第71話 神威のヨムル
「え、ええええええええ!?」
なんと言うことだ、僕はてっきりヨムルの顔見知りか何かだと思っていたのだが――まさか彼女がヨムル本人だったなんて!うれしい誤算ではあるが、あまりにも事態が唐突過ぎて理解が追い付かない。クラックの時と言い、どうして賢者たちは突拍子もなく正体を明かすんだ?
「アンタがヨムルなの!?」
「うそ、何かボクの想像と全然違う‥‥」
「ああ、僕も全く同じ気持ちだよ。まさか本当に生肉一切れで釣れちゃうなんて」
開いた口が塞がらないとはまさにこのことだ。
「ふん―――節操のない女と好きなだけ笑いなさい。賢者といえど自らの性には抗えないものなのです……」
頬を赤らめ、きまりが悪そうに彼女は眼を逸らした。僕たちのような得体のしれない連中に生肉一切れで釣り上げられて、羞恥心が大爆発していると言ったところだろうか。まぁ、一番驚いているのは釣り上げた僕たちの方だけれど。
「それで?貴方たちは私に一体何の御用があるのですか?くだらない要件であれば、まとめて平らげてしまいますよ」
そう言ってヨムルは妖しく舌なめずりした。朱く、踊るように長いその舌は彼女が人ではなく人間を超越した“竜人”であることを何よりも明確に示していた。
「‥‥」
そうだ、八賢者だからといって必ずしも僕たちに友好的とは限らない。それが勇者を自称するおかしな一団であれば尚更だ。同じ人間だったクラックはともかく、竜人である彼女の価値観が僕たちに近いものであるとは限らないのだ。
「どうしたのですか?急に黙り込んで―――もしや本当に生贄になりに来たと?」
「まさか、私たちは貴方の智恵を借りに来たんですよ神威のヨムル」
緊迫した雰囲気に物怖じせず、エイミーはぴしゃりと言い放った。
「僕たち実は魔王ガイアを倒すために旅をしていて‥‥それで、勇者になるには聖都に行かないと駄目だって聞いたんだ」
「けれど既に聖都は勇者という存在と決別し、自らの力だけで世界を護っていくと誓った後だった。頼る相手を無くした貴方たちは八賢者という存在にたどり着き、その叡智に縋ろうと躍起になっている―――そんなところですか」
「――凄い」
僕が説明しようとしたこと全部先に言われちゃったよ‥‥。
「世間の情勢によく目を凝らしなさい、私から言えることはそれだけです」
「え…本当にそれだけ?」
「当然でしょう、本来私から言葉を賜るだけでも大変な名誉なのです。ましてや貴方たちは縁もゆかりもないタダの無法者‥‥肩入れする義理なんてありませんしね」
そう言って彼女は大きなあくびをした。放っておけば、このまま地上に返されてしまいそうな勢いではないか。正直言って彼女がここまで非協力的だと思わなかったし―――あまり良くない展開だ。
「ちょっと待ちなさいよ、世間の情勢って‥‥もっと具体的に何かないの?」
「はぁ、全く―――先日、ギルド連盟より声明があったでしょう。マスタークラスの冒険者を処刑された報復として、外征騎士エルネスタを討ち取ったと」
「え?」
「鈍い人ですね。勢いづいている連盟と手を組めば、権威が揺らぎつつある今の聖都を倒せるかもしれない―――そう言ったんです」
いや、それも大事だけど―――その前が。その前に言った言葉が気になり過ぎるんだが。
「ギルド連盟が、エルネスタを討ち取った?」
「ええ、討ち取ったと言っても騎士団の誰一人として命は奪われなかったそうですが」
ああ、そうだろう。だって騎士団全員殺さずに帰す、というのがバドスの判断だったのだから。
「あれ?何かジル様の手柄、なかったことになってます?」
「かもしれない」
「貴方の手柄?どういう意味ですか?」
「いや、実はさ――――」
それから僕は、ヨムルにこれまで僕が経験した全てを話した。魔王の手先を名乗るバルトガピオスという魔物に襲われたこと、その窮地をクラックに救われたこと。そして―――ロンガルクでバドスに出会い、共にエルネスタを打ち倒したことも。
