第80話 決死で必死の脱獄劇
「見張りの兵が全然いないな‥‥」
石室からヘイゼルを連れ出した後、僕たちは地下牢の出口を探して暗い廊下を彷徨っていた。
「この薄暗さを利用して看守が潜んでいるかもしれないわ、用心なさい」
ヘイゼルは手に持った杖を軽く地面へコツン、と叩きつけ――その先端から小さな火の玉を生み出した。それはまるで僕たちの周囲を照らし出すように、ふわふわと宙へと浮かんでいく。
「おお、さすが魔法使い。頼りになるな」
「どうってことないわよ‥‥これくらい。それよりあのウザったい女はどこにいるのかしら?私、今すぐに焼き尽くしたいんだけど」
僕から現状の経緯を聞いたヘイゼルは―――驚くでもなく、悲しむことも無く、ただただブチギレていた。まぁ、不意討ちかまされた上に異国の牢獄に放り込まれるとか‥‥彼女が怒るのも無理はない。ただ、いくら怒っているからと言って5秒に一回くらいのペースで舌打ちを繰り出すのはやめてほしい‥‥。
「ヘイゼルの案には大いに賛成だが、その前に少しだけ彼女と対話する時間が欲しい」
砂漠のガイドとして僕たちに接近し、この状況を作り出したアカネという女。“彼女は僕と同じ”だった。この世界で生まれた住人ではなく、現実世界で生きる命を持った人間。恐らくはYFをプレイしていた無数のユーザーのうちの一人だろう‥‥あの時は頭に血がのぼっていてその件について追及することが出来なかったが、よくよく考えたらかなり重要な案件だ。
エイミーは人間は僕一人だけだと言っていたが―――もし、それが間違いなら?この世界に目覚めたプレイヤーが僕以外にも複数人いたとすれば?
「‥‥」
考えたくも無いが、僕が魔王ガイアを倒す勇者であるという大前提そのものが揺らぎかねない状況に陥るのは間違いない。エイミーに会えたら、真っ先に相談しなければ。
「ん‥‥!?とまれ!何者だ貴様!!」
「え?」
突如として背後から突き刺すような鋭い男の声が響き渡った。恐る恐る振り返ると、そこにいたのは衛兵と思わしき武具を纏った一人の男であった。
「しまった、ぼーっとしてた」
「もっと焦りなさいよ、アンタ丸腰じゃない」
「ヘイゼルこそ」
「ふふん、私には杖があるわよ」
「え?わ、ほんとだ‥‥石室から出た時は持ってなかったのに」
「転移の魔法よ。優れた魔法使いなら自らの魔装具を奪われた際の対処法くらい仕込んであるものなんだから」
「すご‥‥!」
やっぱり僕も魔法使いにジョブチェンジしたい!!
