第30話 原種の力
「何もしなくていい‥‥ですって?」
本気なのか、とヘイゼルはジルへと問い返す。この場に居る誰よりも弱い少年が、あの怪物を倒せるはずがない。
「うん」
「むしろ、少し離れていてくれた方がいいかも」
タイタンワームを見上げたまま、ジルはきっぱりと言い放つ。
ジルが本当にこの状況の危うさを理解できているのか定ではないが、しかし‥‥彼の言葉には絶対的な自信が満ち溢れていた。
その様子から察するに、どうやら何か策があるようだが―――。
「ジル様、<神刻>はもう使用できません」
「今の貴方のお力で、一体どうやってあの怪物を‥‥」
「“この肉体が持つ本来の力”を借りる」
「アバター本来の力‥‥」
「あばたー?」
この世界の住人であるヘイゼルにはピンときていないようだったけど―――管理者側のAIであるエイミーは、僕の言葉の意味を理解していた。
エイミーの話を信じるなら、僕は無限に溢れかえるユフテルのユーザーから“何故か”勇者として選ばれてしまい、今の肉体をあてがわれた。
しかし‥‥ふたを開けてみれば、世界を救う勇者とはとても思えないほどに、この肉体は弱かった。エイミーからは芋虫程度の魔力と馬鹿にされ、<神刻>というチート魔法が無ければヘイゼルと戦うことすらできない程の力しか持ち合わせていなかったのだ。
人類の命運とかいう重荷を勝手に僕に押し付けた癖に、戦うために与えてくれたのは‥‥こんな弱っちい肉体と、よくしゃべる妖精一人だけ。
意気地なしの僕の魂に、一般人並みの能力しか持たない肉体―――こんなに悲しくなるほど残念な組み合わせで、どうやって世界を救えというのか。
世界は選ぶ人間を間違えたと――――ずっとそう思っていた。
でも、一度だけ。
たった一度だけ、この肉体は想像を絶するほど強力な力の一端を見せてくれた。
もう一度あの力を‥‥。
イルエラの森で、巨大な猿の魔物を倒したときに発動した“あの禍々しくも絶大な力”をもう一度引き出すことができれば―――――。
僕たちを見下ろすこの怪物だって、きっと倒せるはずだ。
「―――――」
僕は目を閉じ、静かに自分の胸に手を当てた。
この肉体に眠る、悪魔を呼び覚ますために―――精神を集中させる。
「ちょっとジル、一体何を‥‥」
「ヘイゼルさん」
動揺するヘイゼルを、エイミーが制止する。
「今はジル様を信じましょう」
「ガアアアアアアアアア!!!!!!」
大きく咆哮を上げるタイタンワーム。
再び巨大な口に炎を溜め、全てを焼き尽くす一撃を今にも放とうとしていた!
「攻撃の手をやめて‥‥どうしちまったんだ!?」
「何か策があるんじゃないのか!?」
「このままだと、みんな仲良く丸焦げだぞ!」
「クソ‥‥ここまでかよ」
「ジル‥‥」
彼なら何とかしてくれる、リリィは強く胸の内で彼を想った。
「ォォォォォ―――」
周囲の温度が次第に上昇していく。炎が放たれれば、ジル達だけではなく、町も人も、全て消え去るだろう。
「―――」
力。
どうか僕に力を。
滅ぼすための力ではない。
この町を救うために‥‥。
全てを“守る”ための力を――――――!
