第12話 決着
~イルエラの森・魔女の領域~
新たな姿へと変化を果たしたヘイゼルの前に、ジルは段々と圧され始めていた。
「さっきまでの威勢はどこにいったのかしら?」
ヘイゼルの周りには、さっきの倍以上のサイズと威力を誇る炎槍が無数に展開していた。少しかすっただけで、大怪我はまぬがれない。今の忌み魔女の魔法は、一発一発が致命傷になりかねないほどの威力を誇る最凶クラスの攻撃へと変貌していた。
こちらから攻めようにも、炎槍が邪魔で剣の間合いまで近づけない。
「くっ…このままじゃ防戦一方で埒が明かないぞ!」
「アハト・アグニーラ!!」
「まだ出せるのか!?」
ヘイゼルは周囲に展開する無数の炎槍とは別に、新たに8つの炎槍を作り一直線にジルへと穿つ!!
「このッ…!」
全部じゃなくてもいい。せめて半分以上は切り落とす!爆発音が絶え間なく響き続け…次から次へと全方位から炎槍が飛んでくる。その全てを真正面から迎え撃ち、がむしゃらに斬りまくっていく。
「はぁ…はぁ…!」
ようやく全ての魔法をさばき切った時には、もう左腕は使い物にならなくなっていた。被弾した箇所が燃えるように熱い。大量に出血しているが、不思議と痛みは無い。これも<神刻>のお陰なのだろうか…。
「アハト・アグニーラ、多重展開」
ああ―――またか。あれほど苦労して防いだ炎槍が、いとも簡単に再生していく。またミサイルみたいに飛ばしてくるのだろう。
もう一度あの猛攻を撃ち落とすだけの余力は、もはやジルの体には残っていなかった。
「エイミー、神刻の出力って――も少し上げたりできないか…?」
返答が無い…不思議に思って、右肩を見てみると―――。
「エイミー?!」
そこに、エイミーの姿は無かった。
「まさか‥‥さっきの強風で飛ばされちゃったのか?!」
「何か、最後に言い遺すことはあるかしら?」
勝者のみに許されるそのセリフを、ヘイゼルはいとも簡単に吐き捨てた。どうあがいても、僕に勝ち目はないと――ヤツはそう確信しているのだ。
「うるせーよ、バカ。今からぶっ飛ばしてやるから―――ちょっと待ってろ」
僕は精一杯の強がりを見せると…ポケットの小瓶を取り出し、そっと口にくわえた。決して落とさないように、しっかりと顎に力を入れる。
「そう、じゃあ死になさい」
ヘイゼルの周りに展開する炎槍――—そのすべてが、一斉にジルの元へと降り注ぐ。
その数、実に32本。全長数十mを超える燃え盛る槍が、僕を殺すためだけに向かってくるのだ。
「―――イチかバチか!!」
視界を埋め尽くすほどの炎に、少年は立ち向かう。人一人を殺すにはあまりに過剰な威力の魔法の雨を、正面から叩き落としていく。ジルは朦朧とする意識の中、ただひたすらに迫りくる炎槍を剣で撃ち落とし続けた。
熱い、暑い、あつい、苦しい、辛い、痛い。眼球が蒸発し、目が見えない。自分が立っているのかどうかもわからないほどに、ジルは生死の淵を彷徨っていた。
「あと少し‥‥」
早く、この苦痛が終わってほしい。
「終わりよ」
最期の炎槍が、凄まじい轟音ともに大爆発を起こす。その爆発を最後に、森全体が揺れ動くような振動はようやく止まった。あまりの衝撃に大地は爛れ、木々は消し飛び、ただ視界を遮るほどの砂煙が立ち込めている。
そこにはただ‥‥死の静寂に包まれた不毛な世界があるだけであった。
「一人の人間相手にここまでするなんて……どこまでいこうとやっぱり、私は忌み魔女なのね」
勝利を確信し、その場から去ろうとするヘイゼル。
しかし―――戦いはまだ終わってはいなかった。
砂煙の中から、颯爽と一つの影が飛び出す!
「!?」
あの人間が、私の元へ一直線に向かってくる‥‥!!
「何故!?何故まだ生きているの!?」
いや!考えるのは後だ、今はヤツを消し飛ばすのが先っ…!
「アグニーラ、展開!」
しかし、完全に不意を突かれたヘイゼルは、反撃の魔法を放つことすらできなかった。
「はぁッ!!」
力いっぱい魔力を込めて、少年は渾身の一撃を振り下ろす。振り下ろされたジルの斬撃は、無防備な忌み魔女の体を捉え――一直線に切り裂いた。
呆然と立ち尽くす少年と、横たわる忌み魔女。遂に……雌雄は決した。
「ッ‥‥…」
破裂しそうな心臓を押さえ、呼吸を落ち着かせる。それにしても、小瓶の中の回復薬を少しずつ呑みながら炎槍を打ち落とすのは流石にきつかった。傷が少し再生しては、まだ傷が増え、また再生しては、傷が増える…まさに生き地獄そのもの、今生きているのが不思議なくらいだ。蒸発した眼は元に戻ったけど、左腕は動かないままだし。
もう二度と、あんな無茶はしたくない。
「――――ふぅ」
だけど、僕は忌み魔女ヘイゼルに勝った。紙一重のところで何とか打ち勝つことが出来たのだ。安堵の想いで、そっと胸をなでおろす。さっきまでは何ともなかった傷口も、心なしか今になって急に痛んできた。
どれだけの時間戦闘していたかは分からないが……もしかすると、神刻の効果が切れたのかもしれない。
「ヘイゼルは‥‥」
魔力でコーティングして攻撃したから彼女も死んでは無いと思うけど、少し心配だ。まぁ、コーティングしたといっても、剣で切られるか鈍器で殴られるかの違いで…痛いことに変わりはないのだが。
ジルは恐る恐る、力なく倒れこむヘイゼルの体へとそっと触れてみる。僅かに暖かい柔肌からは―――かすかに鼓動を感じられた。
「良かった、まだ息はある…!」
気を失い、横たわる忌み魔女を担ぎ上げて樹の幹に縛り付ける。念のため彼女の杖は遠くに避けて置いた。
彼女には問いただしたいことがいくつかある、それを聞き出すまでは‥‥死なせるわけにはいかない。
「ん?」
項垂れるヘイゼルのポーチから、一冊の本が零れ落ちる。
「何だこれ、日記?」
使い古された、古びた日記。もしかしなくても、十中八九彼女のものだろう。
「・・・」
誰も見ていないし、ヘイゼルが目を覚ますまでは、ちょっとくらい…いいよね?