「脱走者か!大人しく地面に伏せろ!!」
「アグニ」
「ぐはぁ!!」
ヘイゼルの指先から放たれた炎は衛兵を包み込むように発火し、一撃で彼の意識を撃沈させてしまった。殺さないよう手加減しているのだろうが‥‥それでも相当な火力だろう。
「あ!僕の剣どこにやったのか聞けばよかった!!」
「あら、本当ね。うっかりしてたわ‥‥まぁいいじゃない、進んでいればきっと見つかるわよ」
「楽観的すぎん?」
しかし…奇しくもヘイゼルの言葉通り、少し進んだ先には看守の詰所があった。中に居た看守たちには大人しくなって頂き、僕たちは部屋の中を乱雑に物色し始めた。
「あ、何かそれっぽいのあったわよジル」
そう言ってヘイゼルは、部屋の奥に鎖で縛り付けられていたやたら煌びやかな剣を指さした。
「いやもう全然違う、こんないかにもな剣持ってないし。僕の剣はもっと質素で少し小ぶりなヤツだよ」
「でも‥‥アンタその姿の時はいつもより大きな剣を担いでいた気がするんだけど」
「・・・」
確かに、言われてみればそうだ。僕が原種の力を解放している時、剣の形状は巨大な大太刀へと変化していた。僕の手から離れている今は‥‥いったいどっちの見た目をしているんだろう。
「まぁ丸腰よりはマシだろうし、適当に置いてある武器持ってっちゃおうかな」
結局僕本来の剣は見つけられず、乱雑に並べられた軽そうな剣を一つ手に取った。そしてその時、僕と同じ石室に居た男のことを思い出した。
「・・・ヘイゼル、ちょっとここで待ってて」
「は?ちょ、え!?」
僕はやや大ぶりで高価そうな剣をつかみ取ると、急いで彼の居る石室へと走った。
~5分後~
「ただいま!」
「ただいま!じゃないわよ!アンタ一体どこ行ってたの!?」
「ううん、ちょっとね」
石室に居た彼の元へ剣を持って行ってあげたのだが、俺のじゃねぇ!と突き返されてしまったのだ。“俺の剣があればどうとでもなる”なんて言ってたから気を利かせてやったのに‥‥全く、愛想のないやつだ。
「何してたか知らないけど‥‥これ以上ここに留まってる時間は無いわ。騒ぎが広まる前にさっさと出ましょう」
「ああ、そうだな」
しかし、意を決して看守たちの詰所を出た瞬間―――僕たちは廊下を進んできた謎の男とバッタリ対面してしまった。
「あ?何だ貴様ら?」
「やば‥‥」
身長190cm以上、よく引き締まった傷だらけの肉体を隠そうともしないほぼ半裸の装具を身に纏った男‥‥両手には巨大なククリのような形状の刃物が一つずつ握られている。
さっきの衛兵達とは明らかに格が違う―――隊長格か。
「下がりなさいジル!」
ヘイゼルは強引に僕を後ろへ引っ張り下げると、男の眼前で大爆炎を放って見せた。不気味なほど薄暗かった廊下に目も眩むような閃光と、耳をつんざく大爆音が迸る―――!
「‥‥!」
流石ヘイゼル、咄嗟に放った稚拙な魔法だというのに凄まじい威力だ―――だけど…。
「キハハハハハハ!!!!」
その男に傷一つ負わせることはできなかった。
「!?」
「もう終わりか?では――俺の肌を温めた褒美として、貴様には極上の死をプレゼントしよう!!このトトメスの剣で死ねる幸運を噛みしめながら派手に逝けェ!!」
「展開、アグ‥‥」
ヘイゼルほどの魔法使いであれば、一般的な魔法使いたちが苦手とする近距離戦も大したデメリットにはならない。しかし、今回は近距離を超えた超至近距離‥‥接近戦を得意とするジョブであったとしても苦戦するレベルのものだ。
彼女の魔法では―――間に合わない。
「キハハハハハハ!!!鈍重な魔法ではこの俺に―――」
「ごめん、倒れてくれ」
僕は不意を突いて男の背後に回り込むと、彼の項に手刀を食らわせてやった。
「がッ‥‥!?」
男は何が起こったか理解すらできずに―――力無くその場へ倒れこんだ。
「ふぅ」
原種の力を解放している今、僕の力は常人のソレではない。普段は手刀で相手を気絶させることなんてできないが、今なら容易い。むしろ首が飛ばないように手心を加えてやったほどだ。