「ゴアアア!!!!!」
怪物の巨大な口から再び災禍の炎が放たれる。今度こそ、全てが終わるのだ。
誰もが生存を諦めかけたその時‥‥。
タイタンワームが放ったはずの地獄の業火は、少年の持つ“大太刀”に吸い込まれるように消えていった。
「ジル様‥‥!」
「何よ、この外征騎士クラスの魔力は‥‥」
“この力”を知っているのは、エイミーだけだ。
ヘイゼルは驚きを隠せない様子で、ただ戦いの行く末を眺めていた。
「な!?」
「何だ!?いったい何が起こった!?」
「炎が‥‥あの少年の持つ大太刀の中へと吸い込まれていった?」
歴戦の猛者であるゾルグすら、状況を理解できずにいた。
「ジルの様子が変わった‥‥?」
人々は何が起こったのかも理解できぬまま、口々に騒ぎ始める。
あの小さな少年が、タイタンワームとどう戦うのか―――彼らの視線はまさに、ジルに釘付けであった。
「ふぅ―――」
薄く青ざめた肌に、体中を走る真紅の刻印。
手に持っていた剣は全長2mを超える大太刀へと変化している。
――――ああ、あの時と同じだ。
腹の底から無限に力が湧き上がってくる。
肉体が、血管が、内臓が―――はち切れんばかりの勢いで再起動していく。
あれほど恐ろしかったタイタンワームを相手に、今は何も感じない。ただ排除するべき存在として、僕の瞳に虚しく映っているだけであった。
「!」
少年は地面を蹴り、高く‥‥高く飛翔する。
「――――ごめんな」
天高く、怪物と同じ目線まで飛び上がったジルは、ただ一言そう呟いた。
「グゥゥゥゥ―――――!?」
「ッ!」
そして手に持った大太刀を真っ直ぐに、タイタンワームへと振り下ろした。
斬撃が地を這う蛇のように、怪物の体を走っていく‥‥。
たった一撃。
たった一撃で、タイタンワームの体は真っ二つに割れた。
別たれた巨大な二つの肉片は、轟音を立てながら大地へ崩れ去っていく。
小さな少年の手によって、強大な怪物は―――文字通り一刀両断されたのだ。
「なッ‥‥‥‥」
「嘘だろ――――!」
真っ二つに両断されたタイタンワームに目を奪われる冒険者たち、目の前の衝撃的な現実に、理解が追い付いていないようであった。
「すげええええ!!!!!!」
「あのガキ‥‥タイタンワームを一撃で倒しやがった!!」
「誰なんだよあの少年は!」
「まさか外征騎士の誰かなのか!?」
「外征騎士にあんな少年が居るなんて聞いたことが無い!」
「きっとギルドの高名な冒険者に決まってるわよ!」
「‥‥まさに英雄」
まるで夢でも見ているようだ、とゾルグは思った。
「誰かは知らないがともかく‥‥彼のお陰で、町は救われた」
膝から崩れ落ち、心の底から安堵する。彼の長きにわたる戦いの記憶の中にも、今日ほど死を覚悟した日は無かった。
「―――すごいよ、ジル」
突如としてビオニエを襲った未曾有の絶望は、一人の少年の手によって消え去った。
お互いに抱き合い、涙を流し喜び合う冒険者たち。生きているという実感、帰るべき町があることの有難さを噛みしめながら、彼らは大いに騒ぎ合った。
「‥‥ふぅ」
役目を終えたかのように、ジルの体は元の姿へと変化した。大太刀もすっかり縮み、元の剣へと姿を変え、大人しく鞘に収まっている。
「ジル様!」
慌ただしく駆け寄ってくる仲間たち。多分‥‥僕のことを心配しているのだろう。
まずは彼女たちを安心させてあげないと。
「大丈夫ですか!?お体に異変などは!?」
「無いよ」
「本当になんともないの?!」
「やせ我慢なんかしてたら、タダじゃおかないから…‥‥!」
「だから大丈夫だって」
「はぁ、あの力はあまり使ってほしくないと言ったのに‥‥」
エイミーは、ムスッと頬を膨らませてふてくされた。そういえば‥‥この力を初めて使ったときも、もう使うなとか何だと言っていたような。
「仕方ないだろ?これくらいしか方法が無かったんだから」
「そうですけど―――」
「とにかく町は助かったんだし、良しとしようぜ!」
エイミーのめんどくさい説教を聞くのはごめんだ。僕は爽やかなスマイルと共に、強引に会話を終わらせた。
「ジル―――!」
聞き覚えのある声に呼びかけられ、僕は声の方向に振り返った。するとそこには、こちらへ駆けてくるボロボロのゼルマンの姿があった。
「ゼルマン!?」
「その傷…もしかしてタイタンワームにやられたのか!?」
「まぁね」
「応急処置はしたから、見た目ほど今は苦しくないよ」
彼女はそう言ってにっこりと笑って見せた。そんな彼女の笑顔を見て、僕は一つの違和感に気が付いた。
「‥‥あれ?」
「今日は兜と鎧は着ていないの?」
人前では姿を隠すために、ごっつい甲冑を着込んでいたハズだけど。
「兜と鎧は‥‥もう要らないんだ」
「え?」
「もう自分を偽るのはやめたんだ」
「ボクはボクのままでいい、って誰かさんにも教えてもらったしね」
