第89話 破滅の光、空を駆ける
~デンデラ大砂漠・遺跡の森~
ヨミの撤退命令が発令されてから数十分―――先ほどまで殺気と喧騒に溢れていた戦場は、嘘のように静まり返っている。王国軍は総隊長の敗北を前に尻尾を巻いて敗走し、敵地に辿り着くことすらできぬという屈辱だけを持ち帰る羽目になったのだ。一方、勝利した砂塵の牙たち連合軍も余韻に浸る暇すらなく―――負傷した兵の救護に当たっていた。
「傷が深い者はハビンへすぐに運びこむんだ!ここでは応急処置程度しかできない、動ける者は負傷者の手当に回ってくれ!」
「パーリ、少し休んだ方が良いんじゃないか」
必死に指揮をとるパーリを見ていられず、僕は彼女にそう呟いた。大切な家族を失ったばかりか、メリアメンとの戦闘で彼女も相当なダメージを受けていた。きっとまだ気持ちの整理だってついていないはず―――いや、家族の死を前に整理なんてつけようがないのかもしれないけど‥‥それでも、悲しむ時間くらいは必要だ。
「いいんだジル、やらせてくれ―――兄貴がいなくても、私が皆を引っ張って行かなくちゃいけないんだ」
「じゃあ尚更休むべきだ。キミが疲労で倒れてしまったら、砂塵の牙のメンバー全員が路頭に迷う羽目になるんだぞ」
「だが‥‥」
「パーリも負傷者なんだから休んでいいんだ、けが人の手当なら僕とエイミーでもできるからさ」
「―――ありがとう」
湧き上がる感情を押し殺すように、彼女は一言そう呟いた。
「ジル!」
「ヘイゼル‥‥!?良かった!無事だったんだ!」
こちらに手を振りながら、ヘイゼルが元気そうに走って来た。見たところ体のどこにも怪我は見当たらない‥‥彼女の強さを考えれば当然かもしれないが、本当に良かった。
「アンタの方こそ大丈夫だったの?」
「メリアメンは倒した、でも―――」
「‥‥そう」
この場に居ない彼の存在を察知し、ヘイゼルは全てを理解した。
「カインは?どこかで見なかった?」
「アイツならけが人を連れてハビンへ戻ったわ。踊り風の加護でひとっ飛び!らしいわよ」
「カインらしいな‥‥」
ともかく、二人が無事でよかった。
「パーリさん!大変だ、マズいことになった!!!」
「!?」
大きな声を上げながら、一人の男が慌てた様子で突然走ってきた。
「どうした?一体何があった?」
「宮殿に潜入している同胞から連絡があったんだが―――どうやらクヌム王は、太陽石をハビンへ放つつもりらしい!!」
「太陽石だと!?あいつら‥‥何が何でもハビンを滅ぼすつもりか!」
部下の報告を聞き、パーリは血相を変えて驚いた。
「どうしたんだパーリ!?太陽石って‥‥」
「‥‥太陽石とは、サン・クシェートラの全エネルギーを支える巨大な魔力の結晶体のことだ。王国全ての街灯や魔導車、インフラ設備にいたるまで、毎日消費される膨大な量のエネルギーは全て太陽石の魔力で補っている」
「そんな莫大な魔力の塊である太陽石のエネルギーを“放出”という形で撃ち放てば、町一つ消し飛ばすのは造作も無い‥‥奴らはそれをハビンに撃つつもりなんだ」
「!?」
確かに―――ずっと不思議だった。資源の乏しい大砂漠のど真ん中で、何故サン・クシェートラは大国と呼ばれるまでに発展を遂げることが出来たのか。その答えが太陽石だったのだ。多大な人口を擁すれば、多量のエネルギーも消費する。しかし、太陽石という莫大なエネルギー源をもつサン・クシェートラは、全て自国だけで補うことができたのだ。
ユフテルにおいて、魔力という存在は万能だ。電力や火力に成り代わるばかりか、手間を加えれば純粋な水にまで加工することができる。そんな破格のエネルギー源を兵器として用いるとは―――まさに悪魔の所業と言えるだろう。
「何とかして止められないのか!?」
「太陽石のエネルギーを放出するのには数十分とかからない‥‥今からではとても‥‥」
くそ、何だよそれ‥‥まるで最初からメリアメンが負けることを見越していたかのような動きの速さじゃないか。ともかく、ハビンに居るリリィに連絡をとらないと…!
