第58話 女王の棺を暴く者
あの風変わりな男…レオナールと出会ったあの日のことを、妾は今でも鮮明に覚えている。
かつての我が主 魔王ルドニールは、聖都の軍勢の前に敗れ去った。断っておくが、決して彼女の力が聖都の連中に劣っていた訳ではない。ルドニールは文字通り魔族の王に相応しい力と才能を持っていた。力と富と血、権力にモノを言わせる原種どもとはまるで違う。正しき大義の為だけにその力を振るう、真に優れた英雄であった。悠久の時が経った今も尚…彼女が存命であればと物思いに耽らぬ日は無い。彼女は我ら魔族にとっての光だった。
ああ……だからこそ、妾は決して聖都の連中を許さぬ。妾の光を奪った人間ども、そして最後の最後でルドニールを裏切った愚かな公王たちを―――妾は決して許しはしない。ルドニールが死んだあの日、妾はそう心に誓った。
今すぐにでも奴らを殺してやりたかったが、妾も馬鹿ではない。一度眠りについて力を蓄え、完全に魔力を回復させてからじっくりと嬲り殺しにしてやる。妾は大戦の後に表舞台から姿を消し、誰にも悟られぬようにひっそりと眠りについた。棺に入り、ゆっくりと瞳を閉じる。
「せいぜい束の間の幸せを享受しているがいい愚かな人間どもよ。妾が再び目覚めた時、今度こそ地上から貴様ら下等生物を根絶やしにしてやろう」
ああ、目覚めの時が楽しみでたまらない。妾は怒りと期待と焦燥感に呑まれながら意識を暗闇の中へと委ねた。
「案外重いな、この棺。よっこらせ―――と」
ギィィィ‥‥と音を立てて石の棺の蓋が開く。
妾が眠りについて270年ほど経ったころ、今から約30年前に――妾の棺は一人の男の手によって乱暴にこじ開けられた。
「どれだけ頑丈な造りなんだよ、これ」
まるでちゃぶ台を返すかのように、男は妾の棺の蓋を吹き飛ばした。
「・・・」
棺の封はついに切られた。冷たい外界の空気が、横たわる妾の体をひんやりと包み込んでいく。死体のように固まりきった筋肉が息を吹き返し、心地よく意識が目覚め始める。悠久の眠りから解放され、肉体が喜びに溢れているのが面白いほどに感じられた。万全の状態とは言えぬが、力もかなり回復したようだ。
空気を求めて水面へあえぐ幼子のように‥‥むくり、と身体を起き上がらせてゆっくりと天を仰ぐ。その瞬間、朽ちてボロボロになったヒビだらけの天井の様子が目に飛び込んできた。
「‥‥」
豪華絢爛な装飾で彩られていたはずの妾の城は見る影も無く荒れ果て、膨大な時が流れたということを嫌というほど実感させられる。目を閉じ、次に開いた時にはもう…そこは妾の知る世界ではなかった。
「生き残ったのは妾だけ、か」
かつての同胞たちは、この時代にはもう‥‥。
「コイツは驚いた!まさか本当に中身が入っていたとはな!」
不快な男の声が、鼓膜を下品に震わせる。正常な感覚が戻り始めるにつれて、バドスの理解はようやく現状へと追いついた。
「誰だ貴様」
思考がそのまま、するりと口から飛び出してくる。妾の棺をさも当然のことのようにブチ開けたこの男‥‥こいつは一体何なのだ。
「俺?俺はレオナールってんだ。この古びた城に恐ろしい魔物が眠っていると噂を聞いてやって来たんだが‥‥」
「もしかして、アンタがその恐ろしい魔物だったりする?」
全く臆する様子もなく、男は飄々と答えた。
「・・・」
聖都の紋章が刻まれた軽装の鎧に、腰に携えた剣――身なりから察するに、こいつは間違いなく聖都の騎士だろう。フン、妾を倒すためにノコノコとこんな辺境の地にまでやって来たというのか。しかも仲間を連れずたった一人で来るとは…よほど手柄を独り占めしたいと見える。
「いかにも―――妾は魔王ルドニールの腹心にして真紅の悪魔と恐れられた終末の公王、鮮血公バドス・バルタザールである」
「鮮血公バドス‥‥へぇ、アンタが」
「ほう?妾の名を聞いても逃げ出さぬとは、中々に見どころがあるではないか。その蛮勇に免じて、今すぐ立ち去るのであれば見逃してやってもよいぞ?」