「私が守らなくても良かったじゃない‥‥」
「いや、助かったよ。ありがとうヘイゼル」
今の男―――トトメスと名乗っていたか。全力じゃないとはいえ、ヘイゼルの魔法をまともに受けていて傷一つつかないとはかなりの手練れだ。しかも笑い方も不気味だったし、もう会いたくないな‥‥。
「礼なんて要らないわ、助けてもらったのはこっちだし」
「え?何か拗ねてる?」
「拗ねてませんから」
「敬語‥‥」
絶対拗ねとる。ヘイゼルが敬語で喋る時はだいたい機嫌が悪いのだ。
「さ、私が先を歩きますからジルさんは後ろをゆっくりとついて来てください。敵が来れば私が肉壁となりますのでご安心を」
「いやいやキャラ変わり過ぎでしょ、確かにその胸は肉壁として威力を発揮しそうだけど‥‥とにかく僕が前歩くからいいって。それより一つ聞きたいことがあるんだけど」
「なによ」
「ヘイゼルが囚われてた石室って、何か変じゃなかった?」
ヘイゼルには見えていないようだったが、あの石室には彼女の他にも何者かが居た。あれだけ奇妙な気配を放っていたんだし、姿は見えなくとも彼女なら何かを感じ取ることはできたんじゃないだろうか。
ヘイゼルに害をなしているようにも見えなかったから、別にどうでもいいと言えばどうでもいいんだけど‥‥あの不気味さは少し気がかりだ。
「変って、どういうことよ」
「何というか―――ほら、誰かに見られているような感覚とか無かった?」
「‥‥はぁ、そういうこと。妙なこと聞くもんだから、おかしいとは思ってたのよ」
僕の言葉を聞いた途端、ヘイゼルは何かを察したようにため息をついた。
「やっぱり、あそこには私以外に誰かいたのね」
「はぐらかしてごめん、でもその様子だと―――何か心当たりがあるのか?」
聡明な彼女は、僕の真意をとっくに見抜いていた。であれば、こちらも無意味に取り繕う必要はない。
「心当たりなんて大層なものじゃないけど、確かに奇妙な現象には遭遇したわね」
「どんな?」
「誰もいない筈の暗闇から―――たった一度だけ、人間のモノとは思えないひどく嗄れた声が聞こえたの。こっちから暗闇に向かって声をかけても反応無いし、それっきり聞こえることも無かったから私の気のせいだと思ってたんだけどね」
「多分それは気のせいじゃないと思う、あの石室にはもう一人誰かが囚われていたんだ。ヘイゼルが何もされてないならいいんだけど‥‥ちなみにその声はなんて言ってたんだ?」
僕は頭に浮かんだ素朴な疑問を、ヘイゼルへと問いかけてみた。
「えっと、何だったかしら―――言葉というより、区切れた単語のようなものだった気がするわね。確か‥‥す、す‥‥ああ!もうちょっとで思い出せそうなのに微妙に形にならない‥‥!」
「いや、そこまで眉間にシワよせてまで考え込まなくてもいいよ。適当に聞いてみただけだし」
「スピカ!!そう、思い出した!スピカよ!!」
パン!と両手を叩いてヘイゼルは満面の笑みで声を張り上げた。うむ、花丸をつけてあげたいくらい可愛すぎる良い笑顔だ。
「スピカ‥‥何かの名前かな」
現実世界でのスピカといえば乙女座で有名な恒星が頭に浮かぶが‥‥この世界ではどういう意味で使われている言葉なのだろう。
「敵地の真っただ中で歓談とは―――見下げ果てた不用心さだな」
「!?」
カツン、カツン―――と足音を響かせながら、薄暗い廊下の向こうから誰かが歩いて来る。
「アイツは‥‥!」
突如として現れたその男が何者なのかを、僕は知っていた。2mほどの鍛え上げられた肉体を持ち、卓越した力を誇る槍使い―――今僕たちの元へ歩みを進めているあの男は、生贄の祭壇で遭遇した“親衛隊長”と呼ばれていた男だった。
「トトメスをやったか―――なるほど、賊とはいえ多少は腕が立つようだ。やはりあの祭壇で俺自らの手で殺しておくべきだったな」
溢れ出る殺意を隠そうともせずに、男は一歩ずつ大地を踏みしめてこちらへと迫って来る。戦闘は避けられない、だが‥‥本当にコイツと戦っていいのだろうか?
