第29話 エルフの意地とビオニエの意志
「詳しい話はまた後で、とにかく今はアイツを止めないと」
リリィは手に持った巨大な大盾を力いっぱい持ち上げると、思いっきり地面に突き刺した。
「エルフが自身の身の丈と変わらぬほどの盾を、あれほど軽々と‥‥!?」
軽々と、なものか。丸薬を馬鹿みたいに飲んで、全ての装備を捨ててやっとボクはこの大盾を扱うことができるんだ。
だけど、今はそんなことどうでもいい。
「いったい何を?!」
「お母様、どうか私に勇気を‥‥!」
リリィは自身の全ての力を総動員し、最後の賭けに出た。
「‥‥深く、碧き神聖なる森より出でよ」
「我は世界樹の加護を受けし者、大地を、森を、生命を、母なるルインに代わり守護する者なり!」
「立ち塞げ、女神の奔流!<深緑の守護結界>(エリシューラ・ガラディオン)―――!!」
詠唱を終え、彼女の持つ大盾からは目に見えるほどの強力な魔力が、まるで樹木の枝のように無数に広がっていく。やがて魔力の枝同士が複雑に絡み合い、みるみるうちにタイタンワームと町とを隔てる巨大な壁へと変化した。
<深緑の守護結界>、エルフのとある一族に伝わるという災厄を払う神聖なる奥義。リリィの持ちうる最高峰の防御結界だ。
「ガゥゥ!」
突如発生した巨大な結界など気にも留めず、タイタンワームは真っ向から衝突した。大気が振動するほどの規格外の衝撃が、結界中に響き渡る――!
「ぐっ!!!」
結界の中心である大盾を通して、リリィにも耐えがたいダメージが走り抜けていく。体全身の骨が軋みを上げ、細胞という細胞が悲鳴を上げている。
肉や臓物は裂け、逆流する血液を地面へと吐き捨てながらも‥‥彼女は決して盾を手放さなかった。
だってこの盾を離せば、全てが終わってしまう。ビオニエという町も、そこに住む人々の営みも、多くの尊き命の輝きも―――全てが消え去ってしまうのだ。
「‥‥!」
ジリジリと拮抗する結界とタイタンワーム。
このままの状態が続けば、リリィは競り負け‥‥結界は破られる―――!
「負ける‥‥もんか‥‥!!」
薬の効果はとうに切れ、体もすでに限界を迎えていた。
それでもまだ、彼女は死に体に鞭打ちながら‥‥大盾を支え怪物と戦っている。
「‥‥っ!」
意地だ。
我々聖都の騎士が持つ覚悟やプライドとは違う、不屈の精神力が今の彼女を立ち上がらせているのだ。
私も、見ているだけではおれぬ‥‥!
「負けるな!リリィ!!」
ゾルグはリリィを後ろから支え、老骨を奮い立たせて必死に大地を踏みしめた。
「微力ながら私も援護する、共にビオニエを守り切ろうぞ‥‥!」
「ゾルグ殿‥‥!」
「そうだ!やっちまえ戦槌の騎士!!」
「回復魔法は使えねえが、俺たちもついてるぜ!!」
「あ、兄貴に続けー!」
「!?」
リリィの背後に、町へと撤退したはずの冒険者たちが続々と集まって来た。50、60,70‥‥どんどん増えていく―――!
「みんなどうして‥‥」
町の人たちと避難したはずじゃ―――。
「町の住人達も、みんなアンタの勝利を確信している」
「誰も避難する気はねえってよ!」
「であれば、僕たち冒険者だけが尻尾をまいて逃げる訳には参りません!」
「少ないですが‥‥私たちの魔力もこの結界へと捧げます」
「どうか、あの怪物を貴女の手で―――!」
「みんな‥‥!」
冒険者達は自身が持てる全ての魔力を、リリィの展開する結界へと注ぎ込んだ。
彼らの魔力によって、少しづつ結界が強化されていく―――。
「凄い‥‥」
一人一人の魔力など、たかが知れている。ちっぽけな存在がどれだけ努力しようと、強大な敵には敵わない。だからこそ、ボクたちは仲間と力を合わせるのだ。
一人ではちっぽけでも、仲間と一緒ならボクたちは、どんな困難も乗り越えることができると知っているから――!
「これなら‥‥!」
行ける!!
