第34話 不穏な風向き
ビオニエの町を出発して数時間後。一行は馬車に揺られて聖都を目指していた。
「ヘイゼルの髪とっても綺麗だね。ねぇ、ちょっと触っていい?」
「あ、ちょ‥‥ひゃ!?」
「手!手が首に当たってる!冷たいって!」
「ヘイゼルって結構体温高いんだね。暖かくて気持ちいいな」
「やっ!ちょっと待ってってば!」
「尊い」
運転座席にいる僕からは見えないけれど、扉一枚隔てた後ろのキャリッジの中から随分楽しそうな声が聞こえてくる。声の感じから察するに、ヘイゼルとリリィがじゃれあっているのだろうか。最後に聞こえた“尊い”は考えるまでもなくエイミーのものだろうし。
馬車を引いている馬の手綱を離して今すぐにでも見に行きたいけれど、運転係を任された以上、そういう訳にもいかない。思春期男子の好奇心を押し殺して、僕は真っ直ぐに前を見据えた。
「リリィの話じゃ、道なりに進んでいれば大丈夫だって話だったけど」
町を出てしばらく経つが、だだっ広い草原が広がっているばかりで、村や町などが一切見当たらない。夜までにはどこかで一休みしたいんだけどなぁ。
「少し疲れて来たし、あそこの木陰で休憩するか」
僕は大きな木の陰へ馬車を停止させた。
「一旦休憩!飯にでもしよう!」
「あら、もうそんな時間?」
「ううう、ずっとキャリッジの中にいたからお尻が痛くなっちゃったよ‥‥」
キャリッジからぞろぞろと出て来たヘイゼルたちは、ぐーんと体を伸ばし、緑の生い茂る地面へと腰を下ろした。
「うわー!でっかい木ですね!」
「大きな猿の魔物とか襲ってきたらどうします?」
「さらっとトラウマ呼び起こすんじゃねえ」
涼しい顔して何てこと言いやがるんだよこの妖精は。
「早く食べようよ、ジル!」
「ボクもうお腹ぺこぺこだよ‥‥!」
僕たちはビオニエで大量に仕入れた食料をそれぞれで分けて食べた。酒場で食べたものよりも味は落ちるが、それでも香辛料のよくきいた鶏肉は絶品であった。
「はぁー!食った食った!!」
少し膨らんだお腹をポンっと叩きながら、エイミーは幸せそうに笑った。相変わらずおっさんみたいな仕草は変わらないな。
「ここにあま~い果実酒があれば最高なんだけどな~!」
「いいわねそれ‥‥次の町ではお酒も買いためておきましょう」
「馬車に揺られながらお月見とかしてみたいです!!」
ガールズトークというには、いささか渋めの話題で盛り上がっている御三方。
ユフテルには飲酒の制限が特に無いので、比較的若い年齢層でも飲むことができるが‥‥恐らく彼女たちは嗜むというより、浴びるように飲むタイプだろう。実際昨日の宴会では、エイミーとヘイゼルは馬鹿みたいに飲みまくってたんだし。
「聖都まで食料がもつと良いけど‥‥」
休憩を済ませ、僕たちは再び馬車へと乗り込む。運転は交代で行うことになり、次はヘイゼルが手綱を握った。
「・・・」
小鳥のさえずりと、馬車の揺れが心地良い。少し目を閉じただけで、僕は深い眠りについてしまった。
~数時間後~
「様‥‥」
「ジル様‥‥」
「ん」
僕の体を揺らしながら、エイミーの声が脳内に響き渡る。
「ふわぁ…おはよ、エイミー」
「はい、おはようございますジル様」
「もう外真っ暗だけどね」
「え、僕そんなに寝てたの?」
ヘイゼルに言われて窓から外を見ると周囲はもう、真っ暗であった。確かに、ご飯を食べた後の記憶はほとんどないな。
「すごくイビキをかいてたし、疲れてたんだと思うよ」
そう言って、リリィは汗ばんでいた僕の額を小さなハンカチで拭った。彼女のハンカチはとてもいい香りで、拭われた箇所はとても冷ややかな感触が残り‥‥すごく気持ちがいい。控えめに言って最高だ。
馬車のキャリッジ内にはエイミーとヘイゼル、リリィの三人が集結していた。暖かなランタンがゆらゆらと炎を揺らしながら周囲を照らしている。
「実はジル様が眠っている間に少し厄介なことが起こりまして」
「え?」
厄介なこと?
「さっき、聖都の魔導聞録を見たんだけど」
「まどうぶんろく?」
なんだそれ?
「知らないの?」
そう言ってリリィは、少し大きな手帳のようなものを取り出した。
「何も書かれていないみたいだけど」
手帳の中は白紙で、どのページにも何も書かれていない。これに一体何の意味があるのだろうか。
「コード・エルディア」
リリィがそう呟くと、白紙だったページに続々と文字が浮かび上がってきた。
「!?」
「ふふ、凄いでしょ」
「自分の気になる町の名前をコードとして唱えると、その町が発信している情報がどこででも見られるんだ」
「すげえ!」
流石ファンタジー!!
「それで、何の話だっけ?」
「厄介な事態になったって話ですよ!」
「ああ、そうだそうだ」
「今日、聖都で勇者を名乗る冒険者の一団が処刑されたらしいんだ」
「ええ!?」
処刑!?
「何で勇者を名乗る人間が処刑されるんだ!?」
勇者って普通、誰からも歓迎されるヒーローみたいな存在なんじゃないのか?