「・・・・」
僕は作戦前に預かった小さな通信石を、焦りながらも起動させた。
「‥‥はい!こちらリリィ―――」
「リリィか?!聞いてくれ、ヤバい状況になった!」
「え?もしかして負けちゃったの!?」
僕は事情を知らないリリィに、全ての事実を説明した。
「ハビンを消し飛ばすって‥‥それ本当!?」
「ああ、ともかく時間がない‥‥そこにいる人たちを連れて急いで脱出してくれ!」
「でも、ここには直接攻め込んできた王国軍の捕虜もいるし‥‥それに、怪我して動けない人たちも沢山休んでいるんだ。直ぐに脱出なんて―――」
そう言いかけて、リリィは少しの間沈黙した。
「リリィ?」
「聞いてジル、ボクに良い考えがある」
「良い考え?」
「今から多重防御結界を展開して、太陽石の一撃からハビンを守る。その間にハビンに居る人たちは全員避難してもらうことにするよ」
「駄目だ、やめてくれリリィ」
そんなことをすれば、キミが――――。
「ボクは民を守護する騎士だ、動けない人たちを放って逃げ出す訳にはいかない。ジルならよく分かっているだろう?」
「馬鹿な真似はよしてくれ、今すぐ僕がそっちへ向かう。それまで絶対に―――」
「・・・・」
リリィのやつ、切りやがった。
「ヘイゼル!この場は任せた、僕はハビンに向かう!」
「は!?アンタそれ本気で言ってんの!?」
「本気だ!リリィが危ない!」
「落ち着いてくださいジル様、今からハビンに向かっても太陽石の発射には間に合いません。仮に間に合ったとしても、どうすることも―――」
「分かってるエイミー、でも‥‥!」
僕はリリィを見殺しにはできない。
「大気の魔力が震えている‥‥?まさか!」
「みんな伏せて!!太陽石が―――!!」
張り裂けるように声を上げるパーリ。そしてその僅か数秒後に、ソレは起こった。
「!?」
激しい閃光と轟音と共に、輝かしい光が突如として空を駆ける。サン・クシェートラから放たれたその光は、真っ直ぐにハビンの方へと突き進んでいた。
「なんて魔力だ―――」
「直視してはいけませんジル様!!目が焼けます!!」
神々しい。いや、それ以上に恐ろしい光だ。あの純粋で高純度な魔力の塊は、触れるだけで全てを消し炭にしてしまうだろう。あんなモノがハビンに降れば―――何も残らない。
「リリィ―――!!!」
超常的な力を持つ太陽石の前に――――ちっぽけな僕が、為す術など無かった。
~ハビンの町~
「ジル、怒ってるかなぁ」
通話の途絶えた通信石を見つめながら、リリィはぼんやりと呟いた。
「リリィ殿、貴女の言う通り―――動ける者達は避難を開始しました。あと30分もあれば、けが人も含めて全ての者たちがハビンから脱出できるでしょう」
「あ、ありがとうございます!何かすいません、外征騎士の騎士団様を小間使いのように使ってしまって‥‥」
「はは、何を仰るか。志は違えど、今の我らは命を共にする仲間―――遠慮は無用です」
「やば、聖都の騎士かっこいい‥‥」
「それよりリリィ殿、その結界は―――?」
リリィの展開した巨大な結界を見つめながら、騎士は不思議そうに呟いた。
「“深緑の守護結界”ボクの最高の防御結界です。何を隠そう、あのタイタンワームの一撃すら跳ねのけたことがあるんですから!」
そう言って、リリィは無邪気に笑った。
「それは頼もしい限りです」
「‥‥‥‥‥」
「どうしました?リリィ殿?」
「何か―――来る」
本能的に危険を察知したリリィは、即座に大盾を握りしめて結界の力を強めた。その瞬間、巨大な魔力の閃光が激しい衝撃と共に彼女の結界へと衝突した。
「ぐッッ!!!!!」
ジリジリと結界を侵食する恐怖の光―――その威力は、リリィの想像を絶するものだった。一瞬でも魔力を弱めれば、容易く結界を突破されてしまうだろう。結界の発動者であるリリィの身体には、耐えがたいほどの激痛が走り回っていた。
「ハァ、ハァ―――!!!」
これがジルの言っていた太陽石か‥‥!!参ったな、もう少し耐えられると思ったけど‥‥これじゃ10分も持ちそうにない。ボクが倒れるのは良い、でも―――みんなの避難が終わるまでは‥‥!
