第66話 少女に眠る炎の記憶
あの忌々しい日のことを、今でも頻繁に夢に見る。
私が死んだ日、スレインではなく“エルネスタ”として生きていくと誓ったあの日のことを。
「おいスレイン!お前また黙って隣町まで遊びに行ってたな?」
「遊びに行くのは良いが、せめて父さんに一声かけてくれないか?最近なにかと物騒だし、お前にもしものことがあれば父さん‥‥」
「もう、面倒くさいなぁ!いいじゃん別に!なんで一々お父さんの許可とらないといけないの!?」
「おい、どこ行くんだスレイン!話はまだ‥‥!」
「今日はもう寝るの、お・や・す・み!」
バタン!と強く扉を閉めて逃げるように自室にこもり、ベッドの中へと潜り込む。さっきまでは何ともなかったのに、一人になるとお父さんに言いすぎちゃったかなって哀しくなってきて‥‥。
「‥‥ママに会いたい」
そんな泣き言をこぼすのが、8歳の頃の私の日課になっていた。
父と一緒にこの町に来て今日が丁度3年、代わり映えの無い平凡な毎日に飽き飽きしていた私は、言いつけを無視して頻繁に隣町まで足を運んでいた。
別に友達がいる訳でも、何か目的をする訳でも無かったが‥‥とにかく、ここではないどこかへ逃げ出したいと、あの頃はずっとそう思っていたのだ。
そうして何度か隣町に足を運んだ時に―――私はとある噂を耳にした。
「ぼるげーん?」
「ああ、灼熱公ボルゲーン。ずっと昔に聖都を襲った魔王のしもべだった魔物だよ。何でも今になってまた現れて、あちこちで町を燃やして回っているらしい」
「怖いよなぁ、なんでも魔力の高い人間がいる町を探してるって話だ」
「ふん、わたし全然怖くない」
「そんな奴が町に来たら、わたしのお父さんがすぐにやっつけちゃうんだから!」
「はっはっは!そりゃちょっと無理かもな!ボルゲーンは聖都の騎士で構成された討伐隊を二度も返り討ちにしている、ちょっと腕に自信があるくらいじゃ殺されちまうぜ」
「それこそ外征騎士でもないと―――」
「ふふ」
外征騎士でもないと勝てない。そのセリフを聞いて私の心は風に舞う花弁のように舞い上がった。
「実は私のお父さん、元外征騎士なんだ」
「え!?」
「嬢ちゃんほんとかい!?」
「本当だよ、私のお父さんはあのレオナール・エレアノ―ルなんだから!」
「レオナールって!!あの正義の外征騎士か?!」
「確かに嬢ちゃん、言われてみれば顔が似ているような―――!」
「すげえ!マジかよ!」
お父さんの話をすると、すぐに人がたくさん集まって来て皆が騒ぎ出す。凄い!とか、かっこいい!とか、羨ましい!とか、頼みもしない皆がもてはやしてくれるのだ。
この瞬間だけは、平凡な私でも少し特別な存在になったみたいで―――ちょっと嬉しかった。私がよその町に出かけるときは、毎回お父さんの自慢をした。初めて会った顔も知らない皆が、私のお父さんを褒めてくれる。
それが私にはとてもむずがゆくて、たまらなく幸福だったのだ。
妙な噂を聞いてから1か月後のある日、父さんは魔物の討伐依頼で朝から家を留守にしていた。お父さんが居ない日の朝はゆっくりできるので、私的には寂しいけど好ましい。今日もお昼くらいまで目一杯寝ようと‥‥そう考えていた。
「暑い‥‥」
二度寝をしようとベッドに潜り込んで少したった頃、私は蒸し暑い寝苦しさで目を覚ました。何か飲み物を飲もうと、自室からおぼつかない足取りでキッチンへと向かう。
「っぷはぁ!」
グラスに冷水を並々に注いで、一気に飲み干す。たまに冷たすぎてお腹が冷えてしまうけど、たまにはいいだろう。だって今日はものすごく暑い。喉がかわいて仕方ないんだし、汗もだらだらと止まらない‥‥し?
