第101話 微睡みの太陽
「これが―――ロア」
その姿は、あまりに奇妙なモノであった。顔全体を隠すようにギョロリとした目玉が特徴的なお面のようなものをつけていて、どんな表情を浮かべているのかはまるで分からない。引き締まった半裸の肉体には最小限の装飾のみが輝いており、王とも戦士ともとれる異様な佇まいをしている。全体的なシルエットは人間にとてもよく似ているが―――ヤツが人外の存在であることを示すかのように、腹の辺りから右手でも左手でもない三本目の腕がダラリと垂れさがっていた。
神話の時代から語り継がれ、このサン・クシェートラ王国の礎を築いたとされる二つの太陽の一つ――――血と闘争を司る地底の太陽。そんな神話の住人のような存在がついに僕の前に顕現した。
「―――――ラル・ス」
張り詰めた緊張感の中、ロアは一言そう呟くと―――倒れこむスピカを乱暴に掴み上げた。もう少し様子を見ていたかったが、彼女に手を出されては黙っている訳にはいかない。
「おい」
僕は大太刀を手に、ロアの元へ歩みを進めた。
「お前がサン・クシェートラに災いをもたらした黒幕か」
「―――」
「スピカを離せ、お前の相手は僕だ」
ヤツとの距離は5mほどに迫っている。僕の声はヤツにも必ず聞こえているハズなのに―――ロアはスピカを見つめたまま微動だにしなかった。
「まさか、言葉が通じ無いのか?」
「―――」
「後ろから斬りかかるのは不本意だが仕方ない、このまま―――」
このまま斬ってしまおう。そう言葉を紡ぎ終わる前に、事態は始まった。
「!?」
ロアの手が、僕の眼前へと突如として繰り出される。そうして回避すらできぬほどの圧倒的なスピードで、まるでレーザービームの如き凄まじい魔法を放ったのだった。
「ジル‥‥!!」
放たれた魔法はジルを黄金宮殿の外へ軽々と吹き飛ばし、街の上空で大気を震わせるほどの大爆発を起こした。爆発の余波は熱風となってサン・クシェートラ中を襲い、周囲一体の窓ガラスは粉微塵に消し飛んでいく。まさに、超常の一撃―――太陽の名に相応しい圧倒的な魔力の成せる業であった。
「ジル様――!?一体何が‥‥!」
「なんて攻撃だ‥‥!!エイミーはボクの後ろに隠れて!ここでやっても勝ち目はない、一度ここから撤退しよう!あのロアとか言う化け物―――アイツは規格外だ‥‥!!」
勝機は無いと判断したリリィは大盾を展開して、退路を探り始める。しかし―――そんな彼女の行動をみすみす逃すほど、現実は甘くなかった。
「おいおい、この宮殿から生きて返すなんて誰が言ったんだ?」
「ジャワ‥‥!?しまった―――!」
背後から忍び寄っていたジャワの鋭い回し蹴りが、リリィの腹部へと炸裂する‥‥!完全に不意を突かれた彼女は受け身を取ることすらできず、勢いよく宮殿の柱へ叩きつけられた。
「がはっ‥‥‥!」
「ハハ、苦しかろうエルフの娘よ。せめてもの慈悲だ、このスコルピオンが一撃のもとにその心臓を刺し貫いてやろう」
「く‥そ‥‥!」
先ほどの攻撃のダメージは、リリィが思っているよりも甚大であった。臓器が損傷し、呼吸すらままならないばかりか―――体全身の骨が軋みと共に悲鳴を上げている。今の彼女にできるのは、迫りくるスコルピオンを精々睨みつけることだけであった。
「エイミー、キミだけでも逃げるんだ‥‥」
「そうしたいのは山々ですけど―――この状況でリリィさんを置いてけるワケないでしょう!」
「ハハハ、騒ぐな騒ぐな。聞けばエルフの心臓はとても希少で、裏ルートでは超がつくほどの高値で取引されているらしいじゃないか。うむ‥‥やはり心臓を貫くのはやめだ!鮮度を保つためにも、生きたまま抉り出すとしよう!!」
