第74話 砂漠の夜風に吹かれる者たち
「あ、暑い‥‥」
ジリジリと容赦なく照り付ける灼熱の太陽に見守られながら、僕たちはピレトスの背に乗って砂漠を進んでいた。黄金に輝く砂の絨毯が敷き詰められた広大な砂漠地帯(アカネさん曰くデンデラ大砂漠というらしい)は絵に描いたような典型的な砂の世界で、現実世界を知る者であればエジプトのそれを連想するだろう。生命の存在を拒否するかの如き過酷な環境は、例えファンタジーの世界であろうとその猛威を振るうらしい。
「何や?もうへばっとるんかいな、まだほんの数十分しか歩いてへんでぇ?」
巨大な魔物、テラーホーンに跨りながら先頭を進む彼女はそう言っていたずらな笑みを浮かべた。
「自分だけおっきい魔物に乗ってるのズルくないですか‥‥?」
「え~?なんてぇ?小っちゃいモンの声はなーんも聞こえんなぁ?」
「絶対聞こえてるだろ!」
小っちゃいモンとか言うな!
「ちょっとジル暴れないでよ…こっちまで暑くなるじゃない」
「ご、ごめん」
僕は後ろに座っているヘイゼルに気遣うように、アカネさんへの怒りを鎮めた。まぁ、怒りと言うかただの愚痴に近いが。
「まだ先は長そうなんだし、しっかりしなさいな」
彼女はそう言ってポーチから小さな小瓶を取り出すと、優しく僕へと手渡した。
「これは?」
「私が作ったポーションよ、飲めば少しは暑さがマシになるはず」
「ポーション‥‥へぇ」
かつてのYFでもポーションというアイテムは存在した。主に回復に用いられる薬のようなもので、回復魔法や状態異常系のスキルを苦手とするジョブの人々ならよくお世話になっていた代物だ。作るにはそれなりの技術が必要になってくるのだが―――ヘイゼルほどの卓越した魔法使いなら造作も無いことなのだろう。
「ど、毒なんか入ってないわよ‥‥?」
ポーションをまじまじと見つめる僕を不審に思ったのか、彼女は少し申し訳なさそうな顔になりながらそう呟いた。
「分かってるよ、ありがとうヘイゼル」
ポーションの小瓶の蓋を開け、中の液体を渇いた口の中へ流し込む。よく冷えたポーションの清涼感は最高で、熱に浮かされた体が生き返るようであった。‥‥率直に言うと超うまい。
「今まで飲んだポーションの中で一番おいしかったかも!」
「フフ、私が作ったのだから当然です」
「あーでもちょっと苦かったかな、あと酸味もきつい」
「え―――ほんと!?味には結構気を使ったのだけれど‥‥ごめんなさい。次はもっと上手く作れるように頑張るから‥‥」
「うそうそ、めっちゃうまかった」
「ばか!」
後ろから後頭部をしばかれた。痛い‥‥けどヘイゼルを揶揄うのはやめられない。怒りながら赤面する彼女の顔には、何とも形容しがたい眼福成分が含まれているのだ。あの顔を見る為なら、どれだけ痛い目を見ようと構わない。
「―――ねぇ、ジル」
「んー?」
「アンタって‥‥」
「よーし、みんな一旦休憩や!!次の休息所まで結構距離あるから、お手洗いとかはきちんと済ませときぃ」
ヘイゼルの声をかき消す巨大なアカネさんの声が、熱砂の大地に響き渡った。彼女の指さす方向を見てみると、そこには水辺を中心にいくつもの丸い家屋のようなものが並んでいた。現実世界でいうなら、遊牧民が使用しているという移動式住居のゲルによく似ている気がする。砂漠のオアシスってやつかな‥‥?