「ヘイゼルは下がってて」
通常時ならともかく、原種の力を解放した今の僕を前にしてもヤツは一切動じていない。その不用心さが、僕にはたまらなく不気味に感じられた。
「二人がかりで来ればいいものを‥‥俺は女子供相手といえ容赦はせんぞ!」
親衛隊長の男は勢いよく大地を蹴り、弾丸のような速度で僕たちの懷へ飛び込んでくる。ヤツの槍に穿たれればどこであろうと致命傷は免れないだろう。しかし、この狭い廊下に回避行動をとるだけの余裕はない‥‥!僕は片腕すら捨てる覚悟で槍の矛先へと手を伸ばした。
しかし――――。
「ッ!」
バシィッ、とまるで剛速球が勢いよくグラブに収まったかのような衝撃音が地下牢全体へ響きわたる。数秒前の決死の覚悟とは裏腹に、僕の腕はいとも簡単に槍の柄をガッシリと捉えていた。
「何事もやってみるもんだな、アンタの攻撃―――止まって見えたよ」
「俺の槍を初撃で見切った‥‥?」
この隙を逃す手はない。僕は槍を力いっぱい引き、吸い寄せられるように体勢を崩した親衛隊長の腹に強烈な蹴りをお見舞いした。
受け身すらとれず、まともに衝撃を受けた男はうねりをあげながら宙に舞う。まともな人間であれば今の一撃で体内の臓器が全てはち切れているだろう。二度と立ち上がることすらできず、耐えがたい苦しみの中で息絶える。常人にとって“原種の魔族”に蹴られるということは、そういうことなのだ。
「やはり強いな、腕を治しておいて正解だった」
だが、この男は違う。
大国サン・クシェートラ最強の戦士にして誉れ高き親衛隊長である彼が―――タダの常人であるはずがなかった。相当な傷を負ったはずのメリアメンは何事も無かったかのように空中で身を翻し、華麗に地面へと着地した。
「その若さでこれほどまでの力を持っているとは‥‥全く、砂漠の外には化け物のような連中がうじゃうじゃいるのだな。貴様を見ていると己の不甲斐なさを改めて思い知らされる」
「アンタまだ本気じゃないだろ、さっきのは僕の出方を探るための様子見の一撃だ。勢いよく飛び込んではきたが、力のほとんどは反撃に備えて防御面に回していた。どうりで僕の蹴りを喰らってもピンピンしている訳だよ」
まぁ、多少手加減していたとはいえ無傷で耐えきったのは正直言って驚きだ。この男の肉体は文字通り鉄壁―――人間というよりは金属に近い。内臓どころか皮膚にすら傷を負わせるのは容易では無さそうだ。
「ほう?少しは頭も回るようだ‥‥賊にしておくにはいささか勿体ないな。いいだろう、褒美として少し見せてやろう。我が炎熱槍の力―――その灼熱を」
メリアメンが不敵な笑みを浮かべると同時に、彼の手に握られた槍に変化が起こり始めた。何の変哲も無い無骨な金属の槍であったはずの彼の得物は、どこからともなく現れた炎の渦に包まれていき――形状がより攻撃的なものへと変化していく。刃には炎が宿り、柄の部分には太陽を模した絢爛華麗な装飾が新たに浮かび上がっていた。
「ようやくそれらしい武器になったって感じだな。できれば僕の剣も返して欲しいところだけど‥‥アンタ持ってないか?」
「剣だと?知らんな、今より死にゆく者のことなど‥‥興味は無い!」
メリアメンの槍が、超高温の灼熱を放ちながらジルへと襲い掛かった!