「なるほど―――それならバドスが貴方たちをここに寄越した理由にも納得がいく。にわかには信じがたいですが、貴方の言葉に偽りはないようですね」
「良かった、突拍子もない話だから信じてもらえないかと」
「そこまで条件が揃えば―――私も見て見ぬフリはできませんから」
消えてしまいそうなほどか細い声で、彼女は静かに呟いた。
「いいでしょう、貴方達には特別に神託を授けます。ただしその対象はジル様お一人に限らせてもらいますが」
ヨムルはそう言っておもむろに立ち上がると、僕たちをここに連れて来た時と同じように指を鳴らした。そしてその音が甲高く響き渡った瞬間、エイミーたちの姿が一瞬にして消え去ってしまった。
「エイミーたちに‥‥何をしたんですか?」
「一足先に地上へ帰っていただきました。これより先の話は彼女たちには刺激が強すぎますからね―――それに、貴方にとっても私と二人きりの方が都合がいいでしょう?見たところ、他者には言えない秘密ごとを多く隠し持っているようですし」
そう言って賢者は不敵に笑う。本当に味方なのかと疑ってしまいたくなるほど、邪悪な微笑みで。
「‥‥どういう意味ですか」
「バレていないとでも思っていたのですか?まぁ、実際お仲間の二人にはうまく隠し通せているみたいですが‥‥正直言って貴方の存在は異端です」
「アンタ、どこまで知っているんだ」
「さぁ、それはこれからですよジルフィーネ。まずは私の質問に答えて貰いましょうか―――差し当たっては貴方の正体についてなどいかがです?」
僕の正体だって?
「どういう意味だよそれ、全然意味分かんな―――」
「とぼけないで」
彼女は冷酷に吐き捨てると、力づくで僕を押し倒してしまった。
「ぐッ!?」
頭を地面に打った衝撃で、後頭部に鈍い痛みが走る。何とか彼女の拘束を振りほどこうにも、圧倒的な力で両手を抑え込まれていて身動きを取ることさえできない。人間と竜人――生物として、個としての性能が違いすぎるのだ。
「何の‥‥つもりだ…」
「私は貴方の正体が知りたいだけ、魂と肉体があべこべな―――貴方の正体が」
「!?」
魂と肉体があべこべ――だと!?それってつまり、僕がこの世界の住人ではないということが彼女にはバレてるってことか!?
「動揺している―――フフ、何か思い当たる節があるようですね」
いや、きっとまだそこまではバレていない。彼女は本来の肉体の持ち主ではない魂が宿っているこの“ジルフィーネ”という男の存在に違和感を覚えているのだ。何故そこまで見抜かれたのかは分からないが、相手はあの八賢者だ―――どんな“眼”を持っていてもおかしくはない。
「アンタには関係のないことだ…」
「それを決めるのは貴方ではありませんよ」
彼女がそう言い放った瞬間、僕の首元に不気味な何かが巻き付いて来た。
「く‥‥けほっ!」
尾だ。彼女の下半身から伸びる竜の尾が、僕の首をきつく締め上げている。
「苦しい…離せ‥‥」
「ならば全て話しなさい、貴方とあの妖精の真の目的を」
「ぐっ…!さっきから言ってるだろ!僕たちは魔王ガイアを倒すためにここまできた―――アンタを頼りに来たんだよ‥‥!」
「そんな戯言を私が信じると思いますか?」
やばい、そろそろ意識が飛びそうだ―――。
「何とも情けない姿ですね。貴方に外征騎士を倒すだけの力が本当にあるというのなら、この私に抵抗の一つでもすればいいでしょうに」
「ふざけんな‥‥何で賢者のアンタと戦わなきゃいけないんだよ…!僕はアンタと喧嘩をするためにここへ来たわけじゃない…!」
そんなくだらないことに費やしている時間なんてないんだ。
「おや、それは残念ですね。では仕方ないので妖精の方に聞くとしましょうか。頑固そうな貴方と違って、羽をもいだりでもすれば直ぐにでも吐いてくれるでしょうし‥‥ね?」
「妖精だと‥‥エイミーのことか…?」
