第10話 決戦前夜
~イルエラの森・4日目・魔女の領域~
森に入って4日目の昼。
「特訓だゲロ?」
「はい!特訓!です!!明日までに、できるだけジル様の戦闘技術を向上させるお手伝いをしてほしいのです!!」
「よろしくお願いしますっ!」
僕もエイミーに倣って、ベローへと深々と頭を下げた。エイミーが言うには、<神刻>は対象者の戦闘力を二乗する魔法らしい。つまり、僕の戦闘技術が向上すればするほど、その恩恵は大きくなる。
2×2よりも3×3、3×3よりも4×4―――という風に、対象者の戦闘力が大きいほどその効果は絶大になるということだ。
「メイメイマシラを単独で撃破できるような人間に、ベローが教えられることなんて一つもないゲロよ。むしろベローが稽古をつけて欲しいくらいだゲロ!」
「いや、あの時は運が良かったというか……」
そんな熱い尊敬の眼差しを向けられても困る。またあの力を使えたらいいんだけど、もう使うなってエイミーに釘を刺されてるしなぁ。ま、そもそもどうやって発動するか分からないから、どっちみち使うことはできないんだが。
「それより、今日こそ忌み魔女を見つけ出さないと、もう後がないゲロ」
少し焦った様子で、ベローは忌み魔女探しを提案した。彼の言う通り、もう僕たちには時間がない。
「昨日あれだけ探し回って見つからなかったんだから、恐らく魔法か何かで私達を避けているんだと思います!なので!1日無駄に走り回って体力を消耗するより、ジル様の戦力を増強した方が効率的かと!」
相変わらずのキラキラとした瞳で、ベローに詰め寄るエイミー。彼女の提案は明日には忌み魔女が見つかることが前提の、一種の賭けのような作戦だ。
もし明日見つからなければ、そこで僕たちの旅は終了…ということも十分にあり得る。
「忌み魔女と戦う前に、少しでも戦闘の勘を掴みたいんだ」
危険を多く孕んだ行動にはなるが、それでも決して無駄ではないと、僕とエイミーは確信していた。
「そ、そこまで言うなら分かったゲロ…予知夢の二人が言うことなんだから、それがきっと正しいゲロ!」
少し悩んでいるようにも見えたが。ベローは快く了承してくれた。彼の理解の深さには、本当に頭が上がらない。さて、問題は特訓の内容だけど…。
「ではジル様、これをどうぞ」
そう言ってエイミーは唐突に木の棒のような物を差し出した。
「何これ?」
「こん棒です!流石に剣を使うのは危ないので、特訓の間はこちらを使用してください!」
「ふーん、分かった」
木を削っただけの粗末なこん棒だが、柄の部分にはグリップのようなものが巻かれており、手によく馴染んで扱いやすい。
「では、特訓の説明をします!」
チャキン、と眼鏡をかけるエイミー。
どうやら特訓の内容を事前に色々と考えてくれていたらしい。というか眼鏡どっから出したんだ。
「まず、ベローさんにはそのステッキを使ってもらいます!あのボス猿に襲われた時のように、周囲に霧を発生させてください!」
なるほど、あのステッキを使うのか。メイメイマシラに襲われた時も、彼はあのステッキの力で周囲を霧だらけにしていたっけ。
「霧を出せばいいんだゲロね?分かったゲロ!霞隠れの杖よ、欺け!!」
ベローは手に持ったステッキを天高く掲げ、高らかに謳う。その瞬間、たちまち周囲には霧が立ち込め、2、3m先のエイミーの姿が霞んで見えるほどであった。
「これでいいゲロ?」
「はい!ばっちりです!!」
霧の中でもエイミーの声はよく響く。これなら何処に居ても、彼女の指示を聞くことが出来そうだ。
「ではジル様、少しこん棒を失礼して…」
ふわふわと近づいてきたエイミーが、僕のこん棒に軽く触れ…小さな声で何かを呟いた。
「重ッ!!」
彼女が手を離した瞬間、先ほどまでは片手で軽々と持ち上げられたこん棒が、10kg弱くらいの重さへと変化した。いや、これは中々にきつい!片手で易々と振り回せる重さじゃないぞ…!
「少し重いですが、我慢してくださいね。これも特訓のうちですから!」
「も少し軽くなりませんかね?」
「なりません」
くそっ、満面の笑みで拒否するんじゃねえよ…。
「では、ベローさん!準備できたのでいつでも襲い掛かってきてくれていいですよー!!」
「分かったゲロー!ジル殿!覚悟するゲロ―!!」
「え!?襲ってくるの!?」
「当たり前でしょう!何のための特訓ですか!」
確かにそうだけど!こんな重たいこん棒で、どうやって戦えってんだよ…!