満面の笑みと共に、スコルピオンは悍ましい言葉を次々と口にする。もはやその姿に、親衛隊として槍を振るっていた面影など無い。あるのはただ、信ずる王の為に血を求める狂信者の影だけだ。
「やめろスコルピオン!!」
しかし、そんな殺人鬼の歩みをヨミが体当たりという形で制止した。
「おっと―――体を縛られているというのに、元気なことだなぁヨミ」
「お前達の目的である王の復活は達成できたはずだ!これ以上いたずらに人の命を弄ぶな‥‥!!」
「目的はこれから王の手によって達成される‥‥獣風情があまり調子に乗るな!」
「ぐッ!」
食い下がるヨミをごみのように蹴り飛ばすと、スコルピオンは鈍く輝く槍をリリィに見せつけるように振りかざした。その切っ先は、彼女の胸部をしっかりと捉えている。
「や、やめろ‥‥!」
「ハハハ!恐ろしいか!恐ろしいよなぁ?!だって今から、身体中をぐちゃぐちゃにかき回されるんだもんなぁ!?」
正気を失うほどの絶望が、リリィの精神を蝕んでいく。肉体は傷つき、もはや戦うことすらできない。どうあがいても、この男を倒すことは不可能だ。
だが―――彼女の心はまだ折れていない。何故なら彼女は信じているからだ。例えどんな絶望的な状況であっても、必ず“彼”が来てくれることを。
「おい」
それは、刹那の出来事であった。
ロアの攻撃によって大打撃を受けたはずのジルが、軽々と玉座へ舞い戻って来たのだ。
「ハハハ――――へ?」
「消えてろ」
もはや外道に語る言葉は無い。ジルは大太刀を一直線に振り下ろし、スコルピオンの体を真っ二つに斬り裂いた。分かたれた肉は血生臭い香りと共に、どす黒い鮮血を宮殿の床へとぶちまける。これでもう、コイツが耳障りな言葉を発することも無いだろう。
「ごめんリリィ、油断した」
「ジルぅ‥‥ありがとぉ‥‥」
へたり込みながらこちらを見上げるリリィの目は、痛みのせいか少し涙が浮かんでいた。僕が不甲斐ないばかりに、彼女を傷つける羽目になってしまった―――その事実が、僕の心をギュッと締め付けた。
「立てるか?」
「立って見せるさ‥‥!」
リリィは戦槌を杖代わりに、よろめきながらもしっかりと立ち上がった。体は傷ついても、魂にはまだ闘志が宿っている。
「はっ、王の一撃を受けて無傷とは‥‥デタラメだなジルフィーネ」
「お前の相手は後だ、ジャワ。まずはこの怪物から叩っ斬る」
だがその前に、やるべきことがある。
「ヨミ、動くなよ」
「‥‥!?」
僕は大太刀を振り、ヨミの自由を奪っていた縄を斬ってやった。そしてネチェレトから託されていた弓を取り出して、彼の前へそっと置いた。
「この弓は‥‥!」
「詳しく話している時間はない。でも一つ言えるとすれば、僕たちがいがみ合う理由は無くなったってコトだ」
「―――そうか」
全てを察したのか、彼は静かに頷いた。その表情はとても穏やかで―――まるでこの展開を望んでいたかのようにすら見える。
「素晴らしい」
「!」
そして遂に―――ロアが、沈黙を破った。
「先ほどの攻撃で殺すつもりだったのですが、まさか生きているとは驚きました。貴方のような生命体を見るのは初めてです―――失礼ですが、お名前をお伺いしても?」
「人に向かっていきなり魔法をぶっ放すようなヤツに名乗る名前はないな」
「これは失敬。他人に名を尋ねる前に、まず己自身から名乗りを上げるのが礼儀でしたね」
僕の言葉などまるで意に介さず、ロアは高級レストランのギャルソンの如き華麗な仕草で軽くお辞儀をした。狂気的な見た目とは対照的とも言える穏やかな佇まいが、かえってヤツの不気味さを際立たせている。
「私の名はロア、この大砂漠の支配者です」
「お前の目的は何だ?」
「我が太陽の威光を世界全土に知らしめること。私という絶対的な王と、それを崇める民だけが存在する理想郷の実現―――それ以外に望みはありません」
