方に不満を持っているらしいし‥‥必ず兵を上げてくれるはずだ!」


 あたふたとしながら、パーリは言った。何とも希望的な観測だが‥‥そんな僅かな希望にでも縋らなければならないほど、彼女たちは追い詰められているのだろう。巨大な王国に少数の同胞たちで立ち向かう―――か。


 強い意志がなければ、とてもできないことだ。彼女たち砂塵の牙は本気で王国を変えようとしている。


「だからお前にも――――最後まで協力して欲しい」


 目を伏せながら、彼女は後ろめたそうに呟いた。


「兄貴がいなくなったいま、私が頼れるのはもう‥‥」


「そんな顔しなくても、僕はいまさら逃げ出したりしないよ」


「!」


「僕はこの国の行く末を最後まで見届ける。それまでは砂塵の牙の一員として、共に剣を振るってやるさ」


 ジャワにも、そう託されてしまったし。


「すまない‥‥ありがとう」


「じゃ、僕もう部屋に戻るわ。明日には一回サン・クシェートラに戻らないといけないし」


「サ、サン・クシェートラに戻るのか?」


「ジャワがつけてくれた護衛が居たとしても、スピカを一人にしておくのはちょっと心配だからな。王国が戦場になるなら、避難の準備も必要だろ?」


 そう言って、僕は部屋のドアノブに手をかけた。


「ま、待ってくれ」


 しかし、立ち去ろうとする僕をパーリは慌てて引き留めた。


「何だ?」


「その‥‥今日はもう遅いので私の部屋に泊まっていかないか?これでも一応リーダーだからな、私のベッドは他の部屋の物より大きいぞ?」


「いや、別にいいわ」


「即答!?」


「何か今日めちゃくちゃ疲れたからさ、普通の環境で静かに眠りたい」


「な、正気か?!」


「正気だよ、じゃおやすみ」


 まだ何か言おうとするパーリを放って、僕は彼女の部屋から退室した。原種の力を行使した後は、尋常じゃないくらいに身体がダルくなる。もう少し愛嬌のある返事をしてやりたかったが―――とてもそんなテンションにはなれない。


 僕は寝ているエイミーを起こさないよう静かに部屋に戻ると、1分と立たずに眠りについた。





 ~翌日~

 ~サン・クシェートラ王国・居住区・ホル~



 最近―――毎日同じ夢を見る。夢の内容はとても恐ろしく、私が巨大な太陽になってサン・クシェートラ中を焼き尽くすというものだ。人々は逃げ惑いながら、黒焦げになって死んでいく。建物も、道路も、全てが燃えて灰になる。私を蔑み、差別するモノはどこにも存在しない。


 ああ、でもこれは悪い夢だ。こんなことが現実にあってはならない。分かってはいる、分かってはいるのだけれど――――。


 心のどこかで、こんな結末を願っている“私”がいる。



「‥‥ん」


 窓から眩い光が差し込んでくる―――今日も、憂鬱な一日が始まったのだ。


「ふわぁ‥‥」


 太陽の位置が高い、きっともうお昼ごろだ。あまり起きるのが遅いと、パニーニ区長に小言を言われてしまう。まだ眠っていたいけど‥‥そろそろベッドから出るとしよう。


「あれ‥‥髪、こんな色だっけ」


 鏡に映っている見慣れたハズの顔と、忌々しい小麦色の髪。何故だかその髪の中に、妙に輝いている黄金の毛がところどころ混じっている。嫌だな‥‥病気とかじゃないといいけど‥‥。