「ググゥゥ―――――!」
強化された結界の前に圧され始めるタイタンワーム。決着の時は、もうすぐそこまで迫っていた。
「く――――!!」
ありったけの力をこめて、大盾を握る。
皆の想いをのせて、あの怪物を倒すために‥‥!
「はあああああ―――!!!」
「いけ!リリィ!!!」
「押し返せえええ!」
「やっちまえええええええ!!!」
小さき者たちの、魂の叫びがこだまする。
バラバラであったはずの魂が、町を守る一つの巨大な意志となって、タイタンワームを押し返していく‥‥!
「!!!!」
何故。
何故攻めきれないのか。
生まれつき強者であった怪物はただ、現状を理解できずに―――。
「おおりゃああああああああーーーーー!!!!!!」
大気が揺れ、耳をつんざくような衝撃音が広がっていく―――!
力の鬩ぎ合いに競り負けたタイタンワームに、自らが結界に与えた全てのダメージが跳ね返ってきたのだ。
「――――ッ」
絶大なダメージを正面から受け、僅かなうめき声をあげるタイタンワーム。
轟音と共に大地を揺らしながら‥‥遂に未曾有の怪物は倒れた。
「――――――」
終わった。
ボクが、あの怪物を‥‥。
「いやったあああああああああ!!!!!!!」
「やったぞ!!すげえ!!!やりやがった!!!!」
「まさか本当にタイタンワームを倒してしまうなんて‥‥!」
雌雄は決した。冒険者たちは勝利の喜びに震え、大歓声をあげる―――!
「災害そのものともいえるタイタンワームを、現場に居合わせた人間たちの手で退けた」
「この事実は、永遠に世界で語り継がれるほどの大偉業であろう」
あまりの衝撃的な展開に硬直していたリリィへ、ゾルグは優しく声をかけた。
「ボク、本当に―――――」
頭の理解が追い付かない。本当に、ボクたちが‥‥あのタイタンワームを!?
本来なら外征騎士が出張って来るレベルの相手をボクたちが!?
「フフ、驚いているのは分かるが‥‥もっと胸を張るといい!」
「何といっても貴公は、我らを率いて戦った指揮官なのだからな!」
わっはっは、と豪快に笑うゾルグ。彼の笑う姿を見て、ようやく肩の力が抜けていく。
「それにしても、まさか戦槌の騎士の正体がエルフの少女だったとは」
「―――隠していてすいませんでした」
「おかしいですよね、非力なエルフの娘が騎士の真似事なんて‥‥」
「非力なエルフ!?何を言うか、貴公は今回の一番の立役者じゃないか!」
「え…?」
予想外の返答に、リリィは面食らう。
「そうだぜ指揮官、エルフは陰気なヤツばかりだったと思っていたが‥‥アンタは違う!最高に豪快で、クールなエルフだぜ!」
「タイタンワームと真っ向から張り合う勇気と根性があって、その上可愛くて強いなんて―――まさに無敵ね」
「ともかくリリィはビオニエの英雄だ!」
「ありがとう、リリィ!」
集まった冒険者たちから、ありったけの感謝を浴びるほど受け取るリリィ。
エルフであることを恥じて、自分自身を隠し続けていたあの日々はいったい何だったのだろう。少なくともここには‥‥ボクを笑うような人間は居ない。
ボクを笑い続けていたのは、心の中にいた自分自身だったのだ。
「こちらこそ―――本当にありがとう」
ボク一人では何もできなかった。
この勝利は―――ビオニエに住むみんなのお陰だ!