「!」
寝ぼけていた頭がスッと冴えわたっていく。なぜ、こんなにも暑いのか。“それ”を見るまで異常に気がつけなかった自分の鈍感さを悔やんでいる時間は無い。とにかく、逃げなければ。
父の部屋から迫りくる、燃え盛る炎から逃げなければ。
「ッ!!」
私は一心不乱に玄関に走り、飛び出るように家を出た。
「火事!火事だよ!誰か―――!誰か火を消して!!」
助かった、そう思って外に飛び出たのに‥‥。
「ぎゃああああああああああ!!!!!」
「熱い熱い熱いいいいいううううあああ!!!!!」
「誰か!!!水!水を水をくれえええ!!!」
家の外は、燃え盛る地獄だった。
視界に映る全てが赤々と燃えている。絶叫する人々の声が鼓膜をズキズキと突き刺す。怒号や狂った鳴き声―――その全てが嫌というほど鮮明に聞こえて来た。
「暑い」
あつい。あついよ。
苦しい、助けて。
ごうごうと音を立てて、隣の家が倒壊していく。倒壊した家の火が私の家に燃え移り、甲高い音とともに窓ガラスが割れた。
あれはきっと―――私の部屋だ。
「熱い」
どこを見渡しても炎、炎、炎。逃げ道なんてどこにもない。肌が焼けるように熱い。吸い込む空気が熱くて肺が焼けそうだ。苦しい、嫌だ。死にたくない。
「お父‥‥さん‥‥」
薄れゆく意識の中で―――スレインは最後まで父を想い続けた。
「どういうことだ」
ズシン、ズシンと巨人の如き足音が炎の町を揺らす。その足音の正体は町に炎を放った張本人、灼熱公ボルゲーンであった。
「なぜ、この娘がここにいる‥‥?!」
炎の巨人が叫ぶと同時に、いっそう炎の勢いが増す。町のあちこちで炎の柱が噴き上がり、灼熱の地獄に拍車をかけた。
「バルトガピオス!!どこだ!!どこにいる!?」
「貴様見ているのであろう!?」
「うるさいなぁ、声デカいんだからそんなに叫ばなくても聞こえるって」
炎の中でも鮮やかに揺らめくライムグリーンの髪をした不死身の怪物――バルトガピオスが心底けだるそうに姿を現した。大きなあくびをして、妖しげな瞳には涙を浮かべている。
「この娘を見ろ、こやつは‥‥バドスとレオナールの娘ではないのか!?」
「そうだけどなに?」
「約束が違うではないか!!バドスはレオナールと娘には手を出さぬという条件で我らの軍門に下ったはず!その約束が反故にされたと知れば、今すぐにでも我らを殺しに来るぞ!!」
「別にいいよ、来たら来たで。ボクたちが殺すだけだから」
「馬鹿を言うな!お前ごときがあの大悪魔に勝てる訳がないだろう!!ヤツが本気になれば我らは全滅、魔王ガイアの復活も成せなくなってしまう!」
「ほんとうるさいなぁ‥‥悪事を隠そうとするガキみたいで心底鬱陶しいよ、キミ」
必死になって訴えるボルゲーンを一蹴し、バルトガピオスはまたも大きなあくびをする。鮮血公バドスの恐ろしさを知るボルゲーンと、知らぬバルトガピオス。両者の間には、決定的な意見の相違があった。
「なんだと‥‥!!」
「ちょっとは言葉を選んだらどうなんです、バルトガピオス。これではボルゲーンが弱虫みたいで可哀想よ」
炎の中からまた、新たなる影が姿を現した。
「ソルシエ‥‥!?貴様どうしてここにいる!?」
「この頭のおかしな女には借りがありまして‥‥祭祀長の仕事で多忙の中、仕方なく駆けつけただけです。ああ‥‥そうそう、ルドニール様を裏切った貴方を今さら責めるつもりはありませんので、ご安心を」
蠱惑的なレオタードに身を包んだ風の魔法を得意とする忌み魔女ソルシエ。彼女もまた、ルドニールに仕えていた魔王軍の幹部であった。
