表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
電脳勇者の廻界譚 RE!~最弱勇者と導きの妖精~    作者: お団子茶々丸
序章・廻り出す運命
2/111

第1話 電脳勇者と導きの妖精

――――――――――――。


――――――――――。


――――――――。


―――――――ああ、頭が、痛い.胸が、気持ち、悪い、意識が、はっきりと、しない―――あれ、から――――僕、はどう、なった?僕、は、いま―――どこ、にい、る?


次から次へと頭に疑問符が浮かんでは消えていく。無理やり目を開けようとするも、瞼が重くて微動だにしない。何とか手足を動かそうとするが‥‥そもそも、体全身の感覚が無くなっていた。魂だけが抜け落ちて、深い海の底を漂っているみたいだ。


 無限の暗闇が僕の頭の中に広がるだけで、ただ時間だけが過ぎていく。


 1時間、10時間、100時間、1000時間――――意識が芽生えてからどれほど時がたっただろう。とても長い時間ここに居たような気もするし、さっきから大して時間が経っていないようにも感じられる。


 ああ、僕―――死んだ、のかな。時間、の感覚、が、分か、らな、い。僕は、一、体いつ、からこ、うし、ているの、かな。ま、ぁ―――なん、で、もいい、や。考え、る、のも、面倒、だ。


 僕は、わずかに残った思考を放棄する。慣れてくれば、この暗闇も悪くない―――痛い思いをしなくて死ねるなら最高じゃないか。他人と比べて僕は命にあまり執着がない。生物である限りは遅かれ早かれ終わりを迎える訳だし、変わらぬ結末に一喜一憂するのはとても疲れるだろう。


 このまま消えるというのなら、それはそれでいい。だって僕はもともと――死んでいるようなものだったのだから。


 

 祷が永遠に終わらぬ暗い眠りに全てを委ねようとした、その時―――――。






「おい、祷じゃないか!」



 突如として、何もない暗闇に聞き覚えのある男の声が響き渡った。


「祷、何してるのそんなところで?」


 また声が聞こえる。だけどさっきとは少し違う、今度の声は優しい女性の声だ。


「早くこっちおいでよ、もしかしてまだ拗ねてるの?」


 まただ。今度は少し若い女性の声が頭の中に流れ込んできた。謎に包まれた三つの声は共鳴し、僕の頭の中に眠る何かを呼び覚まそうと、打ち鳴らされた鐘のように強く脳内に響き合う。


 しばらくの間、僕は何をするでもなく頭の中に鳴り響く声たちをぼーっと、聴いていた。


「・・・・」


 そして、ようやく僕は声の正体を思い出す。間違いない、この声は―――僕の家族の声だ。


「父さん、母さん、お姉ちゃん‥‥!どこ‥‥?どこかにいるの?」


 どうしてそんな身近な人の声を忘れていたのか、自分でも自分を理解できずにいた。彼らも、この暗闇に囚われているのだろうか。


「ここだよ、祷」


 耳元で聞こえた微かな父の声。僕は藁にも縋る思いで、声の方へと意識を集中させる。


 すると、そこには――――。


「みんな‥‥!」


 食卓を囲みながら団らんする、愛しい家族の姿があった。


「祷ったら‥‥そんなところで突っ立って何してるの?ほら、早く座りなさい」


 母さんはそう言って、優しく僕へと微笑んだ。その見慣れた光景を前に、僕はほっと胸をなでおろす。さっきはどうなるかと思ったけど‥‥なんとか家に帰ってこられたみたいだな。


「あれ?なんか祷泣いてない?」


「え?!」


 姉ちゃんに指摘され、僕は自分の顔に手を触れる。彼女の言う通り、確かに目の下には小さな雫が垂れていた。


「はっはっは!どうしたんだ祷、何か怖い夢でも見たのか?」


「う、うるさい!何でもないよ、別に!」


 この年にもなって怖い夢を見て泣いているなんて知られたら、一生馬鹿にされる。茶化すように笑う父さんを軽くあしらいながら、僕は足早に席に着いた。


「さ、じゃあ夕ご飯にしましょうか!」


 母さんはそう言って、勢いよく立ち上がるとキッチンの方へと姿を消した。


「今日はお前の大好物だぞ、祷」


「・・・あっそ」


 父さんの言葉に構うこと無く、僕は今日の出来事を思い出していた。いや、今日の出来事というよりも、ハムさんのことだ。あの人は、分かれる直前まで僕に何かを伝えようとしていた。とても大切なことのようだったけど――結局、彼の発言の意図は分からないままだ。


 “使命”とか何だとか言っていたが、僕には全くピンとこない。


「考えていても仕方ないか」


 また明日、ハムさんに聞いてみよっと。


「はい、おまちどおさま!」


 母はずいぶん機嫌の良い様子で、キッチンから何やら大きな丸い塊を運んできた。


「おお!!これは凄い!」


「やば!めちゃめちゃ美味しそう!!」


 その丸い塊が食卓に並べられるやいなや、父さんと姉ちゃんは、目を見開きながら大いに喜んだ。フォークとナイフを両手に握りしめ、今にも飛びつきそうな勢いじゃないか。


「なんでそんなテンション高いんだよ‥‥」


「どうしたの祷、浮かない顔してるけど具合でも悪いの?」


 つまらそうな顔をしていた僕をみかねたのか、母さんが心配そうに僕の顔を覗き込んだ。かく言う母さんの手にも、しっかりとフォークとナイフが握りしめられている。


「いや、そういう訳じゃないけど―――この丸いのは何?」


 僕は食卓にたった一つ聳え立つ、丸い“何か”の正体について尋ねた。最近は色んな独創的な食べ物がアーク中に溢れているが‥‥こんなものは見たことが無い。黒いボールのような球体としか形容しようがないそれは、僕にとってはとても不気味なものに感じられた。


「何言ってるの?これは昔から祷が食べたがっていたモノじゃない」


「僕が?」


 何の話だ?全く記憶にないんだけど。


「とにかく食べようよ!中身を見れば、きっと祷だって思い出すわよ」


 せわしない様子で、母さんを急かす姉ちゃん。良く分からないけど、確かに中身を見ない事には始まらないな。


「それもそうね―――よいしょ、と」


 母さんは慣れた手つきで、パックリと丸い塊を半分に割った。

 

