第78話 カジャの釘
「なぁ、一つ聞いていいか」
「私の黙れと言う命令を無視してでも聞かねばならぬ重大な質問であれば受け付けよう」
「少女を生贄として魔物に捧げるなんて物騒な儀式を、この国は何度も行ってきたのか?」
謎の石碑の文字を読み解き牢へ帰る途中、僕は獣人であり看守(?)のヨミに率直な疑問をぶつけてみた。他の誰かに聞くのはおっかないが‥‥彼であれば何となく大丈夫な気がしたのだ。
「そんなワケがあるか。災厄から国を護る為の生贄や、小麦色の髪の娘への制裁が始まったのはつい最近の事だ。かつてのサン・クシェートラはこんな野蛮な儀を執り行うような王国ではなかった。それも全部、ヤツがデタラメな神話を捏造したせいだ‥‥」
「野蛮、ね」
「含みのある言い方は好かぬ、言いたいことがあるなら言ってみろ」
「いや―――アンタの目には、あの儀式が野蛮なものとして映っているんだな…って安心しただけ。この国の人は祭壇に居た盲信者みたいなのばかりかと思っていたけど、まともなヤツも居て良かったよ」
「‥‥ふん、私一個人の考えなどサン・クシェートラにとってはどうでもいいことだ。それより、野蛮さで言うならば貴様も大概だ。我らの生贄の儀に乱入し、あの娘を解放したばかりか親衛隊長までも相手取った。その上神獣を殺してしまうなど‥‥正気の沙汰とは思えん」
心底呆れ果てているように、ヨミは吐き捨てるように呟いた。あの時は必死だったから特に何も思わなかったけど‥‥僕の行動を実際口に出して言われると、中々に衝撃がデカい。完全にテロリストか何かレベルの大悪人だ。
「確かに否定はできない‥‥僕はとんでもなく野蛮な男だ。サン・クシェートラの人たちには悪いことをしたと思ってる。だけどそれでも―――彼女の救いを求める声を、無下にはできなかったんだ」
僕の行動がその場凌ぎにしかならなくて、ただの自己満足で終わる結果だとしても後悔はしていない。
「やはり‥‥貴様には聞こえていたのだな。彼女の声が」
「ばっちり聞こえたけど‥‥それがどうかしたのか?」
「まさか、何の疑問も抱かずに乗り込んできたのか?不用心にもほどがあるな‥‥長生きできんぞ貴様」
「どういう意味‥‥」
いや、待て。
今思えば確かに一つ不自然な点がある。
「僕たちが最初に祭壇の存在に気が付いた時、まだ距離があった」
どのくらい祭壇から離れた距離にいたかは分からないが、少なくとも100m以上‥‥祭壇で熱狂している盲信者たちの声が聞こえないくらいには遠くにいた。それが単純に距離の問題なのか、結界の効力なのかはさておき―――ともかく僕たちは彼らの声の届かない範囲にいたはず。
だというのに、あの少女の叫び声だけは‥‥まるで耳元で叫ばれたかのようにはっきりと聞こえたのだ。
「あの声はいったい‥‥まさか幻聴か」
「案ずるな、幻聴などではない。ただ―――あの娘の“心の声”は聞こえる者と聞こえない者いる。今回の場合、お前は前者であったというだけの話だ」
貴様の周りにいたお仲間は、さぞ不可解な気持ちで貴様の行動を見つめていただろうよ。と、ヨミは鼻で笑った。
「確かに‥‥あの場ですぐに動いたのは僕だけだった」
まさかあの声が、ヘイゼルやリリィたちには聞こえていなかったというのか…?
