第60話 折り重なった運命
「カトリーン様、教皇兵の配置全て完了しました。いつでも奴を袋叩きにできます」
「上出来だ、だが攻撃はまだするな。相手はあの鮮血公だ、こちらの戦力が全員集結するまでは待機せよ」
「しかし―――もう予定時刻よりかなり作戦が遅れています。レオナール様をこれ以上待ち続けても、あまり意味はないかと」
「・・・」
作戦の決行時間を過ぎてから30分、討伐隊の陣営のどこにもレオナールの姿は無かった。カトリーンの命令のもと、鮮血公の棺がある屋敷を取り囲むように展開した500人の騎士たち―――指揮官として、これ以上彼ら全員の時間を無駄にすることはできない。全軍を突撃させ、今すぐにでも攻撃を仕掛けるべきだが‥‥。
「いや、まだだ」
愚かな判断だと分かってはいても、カトリーンは再び“待て”と命令した。
「ですが、兵たちの士気も下がりつつあります。レオナール様がいなくとも、我らだけで―――」
「待てと言った。貴様、私の命令に逆らうのか?」
「‥‥っ」
すまない。分かっている…分かっているんだ。今こちらの陣営には外征騎士が私を含めて3騎いる。たとえレオナールがいなくとも、鮮血公を倒すことは可能だろう。鮮血公がこちらに気づいていない今なら、私の祝福で一撃のもとに沈めることもできる。
だが‥‥それでは駄目なんだ。この場に彼が居ないと意味がない、鮮血公を殺すのがレオナールでなければ意味が無いのだ。彼を苦しめる呪縛を断ち切るには、自らの手で鮮血公に向き合わなければならない。そうでなければ、彼はいつまで経っても―――。
「カトリーン様!いくつかの兵たちが、鮮血公の屋敷へと進軍を開始しました!」
「なに…!?誰がそんな許可を出した!」
「わ、分かりません‥‥。ですが、兵たちの先陣を切っているのは、ポルネローザ様のようです!」
「ポルネローザだと‥‥?チッ、勝手な真似を―――」
“教皇”の外征騎士ポルネローザ―――ヤツが動いたなら、もうレオナールを待ってはいられない。
「我らも進軍する!“戦車”のベルナルドにもそう伝えよ!」
「はっ!」
カトリーンの指令のもと、兵たちは一斉にバドスの巨大な屋敷へと攻め入っていく。調査隊の報告によって屋敷の構造を把握している彼らは、だだっ広い屋敷を迷うことなく駆け抜け―――バドスの眠る棺へと着実に進んで行った。
入念な下調べのもとに立案された鮮血公討伐計画は、一寸の隙が無いほどに完璧であった。兵たちはあっという間にバドスの棺を包囲し、棺の上から次々に自らの武器を突き刺していく。その瞬間、棺の裂け目からおびただしい量の血がどろどろと流れ出る。鮮血は床一面に広がり―――まるで真紅のカーペットのように部屋の中を紅く染め上げていった。
「気味が悪いな‥‥さっさと死体を確認するぞ」
騎士達は恐る恐る棺の蓋に手をかけると、そのままゆっくりと中を暴いた。
しかし、中に入っていたのは串刺しの鮮血公では無く――――。
「な、なんだこれは?!」
得体のしれない巨大な肉塊が、棺の中でブヨブヨと不気味に蠢いていた。
「何かの死骸か――?いや、しかし―――」
「まさか‥‥!」
「何をぼさっとしているか!!これは罠だ!鮮血公は既にこの棺の外にいる!!」
今すぐに屋敷から出ろ―――と、一人の老兵が声高らかに叫ぶ。彼の言葉に触発され、騎士達は一目散に部屋の外へと走り出した。
「早く扉を開けろ!この部屋は危険だぞ!」
「んなこと分かってる!だけど‥‥開かないんだよ!!」
「な、嘘だろ――!?」
彼らが罠だと気づく遥か前から―――既に状況は始まっていた。
「妾の屋敷に土足で踏み入るとは、度し難いほどの愚か者だな」
「!!」
頭上より響く恐ろしい女の声。死の恐怖から誰一人として上を見上げることはできなかったが‥‥間違いない。本能で直感した。
鮮血公は今、我々のすぐ真上に居る――――!