「ぐッ!!!」
ああ、体中の血液が沸騰しているように熱い。骨が軋みを上げて、肉が裂けるように痛い。痛い、熱い、痛い―――この地獄はいつになったら終わるのだろう。
「リリィ殿!まだ息はあるか!!微力ながら我々も助太刀する!!!」
突如として背後から聞こえた男の声、その声がかろうじて鼓膜に届いた瞬間―――ほんの少しだけ体が軽くなった気がした。
「動ける者は前へ!共にこの結界を支えるのだ!!!」
背後を振り返る余裕なんてない、返事を返す余裕なんてもっての他だ。だがそれでも―――誰かがボクを手助けしてくれているのは分かる。一人、また一人と誰かが駆けつけている。
「ここに居るのは10人程度の少数なれど―――それでも、我らはかの名高きアズラーンが騎士団の精鋭!例え死せるとも、少女を置いて逃げだすことなどありはしない!!!」
ハビンに残った10人の騎士。その全員が結界を支えるために、リリィの元へ駆けつけたのだ。屈強な騎士10人分の魔力で補強され、結界はより強固なものに進化していく。
「ありがとう‥‥!!」
だが、それ以上に――――太陽石の力は強大であった。
「ぐっ!!怯むな!!」
「アズラーン様のためなら、この程度‥‥!!」
足りない。あの強力な太陽石の光を押し殺すには、結界の力が弱すぎる。純粋な魔力の量が圧倒的にパワー負けしているのだ。タイタンワームの比ではない、この光はそんなレベルを遥かに超えている。
「ハ、ァッ‥‥!」
もう、だめだ。
このままじゃ――――。
「まぁ、及第点と言ったところでしょうか」
突如として響き渡った、透き通るような声。その声の主はどこからともなく姿を現すと―――涼しげな様子でリリィの横に並び立った。
「・・・ッ!!」
騎士だ。美しくすらりとしたラインが特徴的な鎧に身を包んだ謎の騎士が、突如として現れたのだ。
「よく踏ん張りましたね、エルフの騎士さん」
騎士はリリィにそう優しく囁くと、細く華麗な剣を構えてこう言い放った。
「―――絶冰・瑠璃燕―――」
リリィが瞬きをした瞬間、目の前には信じられない光景が広がっていた。
「う、そ‥‥」
何が起こったのかは分からない。気が付くと、展開したハズの結界は跡形も無く消え去り―――何故か目の前には、長く巨大な氷の塊が不自然に浮かんでいたのだ。
「何が起こったの―――?」
「ま、寝起きならこんなもんですね。さて、お怪我はありませんか麗しきレディ?」
「あの、えっと‥‥」
思考がうまく纏まらない。いま、ここで、何が、起こった?というか、突然現れたこの騎士はだれ―――?
「もしかしてボク、死んだんですか?」
頭に浮かんだ言葉を、ボクは目の前にいる謎の騎士に呆然と言い放った。
「‥‥ぷ、あっはっはっはっはっはっは!!」
「!?」
「いや失礼、真面目な顔でいきなりそんなジョークを言われるとは思っていなかったものでね‥‥ふふ」
「ジョ、ジョークなんかじゃないんですけど」
「おや、そうだったんですね。これは失敬」
「太陽石の光は‥‥どうなったんですか?」
「そんなもの見れば分かるでしょう」
そう言って、騎士は面倒くさそうに眼前に浮かぶ巨大な氷を指さした。
「眩しくて鬱陶しいので、凍らせてやりましたよ。まぁ眠気覚ましにはちょうど良かったですけど――――ね」
ぱちん、と騎士のデコピンが巨大な氷に炸裂した瞬間、氷は跡形も無く粉々に砕け散っていった。
「サン・クシェートラ王国から隣国ハビンまで伸びる氷の橋―――なんて、この大砂漠には似合いませんし」
「・・・」
あの巨大な魔力の光を、僅か瞬きの間に凍らせたって‥‥?そんなことできるはずがない。だが現実にはそうなっていて―――ボクは命を救われた。何なんだこの状況は、この騎士はいったい―――?