「やっと休憩できる‥‥」
ヘイゼルのポーションのお陰でかなり気分はマシになったが、暑いものは暑い。果汁たっぷりのあまーい果物なんかにかぶりつきたい気分だ。
「ピレトスはあそこの柵にでも括りつけといてな、15分後には出立するからそのつもりでよろしく」
ほな!と、アカネさんは元気に言い放つと地図のようなものを広げて、難しい顔でぶつぶつとまた独り言を言い始めた。
僕たちはピレトスから降りて、休息所の中を探索することにした。
「わー!ジル様見てくださいアレ!あの果物に無理やりストローぶっ刺したみたいなジュース!超美味しそうじゃないですか!?」
ピレトスから降りるなり、エイミーは休息所に所狭しと並ぶ出店の商品に目を奪われていた。羽をやかましくバタつかせ、鬱陶しいほどに興奮している。
「あのピンクの果物のヤツ?何か微妙じゃね?それより横にある串に刺さった青い果物の切り身の方が美味しそうじゃない?」
「いや無い無い。青色の食品とか食欲そそらないのでNGです」
「いや普通にそそるし。じゃあエイミー青い食べ物一生食べちゃダメだからな」
「いいですよ別に。その代わりジル様もピンク色の食べ物一生食べちゃダメですからね?」
「全然いいよ、マジで」
「私も全然いいですよ、ほんと」
「は?ごめん、言い方真似しないでくれる?」
「は?ジル様の真似とかしたくもないんですが?」
「あ?」
「お?やりますかこの野郎」
「ちょ、食べ物の話から何で喧嘩になってるの!?」
一触即発の両者を諫めるように、リリィが間に割って入った。危ない危ない、彼女がいなければエイミーと血みどろの殺し合いを始めてしまうところだった。
「なぁジル、ちょっといいか」
「カイン?もしかしてあのピンクの果物ジュース欲しいの?」
「いや全然いらねぇ。ちなみに言うと青い方はもっといらねぇ」
カインはまるで興味がないように吐き捨てる。そして真剣な面持ちで、誰かに聞かれるのを恐れているかのように小さな声でこう呟いた。
「あのアカネって女、どう思う」
「アカネさん?」
どういう意味だ?可愛いか可愛くないかで言えば結構かわいいと思う。いや、可愛いと言うよりカッコイイ系か‥‥?正直、道で前から歩いてきたらビビって眼を逸らす自信しかない。耳どころかヘソにもピアス開いてるし、絶対ヤンチャしてるよな――って印象だ。
ま、悪い人では無さそうだけど。
「あいつの服装、妙だと思わねえか」
険しい表情のカインに促されて、僕はテラーホーンに跨る彼女を見つめた。
「服装‥‥?スカジャンにデニムパンツってそんなに変かな?」
確かに彼女はユフテルではあまり見ない現代風の衣装に身を包んでいる。黒地にド派手な金色の装飾が施されたスカジャンに、裾の広いダボッとしたデニムパンツ――――そして、スタイルの良さを隠そうともしないモデルの如きシルエット‥‥このファンタジーの世界では少し異質に見える風貌だ。
「いや、やっぱり少し変かもしれない」
「ああ、そうだろう。服の名称までは知らねぇが‥‥とても砂漠を超える服装とは思えん。普通の人間ならあそこまで剥き出しの肌を長時間さらしていると、熱くてたまらねぇはずだ」
それを彼女は、けろっとした顔で平然としてやがる―――と、カインは指摘した。
「言われてみれば‥‥そうだな」
僕たちは彼女から受け取った砂漠越え用の衣装を身に纏っているが、彼女は暑さ対策の服を着ている様子がない。日中の砂漠で肌を晒すなんて、それこそ肌が痛くて仕方ないだろう。熱風を避ける仕組みがあるようにも見えないし‥‥どう見ても無対策にみえる。
「全く暑そうにしている素振りもない、か」
なるほど、確かに妙だな。
「何となくイヤな胸騒ぎがしやがる‥‥ヤツにあまり気を許し過ぎるなよ、ジル」
「―――ああ、気を付ける」