「女王の血棘」
その言葉が、この場に居合わせた50人の騎士が聞いた人生最後の肉声だった。バドスの声が響くと同時に足元の血のカーペットから無数の棘が咲き誇り、騎士達の体を足の裏から頭のてっぺんまで無慈悲に貫いていく。悲鳴をあげることすらできない一瞬の殺戮。
袋のネズミは鮮血公ではなく―――彼ら騎士達の方であったのだ。
「脆い」
バドスはひらりと天井が舞い降りると、窓の外から外の様子を確認した。
「数百人はいるな―――全く、聖都の犬どもめ…本気で妾を潰しにきおったか」
あれが全て凡庸な騎士であれば造作もない、問題はあの中に外征騎士クラスの連中が何人含まれているかだ。正直今の体では複数人の外征騎士を相手取るのはかなり厳しい。ここにいる騎士全てを我が眷属にすれば話は別だが‥‥。
「これはこれは、なんてスプラッターな光景なんでしょう。咽返るような血の匂いで頭がどうにかなってしまいそうです」
低い男の声が、不意にバドスの鼓膜を震わせた。静かに声の方向を振り返ると―――そこには異様な佇まいの不気味な騎士がぼんやりと立ち尽くしていた。
「何者だ貴様」
外骨格のように纏われた奇妙なからくり仕掛けの鎧に、頭をまるまる覆ってしまうフルフェイスの不気味なお面のような兜。まるで何かの絵本から飛び出して来たかのような異質なフォルムは、一切の人間味を感じさせない冷たい兵器のようであった。
「これは失礼、私の名はポルネローザ。“教皇の外征騎士”と呼ばれるしがない聖都の騎士です」
「ポルネローザ‥‥?」
その名前、どこかで――――。
「早速ですが、貴女を殺します。お覚悟を」
「!?」
こやつ、何を―――!
「新天へ遍く神光」
それはあまりに一瞬の出来事で―――最初の数秒は何が起こったのか全く理解が出来なかった。ヤツの右手が妾にかざされた瞬間、体全身が蒸発するほどの絶大な熱量を持った光が、妾の体を焼き尽くした。ド級の光熱をうけて、屋敷はまるで蝋燭のように溶け去っていく。倒壊した屋敷の下敷きになりながら―――妾は消えゆく意識を朧げに掴んでいた。
慈悲無き教皇の一撃は、今の妾を滅するのにあまりにも十分すぎる破壊力であったのだ。
「やり過ぎだポルネローザ卿!!貴公は我らまで鮮血公ごと焼き払うおつもりか!」
「それに私は事前に生け捕りにするようにと指令をだしたはず!先走って兵を進めたのも含めて、貴公は勝手な行動が多すぎる!」
「これはこれは‥‥カトリーン殿。そう目くじらをたてずとも、鮮血公はまだ生きていますよ」
そう言って、ポルネローザは倒壊した瓦礫の山の中から乱雑にバドスを掘り起こすと、カトリーンの目の前に放り投げた。
「なっ…!」
「まぁ最も、この状態では長くはもたないでしょうが」
「‥‥」
体全身が焼けるように熱い。指一本ですら動かせぬとは‥‥妾ともあろうものが、こんな惨めな姿をさらすなど…。
「と、とにかく鮮血公を治療して聖都へと連行する。かつて聖都を蹂躙したこの者の罪は‥‥きちんと聖都の法にて裁かれなければならないからな」
「なんと、それは賛同しかねますね」
「なに?」
「鮮血公バドスは原種の血を引くとまで謳われる最上位の魔族です。ここで消しておかねば、またいつ聖都に牙を剥くか分かりませんよ」
そう吐き捨てて、ポルネローザは足元に転がるバドスの腹を踏みつけた。
「ぐはっ!!」
「ふむ、まだ叫ぶだけの余力もある様子。私の一撃を受けても未だに原型を保っていられるあたり、彼女はかつての力を徐々に取り戻しつつあるようですね」
「ポルネローザ卿!いくら相手が魔族と言えど…!」
「ご心配には及びませんよ、カトリーン殿――最期の一撃は一瞬で」
「痛みを感じる暇すら与えはしません」
カトリーンの言葉に聞く耳など持たず、ポルネローザは腰に刺さった細身のレイピアをバドスの脳天へと構えた。
「やめ‥‥ろ‥‥人間…風情が‥‥」
「待て、ポルネローザ卿!!」
「お覚悟―――鮮血公バドス」
ズブリ、とポルネローザの刃がバドスの脳天をえぐっていく。先ほどまで辛うじて息があったバドスも、この致命傷には耐えられない。耳を塞ぎたくなるような絶叫を上げた後―――ついにピタリと動かなくなってしまった。