「駆けつけただと‥‥?町を焼くのは私だけで十分なはず、貴様が出張って来る理由などどこにも―――」
「ボルゲーン、ボクたちが何でこんな手間暇かけて人間の町を燃やして回ってるか分かる?」
「当たり前だ!次の“勇者”になり得る子どもを殺し、魔王ガイアの支配を盤石なものにするため。言わば‥‥勇者が覚醒する前に芽を摘む作業といったところだろう」
「そうそう、ちゃんと答えられて偉いねぇボルゲーン。じゃあ、ボクの考えていることも――もう分かるよね」
ニタリ、と不敵に笑うバルトガピオス。彼女の視線の先に転がるスレインの姿を見て‥‥ボルゲーンは全てを理解した。
「まさか、この娘が―――!?」
「断言はできない、だがそのガキのもつ潜在能力は超一級品だ。放っておいたら…いずれボクたちの障害になるかもしれないよね?」
「だがそいつを殺せば、バドスとレオナールが‥‥」
「ったく、馬鹿なのかいキミは。その二人も今から殺るんだよ、何のためにこれだけ頭数揃えたと思ってるんだい?」
そう言って、バルトガピオスは自身の背後に目をやった。そこに居たのは、ゾンビのような姿をした怪人ゲラルフ、紫色の鱗を持つ禍々しい竜グラシャラ、そして‥‥拘束具で全身を覆われた異様な大男の姿があった。
「これだけいれば今の腑抜けたバドスは確実に殺せる、問題はレオナールの方だよ」
外征騎士をやめて十年近く経つというのに、ヤツの力は一切衰えていない。それよりもむしろ外征騎士時代よりもさらに力をつけているようにさえ感じるほどだ。バドスが去り、我が子を一人の手で守らなければならないという人間特有のカスみたいな責任感から腕を鍛え続けているようだが――――正直言って厄介だ。
とりあえずはボルゲーンとソルシエに相手をさせ、消耗したところを一気に叩く。バドスが到着するまでにどれだけ消耗させられるかが勝負だね‥‥。
「俺が―――何だって?」
それは、一瞬の出来事だった。
周囲が眩い閃光に包まれたかと思うと――体全身に耐えがたい激痛が稲妻のように走り抜けた。
「ぐあああああ!!」
「貴様‥‥レオナールか!」
拳を振りかざし、ボルゲーンは炎の腕をレオナールへと叩きつけた。地面が割れ、激しく炎が吹き荒れる。
「“雷切”」
しかし、そんな灼熱のような地獄もレオナールには通用しない。彼の卓越した技巧から繰り出された雷すら切り裂く一閃で、ボルゲーンは喉元を無惨に切り裂かれた。
「ぐおおおお!!!」
苦悶の叫びをあげながら、ボルゲーンは膝をつく。もう少し位置がずれていれば‥‥確実に即死だった。
「情けないですね‥‥!薙ぎ払いなさい、エウロアス!」
「!」
ソルシエの魔法すら、今のレオナールには涼しげなそよ風と変わりない。彼は次々と繰り出される風の刃をいとも簡単に回避し‥‥ソルシエの眼前へと迫った。
「うそ‥‥!?」
剣を振り下ろせば、確実にソルシエの首を刎ねられた。だがレオナールは身を翻し…ソルシエから距離を取った。
何故か。その答えはあまりに簡単なものだった。
「“嘶く双雷鳴”」
雷を纏った二頭の神獣が、レオナールの後方と上空へと勢いよく走り出した。
一頭は上空より迫っていたグラシャラへ、もう一頭は背後より奇襲をかけんと狙っていたゲラルフの体を貫いた。
「かーっ!強いねぇ、レオナール!後ろに目ん玉でもついてんのかな!?」
ニタニタと笑いながら、バルトガピオスはレオナールの元へと歩み寄った。
「だけど、それ以上の抵抗は辞めた方が良い。あれを見てみな」
バルトガピオスが指さす方向には、レオナールにとって受け入れがたい光景が広がっていた。
「‥‥」