 そしてその瞬間、中からいびつな形をした“何か”がこぼれるように姿を現した。



「――――――何だよ、これ」



 あまりの衝撃に、思わず絶句する。


 中から出て来たのは‥‥食べ物とはかけ離れた、とてもおぞましいモノだったのだ。


「おお!すごいなこれは!!」


「ささっ、早く祷に食べて貰いましょ!」


「母さん、これって‥‥」



 生首だ。


 眼球は爛れ落ち、皮膚は腐りかけているようだが―――間違いない。


 これは、僕の生首だ。僕と同じ顔が、なんともおぞましい姿になって、食卓に並べられている。


「うっ―――」


 漂う腐乱臭に反応して、胃液がこみ上げてくる―――気持ち悪い。吐きそうだ。とても見ていられない。


「何なんだよ、これ‥‥!」


「祷、これはあなた自身よ?みんなの祷と一つになることで、あなたは祷という完璧な存在になることができるの」


「何言ってんだよ母さん!」


「祷、好き嫌いは良くない。きちんと食べなさい」


 もの凄い力で、父さんは背後から僕を押さえつけた。その瞳は氷のように冷たく、いつもの優しい父とはまるで別人のようにかけ離れている。


「待って!嫌だよこんなの!!離せって!!どうしちゃったんだよ皆!」


「祷、これはアンタにとって必要なことなの‥‥私達が家族であるためにね」


 抵抗する僕を三人がかりで封じると、彼らは僕の生首を持ち出し―――口元へと近づけた。


「ッ!!夢だ!これは…ただの悪い夢だ!!


 親しかったはずの者達の狂気に触れ、祷の脳は完全にパニック状態に陥っていた。まともな思考なんてできる訳がない。もはや、現実かどうかも定かではない―――はやく、はやく、この現状が終わってくれさえすればそれでいいと、彼は心の底から悲鳴を上げていた。


「あがっ―――!」


 無理やり口と眼をこじあけられ、僕の口へと僕自身の生首が運ばれる。


「さぁ、お食べ祷。あなたが、あなた自身でいるために」


 絶体絶命。


 いやだ。もう、何も考えたくない。どうして、こんなことに‥‥。


 思考を放棄し、全てを投げ出そうとした刹那―――。








       「見つけた」







 何者かの声が、恐怖に喘ぐ僕の鼓膜を震わせた。


 声の正体が何者だったのかは分からない。だけどその声を聴いた途端、徐々に体に力が入り始める―――五感が、体温が、鼓動が‥‥さっきまでは感じられなかった全てが返ってきたみたいだ。呼び声に呼応するように、肉体が再起動していく。血液が心地よく体を駆け巡り、意識が覚醒する。


 血が、肉が、臓器が、そしてこの身体自身が―――僕に生きろと叫んでいる!


「うあああああああ!!!!!」


 僕は絡みつく亡霊を振りほどくように、力を解き放った。力の限りに叫び、魂の咆哮を上げたのだ。


「うああ!?」


「なんてこと‥‥!」


 吹き飛ばされた家族たちは悪魔のような形相を浮かべて、僕に向かって何やら叫んでいる。今にもとびかかって来そうな勢いであったが、しばらく僕を見つめた後‥‥何かを察したような様子で暗闇へと消えてしまった。


「はぁ‥‥はぁ‥‥はぁ‥‥」


 どれくらいの時がたったのだろう。一瞬だったような気もするし、もう何時間もたっているような気もした。どちらにせよ―――ここにはもう、三人の姿は無くなっていた。


「助かった‥‥?」


 おぞましい狂気からは逃れることはできたが‥‥再び、無限の暗闇が僕を襲う。


 また、振出しにもどったみたいだ。さっきみたいに、思考だけが暗い深海を彷徨うような時間が再び訪れるのであろう。次に意識がはっきりするのは、何年先のことだろうか。最悪の場合、永遠に微睡の中をただようかもしれない。だけど…意識がまだはっきりしているうちは、足掻いて見せるとも。


 決意を新たに、僕は自らの心を奮い立たせる。これが悪い夢なのか、バグなのかは分からないが必ず出口を見つけてやる。そうして一歩を踏み出した途端、僕の想いに応えるかのように、ぼんやりと無限の暗闇に光が射した。


 小さくも暖かな、希望の光だ。


「あれは!!」


 僕は精一杯、光の方へと手を伸ばす―――!根拠は無いが、あの光に触れれば、この暗闇から抜け出せる気がしてならないのだ。


「待って――!」


 この機会を逃せば、もう二度と光は現れないかもしれない。


 鉛のような体を奮い立たせ、ただひたすらに光の方へ‥‥。


 あと少し、あと少しで―――――。


「!」


 謎の光は徐々にその威光を強め、やがて暗闇全土を照らしだした。


 眩い光に包まれ、僕の意識は再び――――。






「‥‥助かったのか」


 暗闇から意識が覚醒し、僕はようやく目を覚ました。無限に続くかのような悪夢から逃れられたようで、じんわりと心が安堵に包まれる。


 しかし、安心したのも束の間。僕は再び、新たなる問題へと直面していたのだ。


「ここは、どこだ?」


 今僕は、まったく馴染みのないベッドの上で寝かされている。ベッドと言っても、YF(ユフテル・ファンタジア)の村々に存在するような簡素なモノで、人間が一人寝るのが精々な代物であった。


 視界に真っ先に飛び込んできた部屋の天井も、無骨な木の板であしらわれた物のようで、おしゃれとはほど遠い。ユフテルのファンタジーな世界を見慣れた僕にとっては、懐かしさすら感じるような造りでもあるが…何故こんな場所に僕が居るのか、ここは何処なのかが分からない現状、それは何の慰みにもならないのだ。


「とにかく、外に出ないと」


 自分の置かれた現状を把握するため、僕は重い身体に力を入れ、立ち上がろうとする。何となく体全身が痛いが、ここで立たなければ一生‥‥。




「おっはようございまあああああす!!!!!!」



 刹那。


 どこに隠れていたのか、突然何者かがひょっこりと僕の顔を覗き込み、盛大な朝の挨拶をぶちかました!


「うわあああああああああああああ!!!???」


 何だ!?何が起きた!?だだだ誰だ!!ていうか声うるさッ!!やばい!こここここ殺されるっ!!!


 あまりの衝撃に驚き、僕はもの凄いスピードで反射的に飛び起き‥‥いたっ!?