実を言うと‥‥本来案内してくれるはずだったガイドのおじさんではなく、今朝唐突にアカネさんが現れた時から違和感は感じていた。彼女の正体は多分、ガイドなんかじゃない。何度も地図を確認してはぶつぶつ言っているのはきっと、慣れない道のりを何度も何度も確認し直しているのだと思う。普段は全く別の“何か”を生業としているのではなかろうか。
エイミー‥‥は分からないが、少なくともヘイゼルとリリィがアカネさんに不信感を抱いているような素振りは無い。本来なら共通認識として伝えておいた方がいいのだろうけど、カインはあえて僕だけに伝えた。それはきっと、アカネさんに僕たちが疑惑を抱いているということを感づかれないためだろう。敵を騙すには味方から―――という訳ではないが、とにかく今は僕とカインが把握していれば問題ない。
「おっし!そしたらそろそろ出発しよか!これから結構歩くから気合入れ直してや!」
「ええ!もう?!まだ店のスイーツ全部食べつくしていないのに‥‥!」
「そんなんどこでも売っとるわ、なんやったら次の休息所でもっと安い値段で買えるで」
「うそでしょ!?」
悔しがる食いしん坊エルフを横目に見ながら、僕は再びピレトスへと跨った。
「リリィってば‥‥本当に食べ物に関しては節操ないわね」
「そう言いながらヘイゼルもちゃっかりあの果物ジュース買ってるじゃん」
しかも二つ。ピレトスの上は結構揺れる。両手が塞がってしまっていては、いざって時に振り落とされないか心配だ。
「・・・」
「?」
「これは‥‥その‥‥‥‥アンタの分、だから」
そう言って、彼女はぶっきらぼうに僕の眼前へと果物ジュースを突き出した。
「マジで?」
「マジだけど‥‥何?文句あるの?」
目線を逸らし、きまりが悪そうな顔で彼女はそう呟いた。語気は強いが‥‥声は少し震えていて、ヘイゼルにしては珍しくゴニョゴニョとした印象だ。
「あ、ありません」
「というか、いちいちこんなことで驚かないでよね!仲間にジュースを買ってあげるくらい‥‥普通のことなんだから」
「その割にはあたふたしているような気がするんだけど」
「は?してないし。ぜーんぜんいつも通りなんですけど?」
「はいはい、いただきまーす」
僕は彼女から果物ジュースを受け取ると、そのままストローを吸い上げた。
「あぁんまいなコレ」
「混ぜると少し酸味が出るみたいよ?ストローをこう、ぐちゃぐちゃーって」
「その擬音やめて」
「ぐちゃぐちゃー」
馬鹿だコイツ。見た目はもの凄くミステリアス美人だけど、頭ん中は多分中学生レベルかそれ以下だ。しかも何かめっちゃ笑ってるし‥‥こわ。
「なんや仲良いなぁキミら、ウチも混ぜてんかぁ」
僕らのやりとりを見ていたのか、ニヤニヤと笑みを浮かべたアカネさんが前から声をかけてきた。
「ちゃんと前見て進まないと事故るんじゃないですか?」
「大丈夫や。テラーホーンに行先は刷り込ましとるから、ウチが寝とっても勝手に運んでくれるわ」
「それよりなぁなぁ、教えてや、キミらってどんな関係なん?何?付き合っとんの?」
「はいそうですけど」
「ッ?!」
僕の戯言を聞き、ヘイゼルは漫画みたいにジュースを噴き出した。
「けほっ、こほっ‥‥ちょ、ちょっとジル!?」
「まぁ嘘ですけど」
「なんや嘘なんかい、つまらんなぁ。じゃああっちの妖精とエルフの嬢ちゃんは?女の子ばーっかり連れて‥‥どんな関係なん?」
「ただの仲間ですよ。それ以上でも、それ以下でもありません」
「ほんまかいな‥‥こんだけ美女に囲まれてんのに、何もないってことは流石に無いんちゃうの?普通やったら、こう――――一夜の過ちみたいな展開とかあるやん?」
「無いですよ‥‥」
そんなドロドロした感じの人たちじゃないんで。
「ほーん‥‥ま、何事も清い関係が一番やわな!男女のもつれで解散する冒険者の一団はアホほどおるし、適度な距離感を維持できてるんやったらそれに越したことはないしなぁ」
まるで今までの自分の記憶を辿るように、アカネさんは遠い目をしながらそう言った。彼女も昔は冒険者だったのだろうか?それともそっちが本業で今も続けているとか?
