第57話 女王たる者
「――――ん……あれ、私‥‥」
結界の中で寝かされていた一人の女が目を覚ました。
女の名はパルミア。バドスに血を吸われ、死んだはずの彼女は横たわっていた体をむくりと起き上がらせる。
「‥‥生きてる?」
私は確かに彼女へ血を捧げた、なのにどうして私は生きているのだろう。まさか質の悪い夢でも見ているんじゃ‥‥。そう思って頬を引っ張ってみるも、やはり痛い。恐る恐る首筋を触ってみると―――。
「痛っ」
そこにはくっきりと、バドスの歯形が刻まれていた。
「夢じゃない。ということはバドス様は今もエルネスタと‥‥」
こうしてはいられない。急いで彼女の元に馳せ参じなければ…!しかし、今にも飛び出そうとする彼女の行く手を、ドーム状の結界が阻んでいる。直径3m、高さ3m程の簡易的な防御結界だが、あの鮮血公が作ったのだから性能はピカイチだ。今の私では到底破壊することなどできなかった。
「バドス様…」
バドス様は私から完全には血を吸わなかった。力の一部だけを吸い上げ、死なない程度に加減をしたに違いない。この結界は私を護ると同時に、目を覚ました私がエルネスタのもとへ向かわぬように閉じ込める檻の役割も兼ねているのだ。
「戦況はどうなっているのでしょうか‥‥」
結界の中から周囲を見渡すと―――遠くに凄まじい戦いを繰り広げるバドスとエルネスタの姿が確認できた。
「バドス様!」
雷神と真紅の悪魔が真っ向から衝突し、互いに火花を散らせている。遠目で見てもはっきりと分かるほど‥‥真紅の悪魔は圧されていた。私の血を完全に吸っていれば、エルネスタに後れを取ることは無かっただろうに‥‥。
「やはり貴女はあの日から―――レイロードと出会ったあの日から、もはや鮮血公では無くなってしまったのですね」
「降り来よ、“飛雷神”」
エルネスタの呼応に反応し、一筋の超火力の雷が天より降り注ぐ。直径30mの極太レーザーを思わせるその規格外の一撃は、遥か上空より飛来する雷神そのもの。詠唱してから発動するまでのタイムラグは僅か0.1秒。回避などできるはずがなかった。
「ちィッ!!」
魔力を全て防御に回し、完全な護りに入ったバドスの体にエルネスタの一撃が降り注ぐ。
目も眩む閃光と、激しい落雷の轟音。“飛雷神”の持続する1分間のあいだ、二つの現象は絶え間なく周囲に発現し続けた。
「ぐッ!!」
天からの雷はバドスの体を無慈悲に穿ち続け、ついに彼女は地面に膝をついた。
「ハァ、ハァ―――」
「今の一撃を受けてなお、まだ息があるとは…流石鮮血公と言ったところか」
「“女王の血棘!”」
嘲笑うエルネスタに向けて、無数の血の槍が棘のように吹き荒れる…!
「“嘶く雷鳴”」
しかし、その全てを雷の神獣が蹴散らしていく。
「ええい!厄介な技ばかり使いおって―――!」
エルネスタの祝福“白光神威”が発動した瞬間、ヤツの戦闘能力は格段に向上した。さっきまでは妾の攻撃を見ればすぐに回避していたのに、今となっては正面から打ち砕いてきおるではないか…!
「血の量が足りぬ…長引けばこちらが不利になるか‥‥!」
このままでは埒が明かない。多少リスクを負ってでも、勝負をつけさせてもらう!