僕が彼女の眼に“異端”として映ったのなら当然彼女も同様に扱われるのも無理はない―――だけどもし、ヨムルがエイミーに手荒な真似をするようなことがあれば‥‥僕はきっと冷静ではいられないだろう。
「ああ、それがいいです。そうしましょう!彼女に貴方の死体を見せつければとても面白い反応を見せてくれるに違いありませんものね―――フフ」
「‥‥!」
すまないクラック、バドス。
僕はこれ以上―――彼女の横暴に我慢できそうにない。
「何も面白くなんかない」
「?」
「聞こえなかったのか?僕の上から退けって言ったんだよこの爬虫類‥‥!」
「ッ!?」
異変に気が付いたヨムルは、眼に捉えることすら困難な速さで僕から距離を取った。彼女の判断は概ね正しい、だが―――僕の一太刀を躱すにはあまりに遅すぎた。
「その姿は―――なるほど原種の魔族ですか。私の尾は巨人族でも引きちぎれないほど頑丈だったのですが‥‥」
そう言ってヨムルは僕の斬撃によって切断された尾の断面を物悲しそうに見つめた。
「ドラゴンなんだからまたトカゲみたいに生えてくるんじゃないのか?」
「いちいち癇に障る物言いをしますね、貴方。いいでしょう―――特別にこの私が喰らって‥‥」
ヨムルが何かを口走ろうとしたその瞬間、突如として彼女の口から大量の血が噴き出した。苦しそうに膝をつき、何度も何度も咳こんでいるではないか。
「お、おい―――大丈夫か‥‥?」
凄い血の量だ。床だけでなく、彼女の膝までもがドロドロの鮮血に染まってしまっている。まさか、僕が尻尾を斬っちゃったせいなのか…?だとしたらやりすぎた感が否めないのだが‥‥ともかく、今は戦いをしている場合ではないだろう。
「ハァ、ハァ、ハァ――――」
「ハンカチならあるけど…」
「寄るな!この血に触れれば貴方まで呪われてしまいますよ―――!」
呪われる…?彼女の吐血は、何かの呪いが原因なのか?
まぁ、苦しそうな彼女を前にしてそんなことは一切関係ないが。
「別にいいよ、呪われたって。ほら動くなよ―――間違っても噛むんじゃないぞ」
僕は彼女と同じ目線まで腰を落とし、血に汚れた顔をハンカチで優しく拭いてやった。僕が目の前にいてもお構いなしに彼女は血をぶちまけるので、僕も当然血まみれになってしまったのだが―――まぁ、それはいいだろう。
「‥‥落ち着いたか?」
「―――ええ」
血を吐き続けること数十分。ようやくヨムルは血の苦しみから解放されたらしい。常人であれば気が狂ってしまいそうなほどの苦痛なのは容易に予想できるが―――もしかして彼女は、この苦しみを毎日味わっているのではないのだろうか。
「―――」
先ほどまであれほど饒舌であったのに、ヨムルは何も話さない。僕なんかに介抱されて相当屈辱だったのか――ずっと口をつぐんだままだ。
「アンタの言う通り、この体は僕のモノじゃないよ」
やはりここは先に僕が喋るべきだろう。そんな考えが脳裏をよぎった時には、僕は自然と言葉を紡ぎ始めていた。
「詳しくは話せないけどさ、僕はここじゃないずっと遠い世界の住人で―――今はユフテルで活動するためにこの体を借り受けている。異端者であることに変わりは無いけど‥‥魔王ガイアを倒して平和をもたらしたいという想いは本物だ。そこだけは信じて欲しい」
「―――そうですか、こちらこそ‥‥先ほどは早まった行動をとってしまい申し訳ありませんでした‥‥少しばかり貴方のことを誤解していたみたいです」
そう言って彼女は、大きな丸い石のようなものを僕に手渡した。今の説明でどこまで納得してくれたのかは分からないが、僕の正体についての追及されることはもう無かった。
「なにこれ」
「港町プリシードにエンブという老人が住んでいます、彼にそれを渡せば貴方をしかるべき場所へと導いてくれるでしょう」
「しかるべき場所ってど――」
「勇者の隠れ里です」
僕の質問を予期していたかのように、ヨムルはかき消すように言い放った。