「ボ、ボクの名前はリリィです‥‥あなたの名前を教えていただけませんか…?」
「ええ、勿論いいですよリリィさん―――私、貴女のような身の程知らずの騎士は大好きですから」
そう言って、騎士は兜の下の素顔を現した。
「私の名はサンドリヨン、皇帝の外征騎士アズラ――――」
「ええええ!!!!!」
サンドリヨン。その名を聞いた瞬間、リリィの中の感情は大爆発した。
「サンドリヨンって!あのサンドリヨンですか!!!」
「どのサンドリヨンですか?」
「グランエルディア最強の副団長にして、最高峰の魔法騎士というあの!?」
「うわあああ!!!え、待って本物ですか!!?というか、さっきの技ってもしかして瑠璃燕!?クソ!見逃したぁ!何で瞬きなんかしちゃったんだよボクのバカぁ~!!」
「・・・ふふ」
「―――ハッ!」
「す、すいません!!勝手に一人で舞い上がっちゃって!!実はボク、外征騎士の大ファンで、当然サンドリヨンさんのことも滅茶苦茶好きって言うか、何と言うか…!!」
「私も好きですよ?貴女のこと」
「あーッ!」
長く美しく風になびく金髪に、透き通った水晶のように美しい瞳――――やばい、最強の副団長カッコよすぎ‥‥。
「ふ、副団長―――!」
「あら、あなたたち居たんですね。全然気が付きませんでした」
凍てつく氷のような視線で見下しながら、サンドリヨンは騎士達に言い放った。
「副団長こそ、砂塵の牙とは手を組まずに一人で町を発つとのことでしたが―――」
「あー、実は寝坊してしまいましてね。昨晩酒樽を10個ほど空にしたとこまでは覚えているのですが‥‥気が付けばもう太陽も登り、外に出てみれば何故か町が攻撃を受けていた―――という感じです」
「そ、そうでしたか」
「さて、リリィさん。さっきの技を見て思ったのですが‥‥一つ、いいでしょうか」
騎士達との会話を切り上げると、サンドリヨンはその美しい瞳をリリィへと向けた。
「な、なんでしょうか‥‥!?」
「貴女、結界の構築は目を見張るほどに上手なのですが―――魔力の流し方がヘッタクソです」
「なッ!!」
「もう少し魔力の流れを意識し、論理立てて結界を組み上げれば――より頑丈な守護結界を展開できるかもしれませんよ」
「ぜ、善処します!!」
どどどうしよう!!最強の副団長にアドバイスもらっちゃった!!ヤバイ、嬉しすぎる‥‥!
~デンデラ大砂漠・遺跡の森~
「一体、何が起こったんだ」
凄まじい閃光がハビンへ放たれたかと思えば、何故だか一瞬にして光は凍結して砕け散った。たった目の前で起こった事実だというのに、まるで信じられない。明晰夢でも見ているかのようだ‥‥。
「副団長だ――――!サンドリヨン様がやってくれたぞ!!」
破壊の光が消え去った空を見つめ、一人の騎士が叫んだ。その声に感化されたのか、アズラーンの騎士達は大声で勝利の雄叫びを次々に上げた。
「サンドリヨン?」
「あ!あの人ですよ!ジル様!昨日私たちの部屋に勝手に入って来た鎧姿の―――ほら!」
「ああ、そう言えばそんな名前だったな‥‥!」
エイミーの指摘を受け、僕の頭の中で点と点が繋がった。昨晩音もなく不法侵入してきた謎の騎士‥‥たしかサンドリヨンはこの作戦には参加せず、ハビンを出ると言っていたような気がするのだけれど――――まぁ、細かいことはいいか。
ともかく今はけが人たちを連れてハビンへ凱旋することが先だ。これからのことについては―――また落ち着いてから考えればいい。
~サン・クシェートラ王国・黄金宮殿~
「全く、虚弱な王だ。太陽石を防がれたと知って気を失ってしまうとはな」
「あらあら―――よほどショックだったみたいですね。では今は王室でお休みになっておられるので?」
「ああそうだ、あの様子だと意識が戻ってもしばらくは出てこんじゃろう」
窓の外から大砂漠を見つめながら、イリホルはそう不満げに言い放った。
「“ヤツ”の話ではサンドリヨンは今日中にでもハビンを発つとのことだったが―――いささか情報に齟齬があったようだな。正直、ワシとしても太陽石を防がれるのは予想外であった」
「ええ、まさか一瞬で無力化されてしまうなんて。やっぱり外征騎士の一団は伊達じゃないですね」
「フン‥‥小賢しい騎士共なぞ、我らが真の王が目覚めれば取るに足りぬ雑兵に成り下がる。ハビンが滅びずに残ったというのなら、王の復活を前倒しにするまでの事よ」
「良いのですか?王の復活は反乱分子を全て消し去ってから―――というのが、あのお方の方針では?」
「状況は刻々と変化するのだ。計画を邪魔者どもにかき回される前に、次のステージへと進まねばならん。デネボラよ、貴様は王の尖兵としてただ時を待てばよい」
「ですが‥‥まだ小麦色の娘の所在も分からぬというのに、王の復活など―――」
「良いと言っておる。あの娘はまだ自らの力に気が付いていないが‥‥王が目覚めれば自ずと我らの前に姿を現すだろう」
食い下がるデネボラを前に、イリホルは冷酷に吐き捨てた。
「太陽の復活は近い、クヌム王には―――最後の役目を遂げてもらうとしよう」