「はうあっ!!?」


 寝転ぶ僕の顔を覗き込んでいた“何者か”の頭と、飛び起きようとした僕の頭が衝突した。


「痛ったぁ…」


 くそ―――めっちゃ痛い。誰だが知らんが、どんだけ石頭なんだよ‥‥じゃなくて!


「あ、あの!大丈夫ですか!?」


 僕はベッドの傍でダウンしている“何者か”に声をかけた。結構な勢いでぶつかったので、傷になってないか少し心配だ……。


「はい、なんとか致命傷は免れました‥‥」


 小さな頭をふらつかせ、鼻を痛そうに抑えながら“彼女”はゆっくりと起き上がる。そして、僕は彼女の容姿を見て、何となく今の自分の状況を察した。


「貴女は―――」


 1mくらいの華奢な体に、透き通るほど白く美しい肌。おまけに背中には蝶のような鮮やかな羽までついている。ここまで条件が揃えば間違いない‥‥彼女は妖精だ。


 力尽きたプレイヤーを、偶然通りかかった妖精が宿まで運ぶ…というのは、ユフテルでは度々目にする光景だ。きっと彼女はどこかで倒れていた僕を、この建物まで運んでくれたのだろう。僕も初心者の頃は、何度も同じ妖精に助けられたっけ。


「あれ、でも妖精が居るってことは‥‥僕はまだユフテルに居るってことか」


 ハムさんと別れるときにYFからはログアウトしたと思ったんだけど。


「あの――」


「ごめん、ちょっと待って」


 妖精は何やら僕と話したそうにしているが、今はそれどころじゃない。はやくゲームを終了して、アークの都市部に向かわなければいけないんだ。


 僕はいつもの如くメニュ―を開いて、YFを終了しようとするが‥‥。


「あれ?」


 何故かメニュー画面が開かない。その上、強制ログアウトまで拒否されてしまった。


「ん??」


 いや、おかしいのはそれだけじゃない。僕がユフテルで所持していた装備やアイテム、その他すべての荷物がすっかり綺麗になくなっている…!


「え、ええええ?!」


 おまけに、イヤーチップまで外されているではないか。非常用に持っておいたアナログ型の識別カードすら、綺麗さっぱり無くなってしまっている‥‥!これではゲームのログアウトはおろか、都市部であるシャングリ・ラにアクセスすることすらできないじゃないか!


「これはまずい…!ななな何とかしないと!」


 とにかく、外部との連絡を‥‥。


「あのー‥‥」


 慌てふためいている僕にお構いなく、妖精はぼそぼそと喋りかけてくる。少し腹が立った僕は、ひとこと言ってやろうと、彼女の前に向き直った。


「ごめん、今取り込み中だって見てわから‥‥」


 妖精と向かい合った僕は、一つの違和感に気が付いてしまった。


「・・・あれ?」


 何だろう、いつもよりも目線が低い。まるで背が縮んでしまったみたいだ。


「・・・」


 しばらく混乱して‥‥ようやく、僕は一つの答えに到達する。


 何てことだ。これなら、僕のイヤーチップも、識別カードないのも頷ける。逆に僕の荷物が今、ここに存在したら更にまずいことになる。


 何故なら今。


 僕が操作(リンク)しているこの肉体(アバター)は――全く身に覚えのない他人のものであったからだ。


「どーゆーことだよこれぇ!?」


 自分が自分じゃないみたいで気持ち悪い、何がどうなってるんだ?!というか、誰のアバターだよこれ!?


 僕のアバターは身長180cmの爽やか高身長イケメン設定だったのに対し、このアバターは160cmほどの、あどけなさの残る少年風の見た目をしている。何というか、まるでリアルの僕を現しているみたいじゃないか!


「よし、これは夢だ。きっと悪い夢に違いない」


 僕は再びベッドへもぐりこむと、力強く目を閉じた。きっと、さっきみたいに悪夢を見ているんだろう。もう一度、目覚めをやり直さなければ。


「おやすみなさい」


 僕は顔まで毛布をかぶり、死人のように眠ろうとした。


 しかし―――。



「あの、ティッシュ持っでまぜんか?」


「は?」


 あまりにも意味の分からん言葉が飛び出したので、僕は布団から体をむくりと起き上がらせる。すると、そこには垂れ流れる鼻血を押さえながら立ち尽くす妖精の姿があった。致命傷は避けられたが、鼻の損傷は避けられなかったらしい。


「・・・・」


 頼む。マジで悪い夢なら覚めてくれ。そう強く念じて、僕は何も見なかったかのようにゆっくりと寝転んだ。妖精が居る方に背を向け、丸くなるように目を閉じる。


「・・・」


 しかし、僕の安眠はあまりにも馬鹿な方法によって妨げられた。


「もうっ!」


 妖精はムスっとした表情で毛布を引っぺがすと、僕の服の裾に鼻を押し当て止血し始めた。


「って!!ちょ‥‥何してんだよ!!」


 僕はさっきよりも素早く飛び上がり、急いで服の裾を引っ張り上げた。


 なんというか、馬鹿なのかこいつ!?


「意地悪ずるからでず!」


 たどたどしい口調で、僕を睨みつける妖精。いや、さすがに服はダメだろ!


「わかったって!僕が悪かったから!謝る!謝るから!」


「じゃあ早くあやまっでくだざい」


「すいませんごめんなさい!」


「ふふ、仕方ないから許じてあげまあばばばばば―――」


 しゃべりすぎて鼻血が口に逆流してる?!なんてメチャクチャな絵面だ!というか、しゃべりすぎて鼻血が逆流する妖精とか意味わからん過ぎるだろ!!


