第16話 真の忌み魔女
「それにしても‥‥まさかここまでやってくれるとは思ってもみませんでしたよ」
「この森を支配するのに邪魔なヘイゼルを、こんなにもボロボロに叩きのめしてくれるなんて」
天にも昇るような喜びに満ちた表情で、ソルシエは微笑んだ。
「森を支配する、だと?」
「ええ、そうです」
「私の目的はこの森を支配し、森のどこかに今も存在すると云う“女神イルエラの亡骸”を見つけ出し、一つとなること」
「そして女神の膨大な力を使い‥‥魔王様に代わって世界を統治する」
「森を守護するヘイゼルは、私にとってどうしようもないくらい邪魔な存在だったのです」
ヘイゼルが、森を守護していた?
「でも、ヘイゼルは森の魔物を操って森に入った人間や、ルエル村を何度も襲っていたゲロ!」
「実際、この森には本来生息するはずのない“メイメイマシラ”や“デザートウルフ”までもが姿を見せるようになったゲロ!」
「全部‥‥全部忌み魔女の仕業ゲロ!」
ソルシエの行いを正当化するように、ベローは必死になって訴える。かつて自分を救ってくれた恩人のあまりにも邪悪な本性を―――信じたくないのだ。
ベローの言葉は、ソルシエと一触即発状態の僕たちを諫めるためだけではなく‥‥ソルシエは間違っていないと彼自身に言い聞かせるための言葉でもあった。
「何を言っているのですのか、この蛙もどきは」
「――――この森に外来種の魔物を持ち込んだのは私ですよ?」
「う、嘘だゲロ‥‥」
「魔物の被害に苦しむルエル村を救うために忌み魔女を倒すって‥‥ソルシエ様はそう言ってたゲロ!」
「ああ、あんなくだらない戯言、まだ信じていたのですね」
「森に凶暴な魔物を放ち、村人を襲わせることで、忌み魔女への恐怖を募らせる‥‥全ては、村人の恨みをヘイゼルへ向けるための私の作戦ですが」
口にするのも憚られるような悪逆非道を、女は鼻歌でも歌うかのように軽々と告げた。
「僕たちを‥‥騙していたんだな」
あの時、彼女が涙ながらに語った想いも全て‥‥偽りだったのか。
もしそうなら、僕とエイミー、そしてベローは一体何のためにこの5日間を戦ってきたのか分からない。
皆、ソルシエの言葉に突き動かされて頑張ってきたというのに‥‥。
「まぁ!騙すだなんて、人聞きの悪い」
「私がちょっと困ってる風に演出して見せたら、馬鹿みたいにころっと引っ掛かったのはそちらじゃないですか」
冷たい、侮蔑のこもった笑みを浮かべ、女は嗤う。
僕たちだけじゃない。ヘイゼルに罪を擦り付けて‥‥村の人々も騙していたのだ。
「―――ッ!」
もう対話は必要ない、今すぐにこの悪魔を切り伏せなければ――!
「ジル様、彼女のペースに乗せられてはいけません!あれは挑発です」
「平静を失っては相手の思うつぼです」
確かにエイミーの言う通りかもしれない。でも、こんな状況で冷静になんていられるか‥‥!
「ふふ――意外と冷静なのね貴女」
「もっと喚いたり、騒ぎ立てるものだと思っていたのですけど」
「あなたは村長ダラスによって地下牢に幽閉されていたはずです」
「それなのに今、ここにいるということは‥‥」
エイミーは冷静に、現在のルエル村の状況を推察した。
「まさか、村の連中を―――!」
割り込むように、ヘイゼルが声を上げた。
「ええ、地下牢を魔法で吹き飛ばした後‥‥村に魔物を放っておきました」
「どうしてそんなことを!」
「だって、これから森の支配者となる私にとって、もう隠れ家は必要ないですし」
「なにより‥‥あんな醜い村、もう見るのも限界だったので」
「っ!」
外道め―――。
「ふふ‥‥今頃ルエル村では、魔物達の手によって殺戮の宴が豪勢に開かれていることでしょう」
「アグニル!!」
ソルシエが言葉を言い終える前に、ヘイゼルはありったけの数の火球をソルシエへと放つ。
「無駄なことを」
そう呟くと、ソルシエは右腕を軽く振り上げ空中に十字を切る。すると、突如として何もない空間から突風が吹き荒れ‥‥ヘイゼルの魔法を全て吹き飛ばしてしまった。
「手負いの貴女の魔法など、恐るるに足りません」
「くっ―――!」
「さぁ‥‥自らの生まれを呪いながら、無様に死になさい!」
再び、ソルシエは右手を天へと振りかざす。
また何か撃ってくる気か……!