「とりあえず、最後のページから見てみようっかなー」
ほんの軽い気持ちで―――僕は、ヘイゼルの日記を開いた。
~ヘイゼルの日記~
明日はいよいよ、最期の日。
もう何十年も待ったけれど――――結局、ルエル村の人間たちは何も変わらなかった。
5日間の猶予を与えてみたけど、それも無駄に終わった。
私はもう一度村の皆と手を取り合って、昔みたいに暮らしたかっただけなのに。
ねぇ、あの頃にはもう戻れないの?
どうして皆、私を嫌いになるの?
どれだけ頑張っても、どうして最後に裏切るの?
辛い、寂しい……これ以上は耐えられない。
もう一人は嫌…。
迫害されながら生きるのは―――もう疲れた。
だけど、もういいの。
明日になったらすべてが終わる―――すべての苦しみから解放される。
こんな世界からおさらばできて、本当にせいせいするわ。
でも、一つだけ我が儘を言っていいのなら―――。
もう少し、生きていたかったな。
「――――――」
ああ、僕はなんて馬鹿なことをしてしまったんだ。
これは誰にも明かせなかった彼女の叫びだ…書かれていることの内容はさっぱり分からないが、僕なんかが見ていいモノのはずが無い。生半可な気持ちでヘイゼルの日記を開いたことをひどく後悔する。
「これは、彼女に返しておこう」
日記をヘイゼルのポーチに戻そうとしたその時‥‥。
「あれ、ここは―――」
遂に、ヘイゼルがゆっくりと目を覚ました。僕は慌てて、彼女に見つからぬよう手に持った日記を背後へと隠す。
「……そう、負けちゃったのね…私」
2、3回周囲を見渡した後、彼女は自身の置かれた状況を理解した。ため息交じりに呟くヘイゼル、暴れる素振りすらみせず―――とても落ち着いた様子だ。
「でも残念、森を焼く大術式はもう発動済みなのよ」
「え!?」
ヘイゼルの言葉に反応するかのように、周囲のいたる所から炎の柱が吹きあがる。今はまだ小さい炎だが…放っておけば、火の手は広がり、この森は焼き尽くされるだろう。
「結局最後は自らの焔で焼かれて死ぬ、か。はっ‥‥忌み魔女に相応しい惨めな最期ね」
血に濡れ、力なく項垂れた細い手足を眺めながら―――魔女は焔の中で自らの最期を嗤う。
「さぁ、早くとどめをさしなさい。貴女はそのために、ここへ来たんでしょう?」
はやく、早く、速く―――その手で殺せと、とどめを促す。魔女の眼からはもう、全ての光が消えている‥‥揺らがぬ敗北を悟った死人の眼だ。
「―――ああ」
僕は剣を手に、ヘイゼルの元へ歩み寄り――――ヘイゼルを縛っていた木のツルを全て切り裂いた。
「‥‥は?一体何のつもり?」
「やっぱり、僕には君を殺せないよ」
「何を言い出すかと思えば‥‥」
「本当は死にたくなんか、無いんだろ」
「お前何を言っ……まさか!」
何かに気づき、慌てた様子でポーチの中に手を突っ込むヘイゼル。ああ、バレるなこれ。
「日記がない!お前、もしかして見たのか‥‥!?」
「ごめん、ポロっと出て来たもんだから‥‥つい」
「――――ッ!死ね!!」
顔を真っ赤に染めながら、僕を睨みつける。よっぽど恥ずかしかったのか、ヘイゼルの体は小刻みに震えていた。
「この森を焼こうとしている本当の理由を、キミが忌み魔女と呼ばれるようになった本当の理由を―――教えてくれないか」
さっきの日記にも書かれていたが、やはりルエル村と彼女には、浅からぬ因縁があるようだ。忌み魔女の伝承に語られていない―――隠された真実が、あるのかもしれない。
「忌み魔女の言うことなんて……どうせ誰も信じないわ」
そう言って彼女はそっぽを向く。
「忌み魔女かどうかはどうだっていい。僕は、ヘイゼルという一人の人間について知りたいんだ」
少年は真っ直ぐにヘイゼルの瞳を見つめて、きっぱりと言い放った。
「‥‥—本当に物好きな人間ね。いいわ、術式が完全に発動するまでまだ時間があるし、冥土の土産に聞かせてあげる。ルエル村の本当の歴史、“忌み魔女の伝承”の真実を―――」
そう言って、彼女はことの全てを僕に語り聞かせた。