「っ――!」
刃から溢れ出る灼熱の炎のせいで、間合いが読み切れない。何度か攻撃をかわし、見誤った一撃を咄嗟に詰所で拾った剣でガードするが‥‥刀身が槍の切っ先に触れた途端、まるで熱に当てられたバターのようにいとも簡単に溶かされてしまった。
「無駄だ。我が槍の前では鋼鉄すら紙切れに等しい、そのような棒切れで防ぎきれるものか!」
突き、薙ぎ払い、突き上げ―――メリアメンの攻撃は次第に激しさを増していく。彼の槍が振り上げられるたびに炎が舞い、ジルの体をジリジリと焼いていった。これ以上詰められると後ろに居るヘイゼルにまで危害が及んでしまう。たとえ武器が無くても、ヤツの槍を止めなければ。
「できるか分からないけど、やるしかない」
僕は折れた刃の先に、ありったけの魔力を集中させた。無いはずの刀身を頭の中で構築し、より強固に、より鋭利にイメージしていく。高密度の魔力によって具象化された疑似的な刃―――それを作り出すことができれば、ただの棒切れでもヤツの槍にも対抗できるはずだ。
「どうした?動きが鈍くなっているぞ?」
「‥‥」
ヤツの挑発には耳を貸さない。荒れ狂う炎の蛇のような攻撃をかわし続けながら、僕は全ての集中力を手先へと向けた。魔力の刃が構成されていく感触がじわじわと手の平に伝わってくる。ああ、これならいける‥‥!この状態を保ち続けることができれば、突破口が‥‥。
「捉えたぞ!!」
「!?」
それは、1秒にも満たないほんの一瞬の気の緩み。
勝利を確信し油断したジルの隙を―――メリアメンは見逃さなかったのだ。
「しまっ‥‥」
少し眼を逸らした瞬きの間に、僅か数cmの眼前に迫った灼熱の槍。回避はとても間に合わない‥‥次の一瞬で、僕の頭蓋は容易く貫かれてしまう。いや、原種の肉体なら耐えきれるか?それとも激痛に悶えて倒れる羽目になるのか‥‥?分からない、とにかくここで死ぬわけには―――。
ほんの一瞬の間に、様々な思考がジルの脳内で飛び交っていく。しかし彼の肉体は‥‥脳が判断するよりも先に動きだしていた。
「!?」
気が付けば僕は、刀身に宿った作りかけの魔力の刃を反射的にメリアメンへと斬り放っていた。不完全な刃は“暴発”という形で対象へと襲い掛かり、地下牢全体を揺るがすほどの巨大な大爆発を引き起こす。
手加減無しの脊髄反射的な一撃は、凄まじい威力と轟音で周囲の壁や天井ごとメリアメンを吹き飛ばしてしまった。
「やり過ぎだ‥‥」
僕はボロボロに崩壊した地下牢を目の前に、力無く呟いた。まるでミサイルが落ちたかのように荒れたその光景は、もはや一個人の力というより自然の超現象に近い。作りかけの魔力の刃でこの威力とは‥‥本気で放っていたら僕の方も無事では済まなかっただろう。“原種の力”がどれだけ恐ろしいモノなのかを――僕は改めて思い知らされた。
「ジル‥‥大丈夫?」
「うん―――ヘイゼルこそ、怪我とかしてない?」
心配そうに背後から声をかけて来た彼女に、僕は軽く微笑みをかえす。今の一撃で魔力を消費したからか、いつの間にか原種への変化は解けていた。今回もきちんと元の肉体に戻ったことに少し安心感を覚えながら、僕はヘイゼルの手を取った。
「今の衝撃で他の追手がやって来るかもしれない‥‥早くここから出よう」
ヤツが歩いて来た廊下の方に階段のようなものがある。倒壊した瓦礫に気を付けながら進めば、何とか外に出られるはずだ。
「アンタもう戦えないでしょう?私が前歩くから、ちゃんと後ついてきなさいよ」
ヘイゼルは繋いだ僕の手をぐいっとひっぱり、足早に階段を上り始めた。
「アイツ―――生きてるかな」