「記事によると、グランエルディアでは勇者の存在を否定する声が多く上がっているらしい」
「勇者は民主を惑わす魔王の手先、真に世界を救うのは聖都の騎士達である、と」
「全く!たまたま魔王に勝てたからって好き勝手言って!世界を救うのは紛れもない、勇者ジルフィーネ様です!」
記事に怒っても仕方ないが、僕もエイミーとは同意見だ。処刑だけでなく、悪魔の手先呼ばわりなんていくらなんでもひどすぎる。
「聖都の連中の肩を持つわけじゃないけど、彼らの言い分にも‥‥ある程度の筋は通っているわ」
窓から外の景色を眺めたままヘイゼルは呟いた。
「およそ300年前、魔王ルドニールが現れ世界が恐怖のどん底に叩き落された時。勇者は現れなかった」
「結局、魔王を倒すために血を流したのは聖都の騎士達と八人の賢者たちだけ。それ以来、聖都の連中の一部は勇者伝説を否定し、自分たちだけの力でユフテルを守護していくと誓うようになったのよ」
まるで歴史を直接見て来たかのように、彼女の言葉には確かな重みを感じられた。確かに彼女の言うことも分かるが、だからって弾圧するのはやりすぎだろう。
「‥‥詳しいんですね」
「長生きしてると、多少はね」
「つまり、今の聖都に向かっても勇者として認めてはもらえないってことか?」
「まぁ、そうなるでしょうね」
「聖都に協力を仰ぐことができないとなると‥‥うむむむ、どうすれば‥‥」
分かりやすく頭を抱え込むエイミー。聖都に認めてもらえないのであれば、僕たちの計画は一瞬にして白紙へと戻る。もう一度、一から作戦を立て直さなければいけない。
キャリッジ内に、しばらくの沈黙が訪れた。
「そうだ!」
「八人の賢者……!彼らに会えばいいんだ!」
不穏な空気をぶち破るかのように、リリィが声を上げた。
「かつてグランエルディアと肩を並べて魔王と戦った彼らにお墨付きをもらうことが出来れば、聖都の人たちにも認めてもらえるかもしれない!」
「おお!!ナイスアイディアです!リリィさん!!」
立ち上がり、興奮気味にハイタッチをかわす二人。先程とはうって代わり、その表情は明るくはつらつとしたものであった。
「八賢者か‥‥一体何処に居るのやら」
「ふふ、安心して!」
「実はボクに一つ心当たりがあるんだ」
そう言って、リリィはニタリと笑う。どうやら考え無しに言っている訳ではなさそうだ。
「心当たりって?」
「今日はもう遅いから、明日の朝に皆に伝えるよ」
「じゃあ、次の目的地は聖都では無く、その八賢者とかいう人たちがいるところって認識でいいのか?」
「うん、そういうこと!」
「何だか遠回りしてる感は否めませんが‥‥仕方ない、頑張るとしましょう!」
一応の目標が定まったところで、ひとまず会議はお開きになり皆が就寝準備に入る。男の僕は当然、キャリッジからは追い出され運転座席で眠ることとなった。
「・・・・」
生暖かい夜風に吹かれながら、ジルはぼーっと遠くを眺めていた。何故か全く眠くない‥‥くそ、昼間にあんなに眠るんじゃなかった。
「まだ起きてたんですか?」
「エイミー?」
こっそりとキャリッジから出て来たエイミーは、僕の隣へちょこんと腰を下ろした。
「まぁ、そんなところ」
「考えなしにあんな日中に寝るからですよ」
「疲れてたんだから仕方ないだろ?」
考え無しに眠ったのではなく、考える暇もなく睡魔に襲われてしまったのだ。最も、今は悩み事だらけでどこか落ち着かず、ちっとも眠くないが。
「なぁ、エイミー」
「エイミーは僕を勇者として信じてくれているみたいだけど‥‥勇者って、本当に必要なのかな」
「どういう意味ですか?」
僕の顔を覗き込むようにして、エイミーが尋ねる。なぜそんな事を聞くのか、と不思議そうな顔をしていた。
「さっきの話を聞いて思ったんだ」
「魔王がこの世界に現れたとしても、外征騎士や他の騎士達で対処できるならそれに越したことはないんじゃないかって」
別に無理に勇者として認めてもらわなくてもいい。勇者の存在が無くても、魔王を倒せるならそれでいいんじゃないのか?魔王ガイアを倒すという“行為”自体が求められているのであって、実行するのは誰でもいいはずだ。それならそれで、僕はまた別の立ち回りをすればいいだけだし。
「それは希望的観測です、ジル様」
「今の聖都の戦力では、この先復活するであろう魔王ガイアの軍勢には絶対に敵わない」
真剣な、冷酷な面持ちでエイミーはきっぱりと言い切った。
「約300年前に彼らが倒したという魔王ルドニールと、これより復活する魔王ガイア‥‥同じ魔王でも、彼らの力には圧倒的な差があります」
「何とかルドニールを凌いでいた程度の実力では、決してガイアには勝てない。必ず勇者であるジル様の力が必要になるんです」
「どうしてそこまで言い切れるんだ」
「それは‥‥」
少し表情を曇らせるエイミー。目線を下げ、途端に暗い表情になってしまった。僕が勇者であるということを頑なに否定しなかった彼女にしては、珍しいネガティブな反応であった。
「と、ともかく!現実世界からこの世界へ送り込まれた唯一のプレイヤーであるジル様が魔王ガイアを倒さないと意味がないんです!」
「じゃあ私はもう寝ますから!ジル様も夜更かししてはダメですからね!」
逃げるように足早で、エイミーはさっさとキャリッジの中へと引っ込んでしまった。静かな夜の世界に、僕はまた一人ポツンと取り残されてしまったようだ。
「はぁ‥‥」
もやもやすることばかりで胸が気持ち悪いが、今日の所は考えても仕方ない、こういう時はすぐ寝てしまうに限る。纏まらない思考を強制的にシャットダウンするように、僕は再び目を閉じ、強引に夢の世界へと旅立った。