はっきりと、一切の躊躇なくロアは自らの野望を口にした。
「貴方は見たところかなり腕が立つようだ―――どうでしょう?私の臣下として働く気はありませんか?貴方が協力してくれれば、反抗する異教徒たちの殲滅が大いに捗ります」
「悪いがお断りだ。お前みたいな良く分からないヤツに従うくらいなら死んだ方がマシだからな」
「それは残念です。では―――死になさい」
そう言い放った瞬間、ロアの姿が視界から消えた。いや‥‥もっと正確に言うなら、眼で捉えることができないレベルの速さで、一瞬にして僕の眼前へと距離を詰めたのだ。何とも恐ろしい身体能力だが―――原種の力の前では大した問題ではない。
「見え見えだ」
「!!」
僕はヤツを超える刹那のスピードで大太刀を振りかざし、一撃で宮殿の外へと吹き飛ばした。直撃はしたが、肉を抉った感触は無い‥‥ギリギリのところでガードされたか。
「アイツの相手は僕がする!ここを任せていいか、ヨミ」
僕は背後を振り返り、床にへたり込むヨミへと問いを投げた。手負いのリリィに、気を失っているスピカとクヌム王。この三名を守りながら、ジャワとシスター服の女を相手にするのは至難の業だろう。本当なら僕もこの場に残っていたいが、ここでロアと戦えば皆を巻き込んでしまう。そんな最悪な展開だけは、絶対に避けなければならない。その全てを踏まえた上で僕は―――ヨミに全てを賭けた。
「‥‥ああ」
得物である弓をしっかりと装備し、ヨミはゆっくりと立ち上がる。そうして彼は僕に背を向けたまま力強く断言した。
「ここは、俺に任せてくれ」
「―――ありがとう」
彼は覚悟を決めた。もはやこれ以上の言葉は不要だろう。僕は一言感謝の言葉を呟いて、ロアの後を追った。
「ハハハッ!!オイオイひでェなジルフィーネの野郎、この場を全て丸投げにしてテメェはどっか行っちまったじゃねえか」
ジルが去り―――静まり返った玉座で最初に口を開いたのはジャワであった。挑発するように笑う彼を前に、ヨミは臆することなく矢をつがえる。狙いはただ一点、ジャワの脳天だけだ。
「アイツは状況を丸投げにしたんじゃない」
「ほう?」
「俺を信じ、全てを託したんだ」
その言葉を皮切りに、ヨミは渾身の一矢をジャワへと撃ち放つ。矢は魔力の渦を纏いながら宙を駆け―――見事にジャワの頭部を貫いた。
「ッ!?」
驚きと苦悶が入り混じったような表情を浮かべ、ジャワはバタリと地面へと倒れこむ。風穴の開いた頭部からは赤い血液がドロドロと溢れ出ていた。
「さすが親衛隊隊長‥‥凄まじい弓捌きですね」
血の海に沈むジャワを横目で見ながら、デネボラは淡々と吐き捨てた。
「妙な真似をすれば、貴様も撃つ」
「フフ、それは困りますね。私はまだ死ぬわけにはいきませんもの」
そう言って、デネボラは降伏の姿勢を示すためにわざとらしく両手を上げた。その瞬間、ヨミは麻酔矢を彼女の首元へと撃ち放った。
「な‥‥?!」
「悪いな、少し眠っていてくれ」
ガクリ、と意識を失ったデネボラはその場に倒れこんだ。その様子を見届けると、ヨミは祭壇の近くで倒れているスピカとクヌム王の元へと歩き出し―――軽々と二人を担ぎ上げた。
「エルフの騎士よ、動けるか?」
「―――」
「おい‥‥聞いているのか?」
「え?あ、うん‥‥!大丈夫、ボクは動けるよ!」
「本当に大丈夫なんだろうな―――?」
どこか気の抜けた様子のリリィに若干の戸惑いを感じながらも、ヨミは言葉を続けた。
「しばらくの間、この二人をお前の盾で守ってやってくれ」
ヨミはそう言うと、スピカとクヌム王をリリィの近くに寝かせてやった。
「それは別に良いけど、まずここから逃げるのが先じゃないかい?一応カタはついたんだし、早く宮殿から出た方が――――」
「いや、まだ何も終わっちゃいない」
「え?」