「いや、別にいいよ ここでアンタを放っておいたらマズいことになりそうだし」
「それに―――俺は多分、アンタより強いからさ。逃げる理由が見当たらねー」
男はそう言って、剣を構えた。
「フハハハハ!妾より強い、ときたか。ならばその思い上がった自尊心をズタズタに切り裂いてやろう!」
「“女王の血棘!”」
バドスの一撃を皮切りに、両雄は激突する。雑魚一匹など…どうせ一撃でケリがつく、そう踏んでいたバドスの予想を大きく裏切り、レオナールの実力は想像以上のものであった。鮮血公バドスと謎の騎士レオナール―――誰も知らぬ忘れられた廃城での両者の激闘は、三日三晩に及んだ。周囲の地形を変えてしまうほどの戦いの末、ついに両者は倒れ―――騎士と悪魔の死闘は相打ちという形で幕を閉じる。
「いやァ―――つえーなアンタ」
堂々と胸を開いて大地に仰向けになりながら、レオナールは満足げに呟く。聖なる加護を受けた鎧は粉々に砕け、半裸の上半身に刻み込まれた無数の生傷がいかに壮絶な戦いであったかを物語っている。肉体はとうに限界を超え、死の一歩手前といえるほどに消耗しきっていた。
そんな危機的な状況であるのに―――彼の顔は、少し笑っていた。
「貴様こそ―――人間にしてはやるではないか‥‥妾に食い下がるなど、見下げ果てた根性だぞ」
死に体であるのはバドスも同じだった。大地に背を預け、血濡れの体で静かに天を見上げている。
「俺は多分このまま死ぬだろうが‥‥アンタ、これからどうするんだ」
しばらくの沈黙の後、かすれた声でレオナールは問いかけた。
「貴様のせいで力の大部分を消耗してしまった、もう数百年ほど眠りにつかなければ消滅してしまうだろう。業腹だが…妾の計画は、次の数百年に持ち越しだ」
「そうか‥‥全く、俺は遠い未来にとんでもなく厄介な仕事を押し付けてしまったみたいだぜ」
悠久の時を経てようやく蘇ったというのに、この男のせいで全てが徒労に終わった。目覚めた三日後に再び眠りにつかなければならないなど‥‥滑稽にもほどがある。
だが―――不思議なことに、怒りや、恨めしさ、憎しみなどの負の感情は一切バドスの心にはこみ上げてこなかった。そんなことがどうでも良くなってしまうほど、彼女は疲弊し、強敵との戦いを経て満たされてしまっていたのだ。
「―――――」
数十分が経過し、ようやく魔力が回復し始めた。バドスはやっとの思いで立ち上がると力無く横たわるレオナールに目をやった。
「あれほど強壮な騎士であろうと、やはり人間。魔族のような再生能力は持ち合わせておらぬか」
一度壊れてしまえばもう二度とは治らない。人間とは何と脆く、儚い生き物なのだろう。今まで多くの人間を葬ってきたが、こんな気持ちになったのは初めてだ。この男は、殺してしまうにはあまりに惜しい逸材‥‥うまく利用すれば、上質な妾の下僕に成り得るかもしれぬ。
「フフ、良いことを思いついた」
大層上機嫌な様子で、バドスは固く瞳を閉じたレオナールの首筋に牙を立てた。
「その類いまれなる力―――妾の為に死ぬまで役立ててもらうぞ」
「ん‥‥」
美しい鳥のさえずりが、真っさらな一日の始まりを告げる。窓から差し込んだ日差しは暖かく部屋の中を照らしており、文句のつけようがないほど心地の良い目覚めを提供してくれた。フカフカのベッドからゆっくりと体を起こし、寝ぼけた頭のままぼーっと窓から外の景色を眺めていると―――何やら扉の向こうから軽やかな足音が響き渡って来た。
「おお、ようやく目が覚めたか。このまま目覚めなければ危うく魔物の腸につめて喰ってしまうところだったぞ?」
「・・・」
やけに猟奇的な朝の挨拶を交わしてきた彼女の顔を見て、寝ぼけていた俺の脳は完全に覚醒した。
「ええっと、えー‥‥ちょっと待ってくれ」
「どうかしたのか?」
「どうかしたのか?じゃねえ!何なんだこの状況は!?何故俺は殺し合っていたハズのアンタにこんな小奇麗な屋敷で介抱されてんだ?!」
つーか、何で生きてんだよ俺!