「はぁ」


 小さな溜息をついて、私は部屋の扉を開いた。




「・・・」


 下に降りると、そこには信じがたい光景が広がっていた。


「あ、スピカ!おはよう!」


「おはようって‥‥もう昼ですよジル様」


 ジルさんたちが、帰って来たのだ。私を拒絶しない、外からの冒険者たち。彼らの顔を見ただけで、私の心は晴れ渡る空のように澄み渡っていった。


「お、おかえりなさい!良かった―――もう帰ってこられたんだね!」


「うん。でも、またすぐにハビンへ向かわなきゃいけないんだ」


「そ、そっか‥‥」


 心底悲しそうな顔で、スピカは呟いた。


「砂塵の牙は、すぐにでもサン・クシェートラの王に最後の決戦を挑むつもりだ。そうなれば―――ここも戦場になるかもしれない」


「ジルさんたちも戦うんだね‥‥見ず知らずの、こんな王国のために」


「そんな心配そうな顔しないで。もし全てが上手くいけば―――スピカは自由にこの国で生きていけるようになる。災いの子だなんて、もう誰にもよばせない」


「ジルさん‥‥」


 悪習も、イカれた神話も全て―――パーリたちが変えてくれる。そうなれば、この王国は今よりずっと穏やかになるはずだ。


「はいはい、辛気臭い話はそこまでですよジル様。時間は限られているんですから、さっさと本題に入りましょう」


「本題って?」


 突然のエイミーの発言を聞き、スピカは不思議そうに首を傾げた。


「私たちがわざわざサン・クシェートラに戻ってきたのは、ズバリ!!スピカさんと思いっきり遊ぶため!です!!」


「え!?それ本当!?」


「戦いが終われば、僕たちは次の目的地に旅立たないと行けなくなるからな。今のうちに少しでもスピカと楽しい思い出を作ってやりたい――――って、カインがさ」


「おいジル!!それ言わねえ約束だったよな!!?」


 そうだっけか?まぁ、悪いことではないので別にいいだろう。


「ま、外を出歩いて衛兵に見つかれば厄介だし‥‥この居住区の中でしか動けないけどね」


「本当!?じゃあさじゃあさ!みんなで鬼ごっこしようよ!!」


 目をキラキラと輝かせ、スピカは興奮しながら言い放った。


「お、いいな。じゃあヘイゼルが鬼で」


「は?いや、私走るのとかあんまり―――」


「よっしゃあ逃げろー!!」


「話し聞けバカぁ!!」


 こうして、灼熱の太陽が照り付ける中――いい年した4人と純粋無垢な少女の鬼ごっこが開始された。






 ~サン・クシェートラ王国・黄金宮殿・王の居室~


「王よ、ご気分はどうですかな?」


「イリホルか‥‥」


 クヌム王は窓の景色をぼんやりと見つめながら、力無く呟いた。


「我は‥‥小麦色の髪の少女も、天に届くほどの生贄も、偉大なる六人(レデントール)の後ろ盾も、そして‥‥王国最強の守護者も全て取りこぼしてしまった。貴様が神話を解読し、智恵を授けてくれたと言うのに―――まるで成果を掴むことが出来なかった」

「父上や兄上のような偉大な王には我はなれぬ―――愚かな王だと笑ってくれ、イリホル」


「何を仰いますかクヌム王、貴方はこの国の為に精一杯ご尽力なされた。全てを諦めるにはまだ早いですぞ」


「無駄だよイリホル。アカネが居なくなった今、聖都の怒りを買った我らに生き残るすべはない‥‥神話の災いを待たずして、外征騎士の軍勢に攻め滅ぼされてしまうだろう」


 砂塵の牙、聖都の騎士、そして神話の災厄。その全てに対処することは不可能だと、王は弱音を口にした。しかし、そんな状況下にあってもイリホルはまだ笑みを浮かべていた。


「―――遥かなる太古、デンデラの地にふたつの太陽ありき」


「‥‥?」


「建国神話の冒頭の一説でございます――クヌム王もご存知でしょう?サン・クシェートラ王国は天と地に輝くふたつの太陽と、初代国王の手によって興された王国。我らの太陽信仰はここから始まった訳ですが‥‥実はこの話、神話ではなく本当にあった実話なのですよ」