まるでヨミの言葉に反応したかのように‥‥異変は起こった。
「いとも容易く頭蓋を貫かれるとはな―――油断したぞ」
背筋の凍るような言葉を背に振り返ると、そこには目を疑うような光景が広がっていた。脳天を貫き、確実に倒したはずのジャワが、まるで何事も無かったかのように再び立ち上がったのだ。
「頭を射抜かれたのに、まだ立てるの‥‥!?」
「あの男は恐らく普通の人間じゃない、中身はもっと別物だ。今まで嗅いだことのない怪物の気配が胸焼けするくらい香ってくる―――むしろあの程度の攻撃で殺せたなら驚きだ」
驚く素振りすら見せず、ヨミは再び矢をつがえた。
「ハハ、度胸もいい!獣の狩人―――やはり、我らの前に立ち塞がる運命か」
ジャワの肉体が、関節が、骨格が、不気味な音を立てて変質していく。やがてその体躯は視界を覆いつくすほどの巨大な蜥蜴へと姿を変えた。
「我が真の名はトルロコイ――――地底の太陽に仕えし、蜥蜴の王である」
漆黒の体に、鋭い鉤爪を携えた8本の腕。そして何より特徴的なのは、額より天高く伸びる一角獣が如き大角である。まさに、蜥蜴の王に相応しい御姿‥‥ただの魔物の域など遥かの昔に超えているのだ。
「まさかここまでの怪物とはな‥‥!エルフの騎士!この閉鎖空間でヤツとやり合うのは危険だ、外へ走れ!」
「わ、分かった!」
リリィは息を荒くしながらも、クヌム王とスピカを抱えて宮殿の外へと走り出した。
「俺が逃がすと思うか?」
「邪魔はさせない‥‥!」
ヨミは火、水、雷、それぞれの属性を付与した魔法矢を勢いよくトルロコイへと撃ち放ち、矢は全て命中した。しかし、堅牢な鱗に阻まれて肉体を傷つけるまでには至らない。軽く身震いしたあと、トルロコイは体を大きくうねらせ、強靭な尾をヨミへと振り降ろした。
「ッ!」
速い‥‥!あの巨体からは想像できないほどのスピードだが‥‥回避できないレベルではない!
「よく躱した、だが無駄だ」
ギリギリのところで回避し、空中へ飛び上がった無防備なヨミを――――トルロコイの鋭き眼光は見逃さなかった。
「!?」
予期せぬ方向から繰り出された一撃に、ヨミは対処できない。トルロコイの巨木のような太い腕は、容赦なくヨミを地面へと叩き落とした。
「がはっ、こほっ‥‥!」
頭蓋骨、背骨、骨盤、体全身に耐えがたい激痛と衝撃が走る。だが、悠長に寝ている暇はない―――追撃が来る。
「ッ!!」
ヨミは背中をバネのようにしならせて体勢を立て直し、トルロコイの次の一手を難なく回避する。
「お返しだ!」
そうして目にもとまらぬ早業で、トルロコイの目玉へ10発以上もの矢を放って見せた。僅かに怯む漆黒の大蜥蜴‥‥その隙を突き、ヨミは崩落しかけた玉座の窓から飛び出して外の広場へと転がり落ちた。
「わわ‥‥!大丈夫!?すごい高さから落ちて来たけど‥‥」
外で待機していたリリィは慌ててヨミの元へと駆け寄った。何度も目をパチパチさせ、ひどく驚いているように見える。
「問題ない、獣人はそこらの種族よりも体が頑丈にできているからな。それよりスピカと王は―――」
「向こうの木陰で休ませてる。近くに蜥蜴たちの気配は無かったから大丈夫だよ」
「‥‥そうか。礼を言う、エルフの騎士」
「リリィだよ」
「なに?」
「ボクの名前さ。キミの名前も聞かせて欲しいな」
「・・・」
既にこの女は俺の名前を知っている。ジルフィーネが玉座で俺の名を呼んでいたのを何度も聞いていたハズだ。その上で俺の口から名を聞きたいと言うのなら‥‥コイツは俺の苦手なタイプだ。
「ヨミだ」
「よろしく!ヨミ!」
満面の笑みで、リリィは手を差しだした。全く‥‥つい最近まで敵だった相手に握手を求めるとは、甘いにもほどがある。ジルフィーネに似て、ヤツの仲間は能天気な連中ばかりなのか?
