第19話 決意を共に
一行が森を抜けた頃には、日もすっかり落ち‥‥あたりはすっかり夜になっていた。
「とりあえず、今日の所はここらへんで休もうか」
そう言うと、僕は平原に突き出した巨大な岩の近くに腰を下ろす。
ヘイゼルと戦って、ソルシエとも戦って、挙句の果てには外征騎士との遭遇‥‥。
全く、今日一日で色んなことが起こりすぎた。精神的にも、身体的にも、僕の疲労は限界に達していたのだ。
「そうですね、外征騎士が追ってくる気配もありませんし‥‥今日はここで一晩明かしましょう」
「あーどっこらせ――っと」
おっさんみたいな掛け声と共にエイミーは僕のすぐ隣にちょこんと腰を下ろした。背中を巨大な岩に預け、完全に伸びきっている。
「ほら、ヘイゼルさんも‥‥ここ、空いてますよ」
エイミーはそう言って、自分の隣の地面をぽんぽんと叩いた。
「ど、どうも――――」
ヘイゼルはぎこちない足取りで、エイミーから少し離れたところに緊張した面持ちで座り込んだ。
「ちょ、エイミーのここ空いているって言いましたよね!?」
「何でそんなに離れるんです?!」
ぺしぺしとさらに強く地面を叩きながら、エイミーはヘイゼルをまくし立てた。
「はっ!もしかして私の事避けて‥‥」
「はうっ!?」
余計なことを口走りそうになったエイミーを、僕は慌てて抱き寄せて黙らせる。
「いいから寝ろって」
何度も裏切りに会い、今までずっと一人で過ごしてきたヘイゼルにとって、誰かと共に一夜を過ごすというのはとても勇気のある行動なのだろう。
今のヘイゼルには、あの距離が精一杯‥‥無理強いをしてはいけいない。
「僕たちもう寝るから―――おやすみ、ヘイゼル」
「うん―――おやすみなさい」
ひんやりと気持ちのいい岩肌に背を預けながら、彼女は静かに目を閉じた。
流石に今日は疲れた‥‥僕もこのまま眠ってしまおう。
「ジル様」
「ん?」
「手、当たってますけど」
「手?」
そういえば、何か右手にめっちゃ柔らかい感触が。
「!?」
なんてことだ‥‥僕の右手が、エイミーの胸をがっちりキャッチしているではないか。さっき慌てて抱き寄せた時に、勢い余って当たってしまったのだろう。
まぁわざとではないし、僕は悪くない。
むしろ悪いのは、僕に胸を押し当てて来たエイミーの方だ。
初心な僕の心を弄ぶとは、なんて酷いやつなんだ!
とにかくこれは事故で、偶然で、他意は‥‥。
「だから‥‥いつまで触ってんですか!」
あまりの出来事に硬直していた僕に、エイミーは一発頭突きをお見舞いする。
「いてっ!!」
「いったあ―――!」
お前も痛いのかよ。
というか、むしろ彼女の方がダメージを受けているようにすら見えるけど‥‥。
「もう!」
「頭痛いし、セクハラされるし、本当に踏んだり蹴ったりです!!」
涙目になりながら、エイミーは僕から少し離れたところに座り直して、そのまま横になった。
そんなにぷりぷり怒らなくても―――。
「ふわぁぁ‥‥」
ああ、眠い。
とりあえず、今日の所はもう寝よう。
エイミーのことだから、一日もたてば機嫌を直しているだろうし。
僕はゆっくりと瞳を閉じる。
意識がだんだんと薄れ―――心地よい感覚に見舞われていく。
横になってから1分とかからずに、僕は夢の世界へと旅立った。
皆が眠りについて数時間後の深夜。
――――ガサガサ。
―――ガサガサ。
「ん‥‥」
僕は、とある物音で目を覚ました。
立ちあがろうとするが、足が重くて動かない。不審に思って足元を見ると‥‥。
「・・・」
僕の膝を枕代わりに眠るエイミーの姿があった。今回は珍しく‥‥あのやかましいイビキをかいていない様子だった。
「それにしても‥‥意外と頭重いな、こいつ」
僕は気持ちよさそうに眠るエイミーを雑に転がすと、ゆっくりと立ち上がった。
周囲を見渡すと、何故かヘイゼルの姿が見当たらない。
「どこ行ったんだろ」
ガサガサ―――。
「‥‥ん」