「建国神話が、本当にあった史実を書き記していると?」


「ええ、そうです」


「フ、いかに太古の時代といえど‥‥太陽がふたつもある訳がない。太陽自身が国を作ったのなら、きっとデンデラ大砂漠はただの焼け野原になっているだろうよ」


 不敵に微笑むイリホルの言葉を、クヌム王は戯言として一蹴した。


「いいえ、建国神話に嘘はありません。ただし一つ訂正をするのなら―――初代国王と共に国を興したのは太陽ではなく、厳密には()()()()()()()()()()()()()()()だったワケですが」


「なに‥‥?」


「そして、その超生命体は――――今もこの黄金宮殿の奥深くで眠っている」


「なッ!?」


「ワシの読み解いた神話による最後の提言です―――良くお聞きくだされ、王よ」


 驚く暇すら与えず、イリホルはクヌム王へと迫った。


「黄金宮殿の最下層―――そこにある霊廟の封を解くのです。それこそが、神話に描かれた大いなる災いを打ち破る最後の希望でございます」


「・・・」


 イリホルの言葉を聞き、クヌム王の心は揺らいでいた。


 幼き時、父上から聞いたことがある。建国神話に名高いふたつの太陽は、それぞれ異なる領域を司っていたと。一つは天空の太陽、豊穣と光の象徴であり文化発展と安寧の化身。一つは地上の太陽、戦争と闇の化身であり血濡れの繁栄と屈強な国土の化身。


 サン・クシェートラ王国の繁栄は、この二つの太陽の力があってこそ。太陽への畏敬を忘れるなかれと、兄と共に言い聞かされた。もしイリホルの言うことが正しければ―――我らはその圧倒的な力を味方につけることができるのだ。


「王族といえども、地下霊廟はみだりに立ち入ることのできぬ神聖な場所‥‥本来ならば許されざる行為だが―――王国の命運のためなら我は禁忌を破ろう」





 ~サン・クシェートラ王国・居住区・ホル~



「あー!今日は楽しかったぁ!」


「そ、そうだな‥‥」


 完全に、見誤っていた。ある程度走り回ればスピカの方から疲れて休憩を申し出てくるかと思っていたけど――――まさか数時間以上ぶっ続けで炎天下の中を駆け回ることになるとは予想外だった‥‥。あれほど明るかった空はすっかり陽が落ち、夜の静寂に包まれている。


「鬼ごっこに、かくれんぼ――――あ、ヘイゼルさんの魔法も凄かったな~!私、こんなに笑ったの生まれて初めてかも!!」


「そりゃ良かったよ」


 でも、ヘイゼルがあそこまで運動音痴だとは思わなかったな‥‥鬼ごっこじゃ最後まで誰一人捕まえられなくて半泣きになってたし。


「ジル、あんたいま余計なこと考えてたでしょ」


「え、考えてないよ?」


 なんて勘の鋭い魔女なんだ。


「でも‥‥みんなで遊んでたら外もう暗くなっちゃったね。どうする?ここに泊まっていく?スピカは大歓迎だよ?」


「そうしたいのは山々だけど―――」


 作戦決行を急ぐパーリに無茶を言って、今日はスピカに会いにサン・クシェートラまで運んでもらった。砂塵の牙のメンバーも僕たちの帰りを待っているだろうし、流石に泊まっていくわけには行かない。