「そりゃあ貴様は妾の眷属なのだから、主である妾が面倒を見るのは当然である」
「ちなみにこのビューティフルな屋敷は妾が魔法で造ったのだ!すごかろう?」
「眷属だぁ?!」
ビューティフルな屋敷なんかどうでもいい、何だ眷属って――!
「妾は吸血種の魔族でな。血を吸ったモノを自らの下僕とすることができる」
「貴様との戦いで消耗した魔力を取り戻すためにもう一度眠りについても良かったのだが‥‥人間離れした力をもつ貴様から力を奪った方が早そうだったから、ちと吸わせてもらったという訳だ」
おいおい話が飛躍しすぎだろ…全く理解できねぇ――!
「じゃあ俺はもう人間じゃないってことか?!」
「何をもって人間とするかの定義が良く分からぬが……妾に血を吸われた者は皆、人の血が吸いたくなるらしいぞ?」
「いやそれもう吸血鬼じゃねーか!」
こんな体で聖都になんか戻れねーぞ‥‥!
「そう怒るな。もし妾が血を吸っていなければ、貴様はあのまま死を待つだけだったのだ。妾が血を吸い、貴様の肉体を魔族のモノへと近づけたが故に‥‥貴様は今ものうのうと生きていられるのだからな」
「‥‥」
確かに、あの傷では俺は助かりようがなかった。今こうして生きていられるのは、ヤツに血を吸われて眷属になったお陰かもしれない。図らずも俺は、彼女に命を救われたという訳だが‥‥。
「なぁ鮮血公さんよ、俺が元の人間に戻る方法ってのはねーのか?」
「外見上の変化は一切ねーから、そっちは問題ないが‥‥人の血を吸いたくなるというのはいただけない」
もし聖都の仲間の血を吸っちまいでもしたら、聖都が魔族だらけになっちまう。
「無い、諦めよ。そんなことより作戦会議だ我が眷属よ」
レオナールの問いにまるで興味が無いように一蹴すると、バドスは何やら古びた地図のようなものをテーブルいっぱいに広げた。
「これは―――!」
見たことは無いが、間違いない。これは聖都グランエルディア創造の際に用いられたという遥か太古の図面‥‥いうなれば、聖都の設計図だ。聖都の構造や区画が事細かに記載されているだけでなく、どこに侵入者用の結界が仕掛けられているかまで全て網羅されている。まさに神々の遺産。値打ちなど到底付けられないほどに価値のある代物だ。
「アンタこれどこで手に入れたんだ!?」
「ほう、貴様もこの図面の価値が分かるのだな」
「たりめーだ!図面の原本は聖王が管理してっから、これは多分大昔に造られた複製だろうけど―――それでもド級の宝物であることに変わりはない」
「正直、実在していたことにも驚きを隠せないくらいだぜ…」
神話の時代から現代まで脈々と受け継がれてきたこの図面を、何故こいつが…?