「くそっ――!」
霧が濃すぎて何も見えない、ベローはどこだ?どこから襲ってくる?
「―――――」
ザッ――――――。
「!」
右方向から足音…!
「そっちか!」
音の方向へ体を急転回させ、こん棒を力いっぱい振り下ろす!
しかし―――僕の攻撃は誰にも当たることなく、ただ虚しく虚空を切った。
「いない…?」
確かに草を踏みつけるような音が聞こえたんだが…。
「こっちだゲロー!」
声の方向から察するに…今度は上か!僕が上を見上げるよりも前に、ベローはステッキの先から水を噴射し僕の眉間へと吹きかけた。
「冷たっ!」
「ほらほら、ぼうっとしている暇はないゲロよ!」
「空を飛ぶなんてずるいぞ!」
ただでさえ体が小さいのに、空まで飛ばれてしまっては攻撃を当てられない!
「忌み魔女も空を飛んでくるゲロ!対空戦に慣れておいた方が身のためだゲロ!ほらっ!次は鼻の穴に吹きかけてやるゲロ!」
ベローは、また深い霧と同化し、僕の前から姿を消した。この調子だと、一生かかってもベローに攻撃を当てられる気がしない。でも鼻の穴に水を吹きかけられるのだけは勘弁してほしい!何とか死守せねば…。
ん、いや待てよ。
鼻の穴を狙うってことは、次は下の方から奇襲を仕掛けてくるんじゃ…。
「―――よし」
狙ってみる価値はありそうだ。武器を構え、正面を向きながらも、意識は視界の下の方へ集中させる。
「見えた!!」
背後から股下を通り、下腹部へ上がってきたベローにこん棒を振りかざす!
「!」
だが…健闘虚しく、ギリギリのところでひらりと身をかわされてしまった。やはり片手で扱うには、武器があまりにも重すぎる―――!
「見えてから攻撃していたのでは遅いゲロ!相手の行動を予測し、常に牽制を意識するゲロ!まぁ…その点でいえば、今の一撃は中々良かったゲロ!よく予測できたゲロね!」
「そりゃどうも…」
相手の行動を予測し、見える前に攻撃する…ね。全く、簡単に言ってくれる!
「どんどん行くゲロー!」
ベローは再び霧の中へ姿を消した。
「―――ふぅ」
呼吸を整え、善感覚を研ぎ澄ます。全方位からの襲撃に備え、体は少し開き…こん棒を握る手に軽く力をこめる。さぁ、次は…次はどこから来るんだ。
「ゲロー!」
前方から真っ直ぐに、ベローが声を挙げながら突進してくる!いかにこん棒が重いとはいえ、これほどあからさまな攻撃なら――いける!しかし…向かってくるベローへこん棒を振り下ろそうとした刹那、急激な違和感が全身を襲う。
何かがおかしい。
声を荒げながら、正面から突破する…そんな狙いの的にしかならないような攻撃を、この状況でベローがするのか?今までの二回の攻撃だって、完全な奇襲だったじゃないか。
この行動にはきっと、何か裏があるはずだ。一秒にも満たない刹那の瞬間で、僕は熟考し…一つの答えを導きだした。
「!」
まさか…囮か!?
「本命は…後ろか!!」
前のめりになり、ガラ空きになった背中を守るように、急いでこん棒を背後へと薙ぎ払った!
「はうっ!?」
コツンと、手にしっかりと感触が伝わってくる!