「よし、おもんない話聞かせてくれたお礼にウチからもおもんない話聞かしたるわ」
「ええ‥‥」
おもんない話と宣言されてから聞くのって滅茶苦茶イヤだな‥‥。
「ウチらが今歩いとるこのデンデラ大砂漠についてのお話や。今でこそ商人やら冒険者やら観光客やらが右往左往する人通りの多い砂漠やが‥‥昔は“人喰い砂漠”として多くの人々に畏れられ、だーれも近づこうとせんかった」
「人喰い砂漠‥‥?え、ここってそんなにヤバいところだったんですか?」
「完全な危険地帯やな。レベル10がマックスやとしたら15くらいはあるわ」
10超えてるじゃん!?
「一度足を踏み入れたが最期、立ち入った旅人は凶暴な魔物に襲われて命を落とす―――そんな危険地帯はユフテル中にはごまんとある。けどな、人喰い砂漠の本質はそんな可愛いもんやない。ここでは人が、一切の前触れなく唐突に消えるんや」
「人が消える‥‥」
「原因は全く持って不明。無理にでも通りたいもんは砂漠を治める王に謁見し、貢物を捧げ加護を受けることで砂漠を渡っとったみたいやな。まぁそれでも、結構な数の人間が今でも行方知れずになったままや」
まるで砂漠に喰われるように人が消える、ゆえに人喰い砂漠――か。オカルトじみていて凄く不気味だ。
「でもそれって昔の話なんですよね?」
「ああ――――せやな。むかーしむかしの話や」
ニタリ、とアカネさんは不敵に笑う。含みのある彼女の言葉は、無性に僕の心を不安にさせた。
「さ、楽しい歓談タイムはここまでや。こっから先は風が強ぅなるからお口チャックで頼むで~?じゃりじゃりした砂の食感が好きなら止めはせんけどな!」
アカネさんの言葉通り、そこから先は熱砂の地獄だった。荒れ狂うように舞う砂塵のせいで視界は最悪。砂粒一つ一つが火の粉のごとき温度で、触れるだけで火傷してしまいそうだ。しかし、こんな地獄のような環境でもやはり―――アカネさんは先ほどと何ら変わらず余裕綽々としている。まるで彼女だけが、穏やかなそよ風の中にいるみたいだ。
「‥‥」
砂漠の荒波に耐え続け‥‥いったいどれくらいの時間が経ったのだろう。気が付けばいつの間にか風は止み、周囲は冷たい夜の静寂に包まれていた。
「みんなお疲れ、今日はここの休息所で一晩明かすで。明日に備えてゆっくり休んでや」
砂漠の休息所パート2は先ほど訪れた場所より大規模で、いくつもの建物がひしめき合う小さな集落のようだった。きっと大砂漠の横断に疲れた旅人を癒すために作られたのだろう。
「何でも良いけど、風呂入りたい」
汗もかいたし砂も浴びたし‥‥とにかく体を綺麗な水で洗い流したい。しかもピレトスに座りっぱなしだったから体中あちこち痛いし、もうクタクタだ。癒しが‥‥癒しが欲しい‥‥!
「風呂つきの宿なんかとってへんで、キミらが泊まるんはあっこの宿や」
そう言ってアカネさんの指さした先には、小さく質素な雰囲気が漂う物静かな宿屋があった。窓からは暖かな光がもれていて、とても良い雰囲気を醸し出しているが―――。
「え‥‥?」
風呂が無いのはいただけない。
「ここ砂漠のど真ん中やで?バスルーム完備の宿なんかお値段張りまくるに決まってるやろ。いや、値段以前に人気過ぎて予約とられへんか」
「こんな砂まみれの体でベッドに寝ろっていうんですか!?」
無理だ!気持ち悪すぎて絶対眠れない!というか砂だらけで上がりこまれると、店側にも迷惑がかかりすぎるのでは!?
「私もパスね、どこかに共用の水場とかないの?」
「無い」
「じゃあ水場がある休息所まで進もうよ、そこで一晩明かせば問題ないし」
何としてでもこのまま寝るという事態だけは避けたい。
「何言うとんねん、ウチもうヘトヘトで死にそうや。今日はもう勘弁してくれや」
「・・・」
「・・・」
「‥‥ハァ、ええわ。分かった分かった、分かったから二人して無言の圧かけやんといて。要は汚れを落としゃあええんやろ?」
僕とヘイゼルの訴えが心に響いたのか、アカネさんは開き直ったかのようにそう言い放った。そして、僕たち二人に向けて手をかざし――――。
「ほな、お休み」
そのまま何もせずに宿の方へ歩いて行ってしまった。
「あっ!?ちょ、騙したな!?」
「ジル待って、よく見て見なさい」
「見るって、何を?」
「自分の体よ、砂まみれになってたでしょう?」
何を言っているんだ彼女は、僕たちが砂まみれなのは当たり前の‥‥ん?
