第73話 いざ行かん、アッチアチの世界
ディーネの湖からさらに東に進んだ先にある小さな町ライーネ。そこにある小さな宿屋に、ジル達一行は身を寄せていた。
「どうしたんですかジル様、もしかして眠れないとか?」
「聞いてない」
「?」
「港町プリシードがあんなにも遠いなんて聞いてない!!!」
地図を広げて場所を確認した瞬間、僕は戦慄した。時間はかかれど、寄り道をしなければ馬車に揺られているだけで目的地に着くと思っていたのに―――まさかプリシードに辿り着くには巨大な砂漠を越えなければならないなんて。
「ああ、そういう。大丈夫ですよ、明日にはガイドの方も来てくれるみたいですし‥‥砂漠越えなんてへっちゃらに決まってます!」
そう、砂漠地帯直近に位置するこの町には砂漠越えをサポートしてくれるガイドさんが多数いるらしい。僕たちも夕暮れギリギリに町に駆け込んだのに、夜までには良さそうなおじさんを見つけることが出来た。明日の朝に彼と合流して、そのまま出立するという手はずだ。
「砂漠越えってどのくらいかかるんだろう」
「さぁ、明日になれば分かるんじゃないですか?」
「そりゃそうだけど‥‥」
何だか、妙な胸騒ぎがするんだよなぁ。
~ヘイゼル・リリィの部屋~
「ずっと気になってたんだけど」
「ん?なぁに?」
「ジルとエイミーって、何で毎回二人同じ部屋に泊まるのかしら」
「ほんとだ、そういえばバドスさんの館でも同室だったね。なんでだろ」
ベッドに腰かけ、何となくそわそわした様子のヘイゼル。一方のリリィはそこまで関心が無いのか、既にベッドに横たわり―――固く瞼を閉じている。今にもいびきが聞こえてきそうなほどに穏やかな顔立ちだ。
「ジルを一人にしたくないなら、今はもうカインがいるんだし彼と同室にすれば済む話よね?」
「そうだねぇ」
「それとも特に理由は無いのかしら‥‥別にエイミーではなく私が同室でも問題ないとか‥‥」
「そうかもしれないねぇ」
「―――今度それとなく部屋に誘ってみようかしら‥‥いや、流石にそれは――」
「‥‥zzz」
~翌朝~
「ふわぁ‥‥眠ぃ」
「ぷっ、ジル様ってばなんて可笑しな顔してるんですか?まるで陸に釣り上げられた深海魚みたいですよ?」
「‥‥」
僕は朝が苦手なんだ。こんな早朝からエイミーの戯言に付き合っている余裕はない。昼間ならぶちギレてたかも知れないが‥‥とても今はそんな気分にはなれないのだ。良かったなエイミー、朝起きたばかりの僕が寛大で。
「あ、深海魚みたいな顔はいつものことでした」
「この野郎あッ!!」
「朝から何騒いでんのよ、ばか」
「おはようジル、エイミー」
先に待っていた僕たちの元へ、ヘイゼルとリリィが遅れて参上した。多分僕より早起きだったんだろうけど‥‥女の子は朝の準備に時間がかかるらしいからな、遅くなるのは仕方ない。
「おはようリリィ、ヘイゼル」
あとは‥‥。
「オッス!おはよう皆の者!」
一番早起きそうなヤツが最後に降りてきやがった。
「何でカインが一番遅いんだよ…」
「寝坊した!」
「素直か!!」
「お?なんや全員揃っとるみたいやなぁ?」
突如として背後から鼓膜を震わせる聞き馴染みのない声。振り返ってみると、そこには一人の風変わりな女が立っていた。
「誰‥‥?」
めっちゃ堂々としてるし、人違い―――じゃないよな?
「ウチの名前はアカネ、キミらを砂漠の向こうまで送り届けるガイドのおねーさんや」
そう言って彼女は、美しいボブカットの赤髪を豪快にたくし上げた。
「あれ?昨日のおじさんは‥‥」
「あー、彼はちょっと急用が入って無理なった。すまんな」
「本当かそれ!?」
何かめっちゃ怪しいぞこの人!服装も何かやたら現代的だし、砂漠渡る気あるのか!?
「足はもう用意してるから、これに着替えてさっさと準備しぃ」
そう言って彼女は何やら布の塊のようなものを投げ渡してきた。
「‥‥なにこれ」
恐る恐る広げてみると、それは分厚い毛皮?のような材質で覆われた長袖のローブであった。作りは少し粗っぽいが、中々に頑丈で触り心地も良い。
「それ着とったらアッチアチの砂漠も何も怖ないでぇ~、ただし一人につき一着しかないからヘマして破いたりせんように」
「あ、ありがとうございます」
僕たちはアカネさんから受け取った服を身に纏い、町と砂漠の境界線近くまで歩を進めた。
「お、いいやんキミら。よう似合っとるで」
着替えた僕の姿を舐めまわすように見つめながら、アカネさんは半笑い気味に呟いた。
「なんかコレ‥‥胸元だけ苦しいんだけど‥‥」
「あー、私より胸のでかいお姉ちゃんには苦しくなるように設計して作ってんねん。恨むんやったら私より豊かに生まれたことを恨んでや」
「な、何よそれ!?」
見たところアカネさんも結構たわわじゃないか?まさか、ヘイゼルはその上だと‥‥!?