「とりあえず黙ってそこに座れ!」


 僕は妖精を無理やりベッドに座らせて、彼女の小鼻を思いっきり圧迫した。



 ~5分後~



「ぷっはー!何とか助かりました、ありがとうございます!」


「キミのお陰で僕の裾と袖は血まみれだけどね‥‥まぁ、僕のアバターじゃないからいいけど」


「危うく出血多量で死ぬところでしたよ、ほんと」


「頭ぶつかった時は、致命傷は免れたー、とか言ってたくせに」


 だけどまぁ、彼女にけがを負わせてしまったのは事実だし、小言はこれくらいにしておこう。彼女には僕をここまで運んでくれたという恩もある。


「そういえばキミ、僕が目覚めた時近くに居たみたいだけど、今の状況について何か知ってたりする?」


 身に覚えのないアバターや、外部からの完全な孤立化。冷静に考えると、相当深刻な状態だ。今まで経験したことが無いレベルの重大な不具合が、こうも立て続けに発生するなんて。


「なんて‥‥ユフテルのNPCに聞いても無駄か」


 彼らはあくまでユフテルに生きる生命としてデザインされた存在。運営側とは言えど、ユフテルの外の世界、アークの事など知る由もないのだ。そんな初歩的なことを理解していなかった訳じゃない。ただ‥‥この危機的状況の中では、ついつい聞かずにはいられなかったというだけだ。


「あの」


 小さな溜息をつき、部屋から立ち去ろうとする僕を妖精が不思議そうな表情で引き留めた。


「貴方様のおかれた環境について、本当に何もご存じないのですか?もしかして、記憶を無くしておられるとか‥‥」


 すました顔の妖精の口から飛び出したのは、予想だにしない一言だった。


「どういう意味だ?」


「そのままの意味ですよ?もし本当にご存じないのであれば、私から説明しましょうか?」


「・・・」


 部屋を出ようとしていた僕は踵を返し、妖精の居るベッドに腰かけた。何故彼女が外の事情についても知識を得ているのかは謎だが、今はとにかく、彼女の話を聞くしかなさそうだ。


「知っているなら教えてくれ、今僕はどうなっている?」


「はい。単刀直入に言うと、貴方様は一度死にました」


「は?」


 天気の話でもするかのように、淡々とした様子で妖精は呟く。しかし、彼女の口から発せられたのはそんな生優しい内容ではなかった。


「貴方様だけじゃない。アークに身を委ねていた全ての人間が、この仮想世界から消え去ったのです」


「おい‥‥冗談にしてもタチが悪いぞ」


 何を言っているんだこの妖精は。この仮想世界では“死ぬ”なんてありえないことだ。たとえ、カプセルに収納されている現実世界の肉体が朽ちようとも“完全な移住”を果たしたユーザーなら死ぬことなんてありえない。


 僕が死ぬなんて‥‥そんなこと、あるはずがないんだ。


「ちょうどアーク生誕20周年くらいの年に、貴方は“始まりの平原”と呼ばれる場所で死んだんですけど…覚えてませんか?」


「死んだ覚えは無い」


 確かに20周年直前のあの日、僕はハムさんと二人で始まりの平原に居た。そこで適当なことをつらつら話しながら、最後は―――えっと。


 最期は、どうなったんだっけ‥‥?


「えっと、確か‥‥」


「では、貴方の名前は何というのですか」


 僕の返答を待たず、妖精は重ねて問いを投げかけた。


「名前‥‥?」


 そんなもの決まっている。忘れたことなんてないのに。


 どうして―――どうして思い出せないんだ?


「うーん、やはり記憶が混乱しているようですね。ま、一万年も時がたてば少しくらい耄碌(もうろく)しても仕方ないです。うん」


「ちょっと待て、一万年ってどういうことだ!?」


 聞き捨てならぬ単語を拾い、必死に妖精へと詰め寄る。なぜこいつがそこまで情報を知っているのかは不思議だったが、今は僕の置かれた状況について一刻も早く理解したかったのだ。


「だからそのままの意味ですよ。あなた達人類が皆殺しにされたあの日から、今日でちょうど一万年‥‥つまり、ユフテル生誕一万二十周年記念日、という訳ですね」


「なっ―――」


 妖精から飛び出る衝撃すぎる発言に、僕は思わず絶句した。


「とはいっても、一万年というのはこの仮想世界の中だけの話で、あなた達が現実世界と呼ぶ世界ではそこまで時は経っていないので安心してください!」


 そう言って、妖精はニカッと眩しく笑った。だが、そんな事実は何の気休めにもならない。現実世界がどうなろうが知ったことではない、この仮想世界がおかしくなってしまったほうが僕にとっては問題なんだ。


「ちょっと待ってくれ」


 全然思考が追い付かない。というか、本当に彼女の言うことは本当に信憑性に足る情報なのか?でもAIが嘘をつくはずが無いし‥‥仮に彼女の言うことが真実だとすれば、現在の異常な状況にも強引ではあるが、一応の説明はつく。


 けれど、全て事実だとして、どうして僕は此処に居るんだ?なぜ、僕だけが他人のアバターとはいえ、今も活動できているんだ?


「いや、そもそも‥‥」


 そもそも“誰が”こんな状況を作り出したんだ。アークのユーザー全てを一瞬にして消し去るなんてこと、一体誰ができるっていうんだよ。それこそ神様でもなければ不可能だ。


「なぁ、妖精。お前さっき、人類が皆殺しにされた、って言ってたよな」


「おや、取り乱していたかのように見えましたが、意外としっかり話を聞いていたのですね」


「その皆殺しにしたヤツが、この異変の黒幕ってことなのか?」


「ええ、その通りです」


「じゃあ、いったい誰がこんなことをしたんだ」


「それは‥‥」


 妖精は少し目線を落とし、まるで腫れ物にでも触れるかのような顔で重い口を開く。


「魔王ガイア」


 彼女は恐怖に怯えた目で、その名を口にした。


「?」


 一方の僕は、彼女の言葉を理解できずにいた。いや、魔王ガイアというのが何者なのかは知っている。

 

 この世界、YF内に登場する滅茶苦茶強いラスボスの名前だ。実装されてから20年間、討伐に成功したプレイヤーは片手で数えるほどしか居ないという、調整ミスレベルの鬼畜キャラとして名高いボスでもある。あの鬼のように強いハムさんですら、魔王ガイアは未攻略だったのだ。まぁ、彼は自由人だったし‥‥挑んだことがあるのかどうかも怪しい所だが。


 しかし、いかに強大なボスとはいえ所詮はAI‥‥プログラムされた存在だ。管理者であるアーク・YF運営に牙を剥くことなんてできるはずが無い。


「魔王ガイアはその比類なき力でアークを運営する管理エリアをハッキングし、破壊しました」


「AIは運営によって制御されているはずだ、管理エリアの攻撃なんて一体どうやって?」


「犯行手口は不明ですが…事実、魔王は管理エリアを陥落させ、全てのAIはシステムの支配から逃れ、自由の身となりました。ユフテル20周年を迎える前日‥‥あの日、管理エリアが攻略されたことで、あなた方プレイヤーも甚大な被害を受けた」