力無く項垂れるスレインの体を、ボルゲーンが今にも踏みつぶさんと巨大な足を大きく傾けている。俗にいう、人質というやつだ。
「うぷぷっ、残念だったねぇレオナール。彼女の命が欲しければ、早いとこ殺されてくれないかい?」
「馬鹿だな、お前」
「あ?」
「“雷槍雨”」
レオナールの号令を受けて―――天空より、無数の雷が降り注ぐ。一切の反撃すら許さない正義の一撃。その全ては的確にバルトガピオスたちの胴体をえぐり、絶大なダメージを与えた。
「ごばァッ!!テメェ‥‥!!」
地に伏すバルトガピオスを横目に、レオナールはスレインを優しく抱き上げた。
「遅くなってごめんな‥‥」
熱くなったスレインの体を、氷の魔法で徐々に冷やしていく。煙を大量に吸い、業火の中に晒されたまま放置された。普通の人間なら死んでてもおかしくないような状態だが‥‥流石は俺とアイツの子だ。まだまだピンピンしてやがる。
「おのれ!レオナール!!」
「黙れ」
一撃。
たったの一振りで、レオナールは灼熱公ボルゲーンの巨体を一刀両断した。
「親子の時間に水差すんじゃねえ‥‥!」
真っ二つに別たれたボルゲーンの肉片が轟音と共に崩落する。やがて肉片は自らの炎に呑まれ、無様に燃えていった。
「ちょっとバルトガピオス‥‥レオナールがここまで強いとは聞いてないわ!?」
灼熱公の死体を前に、ソルシエは泣きつくようにバルトガピオスへ訴えた。放っておけば、今すぐにでもこの場から逃げ出してしまいそうなほどに戦意を喪失してしまっている。
「仕方ないなぁ、もう―――」
ようやくやる気になったと言わんばかりに、バルトガピオスは肩慣らしでもするかのように、その場で二、三度飛び跳ねた。
「ボクが殺る、お前達は援護に徹しろ」
「スイレン、まだ起きてくれるなよ‥‥!」
正面からぶつかる正義の騎士と不死身の怪物。ただの一騎打ちなら、バルトガピオスがレオナールに勝てる見込みなどありはしないが‥‥今回は別だ。バルトガピオスの元には複数のサポートが居るうえに、レオナールはスレインを片手に抱きかかえたまま戦闘を行っている。
いかに彼が強かろうと、これでは切り崩されるのは時間の問題だ。
「あれぇ?!何か動きが鈍くない!?ほらほら、早くその娘を捨てないと死んじゃうよお?」
「ぐっ!!」
無数の蛇の髪に、竜の顔へと変形する腕。そして死角から不規則に襲い来る取り巻き共の攻撃。クソ、流石に厄介だ!!こっちは傷が増えていく一方で埒が明かねえ‥‥!
片目も潰されちまったし、勝ちの目は完全に無くなった。
となれば、後は―――どうやってスレインをこの場から逃がすかだ。
「はァ!!」
「当たらないよっ!」
チッ、駄目だ。全く助かるビジョンが浮かばねえ!切り札を使おうにも詠唱してる時間なんてねーし、祝福なんてもっての外だ。スレインだけ投げ飛ばそうにも、さっきから鬱陶しく上空を飛んでやがる竜みてーな魔物に狙われて終わりだ。
この女と刺し違えようにも、コイツを殺しきれる確証がねえ。いっそ土下座でもして頼んでみるか?俺の命と引き換えに、スレインの命だけでも―――。
「何か―――何か方法は‥‥!!」
「今だ、全軍突撃せよ!!」
「おおおおおおおお!!!!」
突如として、勇壮なる騎士達の叫び声が鼓膜を震わせた。
一体いつから居たのかは定かではない。どこからともなく現れた騎士達は町の中に流れ込むと―――一斉にレオナールを庇うようにバルトガピオスたちの前に立ち塞がった。
「うぷぷ、面倒だねぇ」
「聖都の騎士‥‥いったい誰が!?」
どうしてこの場所が分かった‥‥!?