~ビオニエの町・町長の屋敷~
「ふぅ‥‥一時はどうなるかと思ったが‥‥」
心の底から安堵し、ソファに深く腰を下ろす。タイタンワームを迎撃するために集まった、戦槌の騎士を筆頭とする150人の勇士たち―――彼らはビオニエの英雄だ。
「しっかりと労ってやらねばな!」
「町長」
「どうした?」
「タイタンワーム撃退の報せを受け、町の各所でバカ騒ぎが始まっているようですが‥‥」
そう言って、眼鏡の女性は町長へ不満げな顔を見せた。
町の役人たちは逃げてしまったが―――秘書である彼女だけは、最後まで屋敷に残っていたのだ。
「はっはっは!構わんよ」
「町が未曾有の危機から救われたのだ、少しくらいハメを外しても問題なかろう」
「そうですか、ならばそのように」
「というか、キミはもう少し喜んだらどうかね?」
「折角町が救われたというのに、いつもと変わらぬ仏頂面じゃないか」
「私は常に冷静沈着なパーフェクト秘書を目指しておりますので、はしたなく喜んだりはしません」
「はは、私の前では、はしゃぎ辛いか」
「今日の仕事はもういいから、早々に帰るといい!折角町がお祭りムードなのに、乗り遅れては勿体なかろう」
「はっ、では失礼します」
「うむ」
「昼間っから飲み放題だーー!!!」
「いやっほーーー!!」
今まで見たことのないような笑顔で、秘書は走りながら帰っていった。
「えっ」
「私って、もしかして嫌われとる?」
~ビオニエの町から数km離れた岩の高台にて~
ビオニエとタイタンワームの騒動を、妖しく見つめる者達がいた。
「うーん、どうやら彼女は勇者じゃないみたいだね」
「がっくし」
バタリ、と大の字に倒れこみ―――女は深くため息をついた。
「バルトガピオス様」
「あれゲラルフちゃん、付いてきたんだ!」
「もー、ぼくのこと好きすぎかよぉ」
「ふっ」
「今鼻で笑った!?」
「どうでもいいです、そんなこと」
「それで‥‥勇者は見つかったんですか?」
寝転んでいるバルトガピオスを見下しながら、ゲラルフは嘲笑うように問いかけた。
「ぜーんぜんダメ」
「それっぽいヤツは居たんだけどさぁ、タイタンワームに苦戦するただの雑魚エルフだったし‥‥ハズレばーっかりだよ」
「やはり、バルトガピオス様の勘違いだったのでは?」
「勇者が目覚めるのなら、連鎖的に魔王様も目覚めるはずですし」
まるで勇者などいない、と言いたげな様子でゲラルフは呟いた。
「そこなんだよねえ」
「多少のズレはあるにしろ、魔王と勇者はほぼ同時期に出現する…それなのに現状、勇者の気配はあるが、魔王はいまだ目覚めていない」
「魔王が先に現れるならまだしも“勇者が先”なんてことはあり得ないハズだ」
「異常な状況だよ、コレは」
「ですから、勇者の気配を感じたということ自体が勘違いだったのでは?」
貴女が一人で問題を大きくしているだけでは?
「ぼくの勘違い!?ナイナイ!絶対ナイ!」
「ぼくの勘の鋭さは魔王軍一!それはゲラルフちゃんもよぉく知ってるはずだぜ?」
「そうですが‥‥」
「もしかしたら…さ」
「“勇者を手引きしているヤツ”がいるのかもね」
今までのふざけた表情とは打って変わり、バルトガピオスは真剣な面持ちでぼやいた
「今の平和ボケしたユフテルに、そのような真似をする輩がいるのでしょうか」
「どうだろうねぇ」
「可能性は低いけど、否定できるほどの情報もないしねぇ」
「ま!」
「“いつまでも眠りこくっているバカ共”が目覚めるまでは、気長に探すとするよ」
バルトガピオスは勢いよく立ち上がると‥‥まるで昼寝の後の猫のように、ぐーんと体を伸ばしてあくびをした。
そんな穏やかな仕草をもってしても、彼女が放つ邪悪なオーラが鳴りを潜めることは無かった。
「ああ、忘れてた」
「念のため‥‥あのエルフも始末しておかなきゃね」
おもむろにそう呟くと、バルトガピオスは数km先に倒れるタイタンワームを見つめ―――。
「<狂え>」
ただ一言、呪いの言葉を口にした。
~ビオニエの町・正門~
「では、胸を張ってビオニエへ凱旋するとしよう!」
「ほら‥‥肩を貸そう」
「ありがとう、ゾルグ殿」
立ち上がることすらままならないリリィに、ゾルグは優しく肩を貸した。
「ふぅ、本当にどうなるかと思ったが‥‥」
「何とか死なずに済みましたね、アニキ!」
何とか丸くおさまって良かったぜ、ボゴスはそっと胸をなでおろした。
「――――――」
<狂え>
どこからともなく聞こえて来た謎の声がタイタンワームの脳内に、響き渡った。
<狂え>
その瞬間、体全身に異変が起こる。
<狂え>
意識が薄れ、傷ついた肉体は回復していく―――。
<狂え>
自分が―――自分じゃ無くなっていくみたいだ。
<狂え>
ああ、やめてくれ。
<狂え>
頼むから、誰かこの頭に鳴り響く声を止めてくれ―――!