「エイミー!」
「僕にもう一度、<神刻>を!!」
ヘイゼルも、ベローも、皆もうボロボロだ‥‥もう一度<神刻>の力を発動させなければ、僕たちは間違いなく全滅する!
「そ、そんなことをしたらジル様が死んでしまいます!」
「本来<神刻>は一生涯に一度しか使うことのできない必殺の切り札」
「いくら効果を弱めているとはいえ、1日に二度も使うなんて‥‥正気の沙汰じゃありません!」
「じゃあこのまま仲良く全滅しろっていうのか!?」
「それは‥‥!」
「僕の体がどうなろうと構わない!」
「ここを乗り越えなければ、世界を救うことなんてできはしないんだ!!」
「だって、僕たちの旅はまだきっと‥‥始まってすらいないのだから―――!」
こんなところで終わるなんて論外だ。
魔王ガイアを倒し、世界を救うといのなら‥‥これくらいの窮地は乗り越えなければならない。
「ああ!もう!」
「分かりましたよ!その代わり、本当にどうなっても知りませんからねこの頑固者!!」
僕の決意を受け入れてくれたのか、はたまた諦めがついたのか‥‥エイミーは再び、僕の体に手を当て、<神刻>を発動する準備に入る。
「今回は詠唱は省略します!」
「代償として、発動時間は3分間に縮まります、ですから―――」
「分かってる!」
「3分以内に‥‥ソルシエを倒す!!」
「薙ぎ払いなさい、エウロアス!!!」
先ほどの突風とは比べ物にならないほど強力な風の魔法が、刃となって4人を襲う!
周囲の木々は鋭利な旋風によって切り刻まれ、轟音と振動と共に次々と倒れて行く。
「はッ!!」
「!?」
しかし。
強力無比な風の刃は少年の一太刀の前に、なすすべもなく吹き飛んだ。
「馬鹿な!」
「ありえない、なんて魔力量なの‥‥!?」
「時間がないんだ、早々に決めさせてもらうぞ!」
剣を地面に突き立て、魔力を一斉に流し込む。解き放たれた魔力は強力な熱量を帯びて、地を這いソルシエを襲う!
「ちッ!」
咄嗟に回避をするも‥‥予想外の攻撃を受け、ソルシエに小さな隙が発生した。
その一瞬の隙を、ジルは決して見逃さない。
「逃がすか…!」
斬撃に全力の魔力をこめて、いっきにソルシエへと解き放つ!
「迅い……!?」
まともに防御もできぬまま、解き放たれた斬撃はソルシエへと命中した。
「ぐぁッ―――!!!」
「っく―――!」
斬撃は一直線に、ソルシエの腹部を切り裂いていた。
損傷した箇所からは、ドクドクと真っ赤な血が溢れている。
だが‥‥これではまだ浅い。
彼女を打ち倒すには、もっと強力な一撃が必要だ。
「(あと2分――――間に合うか―――!?)」
「何故まだ動ける‥‥?!」
「そろそろ毒によって全身が麻痺しはじめる頃合いのはず――――!!」
傷口を押さえながら、ソルシエは恨めしそうにジルを睨みつける。
「毒だって?」
「そうよ!貴方がそこの蛙の妖精を呼び出す際に吹いたオカリナ‥‥あの吹き口に、体全身の感覚を奪い、やがて死に至らしめる“遅効毒”を塗りたくっておいたのに‥‥!」
ソルシエのまさかの発言を聞き、僕は思わず叫び返した。
「あんな怪しい笛、吹くわけないだろ‥‥!!!」
僕は狼狽えるソルシエに、すかさず追撃を繰り出す。
「くっ‥‥!まさかあの段階で私の作戦を見抜いてたというのか!」
「ジル様」
「ああ、良く分からないけど‥‥そういうことにしておこう!」
あの時、本当に笛を吹かなくて良かった。もしあそこで吹いていたら、今頃僕は‥‥。
「ならば、お次はこんなものはどうですか!」
ソルシエは無数の旋風の刃をジルへと投げつけた。
ヘイゼルの火球の倍以上の風の刃が、目にもとまらぬ勢いで迫ってくる―――!