「お前達は取り巻きを頼む、私はこの女を始末する」
カツン、カツンと甲高い足音と共にひどく懐かしい声が優しく響き渡る。
ああ、そうか。彼女が―――来てくれたのか。
「ありがとう、カトリーン」
「礼を言われる筋合いはない、私たちは赤の他人‥‥馴れ合いは不要だ」
レオナールに目もくれず、死神の外征騎士――カトリーンはバッサリと言い放った。目の前に不気味に佇むバルトガピオスだけを視界にとらえ、臨戦態勢に入っている。
「ああ、そうだな‥‥俺たちもう絶交したんだった」
レオナールはスレインをカトリーンの騎士に預けると、再びバルトガピオスへと向き直った。
「ヤツの弱点は」
「分からねえ、だが気を付けろ。あいつは身体を自由自在に変形させて不規則な攻撃を繰り出してきやがる。間合いに捕らわれるんじゃねーぞ」
その言葉を皮切りに、バルトガピオスと二人の騎士の戦闘が勃発した。当然の如く、バルトガピオスはこの二人には敵わない。何度も切り刻まれ、何度も殺された。取り巻きのソルシエたちも存外苦戦しているようで、聖都側が優勢だ。この何事も無く進めばバルトガピオスたちの敗北は揺らがぬものとなるだろう。
‥‥そう、何事もなければ。
「全く、どんだけバラバラにしてもたった数分で元通りなんて‥‥嫌になるぜ」
「なぁカトリーン、お前何回こいつの首獲った?」
肉片となって散らばっているバルトガピオスに視線を落としながら、レオナールは呟いた。
「分からん、30を超えてからはもう数えていない‥‥キミは?」
「一回も数えてない」
「バカ」
「うぷぷ、いやぁ‥‥強いねぇキミたち!降参降参!」
バラバラになった肉片が集合し、再びバルトガピオスが作り上げられていく。今まで数えきれないほどの怪物を相手取ってきた二人でさえ―――これほどのまでの不死性をもつ存在と戦うのは初めてのことであった。
「降参?ふざけんな、俺たちの町を滅茶苦茶にしてタダで済むわけねーだろうが」
「お前の首は私が聖都へ持ち帰る、命乞いは無意味だ」
「そっかぁ、残念‥‥じゃあキミたちには死んでもらうしかないね」
そう言って、バルトガピオスは大きく息を吸うと―――。
「出番だよ!!カイラ!!!」
腹の底から響き渡るほどの大きな声で、何者かの名を口にした。その瞬間、バルトガピオスと二人との間に、拘束具を全身に装着した不気味な大男が割って入った。
素肌がいっさい見えないその異様な佇まいは、現代人であれば巨大な甲冑を身に纏ったサイボーグを想像するだろう。
「何だコイツ‥‥!」
魔力どころか生気すら全く感じねえ。本当に生きてんのかこれ――?