「まぁまぁ、少しくらいならいいじゃありませんか」


 答えあぐねている僕の前に、一人の老人が現れた。優しそうな笑みを浮かべ、ゆっくりと家の中に入って来たのだ。


「ほら、パニーニ区長も言ってるし!」


「パニーニ区長‥‥」


 確か、スピカを匿ってこの家を貸しているという‥‥。


「私もスピカたちの案に賛成ね。誰かさんがしつこく逃げ回るせいで体中クタクタだし、ハビンに移動することすら面倒だわ」


 そう言って、ヘイゼルはわざとらしい仕草で深々とソファに座り込んだ。一度こうなってしまえば、彼女を動かすことは難しいだろう。


「ふふ、泊ってあげなよジル。パーリさんにはボクがうまいこと言っておくからさ」


「リリィまで‥‥」


「ほほ、決まりですな。すぐに夕餉を準備しましょう」


「これはジル様の負けですね、ここはお言葉に甘えるべきですよ」


「あ、ありがとうございます‥‥」


 結局、パニーニ区長の御厚意に甘えて僕とエイミー、そしてヘイゼルが一旦サン・クシェートラに残ることになった。パニーニさんの作る夕食は野菜がゴロゴロとふんだんに使われていて、とても食べ応えがあった。夕食の後、スピカの提案でみんなで夜更かしをする予定だったのだが――――。


「寝てるな」


「寝てるわね」


 夕食を食べ終え、一度部屋で休憩すると行ったきり帰ってこないので様子を見に上がれば―――スピカはいびきをかいて熟睡していた。


「まぁ、今日あんだけ走り回ったんなら無理もないな。ちょっと申し訳ない気もするけど、寝かせておいてあげよう」


「そうね」


 気持ちよさそうに眠るスピカを見届けると、僕とヘイゼルは静かに部屋の扉を閉じた。


「おや、スピカは寝ていましたか?」


「ええ、ぐっすりです」


「そうですか―――それは良かった」


 ソファに腰かけ、何やら書物を読みながらパニーニさんは静かに微笑んだ。本当に優しい、暖かな表情だ。


「パニーニさんは――――いや、この居住区に住んでいる人たちは、どうしてスピカを他の人みたいに怖がらないんですか」


 聞いていいのか少し迷ったが、僕は率直な疑問を彼にぶつけてみた。


「そりゃあ、わしらはスピカが赤ん坊のころから知ってますからなぁ。彼の父親は‥‥このホルの出身でしたからの」


 まぁ、お座りください―――とパニーニさんはぼうっと突っ立っている僕とヘイゼルを向かいのソファに促した。そしておもむろに立ち上がると、台所の方へとぶらぶら歩きだした。


「少し前まで―――このサン・クシェートラは平和そのものでした。しかし、先代の王が死に、弟であるクヌム王が即位されてから、この国は変わってしまった。古代文字を解読できるという王の側近、宰相イリホルによって、新たな神話が提唱されてしまったのです」


「イリホル‥‥」


 やはり、この騒動の黒幕はあの男か。


「ヤツは今まで語り継がれてきた神話はデタラメであると斬り捨て、神聖な地下遺跡を強引に掘り進めた。そして―――小麦色の髪の少女が災いをもたらすなどと吹聴し始めおったのです‥‥」


 台所から戻って来たパニーニさんの手には二つのマグカップが握られていた。彼はそれを僕とヘイゼルの前にそっと並べると、再びソファに腰かけた。


「どうしてそんなことを言い出す必要が?」


「分かりませぬ、実際この国で古代文字を解読できるのはイリホルしかおりませんから‥‥ヤツはひょっとすると、本当に神話の内容を口にしているだけなのかもしれません。ですが―――スピカを迫害し、処刑しようとするばかりか巨大な蜥蜴の魔物を神獣として崇めだす始末、それがサン・クシェートラのためになるとは、わしはとても思えんのです」


「・・・古代文字、か」


 僕はマグカップに手をのばし、そっと口をつけた。ほどよい温かさの甘い液体が、口の中にじんわりと広がっていく。ココアに蜂蜜を混ぜたような―――どことなく不思議な味だ。


「・・・」


 何となく横を見ると、これでもか、というほどに息を吹きかける猫舌な魔女の姿があった。彼女は僕の視線に気が付くと、少し頬を赤らめてヤケ気味にマグカップへと口をつけた。何ともいじらしい‥‥とても数百年を生きる魔女とは思えない仕草である。