「やった…当たったぞ―――!!」
「はい!そこまで~!」
パンパンと、手を叩いて特訓の終了を知らせる合図を鳴らすエイミー。いつの間にか霧は消え、周りはいつもの森へと戻っていた。
「うぐぐ‥‥」
「だ、大丈夫?」
「どうしてわかったゲロ!?」
涙目になりながら、不思議そうに僕を見上げる。一撃を喰らわされたのが、相当悔しかったみたいだ。
「いや、大した理由はないんだけど。何となく、前から来るのは囮で、本命は背後から来るのかなーって…直感でそう感じただけ」
「直感!?流石ジル殿!素晴らしい戦闘センスをお持ちだゲロ!!」
ベローはまたも僕に尊敬の眼差しを向ける。そのあまりに純粋な佇まいに、僕は気恥ずかしくてたまらなくなってしまった。
「そ、そんなことないよ!ベローの身のこなしも凄かったし。そういえば、さっきの何?分身?」
戦っている時は必死で、何も考えなかったけど…今思えばベローが二人いたっておかしいよな。
「あれは霧で作った幻影だゲロ、見た目は良くできてるゲロが、実体はないので、攻撃されても痛くも痒くもないゲロ!」
なるほど、霧の特製を攪乱や囮に特化させた能力ということか。いいなぁ…僕も魔法が使えたらなぁ。
「意外と便利だな、霧って」
「でもジル殿の前には歯が立たなかったゲロ。まさか初見で見破られるとは、ちょっとがっかりゲロ」
ベローはしょんぼり、と下を向いてうなだれる。何だか悪いことをしたみたいで、とてもいたたまれない気持ちになってきた。
「まぁでも、霧を操るって凄い能力だと思うよ!!今回は本当に運よく対処することができたけど、ほとんどの人間はサクッとやられちゃうね!」
「そうゲロ?」
「うん、まさに初見殺しって感じでかっこいいじゃん!」
何とかベローの機嫌をとろうと、あれやこれやと体のいい口上を並び立てる。まぁ、あの落胆ぶりを見るに、すぐには機嫌が直るとは思えないけど…。
「本当ゲロ!?ゲロゲロッ!やっぱりベローは凄いんだゲロね!ジル殿以外の人間なんてイチコロゲロ!」
さっきとは打って変わって途端にご機嫌になるベロー。チョロいな、こいつ。
「はい!休憩終了!!ベローさん!もう一度霧をだしてください!特訓を続けますよー!」
エイミーは再び手をパンパンと叩いて、急かすように僕たちを特訓へと駆り立てる。
「まだやるの…?」
正直、今の少しの時間でも結構疲れたんだが。
「当たり前です!たったあれだけの戦闘で、もう強くなったと勘違いしてるんですか?」
「いやでもほら、今日頑張りすぎると、明日の戦闘に影響がでるかもしれないし」
「公式試合前日の学生みたいなこと言わないでください。大丈夫です、いざとなればソルシエさんから頂いた回復薬を使うだけですから!」
スパルタ…ここにスパルタ鬼教師がいる…!
「ほら!ベローさん!霧お願いします!」
「わ、分かったゲロ…」
若干引いてる様子で、ベローはステッキを天に掲げた。そして再び、周囲が濃霧に包まれていく‥‥。
「さぁお二人とも!気合いれていきましょう!オラー!!」
ハイテンションで声を張り上げるエイミー。
こうして地獄の特訓第二弾が、幕を開けた。
~ルエル村・地下牢~
投獄されてから実に6時間。
ソルシエは、この危機的状況をジル達に伝える為、使い魔の精製に勤しんでいた。
「これでよし、と」
地下牢の床や壁に散乱する小石や砂をひたすらにかき集め、ようやく蝶型の使い魔を精製することができた。素材が素材なため、使い魔としての性能は下の下だけど―――文句は言えない。ジル様の元へ飛び、私の言葉を伝えてくれさえすればそれでいい。
「―――」
蝶へふうっと息を吹きかける。これで、この子は一つの命として生を受ける。使い魔精製の最後の仕上げの工程という訳だ。
「さぁお行き‥‥どうか彼の元へと、私の言葉を運んでちょうだい」
瓦礫の蝶はソルシエの手から羽ばたき、檻の隙間を抜け―――イルエラの森へと飛び去って行った。
「もう時間が残されていない―――私も、覚悟を決めないと」
~イルエラの森・魔女の領域・夜~
「あぁ~‥‥何か今日はいままで一番疲れた一日だった気がする」
結局あの後、地獄の特訓は夕方まで続いた。今はもう、体が疲れ切っていて成長の実感とか、パワーアップした実感とか――そういうのは一切感じない。
とにかく、ただひたすらに眠い。
「もうへとへとゲロ‥‥」
ベローは長い舌をダラーンと口から垂らして、大の字に寝転んでいる。蛙の妖精だから、舌が長いのは分かるけど…顔は普通の人間の子供だから、なかなかにシュールな絵面になってしまっている。
「皆さんお疲れさまでした、今日はぐっすり休んでくださいね!」
「この鬼教官…!」
「む、失礼な。<神刻>による理性の低下を最低限に抑えつつ、忌み魔女には負けたくないってジル様が言うから、折角強化メニューを夜なべして考えてあげたのに―――感謝はされても、愚痴を吐かれる筋合いはないはずですけどー?」
「はいはい、どうもありがとうございましたぁー」
「はぁー?全然気持ちがこもってませんー、もっと誠意を込めて感謝してくださーいー」
「嫌ですぅー」
くだらない会話に終わりを告げるように…僕とエイミーの間に、不思議な姿をした一匹の蝶が舞い降りた。
「ん?」
「なんだか変わった蝶ですね。捕まえますか?」
「いらないよ、虫嫌いだし…」
「お二人とも―――私の声が聞こえていますか?」
「わ!?」
蝶の体から突然、人間の声が響き渡った。
「蝶が喋った!?やっぱり捕まえよう!売ればきっと大金になるぞ!」
「それよりジル様!この声は…!」
「ソルシエ様だゲロ!!!」
さっきまでぐったりしていたベローが、興奮しながら飛び起きてくる。僕たちは三人、頭を寄せ合って不思議そうに地面の蝶を見下ろしていた。しかし、なんでソルシエさんの声が蝶から聞こえるんだ?