どこからか聞こえてくる謎の音の方へと眼をやると‥‥背後の巨大な岩の上に、彼女は居た。
夜空に浮かぶ月に照らされた横顔は、本当にうっとりするほど美しかった。
しばらく彼女の姿に見惚れていると――――。
「起こしちゃったかしら」
手元で何やら作業をしながら、彼女は静かに呟いた。
「何してるの?」
「薬を調合しているの―――ちょっと見てみる?」
「うん」
ヘイゼルは岩の上から僕に手を差し伸べる。僕は彼女の手を掴み、足場を蹴って‥‥何とかよじ登る。
よくこんなとこ一人で登れたな‥‥。
まぁ便利な魔法とかで簡単に登れるんだろうけど。
「寝付けないのか?」
「まぁ、そんなとこ」
そう言ってヘイゼルは、足元に置かれている乳鉢の前に座り直した。
乳鉢以外にもいくつか道具が置かれているが‥‥どれも僕にはみたいことのないものばかりであった。
「―――」
ヘイゼルの奏でる心地よい作業音に耳を澄ませながら、僕は改めて自分の置かれた環境について考える。
どこまで広がる大地に、現実世界ではありえないほど綺麗な蒼い月、その月に照らされながら僕の前で薬を調合する美しい魔女。
なんて‥‥なんて幻想的な世界なんだろう。
人の世が終わってしまった世界とは到底思えないほど、この光景は美しかった。
「こんなものね」
そう言うと、ヘイゼルは僕に背を向けたまま‥‥自らの服を脱ぎ始めた。
むき出しになった美しい背中には、何やら刻印のようなものが刻まれている。
「!?」
「ヘイゼル!?」
「なに?」
「いや!何してんの!?」
「何って‥‥服を脱がないと、傷口に薬が塗れないじゃない」
「あんたから受けた傷、まだ癒えてないのよ」
「!」
そうだ、僕はソルシエから貰ったチートみたいな回復薬のお陰で回復できたけど、彼女は違う。
まだ傷の手当すらしていない、手負いの状態だ。しかもそのほとんどが僕から受けた傷って‥‥。
「な、なんかごめん」
「謝らなくていいわよ」
「とにかく‥‥分かったら、さっさと後ろ向きなさい」
「まぁ、忌み魔女の裸体に興味のある人間なんているとは思えないけど」
「わ、わかった」
後ろ向きに座り直そうとした瞬間、ある光景が僕の目に飛び込んできた。ヘイゼルの脇腹あたりに痛々しく残る刺し傷の痕。
昔、ミケリアという村の少女に刺されたというあの傷が‥‥何故か僕の目に留まった。
「―――」
「その塗り薬で脇腹の傷は治せないのか‥‥?」
踏み入った質問だと知っていながら、僕はヘイゼルに背を向けたまま尋ねた。
「‥‥治せるわ」
「跡形も無く、綺麗に――――ね」
彼女の含みのある言い方から察するに―――あえて傷を残している、ということだろう。
「どうして治療しないんだ?」
あんな出来事、ヘイゼルにとっては忘れ去ってしまいたい、忌々しい過去なのでは無いのだろうか。
「あの時の気持ちを忘れないため‥‥」
「あの時の怒りを、憎しみを、哀しみを―――未来永劫永遠に忘れないように、この身に残しているのよ」
「――――」
「ふふ、過去に縛られた哀れな女だって‥‥幻滅したかしら?」
「幻滅なんて、するものか」
「・・・」
「なぁ、ヘイゼル」
「その傷が疼いて、痛くて、憎くて、どうしようもなくなったら‥‥その時は迷わないで、僕を殴ってほしい」
「殴るだけじゃ足りなかったら、殺してもいい」
「君をイルエラの森から連れ出した僕には、その傷をともに背負う責任がある」
そんな重いもの、ヘイゼル一人に預けておくわけにはいかない。
彼女の本当の過去を知るものとして、僕も片棒を担ぐべきだ。
「――――ふふ」
「あっははははは―――!」
ヘイゼルは月に向かって―――肩を揺らし、心の底から大笑いした。
「ヘイゼル?」
「冗談よ、この傷を今まで治していなかったのは‥‥ただ単に面倒だっただけ」
「特に理由があったわけではないわ」
「はぁ!?」
「それなのにジルときたら‥‥あんなに真剣に‥‥ふふっ」
背中越しでも分かる。
こいつ、僕をダシにしてめっちゃ笑ってる‥‥!