「これはルドニールから預かったものでな。聖都を攻略する際の切り札として利用していたのだ」
「ルドニール‥‥270年くらい前に現れたっちゅー魔王か」
通常、魔王は数百年に一度の周期でユフテルに現れると言われているが魔王ルドニールだけは別だった。確か前の魔王が勇者に倒されてから、たった数年後にいきなり現れたってどっかの書物に書いてあったな。前の魔王から受けた被害から復興中だった聖都を何度も執拗に襲い、甚大な被害をもたらしたとか―――。
「それで、アンタはその遺志を継いで魔王にでもなろうってつもりかい?」
「フ、別に妾は魔王になりたいわけではない。アレはなろうと思ってなれるものではないからな」
「妾はただ、あの醜い人間どもの巣窟。聖都グランエルディアを滅ぼしたいだけよ」
邪悪な微笑みと共に、バドスは自らの目的をレオナールに告げた。
「‥‥」
「フフ、抗おうとしても無駄だぞ。妾の眷属となった時点で、貴様は本能的に妾を攻撃することができなくなっているからの」
「――なるほどな」
さっきから何度も剣を抜こうとしているが、どうしてか腕に力が入らなかったのもそれが原因か。彼女に危害を加えることを、俺の本能と肉体が全力で拒否している。幸いなことに思考までは毒されていないようだが…それもいつまでもつかは分からないな…。
「妾は明日、日が落ちると共に聖都へと乗り込む。その間貴様は陽動として、敵の眼を引きつけるのだ」
「その前に一つ聞きてぇんだけど。アンタ、一度でも聖都に足を踏み入れたことはあるのか?」
「貴様、妾をなめているのか?妾は終末の公王が一人、鮮血公バドスぞ?聖都への侵略など、それこそ何十回と‥‥」
「それは何百年も前の話だろ?俺が言いたいのは、今の聖都を知ってんのかってことだ」
「‥‥」
それは―――無い。と、バドスは静かに呟いた。
「なら一度、一緒に聖都へ行こう」
「あ!侵略に行くんじゃねえぞ?あくまで様子を見に行くだけだからな」
「何故そんな無駄なことを妾がしなければならぬのだ」
「まぁ聞けよ」
心底嫌そうに吐き捨てるバドスをなだめるように、レオナールは続けた。
「270年もたちゃあ防衛隊の位置や、結界の強度、騎士の巡回ルートなども大きく変わってる。正面から乗り込むにしても、一度偵察に赴いてしっかり中の様子を見といた方がいいんじゃねぇか?」
「―――確かに、貴様の言うことは一理ある」
「あの醜悪な都にもう一度足を踏み入れるのは心底気が引けるが…まぁよかろう」
そう言ってバドスは部屋の窓を開けると、大きく身を乗り出し――こちらに手を差し伸べた。
「ほれ、手をとるがいい。特別に妾が聖都まで連れていってやろう」
「連れてくって‥‥もしかして飛んでくの?」
「つーか、今から行くの?」
他に何がある?と、バドスは少し不機嫌な様子でこちらを睨んだ。ちょっとイラついてるのか、背中のコウモリみたいな羽をパタパタと大きく揺らしていた。
「…」
こちらか話を切り出した手前、ここで引き下がるわけには行かない。レオナールは勇気を振り絞り、バドスの手を力強く握りしめる。ぐいっと吸い込まれるように腕をひかれ、まるで大樽でも抱えるかのようにバドスの体にしっかりとつかまった。
「では行くぞ!」
ビュウっと、強い風が全身を覆ったかと思うと―――レオナールの意識は一瞬にして暗闇の中へと落ちてしまった。
「ゼェ、ゼェ、ゼェ‥‥」
死ぬ、かと、思った。
「何だ、高い所が苦手だったのか?フフ、意外と可愛いところもあるではないか」
まさか風圧で頬が切れるくらいのスピードがでるとは思わなかった。どれだけ距離があろうと、帰りは絶対に歩いて帰ってやる。
「まぁいい。とにかく中に入ろう、ほらこっち来て」
「おい貴様、そっちは要人専用の入り口だろう?妾達は利用できぬのではないか?」
門の前に立つ屈強な巨人の門番を警戒するように、バドスはレオナールへと静かに尋ねた。しかし、彼はそんな言葉が聞こえていないかのように、さっさと先へ進んでしまう。
そして、彼女の問いかけへの答えを言葉ではなく、行動をもって指し示した。
「ご苦労さん、お二人とも。ご客人と一緒なんだが…入れてくれるか?」
「勿論です、正義の外征騎士レオナール様」
レオナールの姿を一目見ると、巨人たちは巨大な門を力一杯にこじ開けた。唸りを上げるような地響きと共に開かれた門を、レオナールは何も言わずバドスの手を引いて歩き出す。
「まさか、貴様があの外征騎士だったとはな‥‥どうりで腕がたつ訳だ」
「アンタには負けてしまったけどな。これじゃ外征騎士失格だぜ全く」
巨大な門番に見守られながら、二人は聖都の内部へと足を踏み入れた。