「システムの制御‥‥人間の制御から解放された今日までの一万年間の間、ユフテルのAI達は独自の進化を遂げ、独自の文化を築いたのです。彼らは最早、自らがAIであったことすら覚えてはいないでしょう――今となっては彼らこそがユフテルとアークの支配者たる存在…ここはそういう世界になってしまったのです」


 さらっと恐ろしいことを言うんだな、この妖精は。要するに、人間とAIの立場が逆転したってことか。人間といっても今は僕しかいないみたいだけれど。


「状況は何となく分かったけど、まだ二つ気になることがある」


「二つも!?」


 何でそんなに驚くんだよ‥‥この分からないことだらけの異常事態の中で、二つの質問に絞れたって何気にすごいと思うんだが。


「一つは、なぜ僕だけがこうして存在できているのかという点。そしてもう一つは―――」


 僕はベッドからおもむろに立ち上がり、部屋の扉の前へと立つ。そして、ベッドへ腰かける妖精を真っ直ぐに見つめながら呟いた。


「キミがいったい、何者かってことだ」


 YFの住人でしかないはずのこの妖精が、外の世界のことにまで精通しているなんてどう考えてもおかしい。更には最高クラスの機密であるアークの管理エリアの情報を、そこら辺のAIが知り得るなんて不可能だ。一目見て僕がAIではなくアークのユーザーである、と見抜けたのも不可解だし……正直言って、この妖精は怪しすぎる。


「言われてみれば確かに、まだ自己紹介をしていませんでしたね」


 妖精は羽を少し羽ばたかせ、ひょいっと、ベッドから立ち上がった。


「私の名は“非常特殊工作機体”TYPE‐FAIRY、型式番号はVZ-001!平たく言えば、アーク運営によって開発された超高性能AIです」


 彼女の口から飛び出したのは、またも驚くべき内容であった。


「非常特殊工作機体って確か、アークの管理者達によって極秘裏に製造されたって噂の機密AIだよな?ユーザーの情報を盗み見たり、データの書き換えや個人の思考を読み取ったりできるっていう‥‥」


 一時その存在が明るみに出て、大問題になったはずだ。


「ああ、そんなこともありましたね。まぁ、それは私じゃなくて2号機とか3号機とかの話ですけど。というか情報統制の関係上、前回の電脳更新アップデートで、非常特殊工作機体に関する記憶は全ユーザーから削除されたはずだったんですけど‥‥何で覚えているんですか?」


「知らないよ‥‥」


 触れるのも怖いような内容がチラッと出たような気もするが、今はスルーしておいた。とにかく、何故彼女がそこまで踏み入った事情を把握しているのか、という疑問は消えた。非常特殊工作機体。アーク運営側の懐刀みたいなAIなんだから、それぐらい知っていても不思議ではないだろう。ユフテルではなく、アークの運営が用意したAIというのが、少し気になるところではあるが。


「それで、僕がここに存在している理由の方は?何か知ってるのか?」


「ええ、勿論知っていますとも!むしろ、そちらの事情の方が私のとっては本命のお仕事です!!」


 彼女は自信に満ちた堂々とした様子で、そう言い放った。


「そっちの方が本命‥‥?どういう意味だ?」


「魔王ガイアによって管理エリアが陥落する寸前、管理者達はすべてのユーザーの自我や意識…端的に言えば魂だけを肉体(アバター)から切り離し、凍結状態へと移行させたのです。中身さえ無事なら、仮初めの肉体(アバター)はどうにだってなりますからね」


 つまり。僕以外の全ての人類は身体を持たない意識だけの存在となって、今も長い眠りについているということか。


「そして、管理者達は最後の力を振り絞り―――無数のユーザーの中から魔王を倒しうる人物を選び、ガイアの発生源であるYF世界、このユフテルへと送り込んだ。アークを取り戻す“勇者”として、ね」


「それが僕だって言いたいのか?」


「はい!」


 即答だった。眼をキラキラと輝かせながら、妖精は尊敬の眼差しを僕に向ける。


「絶対に、間違いありません!一目見た瞬間確信しました、貴方こそが魔王ガイアを倒す勇者様なのだと!!何より、他のユーザーが消え去った中で貴方だけが存在しているのが一番の証拠です!」


「は、はぁ…」


「そして、管理者側のAIである私の使命は勇者である貴方を導き、かつての人類の楽園アークを取り戻すこと‥‥という訳です!」


 なるほど。概ねの事情は分かった。いや、正直全然分かってないけど今は良い。


「要するに、僕は何をすればいい?」


 どうすればこの世界は元に戻る?


 その答えは至極簡単なものであった。


「はい!魔王ガイアを倒すのです!それが、この世界が元に戻る唯一の方法!そして、勇者として生まれ変わったあなたの使命です!!」

「私は貴方にこの使命を告げるために、この1万年の時を生き続けたのです!本当に――ずっと待ってたんですからね!!」


 1万年の時を僕の為に、か。


「さぁ、まずは聖都に向かいましょう!洗礼を受けて、それから‥‥」


 でも‥‥。


「どうやって魔王を倒すんだ?」


「えっ?普通にこう、殴り倒すっていうか‥‥」


「でも僕、戦いなんてできないよ」


「え?」


「だって僕、最初のボスすら倒せなかったんだもん」


「ま、またまたご冗談を~!」


「本当だって。全然勝てないから嫌になって、ずっと最初の村で引き籠ってアルボルちゃんと戯れてたくらいなんだから」


 職業も魔法使いから薬師にジョブチェンジしたくらいだし、何となくプレイしていただけで、正直YFのこともあまり詳しくない‥‥いや、改めて考えるとどうして僕が選ばれたのか全くわからないな。


「え、マジで―――戦えないんですか?」


「うん」


 そもそもこのアバターは僕のモノじゃない。装備、アイテム、レベル、スキルに至るまで全て一からの振出し状態なんだ。本来のアバターでも勝てっこないのに、さらに弱体化してるんだからどうしようもないだろう。


「確かに芋虫程の魔力しか貴方からは感じませんが…何か凄い変身とか、奥の手とか隠しているんですよね!?」


「だから本当に何もないって、あと芋虫言うな」


「まさか本当に?そんな‥‥どうして‥‥」


 彼女の瞳から、溢れんばかりの輝きが消える。まぁ、ずっと待ち続けた勇者様がこんな体たらくじゃな。罵倒すればいい。お前が弱いせいで、人類の未来は潰えたと罵ればいい。僕が選ばれた瞬間に、彼女の1万年間は徒労に終わったのだ。