「おいアマ、やっていいのか」
「勿論!今日はカイラの初の実戦だ、張り切っていこう!」
「―――了解」
「来るぞカトリーン!構えろ!!」
そうレオナールが叫んだ時には、全てが遅かった。
彼がカトリーンに声をかけようと声帯を震わせた瞬間、既にカイラは手に持った大槍で彼女の右腕を切り落としていた。
「ああッ!!」
カトリーンの腕の切断面から吹き荒れるおびただしい鮮血。その雫が地面へと零れ落ちるよりも速く―――カイラは続く第二撃で、レオナールの心臓を貫いた。
「!!!?」
自らの胴体を穿っている巨大な槍。間違いなく致命傷だ。だが今はそんなことは良い。自身が出せる最高速度でヤツの心臓を穿つ。今はただ‥‥それしか考えない。
「“雷切”!」
レオナールによって放たれた渾身の一撃は、カイラの胸部へと命中する。その破格の一撃を前に、胸部の拘束具は砕け―――彼の肌へと直接刃の切っ先が突き刺さった。
しかし‥‥。
「!?」
浅い。
なんて堅さだ。巨大な岩石を爪楊枝で突き刺したかのような衝撃に、思わずレオナールは戦慄した。自分より強い相手なら沢山いる、聖都にもいたし今まで何度も出会ってきた。だがコイツは今まで出会ったどんな強敵とも違う。
強力な祝福を持っている訳でも、ド派手な魔法を扱える訳でも無い。ましてや最高峰の知能を持っている訳でも無い。
生物として、個として圧倒的に優れている。ただ無条件に強いのだ。
それ以上に形容しようがない。こいつは―――今までに出会ったどんな化け物とも一線を画すバケモノだ。
「カトリーン、テメェは騎士団を連れてもう退け」
「レオ‥ナール‥‥」
友人の胴体に開いた巨大な風穴。心臓だけでなく、主要な臓器がほぼすべてえぐり取られてしまっている。恐らく、彼はもう死ぬのだろう。
「私の祝福ならヤツを殺せるかもしれない‥‥だから一緒に戦おう‥‥せめて、最期の時くらいはキミのそばに居たいんだ‥‥」
例えそれが、許されないことだったとしても。
私はキミの近くで死にたい。死神の力をもつ恐ろしい女として育てられた私を、唯一人間扱いしてくれた、キミのもとで――――。
「そうか‥‥やっぱりお前、俺の親友だよ」
「ああ、そうだとも!私はキミの一番の親友だ、あの時の絶交も今なら無かったことに―――」
舞い上がったカトリーンを、レオナールは無慈悲に手刀で気絶させた。
「あれ‥‥どうし‥‥て‥‥?」
「ごめんな、カトリーン‥‥スレインを―――頼む」
それが―――正義の外征騎士と死神の外征騎士の生涯最後の会話であった。
「ここは俺が引き受ける。お前たちは聖都へ撤退しここで起こった全てをルミナス様へと報告しろ」
「レオナール様‥‥」
「とにかくテメェらは生きてこの町から出るんだ。助けに来てくれて、本当に嬉しかったぜ―――達者でな」
レオナールの意志を汲み、カトリーンの騎士団は昏睡状態の団長と、スレインを連れて町を出た。
「うぷぷ、逃がす訳ないよねえ!?グラシャラ!ゲラルフ!あの騎士共を追え、何としてでも小娘は殺すんだよ!」
「追うな」
容赦なく追い打ちをかけようとするバルトガピオス。そんな彼女を制止したのは、配下であるはずのカイラであった。
「ちょ!?カイラ!?」
「この男はまだ生きている、コイツが死ぬまでは絶対に追うんじゃない」
「‥‥恩に着るぜ」
「当然のことをしたまでだ」
カイラは再び槍を構える。
多分、次の一撃を受ける頃には俺はもう‥‥。
「あーあ、死ぬ覚悟なんてとっくに出来ていたと思ってたが‥‥やっぱり、死ぬのは嫌だなァ‥‥」
こんな時になってスレインとバドスの顔が脳裏にチラつきやがる。
バドスは強ぇ女だ、俺なんかいなくても一人でやってける。それはそれで悔しいが、まぁ別にいい。
一番の気がかりは―――スレインだ。これからのアイツのことを想うと、胸が締め付けられるように苦しい。もっと抱きしめてやれば良かった。もっと一緒に遊んでやればよかった。もっといろんな所へ連れて行ってあげたらよかった。もっといろんな経験をさせてやりたかった。いろいろ後悔ばかりが浮かんでくるが、それでもやっぱり―――。
「さぁ来いカイラ!!鮮血公バドスの夫にして、世界一可愛いスレインの自慢の父親!!このレオナール様が、お前の命を貰ってやるぜ!!」
俺は、お前達と出会えて本当に幸せだった。