「戦った相手のことを心配してる場合じゃないでしょ。仮に死んだとしても、ジルが気に病むことでは無いわよ」
しっかりしなさい、とヘイゼルは僕を叱った。僕だって剣を取って戦う意味を知らない訳では無い。だけどできることなら、どんな相手であろうと殺したくない―――例えその結果、僕が傷つくことになったとしても。
「どこへ行く?戦いはまだ終わっていないぞ?」
突然、背後から聞こえた男の声が不気味に鼓膜を震わせる。
そしてその声の正体が倒したはずの親衛隊長だと気づくのに、僕たちは1秒とかからなかった。
「ッ!!」
ヘイゼルは強引にジルの体を背後へと引き下げ、振り返ると同時に巨大な火の玉を放つ。展開、詠唱、呼応―――魔法の発動に必要な予備動作を全て省略した、奇襲すら許さない最速最短の一撃。天才しか成せぬ神業ともいえる彼女の魔法は、的確にメリアメンの頭蓋を打ち抜いた。
「―――」
はずだった。
「フン、どいつもこいつも戦闘の腕は二流以上―――か。もはや賊と言うより聖都の騎士のようだな」
「私の魔法を正面から受けてビクともしない‥‥!?」
ヘイゼルの魔法は完璧だった。全ての過程を省略したとはいえ、ヤツを確実に仕留められるだけの火力は残しておいた。一撃で殺すために、人間にとって一番の弱点である頭部を狙ったというのに―――男はまるでそよ風にでも撫でられたかのように穏やかな表情を浮かべていた。
「アイツと戦っちゃダメだ!逃げようヘイゼル!!ヤツは何故だかさっきより魔力が上昇しているんだ‥‥!」
ヤツの体のどこにも傷跡が見受けられない。さっきの一撃を受けても無傷で済んだとうのか‥‥?ヤツの体のからくりは分からないが、ともかく…原種の力無しでは勝てないことは確かだ。
「逃がす訳ないだろう」
メリアメンは大きく槍を薙ぎ払い、僕たちのいる階段を足場ごと粉砕した。炎を纏った一撃を受けて、頑丈な石造りであるはずの地面はいとも簡単に崩れ去っていく。
「ヘイゼル‥‥!」
崩壊に巻き込まれないよう、僕は落下するヘイゼルを何とか抱え、自らの体を盾代わりに瓦礫の中へと落下した。鋭利な石の角や、ゴツゴツとした瓦礫の感触が激痛と共に体中を走り抜ける。落下の衝撃で横隔膜が麻痺し、体内の空気の循環が止まる。呼吸が止まっても、意識まで手放す訳には行かない‥‥。
「‥‥ッ!」
僕は朦朧とした脳を奮い立たせ、ヘイゼルを抱えながら瓦礫の山を越えていく。落下の直撃は避けられたものの、彼女は今の衝撃で意識を失ってしまった。僕が倒れれば彼女まで犠牲になってしまう―――そんな最低な展開だけは絶対に認められない。
「隠れているつもりか?見え透いているぞ小僧」
メリアメンはジルの眼前に颯爽と姿を現すと、眼にもとまらぬスピードで蹴り飛ばした。力無く吹き飛んだジルはよろめきながらも立ち上がり、再び動けなくなったヘイゼルに肩を貸した。
「何だその眼は―――さっきまでの威勢はどうした?あれほど強大だった魔力はどこへ行った?えらく萎んでしまったようじゃないか」
「はァ‥‥はァ‥‥」
駄目だ、何もしゃべれない。もう全身痛すぎて何も考えられない。ヘイゼルを逃がす。今はそれだけだ。この男との会話に割く体力なんて残っちゃいない。
「―――」
僕は折れた剣を、男へと構えた。このままにらみ合っていれば、ヘイゼルが目を覚ましてくれるかもしれない。そうすれば彼女は自力でここから逃げ切れる。
そんなことあるはずないけど―――もうそのくらいしか、僕にできることは残されていなかった。
「‥‥くだらんな」
ジルの願いは、届かない。