「あのぉ‥‥すごい尻尾揺れてるけど、大丈夫?」
「な、何とも無い!」
ヨミがそう言い放ったとほぼ同時に、黄金宮殿の壁が勢いよく崩れ―――轟音と共にトルロコイが姿を現した。
「屋外での戦いをご所望か?お望みどおり出てきてやったぞ」
「ああ、助かる。そのデカい図体で暴れられたら、宮殿内が滅茶苦茶になってしまうからな」
「ハハハ!獣風情が言うじゃねえか!!」
「来るよ!ヨミ!」
「前衛は任せるぞ―――リリィ!」
~サン・クシェートラ王国・北郊外~
「さっきの一撃は効きました。素晴らしいスピード、素晴らしい破壊力です」
「‥‥」
ロアの後を追って郊外へ駆けつけると、そこには傷一つなく立ち尽くすヤツの姿があった。奇妙な面のせいで表情までは分からないが、声色が浮ついていることだけは容易に感じ取ることが出来た。
「なぁエイミー、アイツどう思う」
鎧の下に隠れているエイミーに、僕は問いを投げた。
「だーから分からないって言ってるでしょうが!ジル様が戦ってるロアとかいうヤツ、私にはよく見えないんですって!」
「よく見えないって、ヤツの動きが速すぎて見えないって意味か?」
「私にはジル様が一人で剣を振り回して暴れてるヤベェ奴にしか見えないって意味です」
「マジかよ‥‥」
リリィもヨミも、当然ながらジャワやスコルピオンたちもロアの姿をはっきりと捉えていた。なのに何故、エイミーだけがロアを認識できないんだ?仮にヤツが敵から姿を見えなくするという一種の防衛手段的な能力を持っていたとしても、エイミーだけが対象と言うのが腑に落ちない。
「敵の姿が見えない以上、私にはジル様をサポートすることはできませんので、今回はあまりそっちには期待しないでください。まぁ原種の力を発動している今の状態なら、私の助言なんて必要ないかもしれませんけど」
「―――だといいな」
「ジル。ほう、それが貴方の名前ですか」
僕とエイミーのやりとりを聞いていたロアが、不気味にそう呟いた。
「ではジル、殺す前に一つ聞きたいのですが―――貴方はあの小麦色の少女が何者なのか、知っていますか?」
「お前もスピカが災いの娘だって言いたいのか?」
「それは“彼女がどちらにつくか”で大きく意味合いが変わってきます。今は語るだけ無駄でしょう――――私が聞きたいのは、彼女がただの人間などではないと貴方が気づいているかどうかということだけです」
「なに‥‥?」
「フム。その様子を見るに、どうやら貴方は彼女について何も知らないようだ―――全くラル・スも意地が悪い。記憶が完全ではないと言え、兆候くらいは既に表れていたでしょうに」
言葉の真意を理解できない僕を置き去りにしたまま、一人納得したようにロアは嗤った。
このタイミングでスピカの話題を持ち出すなんて、ヤツが僕の動揺を誘おうとしているのは目に見えている。問いを投げたところで、答えが返ってくる保証はない。真剣に会話をするだけ無駄だろう。だが‥‥コイツは僕がまだ知らないスピカの重大な事情を隠している。その全てを知らなければ、真の意味でこの一連の騒動に幕を引くことはできないだろう。
「お前の言う通りだ、ロア。僕はスピカについて何も知らない―――だからお前を死ぬほど痛めつけて、情報を無理やりにでも吐き出させることにするよ」
「ハハハ、面白いことを仰いますね。ですが‥‥その結果だけはありえないと断言しておきましょう」
パン!と唐突にロアが手を打ち鳴らす。その瞬間、ヤツの身体に目を見張るような異変が起こった。
「――――幻日、見るのは初めてですか?」
「‥‥面倒だな」
まるで忍者の分身の術のように、ロアが3人へと分裂したのだ。外見上では見分けのつけようがない、完全なる複製に見える‥‥感じる気配にも差異はない。