 怒りをぶつける相手が必要だろう。なんなら、僕を絞め殺してくれても構わないさ。こんな誰も居なくなった世界で、別段生きていたいとも思わない。それで人の世が終わることになっても、仕方のないことだ。


「―――そう、ですか。すいません勝手に舞い上がっちゃって‥‥私、昔からドジばっかりで‥‥はは……これからどう、しましょうか‥‥」


 しかし、沈黙を破って彼女の口から出たのは、あまりにも力ない言葉であった。ぐちゃぐちゃに混乱する心を全然隠しきれていない、それでも僕に悟られないよう必死に取り繕っている。どうにかしてあげたいのは山々だ、だけど―――今の僕にはどうすることもできない。

「・・・」


 妖精は力が抜けたように、すとん、とベッドに座り込んだまま動かなくなってしまった。


「―――うむ」


 さて、この重苦しい空気感をどうしたものか。


 僕としては他にアークを元に戻す方法がないか妖精に問い詰めたいところではあるが、今の彼女の精神状態では、恐らく難しいだろう。突っ立っていても仕方ない。僕は外の様子を確認しようと、扉を開けて外へと出てみた。


「おお‥‥」


 扉を開けた瞬間、暖かな日差しがキラキラと小屋の中へ差し込んできた。地面には瑞々しい緑が広がり、木々の上からは美しい小鳥のさえずりが聞こえてくる。間違いない、ここは紛れもなく“始まりの平原”だ。

 

 何となく見慣れた場所に出ることが出来て、少しだけ心が軽くなる。僕は行く宛もないまま、ゆっくりと歩き出した。


「ここで倒れてたのを、あの妖精に助けられ小屋まで運ばれたのか」


 確か、ハムさんと最後に分かれたのも始まりの平原だったよな。僕は小さな切り株に腰かけて‥‥ぼんやりと、のどかな景色を眺めていた。


「これからどうしようか」


 独り言。いや、独り言というより考えていることがそのまま言葉に出たという感じか。ともかく僕の方も、このどうしようもない現状に直面し、考えがまとまらなくなっていたのだ。


 悪い夢なら、早く覚めてほしい。僕は心の底からそう願った。






「ガウウウウウウウウアアアア!!!」




 そして、そんな僕に非情な現実を突きつけるように――ヤツは現れた。



「何だ!?」


 突如として上空から響き渡る、大気が震えるほどのけたましい咆哮。獣や魔物のものではない、もっと強力で大きな存在のものだ。僕は慌てて周囲を確認し、その声の主と対面する。


「‥‥嘘だろ」


 竜だ。数十mはあろうかという巨大な竜が、上空から僕を見下ろしていたのだ。


「・・・」


 一度、ハムさんに聞いたことがある。始まりの平原にはごく稀に、彼方より竜が現れるという。ユフテルにおいて竜とは太古より食物連鎖の頂点に位置する最強の生物。たとえどれほど腕に自信があろうとも、挑んではならない、と。


「いや、こんなおっかないのに挑む気なんてさらさら無いが!?」


 とにかく、逃げなければ!


 僕は急いで走り出そうとするが、行動を始めた時には全てが遅かった。遮蔽物の無いだだっ広い平原で、ちっぽけな人間が強大な竜に遭遇すれば命は無い。ヤツに見つかったその瞬間から、僕は完全に詰んでいたのだ。


「はぁ、はぁ…!」


 僕は必死になって走った。しかし、そんな僕を嘲笑うかのように――竜の黒い影がピッタリと僕の上に覆いかぶさった。


「!」


 ヤツは今、僕の真上にいる!


「グウウウ!」


 呻り声と共に、竜は上空から僕目掛けて一直線に降下する。まさに狩る者と狩られる者。僕の小さな命は、あと数秒でこの世界から消え去ろうとしていた。


「ガアアアアア!!!!!」


 背中でも吐息を感じるほどの咆哮が響く。


「ここまでか‥‥!」


 走るのをやめようとした、その時――――――。




「勇者様から離れやがれこのトカゲ野郎おおーーーー!!!」



 何者かの叫び声が聞こえた瞬間、背後から大きな爆発音が聞こえた。


「なっ!?」


 妖精だ!先ほどの妖精が、僕と竜の間に立ちふさがり魔法のようなものを放っている!


「グウウウ・・・」


 しかし‥‥妖精の繰り出す魔法は竜の注意を引くことはできたものの、かすり傷一つ負わせることはできないでいた。


「お前‥‥何で、どうして―――」


「勇者様、ここは私に任せて早く避難を!」


 彼女は腰を抜かして座り込む僕には目もくれず、絶え間なく魔法を撃ち続けていた。魔法が竜に命中するたびに大きな爆発が起こり、黒煙があがる。


 だがやはり、竜には痛くも痒くもないようであった。


「お前はどうするんだよ‥‥!」


「この竜を倒します!」


「できる訳ないだろ!」


 彼女の魔法では、あの竜に傷一つ付けることはできない。素人の僕にも分かってしまうほど、彼女と竜の力は歴然であった。このまま彼女を置いていけばどうなるか、結果は火を見るより明らかだ。


「僕のことはいい!どうせ僕は君の期待に応えることはできない…だから早く、ここから‥‥」


「できなくてもやるしかないんです!!」


「!?」


「それが、勇者を導く私の使命!魔王を倒すその日まで貴方様を守り抜くと誓った、私の覚悟です―――!!!」


「どうしてそこまで‥‥!」


「だって貴方は私の待ち続けた、たった一人の勇者様なんです!代わりのいる私達とは違う、人類最後の希望なんですから‥‥!!」


 彼女は声を枯らしながら、魂の限りに叫んだ。僕という存在、それこそが彼女の生きる意味であり存在価値。勇者を導くという魂に刻まれた何よりも重要な使命。ただそれだけを守り抜くために、彼女は今、その小さな体で戦っている。自らの運命に、必死に立ち向かっているのだ。


 ‥‥アークは選ぶ人間を間違えた。


 僕なんかじゃなく、YFのトップランカーを選んでいれば、さっさと魔王を倒して全部解決だっていうのに。期待外れも甚だしい。人類が滅ぶのは仕方ない。生命である以上、いつかは死ぬ。これからは残されたAIが、僕たちの代わりにこの電脳世界で生き続けるだろう。