真紅の大悪魔、鮮血公バドスとして世界を恐怖に陥れた彼女は―――こうしてその命を終えた。
「ギリギリセーフ、ってところかい?」
はずだった。
「貴様…は‥‥‥」
ありえない。何故だ…どうして、貴様がここに―――――。
「これはこれは―――予想外の客人もあったものです」
落雷と共に天より現れた正義の騎士。彼は一瞬にしてポルネローザのレイピアを弾き飛ばし、地面に打ち捨てられたバドスを優しく抱き寄せた。
「何故だ‥‥貴様はもう‥‥妾の眷属ではないというのに」
何故、こんな全てを捨てるような真似を―――。
「言ったはずだぜバドス、俺は正義の外征騎士だってな」
「俺の守りたい正義は、俺自身で決めるのさ」
「―――!」
ああ、本当にこの男は大バカ者だ。妾はお前のような男が命を懸けるのに値しない‥‥どう考えても不釣り合いな、暗く淀んだ怪物だというのに――――妾は心のどこかで、ヤツが助けに来てくれると信じていた。
一か月間ずっと―――ヤツのことを考えてしまっていたのだ。
「レオナール‥‥!」
「悪いなカトリーン、やっぱり俺は―――自分の心に嘘はつけねえ。生まれて初めて抱くことができたこの感情を、踏みにじりたくないんだ」
「‥‥キミの決意は変わらないんだな」
「ああ、俺は―――俺の全てをバドスに捧げる―――!!」
正義の外征騎士として、一人の男として―――本当に護りたいものを見つけた今のレオナールの心にもう陰りは無い。ただ愛するモノの為に命を賭す、それだけが彼の全て。他に理由など、要るはずも無かった。
「‥‥‥‥‥‥そうか」
「ならばもう―――――私はキミを友とは思わない!!」
「合わせろ、ポルネローザ卿!!私と貴公で‥‥レオナールを殺す!」
「これはこれは‥‥面倒ですが、まぁいいでしょう」
「来いよ、正義の外征騎士の力―――思う存分味合わせてやるぜ!!!」
外征騎士同士による壮絶な戦い。全てを殺す死神の一撃に、教皇の放つ規格外の聖光。そしてその悉くをたった一人で相殺する正義の雷。超常の力を有する彼らの戦いは、混沌を極め―――その場に集った数百人の騎士達は、ただ指をくわえて見ていることしかできなかった。
数時間を要しても、結局激闘に決着はつかず―――戦車の外征騎士ベルナルドの仲介によって、戦いの幕は強引に降ろされることとなる。
カトリーンの号令によって全ての兵は撤退し、すっかり陽も落ちた荒れた戦場にはレオナールとベルナルド、そして鮮血公バドスだけが取り残されていた。
「悪ぃな、ベルナルドのおっさん。アンタがカトリーンに加勢していれば、俺の命なんて簡単に奪えただろうに‥‥」
「馬鹿野郎、何が哀しくて同胞にむけて剣を振るわなくちゃならねぇんだよ」
「それよりお前‥‥本当にいいのか。このままだと、今まで積み上げて来た全てを手放すことになるぞ」
「ああ、もう決めたことだからな!」
「即答かよ‥‥」
「ったく――――なんていい眼をしてやがんだ」
きまりが悪そうに頭を掻きながら、ベルナルドは自らの愛馬に跨った。
「俺はもう行く、お前の代わりが務まる騎士なんてそういねぇだろうが―――まぁ、後釜のことは気にすんな。お前はお前だけの人生をしっかりと愉しめよ」
「ありがとう、アンタにはずっと――世話になりっぱなしだった」
小さくなっていくベルナルドの背を見つめながら、レオナールは静かに想いを馳せた。聖都での楽しかった思い出の数々、皆で苦労して突破した騎士団の通過儀礼――どれもこれもが色褪せない輝かしい宝物。きっと死ぬまで忘れない、最高の思い出だ。
だけど俺は―――そのすべてを投げうってでも、バドスと共に在りたい。そう思ってしまったのだ。
「相変わらずバカみたいな強さよな」
瓦礫の上にちょこんと腰かけながら、バドスは不意に呟いた。
「そっちこそ―――すごい回復力だな。もう傷が塞がってるじゃねえか」
「見た目だけだ、中はまだまだスカスカのボロボロのグチャグチャだからの」
「表現が拙い」
ほぼ擬音で誤魔化してるだけでは?