そう言って彼女は、照れくさそうに僕を見つめた。
「お、おう‥‥そうなのか」
「ゼルマン―――何か変わったな」
彼女とは知り合って数日の浅い関係だが、それでも変化を感じるほど今の彼女はハツラツとしている。吹っ切れたというか、肩の力が抜けたというか‥‥。
とにかく、前よりステップアップしたのは間違いなさそうだ。
「リリィ」
「へ?」
「実は、ゼルマンは偽名なんだ‥‥ボクの本当の名前はリリィっていうんだよ」
マジか。まさか名前まで偽っていたとは思わなかった。
でも‥‥。
「リリィ―――か」
「キミにぴったりな、いい名前だね」
「ゼルマンよりよっぽど良いよ」
「そ、そう?!」
「面と向かって言われると‥‥ちょっと恥ずかしい、かな」
頬を僅かに赤くしながら、彼女は眼を逸らした。
それでも勇気を振り絞り――――リリィは真っすぐに再びジルを見つめ直す。
「ビオニエを‥‥町を救ってくれて本当にありがとう」
「今回の作戦の責任者として、キミに報奨金を―――」
「お金?いいよ、今別に困ってないし」
「え?」
「報奨金なら僕とヘイゼルが来るまで戦線を支え続けた、勇気ある功労者たちに支払われるべきだと思うし」
「この町を救ったのは、ひとえに‥‥リリィの勇気の賜物だと思うよ」
「本当に、お疲れ様」
そう言ってジルは、リリィへ優しく笑いかけた。
「――――」
手柄を立てても自慢せず、ただ笑い‥‥見返りすらも求めない。
富や名声など気にも留めずにただ、誰かの為に戦う。
ああ、そうだ。
ボクは昔からずっと‥‥彼のような存在になりたかったんだ。
~ビオニエから遠く離れた北の街・プルシェロ~
危険な魔物が多数生息する極寒の地域に存在する町。
日々危険と隣り合わせのため、街の人間は男女問わずに屈強な戦士が多い。
誉れある聖都の騎士の中にもプルシェロ出身の人間が数多く在籍しているほどであり、中には外征騎士にまで上り詰めた者もいたという。
そんな数々の逸話から、屈強な街であることが容易にうかがえるプルシェロだが‥‥。
今日この日をもって―――その存在をユフテルから消すことになる。
「馬鹿な‥‥たった一人を相手に、全滅など――――」
燃え盛る街に、血で濡れた道や壁。街の人間は全て死に絶え、悲鳴を上げる者すら誰も残ってはいない。屈強な街として有名なプルシェロの面影は既になく、ただ一面に地獄が広がっているだけであった。
「ここにも勇者は無し、か」
返り血で真っ赤に染まった女は、花壇に座り、燃え行く街を見つめながら静かに呟いた。
「外征騎士クラスの猛者が居るって聞いたからわざわざ来てやったのに‥‥」
「ほーんと、雑魚ばっかりでイヤになっちゃうなぁ」
「キミたちさぁ、毎日汗水たらして鍛練とかしてるー?」
「それとも‥‥今の時代ってみんなこの程度の実力なのかなぁ?」
足元に転がる生首を、つま先で弄びながら―――女は心底退屈そうにあくびをした。
「バルトガピオス様」
「どうしたのゲラルフちゃん」
「少し、お耳に入れたいことが‥‥」
「ぼく今あんまり機嫌よくないから、手短にね」
「あと、つまんない要件だとぶっ殺すから」
殺意に満ちた彼女の瞳に、ゲラルフは恐怖した。
「ビ、ビオニエを襲撃していたタイタンワームのことですが‥‥」
「先ほど何者かによって撃破され、生命活動を停止したようです」
「へー、タイタンワームが」
「近くに駐留していた外征騎士が助けに来たのかもね」
「それで?終わり?」
「い、いえ―――!」
「そのタイタンワームが倒されるとほぼ同じタイミングで現場に、僅かながらも<原種>の反応があったのです」
「・・・」
ピクリ、とバルトガピオス体を震わせる。
<原種>。その一言が、彼女の興味を引いたのだ。
「原種、ね」
「全く‥‥勇者だけでも厄介だってのに、原種まで出てくるとは」
「フフ、いやぁ!本当にぼくはついてるなあ!!」
大声と共に突如として立ち上がるバルトガピオス。その表情は先ほどの暗いものとは打って変わり、生気に満ちた清々しいものであった。
「魔王軍の魔族の中にも原種と呼ばれる者達は数えるほどしかいない」
「しかもその誰もが、幹部クラスの実力を持つバケモノたち‥‥」
「ぷぷっ!もし原種を捕獲することができれば、ぼくの研究に大いに役立つぞぅ!!」
「捕獲?協力を仰ぎ、魔王軍に加えるのではないのですか?」
同じ魔族なのですから、協力するべきでは?
「貴重なサンプルなんだから、そんな勿体ないことしないって!」
「誰にも悟られないよう、ぼくが管理して、好き放題してやるんだー♪」
さっきまでの不機嫌さが嘘のように、彼女の機嫌は絶好調であった。
「あー、テンション上がってきた―!」
「待っててね!原種ちゃん!」
「このぼくが、直ぐに迎えに行ってあげるから‥‥!」