周囲の木々をやすやすと切り倒すほどの切れ味だ。僕が喰らえばひとたまりもないのは明らかだ。
もし手に持った剣で風の刃を弾き落とそうものなら、僕の剣が切り落とされるかもしれない。
つまり、防御は不可能。
生き残りたければ、全て躱すしかない‥‥!
「!!」
飛んでくる刃を、ギリギリで躱し続ける。
<神刻>で強化した体をもってしても、高速で飛び交う風の刃を見切ることは容易ではない。
一瞬でも集中が切れれば、そこで全てが終わる。
僕が倒れれば‥‥エイミーも、ベローも、ヘイゼルも―――みんな殺されてしまう。
「もうちょい‥‥!!」
ソルシエの猛攻を躱しつつ‥‥ジルは徐々に、自身の攻撃が届く間合いへとにじり寄っていた。
残り約10m、全力で踏み込めば懐へ入り込めるはずだ!
あと一歩、あと一歩踏み込めば―――斬撃が届く、のに―――。
「おやおや、苦しそうですね?」
「じっとしていれば、私が楽になってしてあげますわよ―――?」
防戦一方のジルを見て、ソルシエの攻撃はますますヒートアップする。
くそ、攻撃が激し過ぎる!このままじゃ‥‥!
「焼き尽くしなさい、アグニーラ!」
「!?」
ジルに釘付けになっていたソルシエの隙を突き、ヘイゼルが炎の槍を展開した。
荒れ狂う火炎の槍は、ソルシエの無数の風の刃を強引に蹴散らしていく―――!
風と炎が混じり合い、周囲に熱風が吹き荒れた‥‥!
「今よ!」
ヘイゼルが作ったチャンスを無駄にするわけにはいかない!
僕はガラ空きになったソルシエの元へと一気に詰め寄り‥‥。
「しまっ――――!」
この体に残る全ての魔力を動員して、全身全霊全力の一撃をソルシエへと振り下ろす――――!
「!」
しかし。
剣の切っ先がソルシエに当たる直前、突如としてジルの体に激痛が走った。
「ッ!」
視界は大きく揺れ、頭が割れるように痛い。体中の穴という穴から、血液があふれ出す。
足がふらつき、剣を握っていることすら危うい状態であった。
「ちょっと‥‥どうしたのよ!?」
「ジル様―――!」
激しい苦痛に見舞われながらも、ジルの頭は自分の体に何が起こっているのかを理解していた。
答えはただ一つ。<神刻>の効果が切れたのだ。
今まで無茶をした代償が一気に押し寄せジ‥‥ルの体を蝕んでいく。無防備に立ち尽くすソルシエを前にして、とうとうジルは地面に倒れこんだ。
「‥‥ふっ」
「‥‥ふふふふふ」
「あっはははははははは!!!!!」
「あと一歩で私を殺せたというのに、残念でしたねぇ?!」
ソルシエは揺らがぬ勝利を確信し、無様に横たわるジルを歓喜に満ちた表情で見下ろしていた。
「――――――」
体が、全く動かない。
ああ‥‥あともう一歩だったのになぁ。
最期の希望が潰えた今。この状況を覆す手段はもはやどこにも残ってはいない。
この場に残っているのは、ただひたすらの絶望だけであった。