「勇者の隠れ里にたどり着くことが出来れば、貴方は己が何をすべきかを見つけ出すことができるはず。ですがもし、貴方に勇者としての資格がなければ―――貴方の旅はそこで終わるでしょう」
「分かった。港町プリシードに居るエンブって人に渡せばいいんだな」
絶対忘れるからエイミーに覚えさせておこう。
「それよりアンタここに籠って傷を癒しているんだよな?何か外の世界に必要なモノがあれば持ってこようか?」
馬車の荷台には大量の食糧が積んである。半分くらい彼女に分けたとしても旅には問題ないだろう。多分リリィが途轍もなく哀しそうな顔をするだろうが‥‥。
「いえ、お気遣いなく。食料を摂取するよりも睡眠をとったほうが傷の直りは早いので。むしろ貴方と喋っていた方が疲れるのでさっさと帰ってほしいくらいです」
「へいへい、お望み通り帰りますよ―――って、あれ‥‥何か尻尾もう生えてない?」
「そりゃあ生えますよ、竜なんですから」
ほんとに生えるんだ‥‥いや、僕が言いたいのはそこではなくて―――。
「聖都の連中から受けた傷は直ぐには治せないのか?」
尻尾斬られてもすぐ生えるんだから、切り傷やかすり傷くらい簡単に治りそうなもんだけど。わざわざこんなところに籠って回復させる理由があるのだろうか。
「‥‥奴らの中にも卓越した手練れがいます。特に全身入れ墨だらけの外征騎士には用心なさい、ヤツは聖都の中でも異端中の異端。“殺せない”という理由だけで今の地位に成り上がった本物の化物なんですから」
どこか恨めしそうな顔の彼女は、まるで苦い思い出を語り聞かせるように僕に警告した。彼女の傷についての追及は、これ以上はやめておこう。
「それともう一つ、ギルド連盟を頼るのは止めませんが―――決して心を許してはなりませんよ。彼らは聖都を倒すためならどんな非情な手段にも打って出る。逆も然りでしょうが‥‥聖都と違って規律の緩い彼らには信念というものがない。最悪の場合、貴方達を捨て駒として理由するなんてことも考えられます」
「大事な決断を迫られた際には、彼らではなく―――仲間の声を聴くのですよ。あ、この私に縋るというのも手ですね!むしろそれが最良かも!」
「最後の一文は冗談ですか?」
ついさっきまで僕の首を締め上げていたくせに。
「ええ、勿論冗談です。貴方とはもう二度と会話したくないので金輪際関わらないでください」
「ひぇっ」
「今はとにかく港町プリシードを目指しなさい。貴方が本当に勇者として力に目覚めることがあれば―――その時は私も今よりマシな付き合い方をしてあげます」
「それは楽しみだ」
次に彼女と会う機会があれば、その時はもっと穏やかな時間を過ごしたいな。
「では―――もうお行きなさい。貴方たちの旅が良いものであるように、私も陰ながら祈っていますよ」
「ああ、ありがとうヨムル。また会えると良いな」
ジルの言葉を聞き届けると、ヨムルはそっと指を鳴らした。
全ての来訪者が地上へと帰還し、水底の神殿には再び静寂が訪れたのだった。
「ジルフィーネ、か――――ねぇ、バドス。聡明な貴女はきっと気が付いていたのでしょう?彼が予言の救世主などではないということに―――だけど、それを知った上で私に全てを委ねた」
“遠方より災厄来る。永久の眠りより目覚めし王は千の剣を携え災厄を討ち払い、光闇の衣を纏いて新たな国を築かん。やがて古き時代は終わり、泰平の世が始まるだろう”
ずっと遠い世界の住人――予言になぞらえて言うのなら彼は目覚めし王ではなく、むしろ‥‥。
「いや、今は全ての答えを出すには早すぎる―――彼の本質を見極める時間くらいはまだ残されているはず」
ジルフィーネがもし世界に仇を為す存在であれば、勇者の隠れ里から生きては出られない。それよりも問題なのは彼が“ヤツら”と同じく魂と肉体が別人であるという点だ。
「気を引き締めて行きなさい、まだ幼き戦士よ。遠い世界からの来訪者はきっと―――貴方だけではない」