「その、スピカの御両親は‥‥?」


「母親は地下遺跡の調査中に、不慮の事故であの子が小さいときに亡くなりました。父親も―――もう他界してこの世にはいません」


「そうですか‥‥」


 何となく予想はついていた。だけど、言葉としてその答えを聞いて―――僕の心は締め付けられるように苦しくなった。


「パニーニさん、近いうちに砂塵の牙はこの王国に攻め入るつもりだ。そうなれば、このホルも戦場になるかもしれない‥‥だから、明日にはスピカたちを連れてハビンに避難して欲しいんだ」


「―――そうですか。王国軍が遺跡の森で敗走したと聞き、もしやとは思っていましたが‥‥」


 僕の言葉を聞いた瞬間パニーニさんは、静かに目を閉じた。そしてしばらくの静寂の後、再び優しげな表情で口を開いた。


「明日にでもホルの皆に伝えておきましょう、ありがとう―――ジルさん。それと一つ、わしからお願い事をしてもよいでしょうか」


「何ですか?」


「この国の親衛隊に、ヨミという獣人の弓使いがおるのですが―――王国軍と戦うことになっても、彼だけは傷つけないでやって欲しいのです」


「‥‥り、理由を聞いても?」


 何故ここで彼の名前が出てくるのか不思議で仕方ないが‥‥まずいな。先日の戦いで少しやり合ってしまったんだが。


「あいつはスピカにとって唯一残された肉親のようなものでしてな。彼が傷つけば、スピカも辛い想いをすると思うのです」


「肉親‥‥?」


「ええ。まぁ簡単に言えば、義理の兄妹のようなものでしょうか」


「それって―――」


 深く問いを投げようとした瞬間、突然バサリとヘイゼルが僕の方へもたれかかって来た。


「ヘ、ヘイゼル?」


「‥‥ハッ!ね、寝てないわよ!?」


 寝てたがな。


「ほほ、今日は皆さんスピカと砂だらけになって遊んでくれましたからなぁ。お嬢さんも、相当疲れがたまっているのでしょう」


「今宵はここまで、ですね」


 僕はそう言って、ウトウトと睡魔に侵食されているヘイゼルに肩を貸した。放っておいてもいいが、後で小言を言われると面倒だ。一応ベッドにまでは運んでやるとしよう。


「ええ、またお話ししましょう―――おやすみなさい、ジルさん」


「おやすみなさい、パニーニさん」


 僕はヘイゼルを連れて、二階へと上がっていった。




「よっこらせ――――っと」


 部屋に着くなり、僕はヘイゼルをベッドの上に雑に転がしてやった。無造作に寝転ぶヘイゼルの寝顔を見ていると‥‥何だかこっちまで眠たくなってきた。僕もさっさと部屋に戻って休むとしよう。うるさいエイミーのいびきの中でも、今ならぐっすり眠れる気がする。


「おやすみ、ヘイゼル」


 そう言って、僕はベッドに腰かけたまま―――なんとなく彼女の頬を撫でた。


 撫でて、しまった。


「―――変態」


「ひィッ!?」


 聞き捨てならぬ四文字が聞こえた瞬間、僕の背中はひんやりと凍り付く。慌ててヘイゼルをよく見ると―――眠っていたはずの彼女の目は、冷ややかな視線と共に僕を見つめていた。