「あれ?」
砂まみれ‥‥じゃない?
「汚れが全部綺麗になくなってる‥‥!え?!なんで!?」
「アカネの仕業よ。体を清潔にする魔法なんて初めて見たわ」
ヘイゼルの言葉通り、彼女の体からも砂の汚れが消えていた。何の前触れも魔力の発生も無く、ただ手をかざすだけで僕たちに魔法をかけたというのか‥‥。
「ま、これでゆっくり眠れそうだし―――良かったわね、ジル」
「僕だけが駄々をこねていたみたいに言うな」
「ジル達早いよぉ‥‥あれ?アカネさんは?」
くたびれた様子のリリィが、ぐっすり眠っているエイミーをわきに抱えながらとぼとぼとこちらへ歩いて来る。そして不思議なことに、彼女たちの体のどこを見ても砂で汚れた様子は無かった。
「アカネさんは先に宿に向かったけど‥‥リリィたちなんか服キレイだね?」
エイミーもリリィもカインも、本当にあの砂嵐の中を歩いて来たのだろうか。僕とヘイゼルを盾にして風を防いでいた‥‥なんてことはないだろうしな‥‥。
「ああ、それは俺の踊り風の加護のせいだな」
「踊り風の加護って何だよカイン」
「小さな渦状の風を体全身を包み込むように発生させて、周囲の飛来物や強風をかき消すっていう代物でな。まぁ使用者と対象者を守護する風よけみたいなもんだ」
「何それズルくね?つーか僕とヘイゼルにはその加護届いてなかったんだけど?」
お陰で砂嵐の中をひたすら進み続けるという地獄のような時間を過ごす羽目になったんだが。
「そう言われてもな。俺の近くにいねぇと加護は発揮されねーし‥‥運が悪かったとしか言いようがねえな!なははは!!」
「くそ、先頭を歩くんじゃなかった‥‥!」
今度はカインを真ん中に挟み込むように隊列を組んでやる。
「まぁいいや、とにかく今日はもう休もう。部屋割りは僕とエイミーとカイン、ヘイゼルとリリィでいいよね?」
贅沢に一人一部屋使いたいところだけど、無駄な浪費は避けたい。エイミーは小さくなればどこでも寝れるし、今回は二部屋に詰め込む形でさっさと眠ってしまおう。
「俺は晩酌相手が居てくれりゃあ何でもいいぜ、今夜は飲もうな!ジル!」
「絶対やだ」
今日は本当に疲れたのでさっさと眠りたいし、そもそも酔っぱらいの相手をするつもりも毛頭ない。やるならカインお一人でどうぞ。
「部屋割りは今日ピレトスに乗ってた組み合わせでいいでしょ、わざわざ決め直すのも面倒だし」
「ヘイゼルの言うことも一理あるな、よし!カインは一人部屋で」
「なんとぉ!?」
酒飲みのカインと同室なのが嫌だったとか、いびきのうるさいエイミーと一緒に寝るのが嫌だったとか―――決してそういう意図はない。僕はあくまでヘイゼルの的確な指示に従っただけだ、他意はない。
「じゃ、また明日」
なし崩し的に決まった組み合わせで、僕たちは宿のそれぞれの部屋へ別れて行った。
「意外と綺麗じゃん」
僕たちは運のいいことに一番大きな角部屋だった、簡易的な小さなものではあるが一応バルコニーもあるみたいだ。夜の砂漠は日中の猛暑が嘘のように涼しげで―――蒼白い月明りが幻想的に窓辺から差し込んでいる。
こういう落ち着いた雰囲気の部屋は嫌いじゃない、今宵はぐっすりと眠れそうだ。
「アカネさんもこの宿に泊まってるのかな」
「さぁね」
部屋に入るなり、ヘイゼルはずっと本棚に陳列された本を読み漁っていた。今はひと際大きい辞書のような本を手に取って、真剣な眼差しで読書に耽っている。
「何読んでるの?」
僕はベッドに軽く腰掛けて、何となくヘイゼルに問いかけてみた。
「・・・」
しかし、ペラペラと頁をめくる音が聞こえてくるだけで‥‥彼女からは返答が返ってこない。どうやら本に集中しすぎて僕の声が聞こえていないみたいだ。
「凄まじい集中力だねぇっ‥‥と」