「ボ、ボクもちょっと苦しいかも」
「いやそれはないでしょう」
「ちょっとエイミー!?」
健気な少年少女の夢を羽虫のようにはたき落す、それがエイミーという生物だ。
「あ、そうそう―――馬車は砂漠に持ってかれへんから、忘れもんしてへんかしっかり見ときや?次にお目にかかれるんは砂漠を超えた先の町になるからな」
「はい、大丈夫です」
それは予めエイミーから聞いていたので準備は万全だ。どれほど優れた馬車でも、砂上を車輪で進むのには限界がある。より早く砂漠を抜けたいのであれば、その地に適した足を利用するのが一番だろう。
「よし、そしたら―――」
彼女はポケットから白い粉の入った小瓶を取り出すと、それをあたりに2、3度振りまいた。
「起きろ」
そして次の瞬間、小さな白い粉は彼女の言葉に呼応するように光を放ち―――四足歩行の謎の生物たちへと姿を変えた。
「な、なんですかコレ!?」
白い粉が生き物に変化した‥‥?!もしかして彼女、ただのガイドさんではなくとんでもない魔法使いなのか?
「時の流れを利用した魔法、その応用か。私達が魔法屋で買った魔杖と同じ原理のものね」
アカネが説明するよりも早く、ヘイゼルは淡々と魔法の仕組みを解説した。どうやら彼女は一目見ただけで、その謎の全てに気が付いたらしい。
「その通りや魔法使いのお嬢ちゃん、粉から変化したこのラクダみたいな生き物の名前はピレトス。100年くらい前に絶滅した、もうユフテルには存在せーへん生き物や。さっきウチがバラまいた粉は地層から発掘されたコイツらの骨‥‥ウチらはその骨に時間逆行、時間停止の魔法を応用し、重ねてかけることで疑似的に蘇らせることができる。ほんま、とんでもない技術やで」
「‥‥」
「ピレトスは二人乗りや、三頭用意したるから好きな相手と乗りぃ」
「俺たちの分はいいとして、アンタはどうすんだ?」
「ウチか?ウチはこれや」
カインの問いかけを待っていたかのように、アカネは胸ポケットから赤い粉の入った小瓶を自慢げに取り出して豪快にぶちまけた。放たれた粉は彼女の言葉を待たず、空気に触れた瞬間に光を放って大きな生物へと姿を変える。そして奇しくも―――その生物の名を、僕は知っていた。
「テラーホーン‥‥!」
「知ってるのジル?ボク初めて見たよ、こんな強そうな魔物!」
テラーホーン、恐怖の角と称される大型トラックのごとく巨大な魔物だ。僕がYFをプレイしていた時にも、レイドのボスキャラとして多くのプレイヤー達を屠りまくっていた。僕も実際にハムさんと一緒に挑んだことがあるが、かなりの強敵だった。エルネスタなら圧勝だろうが‥‥副団長たちであれば四人束になって勝てるかどうかというレベルだと思う。
「―――いや、名前だけ聞いたことがあるだけだよ」
「名前だけねぇ‥‥こいつが滅んだのはもう9千年近く前の話やから、存在知っとるだけで相当物知りさんなんやけどなぁ。もしかしてキミ、昔どっかで魔物の研究でもしとったん?」
「知り合いがそういう知識に詳しかったので」
「ほーん、是非ともその知り合いにウチもご教授願いたいもんや」
アカネさんはテラーホーンに颯爽と飛び乗ると、地図を開いて何やら考え事を始めた。ぶつぶつ何か呟いているが―――ここからでは聞こえない。ルートの確認でもしているのだろうか?だとすればかなりギリギリだと思うのだが。
「ボーっと待ってるのも勿体ないし、ピレトスに乗る組み合わせでも決めようか」
「あー、済まねぇが俺は一人席にしてもらえると助かる。俺の武器は長物なんでな、背後に誰かが居ればもしもの時に振り回せねぇ」
「そっか、じゃあカインは贅沢に一人ピレトスで」
「お、おう‥‥間違っちゃいないが何か誤解を生みそうな言い方だな‥‥」
わざとだよ。
「残りはどうしようか?」
いつも通り僕とエイミー、ヘイゼルとリリィにしとくか。
「‥‥はっ!ジ、ジルあのね!ボク、エイミーと一緒に乗りたいなー!」
「エイミーと?何か唐突だね」
全然いいけど。
「そ、そうかな!?たまには珍しい組み合わせもいいかなーって思ってさ!」
「急にどうしたのよリリィ、面倒だし‥‥いつもの組み合わせでいいんじゃない?」
「えー?(ヘイゼルの為に言ってやってるんだけど!?)」
「いいじゃないですか!席替えみたいみたいでワクワクします!そしたら私はリリィさんの前に座らせてもらいますね!!
そう言ってエイミーは早速ピレトスの背中に飛び乗った。
「そうこなくっちゃね!」
その後に続いてリリィもピレトスに跨る。砂漠を超える妖精とエルフか―――何だかそれだけで一つの絵になりそうな組み合わせだな。やっぱりこの二人のコンビはどことなくメルヘンっぽい気がする。‥‥エイミーが口を開かなければ、という前提つきだが。
「ほら、ヘイゼルも早く」
僕はピレトスの上から呆然と立ち尽くしているヘイゼルに声をかけた。
「‥‥」
「ヘイゼル?」
「え、ええ‥‥今行くわ」
ヘイゼルは若干ぎこちない様子で僕の後ろへと座った。心なしか手が震えているように見えるが―――もしかして動物が苦手なのだろうか。
「お!みんな準備万端やなぁ!よし、ほな行こか!三日もあれば抜けられるから途中でへばったらあかんで~?」
やけに上機嫌なガイドのアカネさんに連れられて、僕たちはついにアッチアチの砂漠へと踏み出したのだった。