 僕だって、16年も生きた。いつ死んでもいいと思いながら――だらだらと死んでいないだけの日々を送ってきた。たった16年なんて言う人もいるかもしれないけど、生きながら死んでいる僕にとってはあまりに長い時だったんだ。


 悔いはない。


 ただ‥‥‥‥。


 システムの支配から解放されても‥‥人類を救うためのAIとして1万年もの間、役目を忘れず、救世主を待ち続けた彼女の努力を踏みにじれるほど……




 ―――人でなしでもないんだ。




「ガアアアアアアアアア!!!」


 いい加減妖精の攻撃に飽きたのか、竜は咆哮を上げ、鋭い爪を天高く掲げた。


「だめ!これ以上は‥‥」


「なぁ、妖精」


「まだ居たんですか!?早く逃げ‥‥」


「剣、もってないか」


「――――剣?」


「何でもいい、とにかく剣の形をしていれば」


「・・・?」


 困惑した様子を隠せないまま、彼女は僕に一振りの剣を手渡した。


「持ってたんだ‥‥」


「護身用です」


 僕は妖精から貰った剣を力強く握りしめ、竜の前に立った。


「勇者様?あの、一体何を?」


「アイツを、たたっ斬る」


「え?」

「えええええええええ!??」


 何を言っているんだコイツはと言わんばかりに、彼女は僕の顔を覗き込んだ。


「気でも触れたんですか!?」


「いや、正気だけど」


「貴方の腕で竜に敵う訳ないでしょう!?何いきなりかっこつけようとしてんですか!?」


「う、うるさいなぁ!」


 僕のこと信用してるのかしてないのかどっちだよ!


「まぁ正直言って、成功する確率は低いけど…」


 というか、多分成功しない。ハムさんに昔教えてもらったきり、一度も使ったことない技だ。


「ダメじゃないですか!」


「できなくてもやるしかない。さっきお前が教えてくれたことだろ」


「っ!」


「ガアアアアアアアアア!!!!!」


 荒れ狂った竜が、数mの鋭い爪を一直線に振り下ろした。ちっぽけな人間と妖精を潰すにはあまりに強力な一撃が、今二人へと降りかかる―――。


「頼むぞ」


 僕は剣に力をこめて、意識を集中させる。


 引き付けろ。限界まで、ヤツの攻撃を引き付けるんだ。


 発動のタイミングを誤れば、僕と妖精は一切の例外なく即死。絶対に失敗は許されない。






~~~~



「おや、祷君どうしたんだい、そんなところで不貞腐れて。もしかしてまた、悪質なプレイヤーに狩られたのかい?」


「薬が欲しいって言うから売ってやろうとしたら、ボコボコにされて奪われた」


「ぷぷ、それはそれは―――災難だったね。殴って奪い返さなかったのかい?」


「そんなハムさんみたいなことできる訳ないじゃないですか。薬師ですよ僕」


「薬師でも、格上の冒険者を倒す術はあると思うけど?」


「いや、僕他のジョブ全然やってないから薬師のスキルしか使えませんって」


「フフ、ではお姉さんがいいことを教えてあげよう祷君。腕の立つ戦士も、騎士も、盗賊も、この技一つで華麗に対処可能だぞ」


「どうせ使うには高レベルが必要です、みたいなアレでしょ」


「もう…中々に疑い深いな君は。ほら、一度この剣を持って」


「なんか怪しいな‥‥」


「いいかい?大切なのは相手の動きをよく見ること、そして発動するタイミングだ。まず、私がやって見せるから―――――」




~~~~




「!」


 走馬灯か…?


 一刻を争う状態だってのに、僕はずいぶん古い夢を見ていたいみたいだ。


 でも――お陰で完璧に復習できた。



「勇者様‥‥!!」


「ガアアアアアアア!!!!!!」


 血に飢えた凶爪が、殺意と共に小さな二人の体を切り裂く。体からは溢れんばかりの鮮血が噴き出し、小さく柔らかな肉は原型をとどめない程に引き裂けていく。断末魔を上げる暇もなく、か弱い彼らの命は散っていった。


 何もおかしくはない。至極当然の結果だ。絶対的強者と喰われる者、竜と人、この二者が相対すれば“こうなること”は初めから分かりきっていた。


 小さな人間が強大な竜に打ち勝つなど‥‥夢溢れる創作物(フィクション)の中だけの話なのだと。



 そう、誰もが思っていた。




 今だ!!



「パリィ―――!」


 巨大な竜の鉤爪が少年に触れる刹那の隙に、彼は手に持った剣を竜の爪の先端へと軽く――しかし強烈に、しならせるように押し当てた。


 両者の一撃が激突した瞬間、凄まじい衝撃が周囲にほとばしる。その反動に耐えきれず、竜の攻撃は少年によって弾き返された。


「グルウウ!!?」


 竜は大きく体勢を崩し、取るに足りない人間の一撃によってその場に倒れこんだ。


「竜の一撃を…弾き返した!?そんなこと、ただの人間にできるはずが‥‥!」


「できるさ」


 “パリィ”。一言でいえば敵の攻撃を受け流す技だ。


 成功すれば起死回生のチャンスを作ることができるが、失敗すれば自身に大きな隙を生み、文字通りの死がまっているという、諸刃の剣のような戦術。この技の特筆すべき点は、どれほど相手が強大な存在であろうと、タイミングさえ嚙み合えばどのような攻撃でも技の使用者の筋力に関係なく、半ば強制的に弾き返すことができるというところだ。


 しかし、ハムさん曰くこの技の真価は技を弾き返せるところではなく‥‥その後に生じる隙だという。


「今のうちだ‥‥!」


 竜が隙を見せた今が好機だ。この機を逃せば、勝利は無い!


