第8話 交錯する思惑
~イルエラの森・3日目~
「ロジィ、そんなものを食べてはお腹を壊すわよ」
忌み魔女は僕たちには目もくれず、巨大な猫の魔物を諭すように語りかけている。猫の魔物は魔女にひどく懐いているようで、巨体に似合わず、ゴロゴロと猫なで声を出していた。
「く、喰われるりゅっ!」
「エイミーから離れろ―――!」
なけなしの勇気を振り絞り、僕は魔女のもとへと走り出す。勝てるかは分からない、でもせめて追い払うくらいは‥‥!
「ギニャア!」
巨大な猫の魔物が閃光の如きスピードで、僕を振り払うように鋭い爪を一直線に振り下ろした。
「くッ!!」
とっさに手にもつ剣で防御を取るが、僕の貧弱な肉体ではヤツの攻撃を防ぎきれない。メキメキと骨が軋み、体中が悲鳴を上げる。駄目だ、これ以上は耐えきれない‥‥!
「ぐっはぁ!」
巨大な一撃に軽々と弾き飛ばされ、近くにあった大木へまるで羽虫のように背中から打ち付けられる。
「かはっ、けほっ……」
あまりの衝撃に息ができない…頭を強く打ったためか目が回る。まずい、視界が定まらなくまってきた―――。
「そのくらいにしてあげなさい、ロジィ。そんな雑魚をいちいち相手しても、貴方が疲れるだけよ」
そう冷酷に言い放つと、魔女は血のような深紅の瞳で僕を見下ろす。
その眼はまるで――――。
「―――っ」
情けない。こんなに腹が立つのに、立ち上がることすらできないなんて。
「この娘を返してほしいんでしょ?はい、どうぞ」
彼女は淡々とそう告げると、エイミーを縛るツルを一瞬にして断ち切った。
「ジル様ぁ!!」
解放されたエイミーが目に涙を浮かべながら、慌ててこちらへ飛んでくる。
「大丈夫ですか!!?」
「な、なんとか大丈夫‥‥」
「さ、用が済んだらさっさと立ち去りなさいな。そして愚かにも、貴方たちをこの森へ遣わせた馬鹿な女に伝えなさい。私は逃げも隠れもしない‥‥この忌み魔女を倒したいのなら、あんたが直接出向いてこいってね」
そう捨てセリフを残して、魔女と猫の魔物は踵を返す。初めから、僕たちのことは相手にしていないみたいだ。
「待てよ―――」
「ジル様駄目です!」
制止するエイミーを振りほどき、残った力を振り絞って立ち上がる。彼女の“眼”を見た瞬間からどうしても―――尋ねたいことがあったのだ。
「お前、本当に森を焼くつもりなのか?」
「ジル様!?」
「何言ってるゲロ!?相手は忌み魔女だゲロ!焼くに決まってるゲロ!」
僕の予想外の発言に、エイミーとベローは驚きを隠せないでいた。
「―――は?」
忌み魔女は面倒くさそうにこちらを振り返り、再び深紅の瞳を僕へ向けた。
「当然でしょ?それこそがルエル村と、あのふざけた魔女に対する復讐、忌み魔女である私の宿願なんだから。あんた、私の目的も知らないでこんなところへ来たの?」
僕の的外れな問いかけに腹を立てたのか、彼女は少し苛立っているように感じられた。
「―――はぁ、馬鹿を相手してると本当に疲れる。行くわよ、ロジィ」
そう言い残すと、魔女と獣は何かの魔法の力によって一瞬にして姿を消した。
「ふざけた魔女って誰の事ゲロ…?」
「‥‥さぁな」
彼女はああ言うけど、やっぱり気になる。
忌み魔女は森を焼くのが宿願だと言った。遥か昔からの願いが、時を超えて今…ようやく叶おうとしているのに―――どうして、彼女はあんなに哀しい眼をしているんだ?