「出でよ我が血、我が力。鮮血公の名のもとに、今こそ我が威光を知らしめる時だ!!」
バドスは大きく両手を広げ、手のひらから真紅の血を大量に滴らせた。ドロドロと零れ落ちる血はどんどん周囲に広がって行き、ついにはバドスを中心として数十mの地面をおどろおどろしい血の池に変えてしまった。
「何をするつもりかは知らぬが…この圧倒的なオーラ。どうやら切り札を出してきたようだな」
ならばこちらも出し惜しみはすまい、とエルネスタは独り言のように呟いて剣を天高く掲げた。
「この刃に眠る雷龍の力を以て…今こそ貴様を滅ぼさん。覚悟せよ、鮮血公」
「滅ぶのは妾ではなく、貴様の方よ!!」
「全てを呑み込め!アンガルク・リヴ・ヴェーレ!!」
鮮血公の掛け声と共に、周囲の血の海が一斉にエルネスタへと襲い掛かる。濁流のような勢いで流れ込む鮮血は、触れたもの全てを呪い、体中から血を奪い取ってしまう悪魔の波。
流体であるこの血の波は、エルネスタの技をもってしても破壊することは不可能であった。
「こんな技を隠していたとはな―――!」
「さぁ、目覚めよ雷龍イクシード!あの絶望の波を、見事撃ち破って見せろ!!」
閃光と共に、エルネスタの刃から巨大な龍が雷と共に姿を現す。
「ガアアアアアアアア!!!!」
雷龍イクシード。かつてエルネスタが仕留めた強大なる雷の龍。エルネスタが扱う白光神威は、この龍との戦いで顕現したという。エルネスタの力の在り方は、この強壮なる龍の影響を大きく受けていた。
「神のしもべであろうと、我が鮮血からは逃れられぬ―――!!」
長い尾でエルネスタを護りながら、全てを呑み込む血の荒波にイクシードは真正面から突撃した。鮮血の海を進み、バドスの心臓だけを必死に見据えている。
「来るか‥‥!」
血の棘を無数に作り出し、イクシードへと放出する。雷龍は回避すらせず、全ての攻撃を受け止めながら突き進んでくる。
「ガアア!」
どれだけ肉がえぐれようとイクシードは止まらない。ならば二度と動けぬように―――首を刎ねるまで。
「堕ちよ」
バドスがそう呟いた瞬間、鮮血の海から超高圧の血が噴き出しイクシードの首を切り裂いた。
「ガアアアッ――――」
巨大な龍の頭は、胴体からバッサリと切り離され―――血の海に沈んでいった。
「ハッ、あっけないのう!雷龍といえど、所詮は‥‥」
「よくやった、イクシード。お前の作った“道”は無駄ではなかったぞ」
それは、刹那の出来事であった。
イクシードが突き進み、巨大な穴が開いた鮮血の波の間から‥‥エルネスタはまるでレーザーのような雷を、バドス目掛けて撃ち放った。
「ッ!!!」
ズブリ、と雷はバドスの胸部を貫通する。何が起こったのか理解できぬまま、彼女はその場にあっけなく膝をついてしまう。
「ごはッ…」
バドスの意識が弱まったことで、鮮血の海が縮小していき―――やがて一滴も残らぬほどに干からびてしまった。
「イクシードに意識を割きすぎたな、鮮血公」
肩で息をしながら、エルネスタはゆっくりとバドスの元へ歩み寄る。今の一撃は、彼女にとっても賭けだった。もしあの一撃を回避されたら、鮮血の海に呑まれて命は無かったのだから。その証拠に、彼女の両腕の鎧は鮮血によって溶かされてしまい、彼女の素肌が剥き出しの状態になっている。
あと一秒バドスを穿つのが遅ければ、干からびていたのは彼女の方であっただろう。
「おのれ―――妾に膝をつかせるなど‥‥」
反撃をしようと顔をあげるバドス。しかし、彼女の前に立ち塞がっていたのはただひたすらの絶望であった。
「死ね、汚らわしい魔族よ」
一切の慈悲は無かった。最期の言葉すら遺すことなど決して許しはしない。
エルネスタは眼にもとまらぬ閃光の如きスピードで、バドスの首を貫いた。
「がッ‥‥」
鋭い痛みが全身を駆け巡る。意識が朦朧とし、やがてバドスは力無く地面へと倒れ込んだ。自らの血で顔を汚しながら、バドスは死にゆく脳でぼんやりとエルネスタを見つめていた。
「‥‥」
これが死か。妾ともあろう者が、道半ばにして無様に死に絶えるのか。
ああ、だが妾は甘んじて受け入れよう。これはきっと、お前達を裏切った妾に対する天罰なのだ。我が愛すべきレオナールとスレインよ、本当にすまなかった。妾はこの通り無様に死ぬ。
だからせめて、あの世でだけは…そなた達と一緒に居ることを許してはくれないか。
「レオナール…スレイン‥‥妾はそなた達を…愛していたのだ」