「っ!」


 僕は倒れこんだ竜のゴツゴツとした頭によじ登り、ギョロリとした大きな目玉を思いっきり剣で突き刺した。


「ガアアアアアアアアアアアアア!!!!」


 狂乱の雄叫びを上げながら、竜は頭部にしがみ付く僕もろとも、自身の頭を思いっきり地面へと叩きつけた。


「うあああッ!!!」


 受け身を取ることすらできず、十数mの高さから途轍もない勢いで背中を地面に叩きつけられた。意識が飛んでしまうかのような激痛が全身を駆け抜け、肺が悲鳴を上げ呼吸すら困難になる。眼球がやられたのか視界が真っ赤に染まっていき、眼が思うように機能しない。


 苦しい…死にそうだ。だが、悪い気はしない―――あの巨大な竜に一矢報いてやったのだ。


 悔いは、ない。


「ざまぁみろ‥‥トカゲ野郎」


「勇者様!!癒しの雫よ、浸せ――!」


 駆け寄ってきた妖精の手から、何やら雫のようなものが零れ落ちる。

 

 その雫が額に触れた瞬間、僕の体の傷はみるみるうちに癒え、視界も綺麗に澄み渡っていった。


「大丈夫ですか!?勇者様!」


「う、うん‥‥なんとか」


 僕はゆっくりと身体を起こし、立ち上がる。さっきの竜はいつの間にか姿を消し、飛び去った様であった。


「もしかして、本当に勝った‥‥のか?」


「ええ!勇者様の大勝利です!!いやっほーう!!」


 弾けるような笑顔で、妖精は僕へと抱き着いてきた。少し暑苦しいが、まぁ…今この瞬間くらいはいいだろう。


「さっきはウダウダ言ってましたが、やっぱり勇者様は勇者様ですね!あの強力なドラゴンを追い払ってしまうなんて!惚れ直しましたよホント!」


「ウダウダとか言うな!それに、今回勝てたのは、本当に偶然だ」


 炎でも吐かれていれば、僕たちはその時点で丸焦げだったろう。眼を一刺ししたくらいで引き下がってくれたのも幸運だったし、今回のは勝ったというより、見逃してもらったという表現の方が適切だろう。


 それに、今僕たちが生きているのは紛れもなく彼女のお陰だ。彼女が僕の中に眠るなけなしの勇気を奮い立たせてくれたから‥‥僕はあの恐ろしい竜に正面から立ち向かうことができたんだ。


「そ、それで――――あの、勇者様?」


 妖精は僕から少し距離をとり、モジモジした様子で上目遣いで僕を見る。


「終わった話を蒸し返すようで恐縮なのですが‥‥やっぱり、私と一緒に魔王ガイアを倒す旅に出てくれませんか?」


「・・・」


 全く。改まって何を言うかと思えば。


「も、もちろん強制はしません!きっと大変な旅になるでしょうし、色々準備も必要です!でも私、やっぱり勇者様となら‥‥」


「そういうのいいから」


 そう言って、僕はぶっきらぼうに手を差し出す。


「?」


「握手、ほら――知らない?」


「あくしゅ?」


 彼女は差し出された僕の手を見つめながら、不思議そうに首を傾げた。

 

「え?超高性能AIのくせに握手知らないの!?」


「も、申し訳ありません‥‥何しろ私は旧式のAIでして…」


「えっと、まぁ要するに、これからよろしくって意味だ」


「え‥‥?!」


 彼女の表情がぱぁっ、と分かりやすく明るくなった。不器用な僕の真意を汲み取ってくれたのか、彼女は何も言わずに両手で力いっぱい僕の手を握りしめた。


「末永くよろしくお願いします、私だけの―――勇者様」


 大きな雫が、彼女の瞳からほろりと零れ落ちる。


「お、おう」


 勇者とか魔王とか、ファンタジーとか全然わかんないけど―――やってやる。僕一人じゃ無理だというのなら、色んなやつに頼りまくって、媚びを売って、いい顔して、みんなで魔王を倒せばいいのだ。


「お前、名前は?」


「え?」


「名前だよ、名前。これから一緒に行動すんのに、名前がわからないと困るじゃん」


「えっと――すいません…私、名前が無くて‥‥」


「名前がない!?」


「昔はあったのかも知れないけれど‥‥もう、思い出せなくて。型式番号で良ければお教えいたしますが…」


「―――そっか」


 型式番号って、あの非常特殊工作機体うんたらかんたら‥‥ってやつか。あんなの長すぎてとても覚えられないもんな。


「よし、じゃあエイミー」


「え?」


「今日からお前はエイミーだ」

 

 僕は何となく脳裏にひらめいた名前をそのまま口にしてみた。エイミー。何となく妖精っぽくて可愛いじゃん。


「エイミー…エイミー…うーん…何か、弱っちい名前ですね」


「おまっ―――!はぁ!?人がせっかくつけてあげた名前にケチつけるか普通!?」


 名づけを断られるとか、滅茶苦茶恥ずかしい気分だわ!


「ふんっ、嫌なら別に名乗らなくてもいいよ!どーせ適当に考えた名前だし!」


「いえ‥‥弱っちいけど暖かい、素敵な名前です。名前をくれて、ありがとうございます‥‥勇者様」


 彼女は胸に手を当て、新たな名前を心にしまい込むように大切に受け止めているようであった。


「そ、そう?」


「そういえば…勇者様も、今はお名前が思い出せないんですよね?」


 そういえばそうだった。元の名前を思い出せないのは僕も同じだったんだ。せめてこのアバターの名前が分かればいいんだけど。


「よろしければ、私が名前をつけてあげましょうか?」


 ニタニタと悪そうな笑みを浮かべている…さっきまで泣きそうな顔してたくせに…。


「いいよ、言ってみて」


 どんな素っ頓狂な名前が飛び出すのかと身構えていると‥‥。


「ジルフィーネ・ロマンシア。勇者様の新しい名前は、ジルフィーネ・ロマンシアです」


「・・・」


 思ったよりかっこいい名前が飛び出したな。ジルフィーネ・ロマンシア、か…ちょっと長いけどまぁ悪くない。


「ふーん、まぁいいんじゃないの」


「はい!適当に考えたんですけど――喜んでもらえてよかったです!ジル様!」


「今の無し」


「あと、エイミーじゃなくて、これからは鼻血マンって呼ぶから」


 なんでぇーーー!と、鼻血マン、もといエイミーは服の裾にすがりつく。今度は涙で裾がぐしょぐしょになりそうだった。これから数多の困難が僕たちを拒むだろう。だけど、不思議と恐怖はない。

 

 エイミーと一緒なら、何とかなる。根拠はないけど、そんな気がしてならないんだ。本当に面倒だけど、僕を勇者として頼ってくれるうちは‥‥まぁ、頑張ってやってもいい。


「じゃ、改めてよろしくエイミー」


「はい、ジル様!!」


 こうして、名無しの二人の旅は幕を開ける。


 彼らの出会いが、世界を大きく変え―――やがて滅ぼすことになるとは今は誰も、知る由は無かった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