ごろん、とベッドの上に転がってみる。洗濯したばかりなのか柑橘系のような心地よい香りがする‥‥ふかふかのシーツも最高だ。
「‥‥」
意識がぼんやりと遠のいていく。心地よい眠気に誘われて、僕は今にも夢の世界へ旅立とうとしていた。
していたのだが‥‥。
「ちょっとジル―――起きて、起きてってば」
耳元で微かに聞こえたヘイゼルの声に感化され、僕はゆっくりと目を覚ました。
「どうしたの‥‥?」
「この部屋、ベッドが一つしかないんだけど」
「はぁ?」
むくり、と眠りかかっていた体をベッドから引き起こす。改めて部屋中を見渡してみると―――確かに彼女の言う通り、ベッドはこの一台だけのようだった。
「・・・」
正直、ベッドに腰かけた瞬間に嫌な予感はしていた。どう見てもダブルサイズほどの大きさだったし。でもまぁベッドが一台しか無くても、ヘイゼルより先に寝てしまえば気を遣った彼女がソファなりで寝てくれるだろうと高を括っていたのだが―――甘かったようだ。
「1つしかないなら仕方ない、このベッドはヘイゼルに譲ってやろう」
幸いこの部屋のソファはカウチのような形状をしている。寝るには苦労しないだろう。僕はベッドから降りると、あくびをしながらソファの元へと歩き出した。
しかし―――。
「待って」
彼女は、僕の裾をつまんで離さなかった。
「ん?」
「そういう意味で言ったんじゃない、横で寝てもいいかって‥‥聞いたの」
ヘイゼルは目を伏せて僕の顔を見ようともしない。だけど、いま彼女がどんな顔をしているかは―――想像に難くなかった。
「僕は全然いいよ‥‥ヘイゼルが嫌じゃないならだけれど」
僕の言葉を聞いたヘイゼルは何も言わず、一番遠いベッドの端へと寝転がった。そんな彼女を見て、僕はなるべく音をたてないようにゆっくりと横になる。さっきまであれだけ眠たかったのに、今は無性に緊張して目が冴えわたってしまっているようだ。全く持って眠れそうにない。
「・・・」
ヘイゼルという規格外の美人と、僕はいま背中合わせでベッドを共有している。よくよく考えればとんでもない状況だ。今になってアカネさんの昼間の言葉が脳裏によぎる。一夜の過ちなんて僕たちの間柄には絶対にありえない。分かっている、分かってはいるが‥‥くそ、心臓がバクバクと音を立ててうるさい――――どうにかして気持ちを落ち着けなければ‥‥。
「ヘイゼルごめん、やっぱり僕ソファで‥‥」
「デンデラ大砂漠にまつわる神話」
ベッドから立ち去ろうとした僕を引き留めるように、彼女は静かに呟いた。
「え…?」
「さっき聞いたでしょう、何の本を読んでいるのかって」
「聞いたけど‥‥まさか今答えが返って来るとは思わなかった」
僕の声は彼女に届いていないとばかり思っていた。
「眠れないなら、少し話してあげる」
「砂漠の神話か‥‥うん―――聞かせて」
「昔むかし、まだデンデラの砂漠に二つの太陽が輝いていた頃。砂漠の上層は神、中層は魔物、下層は未知の支配する領域でした。ある時、国を追われ砂漠を彷徨っていた一人の男は輝く二つの太陽にこう言ったのです。“砂漠に人の住める国を作らせて欲しい”その言葉を聞いた太陽たちは笑いました“1年間たった一人で死の砂漠を生き抜くことが出来れば、力になろう”と。か弱い人間が大砂漠で生きていけるはずなど無かった。しかし、男は諦めなかった。上層に住まう神々を殺し、彼らの纏っていた防具から様々な建造物を築き始めたのです。1年が経った頃には砂漠を支配していた神々は消え、人間の住むことができる集落ができあがった。男の力を認めた太陽たちは彼を讃え、大砂漠の王としてデンデラ大砂漠を支配する権利を与えました。太陽たちの加護によってますます繁栄した集落はやがて巨大な王国となり、現在のサン・クシェートラの礎となったのです」