「彼女はいったい何者なんだ?どうして生贄に‥‥」
どうして生贄に選ばれたのか。彼の口から帰って来た返答は僕の問いに対する答えではなく―――緊張感に溢れた鋭い一声だった。
「ッ!止まれ!」
「おわっ!?」
ヨミはまたも強引に僕の体を引っ張り、彼の背で隠すように密着させた。
「無断で囚人を連れ出すとは‥‥感心しませんな、ヨミ殿。その男を一体どうするおつもりで?」
僕が囚われていた石室。その入り口で僕たちを待ち受けるように佇んでいたのは、白い髭を蓄えた一人の老人であった。荘厳な装飾があしらわれた装飾を身に纏っているあたり、位の高い人物なのだろう。
こんな薄暗い地下牢に、本来は足を踏み入れることすら無い存在であることには間違いなかった。
「イリホル殿こそ‥‥地下牢は穢れた領域であると、近づこうとすらしなかった貴方が一体何の御用ですか?」
「ほほ、ワシはただ神獣殺しの男の顔を拝みに来ただけですよ。アバジャナハル様を殺した大悪党‥‥恨みごとの一つや二つ、吐き捨てても罰はあたらんでしょう。して、ヨミ殿は何故その男を石室の外へ?」
イリホルと呼ばれた老人は、穏やかながらも鋭い針のような瞳でヨミへと詰め寄った。
「それは‥‥」
ヨミは何も答えない‥‥いや、答えることができないのだ。きっと僕にさっきの石碑を解読させた行動は、ヨミの立場を危うくする事実に他ならないのだろう。彼に助太刀してやりたいが‥‥そんな様子を見せれば、ますますヨミが追いつめられるだけだ。
「もしや、まだあの石碑の内容を疑っているのですかな?」
「!?」
「いけませんなぁ、ヨミ殿。いかに親衛隊の次期隊長といえど―――先人たちの遺した神話を疑うのは、輝しき太陽への不信に繋がりますぞ」
「私は一度だって太陽への不信を抱いたことは無い‥‥ただ、あの石碑は…呪言の石碑はこの国に遺されているどの石碑とも何かが違う。私は、太陽神話の真実を知りたいだけなのです‥‥!」
「真実も何も、石碑に書かれている内容は全てワシが訳した通りですぞ?それともヨミ殿は、ワシが嘘の神話を吹聴していると?」
「そ、そういう訳では――――」
ヨミの耳と尻尾が力なく項垂れた。何とも分かりやすい‥‥。
「災厄の娘を生贄にすれば、全てが救われる―――それで良いではありませぬか」
「‥‥」
「そういえば、ヨミ殿ももう成人の儀を終えた年頃でしたな?であれば、もう危険な火遊びはやめて‥‥そろそろ身を固めるのがよろしい。ヨミ殿に釣り合うほどの女子を探すのは骨が折れるでしょう、いよいよとなればワシが何人か見繕ってやるから、安心しなさい」
「‥‥はい、ありがとう‥‥ございます」
ヨミの肩を優しくたたき、イリホルは満足したように去っていった。僕の様子を見に来た、みたいなことを宣っていたが―――どう見ても僕に関心があるようには見えなかった。僕ではなく、むしろヨミを監視しに来た。という表現の方が適切な気さえするほどだ。
「―――行ったな、あいつ」
気まずい沈黙に耐えきれず、僕は大して意味のない雑言を呟いた。
「ま、まぁ色々事情はあるんだろうけど‥‥あんまり気にすることないよ!結婚相手なんて時が来ればすぐ見つかるって!僕なんか今まで彼女だってできたことないし、ヨミは滅茶苦茶イケメンだから大丈夫だよ!また石碑の解読付き合ってやるから、気を落とすことないって、うん」
僕は下がりきったヨミの耳と尾を見かねて、頭に浮かんだポジティブフレーズを思いつく限り口走った。相容れない間柄とはいえ、彼の辛い顔を見るのは心苦しいのだ。
「―――黙れ、貴様はもう用済みだ。さっさと石室に入ってるんだな」
彼はそう言って、僕を乱暴に元居た石室へと放り込んだ。
「何だよ!落ち込んだ顔してるからせっかく‥‥」
「―――ありがとう」
石室の分厚い扉が大きな音とともに閉じられる。部屋の中に僅かに差し込んでいた光は完全に消え、また何も見えない漆黒の闇へと返り咲いてしまった。どこを見渡せど、眼には何も映らない。
しかし‥‥。
「ま、いいか」
石室の分厚い扉が閉じる間際、彼は確かに―――ありがとう、と口にした。その一言だけで、僕の心は妙な満足感で満たされていた。我ながら何ともチョロい‥‥状況は依然最悪なままだというのに。
「おう、帰って来たか。親衛隊の野郎に連れてかれたから―――てっきりもう戻ってこないかと思ったぜ」
そして、石室へと残念ながら帰還した僕を歓迎するように、またあの浮ついた男の声が響き渡った。
「親衛隊‥‥そっか、ヨミは親衛隊だったんだ」
そう言えば、次期隊長だとかあの嫌味ジジィに言われていた気がするな。
「名前まで聞いたのか?えらく仲良くなったもんだな」
「別にフツーだよ。それよりアンタ、ここを出る方法とか知らないか?」
「俺の剣がありゃあどうとでもなるが―――生憎と今は持ち合わせが無くてね。妙な呪いのせいで魔力も吸われちまってるし、しばらくは大人しくしてるしかなさそうだ」
「そんな悠長なこと言ってられるのか?ここに居れば、そのうち処刑されるんだろ」
ヘイゼルもきっと、どこかの牢に囚われているはずだ。早く助け出さないと手遅れになってしまう。
「お前はそうだろうな。だが俺は処刑なんてされねーよ」
「どういう意味だ」
「そのままの意味だぜ少年。この王国に、俺より強いヤツは存在しねえ。俺を処刑の為に石室の外に連れ出せば呪いの効果が消え、元の力を取り戻しちまう―――そうなれば誰も俺を止めることはできないからな。わざわざそんなリスクを冒すよりも、この暗闇に閉じ込めておく方が連中にとっては安全なのさ」
男の声に嘘を言っている様子はない。彼は驕りや過信などではなく、ただ淡々と事実だけを述べている。しかし、この国で最強だという彼すらも―――アカネさんには敵わないということか。
「それにしてもお前やけにピンピンしてるな、身体はなんともないのか?」
「真っ暗で何も見えない以外は別に普通だけど」
「普通の人間ならこの石室に放り込まれた時点で魔力が吸い取られ、四肢が動かなくなると思うんだがな‥‥まぁ、俺クラスなら別だが」
「そうなんだ――――」
まさか、原種のものであるこの体が原因なのか?