~イルエラの森・三日目の夜~
あの後、僕たちは一日中忌み魔女を探し回ったけれど――彼女たちが姿を見せることはなかった。
「ゲロゲロゲロゲロ」
焚火の音と、蛙の鳴き声。はじめはうるさくて仕方なかったが…慣れてくれば案外悪くないかもな。
「――――」
爆睡中のベローとは対照的に、僕は忌み魔女のことが気になって寝付けずにいた。彼女の哀しい眼が意味するもの―――その真意が気になって仕方ないのだ。
「まだ起きてたんですか?」
眠たそうに眼をこすりながら、エイミーは背後からジルへ声をかけた。
「お前こそ、まだ起きてたのか?」
「ベローさんのゲロゲロがうるさくて」
お前のイビキも中々だと思うが。
「魔女の事、気になってるんですね」
「・・・気になってるってほどじゃないよ」
嘘だ。めちゃくちゃ気になってる。全く寝付けていないのが、何よりの証拠じゃないか。
「ふうん、そうですか」
そんな僕の気持ちを知ってか知らずか…彼女は澄まし顔のまま、僕の隣へちょこんと座りこんだ。
「はぁ」
こいつに隠し事はできないな。
「エイミー、僕はもう一度―――彼女と話がしたい。最後には剣を交える羽目になろうとも、僕は彼女のことが知りたいんだ」
僕にはなぜか…彼女が心から、森を焼き尽くそうと思っているようにはどうしても感じられなかった。むしろ森を焼くこと自体には関心がなく、何か別の計画を企てているのでは疑ってしまうほどである。
「そのためには力がいる。彼女と話し合うための、対等な力が」
運良くまた魔女と出会えたとしても、今の弱い僕では見向きもされないだろう。せめて、あの猫だけでも倒せるくらいにならなくてはいけない。
「村の門番に囲まれたとき、エイミー僕に聞いたよね。人を殺める覚悟はあるか、って」
「…はい、確かに言いました」
覚えていたのか、と言わんばかりに彼女の声色が少し曇る。どさくさに紛れて忘れてほしかったのかも知れないが…あれほど衝撃的な問いかけをそう簡単に無かったことにはできない。
「結局あの後、ダラスとかいう村長が割り込んできて、地下牢に放り込まれちゃった訳だけど…もしあの提案を僕が受け入れていたら、キミはどうするつもりだったんだ?」
「―――――」
僕は真っ直ぐに焚火を見つめているので、彼女の表情までは分からないが‥‥何やら葛藤しているのは、返答の遅さからもよく伝わってきた。何分かの沈黙の後、焚火をぼんやりと見つめたまま、彼女はようやく語りだした。
「―――ある魔法をかけるつもりでした」
「どんな魔法?」
「魔法の名は<神刻>この世界の神々ですら知りえない、禁じられた秘法です」
禁じられた秘法―――か。長ったらしい名前からも何となくヤバそうな感じは伝わってくる。何でそんな凄い魔法を彼女が知っているのかとても気になるが…今は置いておこう。
「その魔法を僕にかけていたら、僕はどうなっていたんだ?」
「強大な力を得る代償に、自我を失い3日3晩暴れ続けていたと思います」
「何それ怖っ!」
まるで狂戦士じゃないか!
「でも、あの時はそれしか助かる方法が無いと思って―――!」
「別にいいよ、怒ってるわけじゃないし。でも―――ありがとう、エイミー」
「え?」
「あの危機的状況の中で、僕に決断を委ねてくれただろ?」
多くの兵士たちに囲まれ、絶体絶命の状況。生き残るため、有無を言わせず僕に<神刻>を使い、兵士たちを血祭りにあげることだってできたはずだ。だけど、彼女はそれをしなかった。
あくまで…僕に覚悟を問うてきた。僕の気持ちを―――尊重しようとしてくれたのだ。
「べ、別に…そういうんじゃないですから。魔法が解けた後に、グチグチと文句言われたくなかっただけです」
そう言って、彼女はそっぽを向く。なんというか、こういうところは子供っぽいよな…。
「―――エイミー」
僕はきちんと座り直し、エイミーを正面にじっと見つめる。
「そのヤバい魔法を使ったら、僕は忌み魔女に勝てるかな」
「おすすめはしませんけど―――まぁ、可能性はあるんじゃないんですかぁ?いくら芋虫勇者でも<神刻>にかかれば、外征騎士の足元くらいには及ぶでしょうし」
焚火を見つめたまま、ぶっきらぼうに彼女は言い放った。
「その代わり、一度魔法にかかると…完全に魔力が尽きるまではずーっと、自我のない戦闘狂状態のままです」
「最悪の場合、私やベローさんを味方と認識できず、斬りかかってしまうかもしれない。そういうリスクを孕んでいることも理解しておいてください」