「今から私が言うことを、よく聞いてください」
「ソルシエ様!吾輩ゲロ!お久しぶりゲロ!!」
「私は今、ダラス村長の策略にはまり…地下牢に囚われています」
「ソルシエ様?」
「ベローさん、恐らくこれは録音です。こちらの会話はソルシエさんには聞こえていません」
「そ、そうゲロか」
またもしょんぼりと項垂れるベロー。感情の起伏が激しいというか、一日に何度も喜んだり落ち込んだりしている様は、なんというか見ていて飽きないな。
「というか、え!?ソルシエさん捕まってるの!?何で!?」
「一人でに話していると看守に怪しまれるので、手短に話します。明日、忌み魔女の討伐のために外征騎士がルエル村を訪れる」
「外征騎士!?彼らには頼らないとか何とか言ってたんじゃないんですか!?」
それに、外征騎士を呼ぶと凄い額のお金を請求されるはずだ。まさか、村長はその条件を呑んだというのか?
「そして、村長の謀略により…貴方たち二人は“魔女の遣い”に仕立て上げられた。村長は忌み魔女ともども、貴方たち二人を外征騎士に始末させるつもりでしょう」
僕たち二人が魔女の遣いだって!?
「何で僕たちまで始末されるんだよ!」
せっかく頑張ってきたのに、こんなのってないだろ…!
「絶望的な状況だけど……助かる道はまだ一つだけあります。外征騎士が到着するより前に忌み魔女を倒し、その証を村に持ち帰るのです」
「そうすれば、貴方たちが魔女の遣いであるという疑いも晴れ、外征騎士が手を出す名目も無くなります」
「魔女を倒した証‥‥」
そんなこと、考えたくもないけど―――。
「忌み魔女ヘイゼルの首、ということでしょう」
残酷に、きっぱりとエイミーは断言する。どうやらエイミーはとっくに、忌み魔女と戦う決心がついているらしい。迷いを捨てきれない僕とは、大違いだ。
「無茶な要求であることは、重々承知しています。貴方たちだけを危険な目に合わせてしまっていることの責任は、必ず果たします。ですからどうか…外征騎士が来るよりも早く、忌み魔女を復讐の檻から解放してあげて――そして、必ず――――無事に生きて帰ってきて―――」
その言葉を最後に、ソルシエからの通信は終了した。蝶はボロボロにひび割れて、砂のように散っていった。
「ソルシエ様の声…震えてたゲロ」
「――—ジル様」
「分かってる」
今が決断の時だ。
忌み魔女を殺し、その証を村へ持ち帰るのか…忌み魔女を殺さずに、新たな方法を模索するのか。現状を鑑みるに、答えは二つに一つだ。一切の躊躇いなく忌み魔女を殺し村へ帰還する、そうすれば何も悩まなくていいし、余計な問題を増やすこともない。忌み魔女を打ち取った英雄として、もてはやされるだろう。
何も迷うことは無い。頭では分かってる、分かってはいるけど…。
僕は、後悔の残る選択だけはしたくない。
~イルエラの森・魔女の領域・最奥~
カリカリ――――。
カリカリ――――。
「―――」
人生最期の日記を書き終え、深い溜息をつく。
「――本当に、長かった」
いよいよ明日…全てを呑み込む業火によって、この森は消滅する。もろともに私も焼き尽くされるだろうが、それでも構わない。あの忌々しい村と忌々しい魔女を、この世界から滅ぼせるのであれば―――何も恐れるものはないのだから。
ああ、長年の悲願が成就するというのにどうして。
どうして私は…泣いているの?
~ルエル村・地下牢~
月明りすら届かぬ地下牢で、祈りを捧げる女が一人。
膝をつき、手を固く結ぶ姿はまさに、祭祀長の名にふさわしい、神聖な姿であった。
「――――」
思いを託した二人の無事をただひたすらに祈り続ける。
血を流さず、ただ見ているだけの自分に嫌気がさす。
私は無力だ。
私が祈ったところで―――彼らが傷つくのには変わりない。
「――――」
女は涙を流していた。
己が無力を嘆き、彼らへの罪悪感で胸がはち切れそうになっているのだ。
かなしい、悲しい、哀しい。
どうしようもなく悲しいはずであるのに―――。
女の口元は―――微かに綻んでいた。