メリアメンは炎熱の槍を手にジルの元へと向かってくる。
「お前の失策はただ一つ、さっきの一撃で地下牢の天井を吹き飛ばしてしまったことだ」
苦虫を噛み潰したような顔で、男は意味ありげにジルへと最後の言葉を言い放った。冥土の土産というにはあまりに質素な彼の発言は、今のジルには全く持って理解することはできなかった。
「では‥‥もう逝け。長きにわたる災厄はこの俺の手で断ち切ってやる」
メリアメンの槍が、ジルの心臓へと突き放たれた。もはや死は避けられない―――彼の命はここで王国最強の戦士の手によって刈り取られることになる。
しかし―――この地下牢には、その事実を認めない男が一人だけ存在していた。
「ったく、馬鹿な野郎だぜ。俺にわざわざ剣なんて持ってこなけりゃ‥‥親衛隊に見つかることも無く逃げだせたかもしれねーのによ」
突如としてジルとメリアメンの間に、見知らぬ男が割って入った。謎の男は槍がジルの体を貫く直前で軽々と掴みとり、それ以上先に刃先を進めることを許さなかった。
「アンタは―――」
この男が初対面なのは間違いない、だけどボクは彼を知っている。肩まで伸びきった、輝くように美しい金の髪と澄んだ蒼の瞳‥‥一見女性と見紛うそのシルエットに、僕は全く心当たりがない。だけど彼の声だけは、僕は何度もあの石室で耳にしていたのだ。
「体中をカジャの釘で穿たれていながら、こんなところまで出張って来るとは‥‥無茶をするものだ。もう意識も限界なのではないか?」
「うるせぇよ」
男は手の平から衝撃波のようなものを放ち、メリアメンを瓦礫の海の中へと吹き飛ばしてしまった。
「おい少年、剣返せ」
男は何事もなかったかのように僕の方へ振り返ると、背中に差してある大ぶりの剣を指さした。彼に「俺のじゃねえ」と突き返されてからも、一応持ち歩いていたのだが‥‥。
「でもこれ‥‥アンタのじゃないんだろ‥‥?」
「いいや、俺のだ」
「いやどう見たってただの―――」
「俺のだっつってんだよ、さっさと渡さねーとテメェもぶった斬るぞ」
ぶった斬られるのは嫌だ。僕は恐る恐る背中の剣を男へと差し出した。
「何だこれ‥‥もっとマシなの無かったのかよ」
「え?」
「いや何でもねぇ―――ありがとうな、俺の剣を取って来てくれて。今からするのはちょっとした恩返しだ、お前がこの剣を俺の元へ届けようとした5分間は無駄じゃ無かったって‥‥証明してやるよ」
そう言って男は屈託のない笑顔で笑った。彼が何者なのか、なぜそこまで肩入れしてくるのか―――今は問いただしている時間は無い。だけど、せめて‥‥。
「名前を‥‥教えてくれないか」
「アズラーンだ。分かったらさっさと行け、俺の居た石室にいざって時の為に作った抜け穴がある‥‥そこから逃げな」
「ありがとうアズラーン――――必ずまた、戻って来るから」
僕はヘイゼルを連れて、来た道を引き返す。ネガティブなことは何も考えない、生きてここから出ることだけを考えて進むんだ。
「勝てぬ戦に身を投じるとは‥‥聖都の騎士らしからぬ行動だな」
無傷で瓦礫の中から舞い戻ったメリアメンは、皮肉交じりにアズラーンへと吐き捨てた。
「何言ってやがる。悪しきを誅し、弱きを救うが外征騎士の本懐だ。この王国の人間はそんなことも知らねーのか?ガキでも知ってる常識だぜ」
「グランエルディアの自己中心的な常識を押し付けるな。我らは太陽の導きにのみ従うだけだ」
「太陽太陽‥‥ほんとにそればっかりだな、お前たちは」
「此度こそは偉大なる六人の手は借りん―――この俺の手で貴様を倒す」
「ハッ、やってみろ三流戦士‥‥格の違いを教えてやる」