第9話 騒々しい来訪者
~ルエル村・ソルシエの家~
まだ陽も登りきっていない早朝、森から流れてくるひんやりとした風が心地よい、いつもと変わらぬ気持のいい朝。
それは、唐突に訪れた。
乱暴に扉を叩く音が聞こえ、私は飛び起きるように目を覚ました。
「は、はい~!」
眠い目をこすりながら、急いで祭祀長のローブに袖を通し、おぼつかない足取りで玄関へと向かう。こんな早朝に、一体誰が尋ねて来たというのだろう。収穫祭でもないのに、村人が私に会いに来る訳ないし…。
「もしかして…二人が帰ってきた!?」
浮つく気持ちを抑えつつ、落ち着いた風に騒々しい来客者に返事をする。
「は、はい!今開けますから!」
一握の希望に胸を弾ませ、急いでドアノブを握る。そうだ、きっと二人が無事に帰ってきたんだ!
「おかえりなさい!ジルさ…」
しかし。
勢いよく開いた扉の向こうに立っていたのは、予知夢の二人では無かった。
「これは一体、何の真似ですか!?」
あまりにも衝撃的な光景に、思わず自らの眼を疑う。数十人の村の門番や衛兵、農具で武装した村人たちが、私の家へと恐ろしい形相で押し寄せているではないか。
そして、その先頭に居たのは‥‥。
「おはようございます、祭祀長ソルシエ…今朝のお目覚めはいかかですかな?」
不敵な笑みを浮かべるルエル村の長、ダラスであった。
「私の質問に答えなさい!」
理解できない…一体何が起こっているというの?!
「まぁまぁ、そう怖い顔をしないでいただきたい、まるで私の方が悪者のようではないですか。今日はただ、村を代表して貴女に懲罰を下しに来ただけでございます」
「懲罰ですって?」
今まで祭祀長として散々村の為に尽くしてきたというのに、懲罰を下す?馬鹿馬鹿しい…一体何の根拠があって―――。
「6日ほど前、村に二人の魔女の遣いが現れたのはご存じですかな?」
「二人の魔女の遣い…?」
間違いない、それは紛れもなくジル様とエイミー様のことだ。
「その者どもは大きな口から火を吹き、魔物の如き鋭い爪でこの村を蹂躙しようと暴れ回ったそうな。しかし、そこへ駆けつけた門番と衛兵達によって何とか取り押さえられた」
「違う!彼らは魔女の遣いではありません!!」
「門番、奴らは確かに魔物の姿をしていた、そうだな?」
「はい!仰る通りであります!」
デマカセだ。村人たちを騙すための、とびっきりの嘘だ。あの二人を魔女の遣いに仕立てあげて、一体どうするつもりなの?!
「そして、大切な村の住人に危害が及ばぬように、魔女の遣い共を地下牢へと封じ込めた。そう、確かに封じ込めたはずだったのだが…」
ダラスは蓄えた立派な髭を触りながら、白々しく、悠々と続ける。
「昨晩、私が魔女の遣い達の様子を見ようと地下牢へ降りた時、牢の中に奴らの姿は無かった――そう!何者かが、あの忌まわしき魔女の遣いを村の外へと逃がしたのです!」
集まった村人たちに言い聞かせるように、芝居がかった大きな声でダラスは告げる。
「解き放たれた魔女の遣いが、村の住人達に危害を加えないか…私は心配でなりませんでした!いったい誰が魔女の遣いを地下牢から解放したのか、恐怖に陥り思考もまとまらない中で、私は一つの記憶を思い出したのです!そう!3日前のある晩、祀長が地下牢の近くを怪しげに徘徊していた姿を!!!」
「―――」
ああ、そういうことか。お二人を地下牢から救出したあの夜、ダラスに会ったのは偶然ではなかった。私が彼らを牢屋から解放するのを、ずっと―――ずっと待っていたのだ。
だから、ジルさんを隠して不自然に膨らむローブを見ても、気にも留めなかった。ただ、私が地下牢から二人を“解放した”という事実が確認できれば、それでよかった。つまり―――私を貶めるためだけに、あの二人を利用したのですね。用意周到に獲物を狙う、狡猾な蛇のように。
「さぁ、答えてください祭祀長!魔女の遣いを地下牢から解放したのは…貴女ですね?」
会心の笑みを浮かべ、勝利を確信した堂々たる態度でにじり寄るダラス。ここで私が何を弁明しようと、ダラスとグルである門番や衛兵達はもとより、忌み魔女の恐怖に駆られた村人達を説得することはできないだろう。
完全に、悪者扱いだ。
「あの二人を逃がしたのは―――私です」
罪を認めた祭祀長を前に、今にも襲いかかりそうな勢いでガヤガヤと村人たちが騒ぎ出す。
「何てことしてくれたんだ!!」
「きっと今度は仲間を連れて復讐に来るぞ!」
「どう責任を取ってくれるんだよ!」
「はっ、結局はただのお飾りの祭祀長ってことだ」
「祭祀長が魔女という線もあるのでは!?」
「追放だ!!追放しろー!!!」
溢れんばかりの罵声が、たった一人の人間に向かって雨のように降り注ぐ。その一粒一粒が針のように、深く深く――彼女の心に突き刺さった。
ああ…私のことは、煮るなり焼くなり好きにすればいい。どうせ何を言っても聞く耳を持つものなどいないのでしょう。でもこれだけは…この事実だけは伝えなければ。