「そ、それより貴様‥‥さっきは‥‥その…」
「?」
「ほら…あれだ」
「たたた助けてくれて、その‥‥ありがとうの」
「正直もう駄目かと思っておったから‥‥本当にその‥‥嬉しかったぞ?」
頬を赤らめ、もじもじと恥ずかしそうに呟くバドス。緊張のあまり指と指を慌ただしく絡ませ合い、よく分からないことになっていた。
「‥‥なんてこった」
それはいけない。反則だ。そんな可愛すぎる姿を見せられては―――こっちも抑えが効かなくなってしまう。
「バドスーーー!!」
「ひやぁっ!?」
俺はバドスを思いっきり抱き上げて、お姫様抱っこのままぐるぐるとぶん回した。
「今すぐ結婚しようバドス!」
「な、何を言っとるんだ貴様あああ!?」
「え、もしかして嫌だった?」
「嫌ではないが!?」
「じゃあいいだろ!?」
「馬鹿者!ものには順序というものがあるのだ!」
バドスはレオナールに頭突きをお見舞いし、ふわりと彼の腕から舞い降りた。
「レオナールよ。貴様の覚悟を――――妾は今一度問いたい」
「何だよ、改まって」
「妾と共に道を歩むということは、正しき人の道から外れるということだ。時には石を投げられることもあるかもしれぬ。真っ当に生きていくことは難しいだろう」
「それでも貴様は、妾という巨大な枷を背負って生きていく覚悟はあるか」
「妾を絶対に離さぬと―――貴様らの信じる神とやらに誓えるか」
いつになく真剣な瞳で、バドスはレオナールをじっと見つめた。期待と恐れの入り混じった彼女の視線は熱く、冷ややかにレオナールの魂を射抜いている。
「ああ、勿論だとも。俺はこの先どんな試練が待ち受けていようが、絶対にアンタを離さない―――この命に代えてでも護って見せると誓う」
「それと‥‥」
「わ!?」
レオナールは自然な体運びで、グッと力強くバドスを抱き寄せた。
「アンタは俺にとって枷なんかでも何でもない、生きる希望をくれた光そのものだ。だから‥‥アンタも誓ってくれ」
「絶対に、俺の傍から離れないって」
「レオナール‥‥」
「分かったよ、妾も決してそなたを離さぬ。そなたに降りかかる火の粉は全て、妾が振り払ってやる」
済まぬ―――我が同胞たちよ。妾がお前たちの元へ逝くのは、少し後になるやもしれぬ。
強く、ただ強く、決してほどけぬように、二人はお互いを抱きしめ合った。静まり返った静寂なる夜。まるで世界には二人だけしかいなくなってしまったみたいで――――何もかもが止まって見える。
魔王の精鋭たる鮮血公バドス、聖都の外征騎士であるレオナール。正反対の立場に属する二人の運命は―――こうして一つに折り重なった。