圧倒的な力の代償か。エイミーの言う通り、確かにリスクが大きすぎるな。
「もう一つ質問なんですけど…」
僕はへこへことゴマを擂るように、エイミーへと尋ねる。
「自我を失わずに、その魔法の力を扱う方法ってのは…流石にないですよねえ?」
忌み魔女とは一度、腹を割って話しをしたい。だから、戦いの途中で自我を失う訳にはいかない。ついでに言うと、魔力が尽きるまで暴れ続けるっていうのも遠慮したいんだけど。
「我儘ですね…」
腕を組みながら眉間にしわを寄せ、難しそうな顔をするエイミー。流石に無茶ぶりが過ぎたか…申し訳ない、困らせるつもりはなかったんだけど―――。
「まぁ、できないことはないですけど」
「マジで!?何でも言ってみるもんだな!」
「自我を消さないように<神刻>の効力自体を限界まで弱めれば、自らの意思を持ったまま戦闘を行うことは可能です。しかし、効力を弱めている分、肉体を強化する効果も激減してしまいます。忌み魔女に勝てる確率は、かなり低いものになるでしょう」
いや、正直言って多分勝てないかと―――そう言ってエイミーは目を伏せた。
なるほど……であれば、僕の答えは一つだけだ。
「よし!じゃあそれでいこう!!」
「ちょ、今の話聞いてました?!」
「え?」
「自我が残る代償として、戦力向上はたいして望めない――!魔女に勝てる確率は限りなく低くなるんですよ?!」
「でも、ゼロではないんだろ?」
「た、確かにそうですけど…ジル様の実力を鑑みるに、実質ゼロみたいなものです!」
「実質って何だよ、実質って…1パーセントでも勝率があるのなら、それに全力を賭けるのが“勇者”ってもんだろ?」
「・・・」
目を見開いて、まるで何か珍しいモノでも見たようにエイミーは僕を見つめる。
「―――なんだよ」
「ジル様が初めて勇者様っぽいことを…!」
「う、うるさいなぁ!」
くっそ…さっきのセリフはちょっとクサすぎたか。言った後から何だか恥ずかしくなってきた。
「というか、初めてで悪かったな!」
くすくすと、エイミーは笑っている。妖精の名に恥じない、風のように可憐な微笑みだ。
「では、私もジル様の賭けに乗りましょう。たとえそれが、沈みゆくだけの泥船であったとしても――私は貴方だけの導きの妖精、最期の時まで、必ずやお供いたします」
「人の覚悟を泥船とか言うな」
「実際泥船ですし」
生意気な笑みを浮かべながら、彼女は続ける。
「でも、ここまでリスクを冒してまで、忌み魔女と話しをしたいとか――もしかして、惚れちゃいました?」
「うるせー」
「はうっ!」
僕は軽くエイミーの額にデコピンをして、逃げるようにさっさと横になる。ここでどれだけ僕が力説しようと、エイミーに忌み魔女の“あの眼”は理解できないだろう。
「じゃ、おやすみー」
「ううう…おやすみなさい‥‥」
大袈裟に額を押さえながら、エイミーも静かに横になった。
「・・・」
僕がずっと気になっている忌み魔女の眼。あの眼は“本当の絶望を経験した者の眼”、キラキラと輝くエイミーの眼とは相容れないものだ。ルエル村を救うため、ソルシエさんを助けるために、昔から続く忌み魔女との因縁を断ち切るという思いは変わらない。
しかし、傲慢ながら僕は――かつて忌み魔女と“同じ眼”をしていた者として、彼女を救いたいと考えてしまっているのだ。
~魔女の領域・最奥~
カリカリ、カリカリ――――。
朧げな蝋燭に照らされながら、彼女は筆を走らせる。
こうして日記を記すのも、明日で終わり。
もう何年も続けて来た習慣が終わりを告げるのは少し寂しいが―――同時に嬉しくもある。
だって“終わり”の次には“始まり”がやってくる。
次はきっと、もっと楽しい人生に違いない。復讐を遂げた後、私の新たな人生が幕を開けるのだ。
カリカリ―――。
カリカリ――――。
「―――ふぅ」
これでよし、と。
「ゴロニャァァ」
「ロジィ――まだ居たの?もうじきこの森は消え去るわ、あなたの住処は無くなるのよ」
ここでないどこかへ行きなさいと、何度も追い払ったのに…困ったわね。
「ニャ――」
「―――ふ、相変わらず何言ってるか分からないけど」
そっと、巨大な猫の魔物を抱きしめる。
その姿は忌み魔女というにはあまりに美しく、まるで慈愛に満ちた女神のようであった。
「ありがとう、せめて苦しまないように、この場所は一撃で吹き飛ばしてあげるわ」
そう呟くと、魔女の部屋から灯りが消えた。
忌み魔女が森を焼き尽くすまで残り2日―――決戦の日は目前に迫っていた。