「あ、いいこと思いついた」
そうだ。原種の力があればこの分厚い石室の扉もぶち破れるのではなかろうか。没収されたのか、武器は持ち合わせていないが―――素手でも相当な力を発揮できるはずだ。
「‥‥」
僕は静かに胸に手を当て、原種の力を呼び覚ます。気を抜けばまた“イヴ”という人格に身体が乗っ取られてしまうかもしれない。慎重に‥‥慎重に‥‥。
「―――よし、出来た」
ふわり、とまるで宙に浮いたかのように全身が軽くなった。それと同時に、体全身を超高密度の魔力が走り抜けていく―――腑抜けた肉体に、力が取り戻されていくようだ。
「お前、その姿は‥‥?」
「僕のとっておき、かな」
そう言って少年は石室の扉にピタリと手を当てた。
「おいおい‥‥素手ってお前。まさか体より先に頭がやられちまったんじゃねーだろうな」
「うん、これならいけそう」
僕はなるべく音を立てないよう細心に注意を払いながら、手のひらから扉へと衝撃を伝えた。その瞬間、まるでおもちゃのブロックのように―――。
「マジかよ‥‥」
罪人を閉ざす扉は、跡形も無く崩れ去った。
「アンタも出るか?」
「お前いったい何者だ?」
「先に僕の質問に答えてくれないか、今は時間があまりないんだ」
「言うじゃねえか小僧、だがその提案には乗れねえ。その姿のお前になら―――今の俺の姿が見えるはずだ」
「ああ、見えている。右足に20本、左足に18本、両腕にも20本ずつ、それに―――胴体にも相当な数の“釘”が刺さっているな」
それもただの釘じゃない。青白く光りを放ち、相当な魔力の反応を感じる。
「これはカジャの釘と呼ばれる魔導具‥‥その模造品だ。肉体的なダメージを負わせることはできないが、代わりに対象の魔力をバキュームのように吸いつくしやがる。これを抜かねぇ限り、俺はここから動くことが出来ねえ」
「抜いてやろうか?」
「抜けば“これを刺したヤツ”にバレちまう。きっと直ぐにでもすっ飛んできて、きつーいお仕置きを喰らわされるぜ。そもそも、俺は別にお前の味方って訳じゃねえ。俺を解放したところで直ぐにお前の首を狙うかもしれねぇんだぜ?情けをかけられる義理なんてないんだよバカ」
「でも‥‥」
「俺は自分の力で出たいときにこの石室を出る、分かったらさっさと行け」
釘でめった刺しにされながらも、男の心は折れていなかった。鋭い熱のこもった瞳でジルを睨みつけ、早く出ていけと訴えかけている。その眼光に耐えきれず―――ジルは何も言わずに石室を後にした。
「さて‥‥これからどうすっかなぁ」
また一人ぼっちになった男は、らしくもない独り言を呟いた。
「おーい、ヘイゼルどこだー」
暗い廊下には似つかない能天気な声がこだまする。さっきから何度も叫んでいるが、一向に返事がない。ヨミに連れられて歩いた時も看守のようなものは見当たらなかったし――もしかしてここは無人のフロアなのだろうか。
「‥‥ん」
何だろう、どんどん奥へ進んで行くたびに肌がピリつくような違和感を感じる。この先に何かあるのか?