「アンタって、本当に度を越したお人好しね」
「あーもう!ほんっと!心配して損した!!」
「じゃあ僕もう寝るから!!お!や!す!み!」
くそっ―――今思えば、めっちゃ恥ずかしいセリフを口走ってしまった気が‥‥。
気恥ずかしさを紛らわせるように、僕は岩から飛び降り、逃げるように眠りについた。
「ほんと―――お人好しなんだから」
ヘイゼルの眼から、一筋の雫が零れ落ちる。
笑いすぎて出たものか、それとも、彼の言葉に心を突き動かされてのものなのか。
ともかく‥‥彼女の心はとても暖かい、なにかに包まれていた。
「――――」
本当を言えば、あの傷は墓まで持っていくつもりだった。
復讐を忘れないために‥‥私が私であるために、あの傷が必要だったのだ。
この想いは一生変わることがない―――そう思っていたのに。
それがまさか、赤の他人の一言で全部どうでもよくなっちゃうなんて。
「‥‥ありがとう、ジル」
「この体だけではなく、私の心までも、あの森から連れ出してくれて――――」
~翌朝・森はずれの平原~
「みなさーん朝ですよ!!」
「今日もユフテルはいい天気ですーーー!!」
「うるさいな‥‥何でそんな朝からテンション高いんだよ‥‥」
ああ、頭痛い。
もっと寝ていたい‥‥。
「おはよう、ジル、エイミー」
「おはようございますヘイゼルさん!!」
「―――」
「―――おはよ」
「ふふ、昨晩の事‥‥まだ怒ってるの?」
「勇者の癖に、器が小さすぎるんじゃない?」
ニタニタと悪い笑みを浮かべるヘイゼル。
完全に僕を挑発している‥‥落ち着け、乗ってはいけない。
「昨晩のこと?何ですそれ」
「ジル様、詳しく説明してください」
「別に何でもないって」
「ただ、ヘイゼルの爆音みたいなおならのせいで昨晩は全然眠れなかったって話」
「ぶっ殺すわよ!?」
「それで、こんなに朝早く起こして‥‥次の目的地は決まったの?」
正直言って、この世界の情勢について僕は全く詳しくない。
旅の道のりは、全てエイミーに任せきっていた。
「もう、ジル様ってば‥‥次の目的地よりも先に、ヘイゼルさんに伝えないといけないことがあるでしょう?」
「?」
「旅の目的ですよ!」
「私達が何を目指し、何を目的としているのか‥‥まだヘイゼルさんに何も話してないでしょう!?」
確かに、言われてみればそうだった。
半ば無理やり連れて来たし、どたばた続きで彼女に何も話せていなかったんだ。
「魔王を倒す、以上」
「この野郎ッ――!」
「うぐあっ!?」
無気力な僕にイラついたエイミーの頭突きが、眉間に炸裂した―――!
こいつ‥‥!昨日よりも狙いが良くなっている?!
たった一日でここまで頭突きの腕を上げるとは!
「成長しているな、エイミー‥‥!」
「当たり前です、次はその顔ぶっ貫いてやりますとも!」
それは流石にグロいわ。
「魔王を倒すってどういうこと‥‥?魔王ルドニールは外征騎士によって倒されたはずよ?」
馬鹿な二人の会話など聞こえていないかのように、ヘイゼルは至極当然な質問を僕たちへと投げかけた。
「私達の目的はルドニールではありません、私達が倒すべき相手の名は<魔王ガイア>」
「近い将来、遥かな眠りから復活するであろう‥‥新たなる魔王です」
「――――」
“復活”とエイミーは言った。
と言うことは‥‥魔王ガイアは一度倒されているということか?
だとすればいつ、一体誰が?
疑問は尽きないが――今はヘイゼルの前だ。余計なことは言わないでおこう。
「伝説によれば、魔王は数百年に一度の周期でこの世界に現れる」
「つまり、ルドニールが討たれてから300年たった今が、新たなる魔王の誕生の時だというの?」
「そのとおりです!」
「いずれ必ず、魔王ガイアはこの世界に顕現し、ユフテル中に破滅をもたらすでしょう」
「それを防ぐために現れたのが、彼!勇者ジルフィーネ・ロマンシアという訳なのです!」
そう言って、エイミーは大げさな仕草で僕を指さした。
「・・・」
ヘイゼル‥‥頼むからその“コイツが?”みたいな視線を向けるのはやめてくれ。
「魔王を倒す、か」
「はぁ、どうやら‥‥私はとんでもなく頭のおかしな連中に拾われてしまったみたいね」
半ば諦めたような表情で、ヘイゼルは続ける。
「いいわ、乗ってあげる」
「へっぽこ勇者の行く末‥‥このヘイゼルが見届けてあげるわ」
「ありがとう!ヘイゼル!」
良かった!ここで断られたら、本当にどうしようかと‥‥。
「改めて、よろしく!」
僕は、ヘイゼルの前に右手を突き出す。
「――――ええ」
「よろしく、勇者様」
固く、堅く―――僕たちは握手を交わす。
この世界で出会った最初の強敵であり、最初の仲間であるヘイゼルはこうして、魔王ガイア討伐の旅に加わった。
忌み魔女として全てを憎み、虚ろな目を浮かべていた頃の彼女はもういない。
今はただ‥‥自分を森から救い出してくれた“彼”の為に戦う、健気な一人の魔女である。