「お、起きてたの‥‥?」


「―――顔をいきなり触られたら、誰だって起きるわよ」


 ヘイゼルはのそりと体を起こすと、頭をかきながら不機嫌そうに僕を見つめた。


「す、すいません‥‥」


 やってしまった。エイミーならともかく、よりにもよって一番嫌われたくないヘイゼルに‥‥。


「弁解があるなら聞くけど」


「ありません‥‥つい、出来心で」


「―――じゃあ、私にも触らせなさい」


「はい‥‥え?」


 聞き間違いか?今良く分からないことをヘイゼルが口走ったような気がするんだが。


「触るって、僕の頬を?」


「そ、そうよ!そのくらい話の流れ的に分かるでしょ?!」


 部屋が暗くてハッキリと顔が見えないが、それでも断言できる。ヘイゼル、いま顔真っ赤だ。


「別にいいけど‥‥引っ叩いたりしないでね」


「しないわよ、バカ」


 そう言って、ヘイゼルは震える手で僕の顔に一瞬だけ触れた。


「・・・」


 物足りない。何故かそう感じた僕は、離れ行く彼女の手をそっと掴んで、僕の頬にぴたりと密着させた。


「ちょ、なにを―――」


「ヘイゼルの手、ひんやりしていて気持ちいい」


「――――――冷血な女だって、思ってるんでしょ」


 消え入りそうな声で、彼女はそう口にする。


「思ってないよ」


 そう言って、僕は彼女の頬にそっと触れた。


「―――アンタの手、暖かいわね‥‥少し熱いくらいよ」


「ごめん、やめようか?」


「やめないで」


 手を引こうとした瞬間、彼女は自身の手で僕の手をぴたりと覆った。


「不思議ね、こうしていると何だか気持ちが落ち着く気がする―――人肌の温もりってのも、たまには悪くないかしら」


「―――」


 どれくらい、こうしていただろうか。窓から差し込む月明かりが、ほのかにヘイゼルの顔を照らす。暗がりの部屋に映し出されたその表情は、言葉を失うほどに美しく―――また、劣情を抱いてしまうほどに蠱惑的であった。


「ヘイゼル―――」


 やわらかい彼女の肌から、僕の手を通して赤らめた頬の温もりが伝わってくる。暖かくて、熱くて、とても心地が良い。体の芯によからぬ熱を帯びているのは――――僕だけでは無かった。


「―――」


 彼女は何も語らず、ただ真っ直ぐに僕の瞳だけを見つめている。ここで引かなければ、僕はどうなってしまうのだろう。―――あぁ、心臓がドクドクとうるさい。普段は気にならないのに、何故だか彼女の肌に直接触れていると、生々しい感情が呼び起こされていく。このままでは、変な気を起こしてしまいそうだ。


「―――ジル」


 そう言い残し、彼女は瞳を閉じた。


 この行為が一体何を意味するのか、何を意図しているのか―――僕には全く持って理解できない。ただ眠くて瞳を閉じたのかもしれないし、それ以外の別の何かを望んでいるのかもしれない。ただ一つ、僕が確実に言えるのは―――。


 ヘイゼルの今の一言で―――その甘い囁きで、僕の理性は限界を迎えてしまったといことだけだ。


「ヘイゼ――――」


「え、ちょ‥‥お二人とも何やってんですか?」


「!?」


 突如として、ガチャリと部屋の扉が開く。忌々しい外の光と共に現れたのは―――僕の部屋で眠っていたハズのエイミーだった。


「もしかして、今からエッチなことしようと思ってました?」


「おおおお思ってない!!」


 僕に同調して、ヘイゼルも凄まじい勢いで首を縦に振りまくっている。


「本当ですかぁ?」


「ほんとほんと!!」


「はぁ‥‥まー何でもいいですけど、あんまり夜更かししないでくださいね?戦闘に支障がでたら大変なんですから」


「ごめん、すぐ寝る!」


 僕はヘイゼルの顔を見ることすらできず、エイミーと共に逃げるように部屋を出た。


「‥‥僕って最低だ」


 そして、先ほどの出来事をベッドの上でなんども思い出しては、自己嫌悪の感情に浸っていた。せっかくの気持ちのいい夜なのに、心の中はひどく荒れている。僕は嫌なことから逃げ出す子供のように、きつく目を閉じて眠った。


 

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