「・・・」
月明りに照らされた部屋を、カーテンの影がゆらゆらと踊る。その様子を見つめながら、僕はヘイゼルの語る雄大な神話を背中合わせで聞いていた。正直言って神話の内容自体はあまり頭に入っていないけど‥‥彼女の声を聴いているだけで、何故か心が癒されていくようだった。
うるさく脈打っていた心臓も、今となっては大人しい。どうやら僕は平常心を取り戻すことができたみたいだ。
「ジル‥‥寝たの?」
「いや―――まだ起きてるよ、ヘイゼル」
とはいえ、彼女の話のおかげでだいぶ眠気が戻って来た。あと10分もすればいびきをかいて眠ってしまっているかもしれない。
「そう‥‥」
「何かまだ話したい事でもあるの?」
「いえ、別にそういう訳ではないのだけど‥‥」
ヘイゼルにしては珍しく、もやもやと煮え切らない反応が返って来た。彼女がこういう反応をする時は何か言い辛いことで迷っている場合が多い。何を言おうとしているのかは知らないが、ここは優しく聞いてやるのが一番だろう。
「僕に言いたいことがあるなら言ってみて。今は二人だけなんだし、誰にも聞かれることはないと思うよ」
「でも―――少し踏み入った質問になってしまうかもしれないわ」
「いいよ、別に。答えたくないことだったらそのまま無視して眠るからさ」
「‥‥そう」
話すことをまだ迷っているのか、彼女の相槌はあまりにも弱々しくて―――あっという間に夜の闇に消えてしまった。一体僕に何を問いかけるつもりなのだろう、ここまで勿体ぶられるとこちらも変に身構えてしまうじゃないか。
「ジルには――――大切な人っているのかしら」
「大切な人‥‥か」
こんな問いがヘイゼルの口から出るなんて―――思ってもみなかった。
「私には家族と呼べる人も、親友と呼べる存在も居ない。勿論リリィたちは欠け替えのない仲間だけど―――心の底から信頼するにはまだ少し不安がある‥‥。だから私にとっての大切な人は、他でもない私自身なの」
「ひどいわよね。仲間仲間と言っておきながら―――いざとなれば、私はきっと自分自身を最優先に考えてしまうのだから」
「ヘイゼルの言うことは‥‥間違っちゃいないよ」
そう、間違ってなんかいない。過去にあれだけの仕打ちを受けておいて―――彼女はまた昔みたいに、誰かを信じることができるようになろうと努力している。裏切られ続けて来た彼女にとって、その努力がどれだけ辛いものなのかは語るまでもない。
「今はまだ、無理に他人を信じようとしなくていい。ヘイゼルの好きなように生きて、見て、知って―――そのうえで時間をかけて判断すればいいんだ」
そしてできることなら、彼女にとって一番大切な人は――――いや、それは違うな。こんなこと一度だって考えたこと無いのに‥‥疲れているのだろうか、僕は。
「僕にとって何より大切なのは旅の仲間と――――」
つい口走った言葉のその先を‥‥僕は一息で切り出すことができなかった。
「‥‥家族、かな」
父さんと母さん、そして姉と妹。無条件で僕を愛してくれる、大好きな人。未熟な僕にとって家族という存在はあまりにも大きい。それこそ彼らの為なら死んでしまってもいいと思えるほどだ。
だけど、僕の家族は――――。
「ジルの家族か‥‥何だか全然想像つかないわね。仲は良かったの?」
「ああ、とても」
「そう―――何よりね。もし旅の途中でジルの故郷の近くに行くことがあれば、一度顔を出してあげなさいよ。きっとアンタのことを心配していると思うわ」
「―――そうだね」
ああ、僕だって会いたい。皆に会って心の底から話がしたい。
「でも‥‥今は駄目なんだ」