「ヘイゼルの気配‥‥ではないよな」
警戒心を強めながら、僕は薄暗い地下牢の廊下の奥へと進んで行く。そして歩を進めれば進めるほど、不快な気配も強くなっていった。ここには牢に囚われている囚人しかない―――戦闘になるようなことは無いと思いたいけど‥‥。
「‥‥」
1歩、2歩、3歩‥‥この異様な感覚と戦い続けてどれほど時が経っただろう。まるで灯火に惹かれた羽虫のように―――僕はぼんやりと歩き続けた。
そしてようやく、その気配の正体へと辿り着く。
「これは‥‥」
石室だ。僕が先ほどまで囚われていたのと同じものが、そこにはあった。異様な気配の正体は、きっとこの中に囚われている何者かだ。
「とりあえず、中を確認しないことには始まらないな」
僕は石室の扉に手を触れ、先ほどと同じように衝撃を与えて破壊した。砕けた扉は鈍い音を立てながらボロボロに崩壊していく。そしてその瞬間、周囲に佇んでいた不快感はより一層強さを増した。
「‥‥誰か居るのか」
暗闇に向かって問いかけてみるが、反応は無い。
「声がわずかに反響している‥‥僕の居たところよりも広い造りになっているのか?」
僕は最大限に感覚を研ぎ澄ませながら、石室の中へと足を踏み入れた。
「ジル‥‥?」
「!?」
闇の中から突如として呼応する女性の声。それは他でもない――ヘイゼルのものであった。
「ヘイゼル!?」
暗くて良く見えなかったが‥‥目を凝らすと、確かに彼女はそこにいた。
「無事だったの‥‥?良かった‥‥」
「ヘイゼルこそ大丈夫?ひどい目に合わされたりとかしなかった?」
「私は大丈夫、でもジルのその姿は――――」
「石室の扉を破るために、ちょっとね。とにかく今はここから脱出しよう、外に出てエイミーたちも探さなくちゃいけないし」
エイミーにはリリィとカインが付いているから心配ないけど―――今どこで何をしているのか気になって仕方がない。僕たちがサン・クシェートラに居ることは知っているんだろうか‥‥。
「僕が先を歩くから、ヘイゼルは―――」
こっそり後ろについて来てくれ、そう告げるはずだったジルの口は反射的に動きを止めた。ヘイゼルの後ろからこちらをジッと見つめる異様なモノ、石室に囚われていたもう一人の存在に、僕は気が付いてしまったのだ。
「‥‥?どうしたの、ジル?」
「ヘイゼルは―――この石室にずっと一人でいたのか?」
「何よ急に、私以外にここに誰かいるように見えるかしら?」
「いや。いたら嫌だなーって、思っただけ」
部屋の最奥で拘束されている“アレ”はヘイゼルには見えていない様であった。僕が石室に居た“彼”の姿を原種の姿にならなければ認識できなかったように、今のヘイゼルの魔力では認識することができないのだろう。
アレは身体全身を黒い布で覆われているが、眼の部分だけ穴が開いているので中身が生物だと分かる。人間かは断言できないが、近い種族なのは間違いない。だが‥‥あの尋常じゃない“釘”の数は何だ?さっきの比じゃない、ざっと見ただけで100本以上は確実だ。
ずっと感じていた不快感の正体は―――コイツだったんだ。
「ジル‥‥?大丈夫?何か顔色悪いわよ」
「それは原種化してるせいだと思う‥‥」
魔族に近い肌色になるらしいから、顔面蒼白になるのは仕方ない。一種の副作用のようなものだ。
「とにかく行こうヘイゼル、なるべく静かにね」
僕は不気味な存在から逃げるように、ヘイゼルを連れて地下牢を発った。
~サン・クシェートラ王国・とある居住区~
「お兄さんたち、着いたよ!」
「本当にここに抜け道があるのか?宮殿とは真逆の方向じゃねえか」
少女に案内されたのは黄金宮殿から最も離れた“ホル”と呼ばれる居城区であった。郊外ということもあってか、中心部のような華やかさや煌びやかさは鳴りを潜め、質素な造りの住宅がせめぎ合うように立ち並んでいる。
スラムとまではいかないが‥‥他の居住区とは少し異なる場所であることは、よそ者のカインたちにも何となく察しがついていた。
「おやおや、異国の旅人さん達がこんなにたくさん‥‥お友達かい、スピカ」
広間のベンチに腰かけていた一人の老人が、優しげな声で少女へと声をかけて来た。
「違うよパニーニ区長、お兄さんたちは私の恩人!捕まりそうになってたところを助けてもらったの」
「おお、それは‥‥なんとお礼を申し上げていいのやら、本当にありがとうございます」
区長と呼ばれた老人はそう言って、深々と頭を下げた。予想外の展開にカイン達は思わず面食らてしまっていた。
「いや、あれは成り行きっていうか‥‥別にそんな感謝されるほどのものでもねーよ」
「そうですよ区長さん、こーんな傭兵くずれ世界に掃いて捨てるほど居るんですから。感謝するだけ勿体ないですよ」
「エイミーてめぇ‥‥まだオークションの時のこと根に持ってやがるな‥‥!」
「ねぇ区長!またお家借りていい?」
「構わんよ、好きにおし」
「はーい!」
元気よく駆け回る少女に続き――――カイン達は、区長の家へと足を踏み入れる。図らずもそこで‥‥彼らは宮殿の地下牢、封じられた石室に居る存在の正体を知ることになるのだった。