なるほど、幻日とはよく言ったものだ。自然界では、一定の条件が揃った場合に太陽が複数空に浮かんで見えることがあるという。その光景のことを幻日と呼ぶそうなのだが―――生憎と太陽光の屈折で作られた大気光学現象とは違い、今僕の目の前に立ち塞がる幻日は明確な殺意を持った実体をもっている。
幻日ならぬ、現実という訳だ。
「時間をかける理由もありません、私は私の出せる最高の力で貴方を殺すとしましょう」
「時間をかける理由もありません、私は私の出せる最高の力で貴方を殺すとしましょう」
「時間をかける理由もありません、私は私の出せる最高の力で貴方を殺すとしましょう」
「同感だ」
その言葉が戦いの幕開けの合図だった。3人のロアは一斉に僕の眼前へ迫り、距離を詰める。
「‥‥」
同一方向から同時に攻めてくるのなら、わざわざ数を増やした意味がない。奴らは間違いなく散開する。問題はいつ、どのタイミングで、どう展開するかだが―――。
「!!」
間合いに入った瞬間を狙い、僕は大太刀を横一直線に薙いだ。ロアは軽々とその斬撃を回避すると、背面、真上の上空、左側面へと散開する。その刹那、先ほどまで全く違いの無かった3体に大きな変化が現れた。
それぞれが、槍、杖、盾と別々の武器を一瞬にして装備しだしたのだ。
「死になさい」
「死になさい」
「死になさい」
3つの口が同時に言葉を紡ぐ。その言葉が鼓膜を通り抜ける暇も無く、苛烈な攻撃は繰り出された。
背後からの槍の突きをギリギリのところで回避し、上空の杖持ちのロアへ大太刀の斬撃を斬り放つ。しかし、僕の斬撃は盾のロアの展開した防御魔法によって拒まれ―――僕の顔面に、杖から放たれた爆炎の魔法が炸裂した。
「ッ!」
大気を震わせる轟音と、焦げ付くほどにチリついた熱気が周囲一帯を包み込む。練度の高い凄まじいコンビネーションから繰り出された必殺の一撃―――初見殺しもいいところだな。微々たるものだが―――僅かに原種の体に傷がついたようだ。
「お返しだ」
僕は土煙の晴れぬうちに、大太刀の切っ先から魔力をレーザーの如く撃ち放つ。放たれた魔力は舞い上がった煙を全てかき消し、杖のロアの右腕を吹き飛ばした。だが、この程度の攻撃ではロアの連携を乱すことはできない。すぐさま背後から再び鋭い槍の一閃が繰り出され―――僕の体の脇腹をかすめた。
だが、それでいい。多少傷を負ったとしても―――相手にそれ以上のダメージを負わせれば何の問題も無いのだ。
「もらったぞ」
ロアの槍をその身に受けながら、僕は大太刀を振りかざした。槍のロアには先ほどと同じように盾のロアが防御魔法を多重展開したようだが―――そんなものには何の意味も無い。さっきの斬撃が駄目だったなら、今度はそれ以上の力で斬ればいいだけの話だ。
「―――!」
防御魔法ごと斬り裂かれ、苦悶の声をあげるロア。胸元から右太腿までに渡る切傷からは、夥しい量の血が流れ出ている。この傷ではもはや、まともに戦うことはできないだろう。
「次はお前だ」
僕は片腕を失った杖のロアを真っ直ぐに見据え、一気に距離を詰めた。盾のロアはちんけな防御魔法を張る以外に今のところ能力はない。槍のロアを無力化した今、先に潰すべきはこいつだ。
魔法を放つ暇も、間合いも与えない。僕は天高く剣を掲げ一直線にロアの肉体を斬り裂いた。近接武器を持たぬ杖のロアは防御すらできずに、両断される――――はずであった。
「ッ‥‥?」
しかし。僕の剣が、ロアに届くことはなかった。
それどころか、鋭い痛みが腹部からじんわりと体全身へ広がっていく。何故だ。僕の目に狂いは無かったはず。
だというのに何故―――僕の腹を、ロアの槍が貫いているんだ?