いや―――今は、ではなく“もう二度と”かもしれない。魔王ガイアを倒して元のアーク、ユフテルを取り戻さなければ電脳世界の住人達は帰ってこない。こんなこと考えたくも無いが‥‥僕も家族と一緒に消えてしまうことができたのならと、時々想像してしまう。
どれだけ泣き言を言っても、現実は何も変わらないと言うのに。
「ちょっと家族と喧嘩しててさ、家出?みたいな?何か手柄を立てて有名にでもならないと、家に入れてもらえないかなー‥‥なんて!」
「ジル‥‥?」
ああ、やっぱり家族の話なんてするんじゃなかった。考えれば考えるほど、胸が張り裂けるように痛い。どうにもならないことばかり考えてしまう。
ぐしゃぐしゃになりそうな心を落ち着かせるのはとても疲れるんだ。今晩はあまり眠れそうにない、もう会話は切り上げてさっさと頭を真っ白にしてしまいたい―――。
「でも寂しくは無いよ?今はエイミーもヘイゼルもリリィも、カインだっているしね。例え家族と会えなくても、僕は―――」
「‥‥バカ」
ぎゅっと、暖かい感触が僕の体を包む。
突如として背後から回された美しい腕は、優しく僕の体を抱きしめた。
「ヘイゼル―――?」
「声‥‥さっきから震えてんのよ、バカ」
意味が分からない。どうして彼女は急に僕を抱きしめているんだ?何か変なことを口走ってしまったのだろうか。上手く誤魔化せたと思っていたのに…。というか声のことを言うなら――――。
「ヘイゼルだって‥‥声震えてるじゃん」
「うっさい、震えてなんかないわよ‥‥!」
うそだ。滅茶苦茶震えている。
「もしかして―――泣いてるのか?」
「泣いてない‥‥!」
「‥‥」
分からない。どうしてヘイゼルは泣いているんだろう。辛くて泣きたいのは、僕の方だっていうのに。
「アンタって全然自分のこと見えてないのね。ここまでボロボロになってる癖に、他人のことばっか気遣ってんじゃないわよ‥‥!私たち仲間でしょう…?」
「・・・」
「さっきみたいな見え透いた嘘、二度と言わないで」
「別に‥‥嘘を言ったつもりはない」
ヘイゼルに―――僕の気持ちは分からない。
「もう寝るから離れてくれないか」
「‥‥辛いことがあるなら話してよ」
「もう寝たいって言ってるだろ」
「今度は私がアンタの力になりたいの‥‥仲間なんだから少しは信頼して―――」
「仲間?ああ、確かに僕たちは仲間だ。でもヘイゼルはまだ僕たちを完全には信頼していないだろ‥‥?」
「!」
「それを責めるつもりなんて全く無いし、僕もそれで良いと思ってる。だけど一方的に信頼して欲しいってのは―――ちょっと違うんじゃないかな」
「違う、私は‥‥」
もう、今日はこれ以上話さない方が良いだろう。それがきっとお互いの為だ。
「ごめん、ヘイゼル――――今夜はもう…」
「ええ‥‥おやすみなさい」
するり、とヘイゼルの腕が僕の体から口惜しそうに離れていく。彼女の温もりが離れて初めて―――僕は何となく、彼女が本当に言いたかったことを理解した。間違ったことを言ったつもりはない。だけど、もっとマシな言い方は無かったのかと―――今になって少しだけ後悔している。
「‥‥はぁ」
何だか‥‥最近はヘイゼルに対して空回りばかりだ。折角彼女の方から僕を知ろうとしてくれたのに、これでは信頼し合える関係なんて築ける訳がない。
「・・・」
頭の中は最悪だが‥‥幸い対外的な環境はすこぶる良い。砂漠の夜風に吹かれていれば、次第に睡魔の方からやってくるだろう。
僕は乱れに乱れた心を強引に落ち着かせると、瞼をきつく閉じて眠った。
「確かに私はエイミーやリリィたちを完全に信頼してはいない。でも、ジルだけは私にとって‥‥」
草木も眠る丑三つ時。とある魔女の独り言は、誰に聞かれることも無く砂漠の闇へと消えていった。