<狂え>
だれ、か――――――。
「さぁ、皆の者!我らのビオニエへ大手を振って帰ろうぞ!!」
「おう!!!!!」
「キシャァァァァ―――――!!!!!!!!」
「!?」
「なっ!?」
「いやだ‥‥悪い夢なら、もう覚めてくれ‥‥」
「そ、そんな‥‥」
絶望。
ただ巨大な絶望が、そこにはあった。
「ガアアアアアアア!!!!!!!!!」
決死の覚悟で撃ち破ったはずのタイタンワームが、再び目を覚ましたのだ。
「ば、化け物め‥‥」
「もう、お終いだ」
絶頂から一気に絶望の底へと突き落とされる冒険者たち。先ほどまでの笑顔が嘘のように、彼らの顔からは生気が消えていた。
「――――――」
どうして―――確かに倒したはずなのに。
「グルゥゥ―――!!」
絶望に打ちひしがれる冒険者たちなど気にも留めず、タイタンワームは巨大な口を開き炎を集約する。
もしタイタンワームの口から炎が放たれれば‥‥この町は灰塵に帰し、草木一本育たない焼け野原となるだろう。
「もう一度結界を展開する‥‥その間に、みんなは逃げてくれ」
「―――リリィ」
ハッタリだ、今の彼女にさっきの大技を発動するだけの力は残っていない。それに、今から避難したところで、もう‥‥。
「誰も逃げはしないよ」
聞きなれない声が耳に入り、リリィは後ろを振り返った。
「あなたは―――」
「誰も逃げはしない‥‥この町の命運は町長である私が、キミに託したのだからね」
「滅び去る時は、私達も一緒だ」
全てを悟り、屋敷から抜け出してきた町長は―――優しくリリィに微笑みかけた。
「モース町長‥‥」
「町の者達も同じ覚悟さ、たとえ死ぬことになろうとも‥‥私達はビオニエから離れない」
「みんな、この町を愛しているからね」
そう言って、彼は静かに目を閉じる。
「―――」
挽回しようのない窮地であったが―――町長の言葉を受け、不思議と気持ちが軽くなった。
ボクだけではない、この場に居る誰もが安堵の表情を浮かべている。
皆の気持ちは同じだ。たとえ死ぬことになろうとも―――最後の瞬間まで戦い続けて見せる。
「見ててね‥‥お母さん」
胸に手を当て、そっと涙を流す。
ああ。
例え避けようのない運命だとしても‥‥。
「さぁ!このボクが相手だ!」
「かかってこい、タイタンワーム―――!!!」
死ぬのは―――やっぱり怖いな。
「ガアアアアア!!!!!」
力無く大盾を構えるリリィへ向けて、全てを焼き尽くす業火が放たれた。
溶けるような熱気が周囲一帯に広がっていく‥‥。全ての生命は死に絶え、ビオニエの町も、冒険者たちの穢れ無き魂も、無惨に消え果てた。
冒険者たちの営みによって栄えていたあの素晴らしき町は、もう―――ない。
「揃いも揃って、なに辛気臭い顔してんのよ」
そう、誰もが思っていた。
「!!」
しかし、現実はそうはならなかった。
タイタンワームによって放たれた炎は、突如として横から割り込んできた‥‥より巨大な炎によってかき消されてしまったのだ。
「ふん、“炎”で私に勝てる訳ないでしょ」
あの三角帽の彼女を―――ボクは知っている。
「ヘイゼル‥‥!?」
どうして彼女がここに!?
「な、なんだ!?いったい何が起こった!?」
「あの嬢ちゃんがオレたちを守ってくれたのか?」
「嬢ちゃんの横にも誰かいるぞ!?」
「人間の少年と……あれは―――妖精?」
口々に叫ぶ冒険者たち、あまりにも衝撃的な救世主の登場にパニックに陥っていた。
そんな彼らが見えていないかのように、ヘイゼルは淡々とした様子でタイタンワームを見据えている。
「ガルウウウ――――!」
怒りの矛先を、新たに現れた“敵”へと向けるタイタンワーム。大きく体をうねらせ、大地が揺れる。
「で、どうするのジル」
「こいつと正面から戦うのは‥‥流石に私でもきついわよ」
タイタンワームを見上げながら、ヘイゼルは隣に立つジルへと呟いた。
「ああ‥‥ヘイゼルは何もしなくてもいい」
「こいつは、僕が倒す」