「良い表情ですよ、ジル」
「良い表情ですよ、ジル」
「良い表情ですよ、ジル」
3つの口が、同時に嗤う。そしてその瞬間、上空に無数の光の玉が浮かび上がった。そしてすぐさま、その全てが杖のロアによって放たれた魔法であると理解する。だが、気が付いたところでもう遅い―――灼熱の光は雨のように僕の頭上に降り注いだ。
「フフ、ハハハハ!!」
「フフ、ハハハハ!!」
「フフ、ハハハハ!!」
槍に貫かれた僕の体に、地獄の雨が休みなく降り続ける。そうしてようやく―――呆けた僕の脳みそはようやく状況に追いついた。
「ああ、そうか」
何も驚くことなど無い。一瞬何が起こったのか理解できなかったが、考えてみれば至極単純なことだったのだ。
「‥‥僕自身の読みの甘さに腹が立つな」
僕は突き刺さった槍を更に深く刺し込み、一瞬にして槍のロアとの距離を眼前にまで詰めた。
「な―――?!」
そうしてヤツに驚く暇すら与えずに、一思いに首を刎ねた。
「まずは1人」
背後を振り返ると、そこには杖を装備したロア2人が魔方陣を展開していた。面倒な魔法を放たれたら厄介だ―――あまり力を使い過ぎたくはないが、ここは一気にカタをつけるとしよう。
「はッ!!」
僕は体中の魔力を切っ先に集中させ、斬撃に魔力を乗せて扇状に解き放つ。禍々しい光を帯びた破壊の一薙ぎは、2体のロアを真っ二つに斬り裂いた。
「これで勝負ありなら楽なもんだったんだけど‥‥まぁ、そう簡単には終わらないよな」
僕は動かなくなった3体のロアを見下ろしながら、溜息まじりに言葉を紡いだ。
「そこにいるのは分かっている、出てこいロア」
「――――フフ、お見事ですよジル。素晴らしいお手前だ」
僕の言葉に呼応し―――まるで蜃気楼に包まれていたかのように、何もない空間からロアの姿が現れた。ヤツが姿を現した途端、地面に倒れた3体のロアは風に溶けるように消えていく。作り出された幻日が、本物の太陽の輝きと並び立てるはずもなかった。
「やはり紛い物では相手になりませんね」
「まさか最初からずっと幻と喋っていたとはな」
僕がロアを追ってここに来た時には、ヤツは既に幻日を発動していた。だが、それを僕に悟られないよう2体の分身を僕の目の前であえて作り出し、役割の異なる3体となって僕へ襲い掛かった。
あそこまで分かりやすく立ち回りを分けたのは、それぞれが独立した個体であると僕に無意識に錯覚させるためだったのだろう。実際は全て本体から分かたれた幻で、3体が装備含めて一つの魔法のような存在だ――――だから手にした武器も、変幻自在に変えることができる。
僕はその策にまんまと引っ掛かり、腹をぶすりと貫かれてしまった。今思えば全員が同時に喋ったり、複雑な会話をしていなかったりと、ヤツらが3体で1つの魔力で作られたハリボテだと気づくタイミングは意外と多かったのかもしれない‥‥。
「3体の幻を使っても尚、貴方にはかすり傷をつける程度が限界ですか―――なるほど、恐ろしい力だ」
「白旗を上げるなら今のうちだぞ」
腹の傷も魔法で受けたダメージも、もう完全に塞がった。魔力は少し消耗してしまったが、まだまだ戦闘継続は問題ない。
「白旗?フフ、上げませんよそんなもの。貴方と正面から戦っても良いのですが―――生憎と、私の目的はもう達成されているのでね」
「なんだと?」
「貴方のような強大な魔力の持ち主が近くに居ては、ラル・スが狩人を見つけられませんからね。彼女と狩人の記憶に枷をかけていた保護者気取りの老人も始末したいま―――彼女の覚醒を邪魔するものは居ない」
「ラル・スって‥‥もしかしてスピカのことか?」
となると、狩人はヨミで、老人はパニーニさんで間違いないだろう。だが、彼女が覚醒するっていったいどういう意味だ?
「ロア、お前――――」
お前の知っていることを全て話せ。そう言葉を紡ぐ前に、事態は始まってしまった。
「なんだ、あれ―――!?」
巨大な光の柱―――それ以外に形容する言葉は無い。ハビンに放たれた太陽石の光とそっくりの眩い光が、空から一筋の柱となって降り注いでいる。あっちは、黄金宮殿のある方角だ‥‥。
「ジル様!ちょ、ヤバイです!とんでもない魔力が黄金宮殿の方からビンビン感じます!!」
「そんなもの、見れば分かる」
というかエイミーのヤツ、口からよだれ垂れているんだが―――絶対今まで寝てたなこの野郎。まぁ、今はそんなことどうでもいいが。
「スピカに何をするつもりだ?」
「なに、シンプルな話です。私と彼女は表裏一体―――私が目覚めたのなら、彼女も目覚める。サン・クシェートラには輝く太陽が二つあるのですよ、ジル」
そう言って、ロアは静かに天を仰いだ。