「―――私が牢から解放したのは、魔女の遣いなんかじゃありません。年端もいかない一人の少年と、善良でちっぽけな妖精一匹だけ。そして、あの二人こそが夢のお告げに現れたルエル村の救世主――!彼らはこの村を救う最後の希望、忌み魔女を倒せるのは彼らを置いて他にいない!!」
「私たちがこうしている今でも、彼らはあの森で忌み魔女と戦っている‥‥たとえ地下牢へ放り込まれようとも、このルエル村を救うために命をかけて頑張っているんです――!!私を村の裏切り者と断ずるのは良い、だけど…彼らの決意を踏みにじるようなことだけは、絶対に…絶対に許さない!」
思いのたけを、魂の限りに叫ぶ。私の想いがどこまで彼らの心に伝わるかは分からない。
けれど、この事実だけは決して譲れない。
「戦っている、だって?」
「地下牢に居たのは魔物じゃなかったのか?」
「祭祀長の夢のお告げは良く当たる―――まさか、本当に?」
ソルシエの叫びを聞いて、村人たちが再びざわつき始める。恐怖に駆られた彼らは、最早自らの信じる道さえ見失いかけていた。
「――――」
まずいな、村人たちが聞き入ってしまっている。
流石はペテン師、思ってもいないことをよくもまぁあそこまでペラペラと話せるものだ。
どんでん返しを喰らう前に、ここは早々に本題にはいるとしよう。
「解放したのは魔女の遣いでは無く忌み魔女を倒すこの村の希望である、と。なるほど―――では、あくまで貴女は忌み魔女との関わりを否定するというのですね?」
「当然です。私はルエル村の祭祀長、最も公平で正しくあらねばならぬ存在です。忌み魔女に与するようなことは、絶対にありえません」
「ふふ、よくぞ言いました!!では、本当に貴女が潔白であるのかどうか、試させていただきましょう」
「試す?次から次へと……そこまでして私を蹴落としたいのですか」
「皆様!これをご覧ください!!」
そう声を張り上げると、ダラスは手に持った紙切れのようなモノを、集まった全ての人々に見せつけるように天高く掲げた。
「なんだあれ」
「紙切れにしか見えないが…?」
「あれは!」
あれは、ただの紙切れではない。
筆先一つで大国すら滅ぼす、悪魔の書だ…!
「これなるは“エルディアの誓文書”ここへ署名すれば、聖都グランエルディアの傘下に下り、外征騎士の庇護を受けることができるのです!!」
「外征騎士が来てくれるのか!!!」
「良かった―――!俺たち助かるぞ!!」
外征騎士の名が出た途端に、村人たちの態度はまたも急変した。
「しかし、残念なことに…この署名は村長だけでなく祭祀長の署名も必要なのです。ですがご安心を!!祭祀長が真にルエル村を想っているのであれば、喜んでここへ署名をしてくれるはず!さぁ、祭祀長!貴女が忌み魔女の仲間ではない証を今ここで示してください!」
ダラスの煽り文句に乗せられ、村人たちは口々に署名を促す歓声を上げる。確かに外征騎士を呼べば…忌み魔女の脅威は排除できるだろう。しかし、そのあまりに高い守護税を、この村が払いきることができるとは到底思えない。全ての村人が聖都へ奴隷として連行される未来は手に取るように明らかだ。
それともあなたたちは、そこまで考えた上で、外征騎士に頼ろうとしているのですか…?
私は結局、誓文書に署名することはできなかった。
祭祀長ソルシエは、ルエル村に仇なす魔女の手先として暗い地下牢へと放り込まれた。
~ルエル村・地下牢~
「どん底を味わった気分はどうだね、ソルシエ祭祀長。いや、今となっては元祭祀長、というべきかな」
ダラスは牢の向こうから、嘲笑うかのように私を見下している。私をまんまと貶めることができて、さぞ気分がいいのだろう。
「どうして、こんな真似を……」
「どうして?決まっているだろう、この村にとって君はもう必要のない存在だからだ。これからは村長であるこの私が村を纏め上げていく、祭祀長などという役職は本来不要なものなのだよ」
顎髭を指で撫でながら、不機嫌そうな面持ちでダラスは吐き捨てた。
「貴方たちだけでは森の魔物に太刀打ちできないでしょう」
村の衛兵や門番でも歯が立たない魔物が村へ侵入したとき、それを撃退できるのは村で唯一“魔法”を扱える祭祀長のみ。その祭祀長が居なくなるということは、村の防衛機能が著しく低下するということだ。
「はっ、何を言うかと思えば…そのための誓文書だよ。これからは祭祀長がいなくても、代わりに外征騎士が居る…何も恐れることはないのさ」
「ですが、その誓文書には私の名が無い。村長と祭祀長両名の署名が無ければ契約は成立しないはずです――!」
そうだ。私が署名をしなければ、外征騎士はこの村にはやってこない。私がここで時間を稼いでいる間に、ジルさん達が忌み魔女を倒すことができれば、外征騎士がこの村にやってくる名目も無くなる!
「そもそも、忌み魔女が指定したタイムリミットは明日…今から外征騎士を要請したところで、間に合うはずもありません」
「だから今は、外征騎士を頼らずに、忌み魔女の脅威を乗り切る方法を―――」
「ああ、それなのだが」
私の発言を無理やり遮るように、彼は淡々と言葉を紡ぐ。
「先ほどの誓文書は、偽物だ」
「本物の誓文書は既に、聖都の元へと丁重にお送りしてある。祭祀長の署名は、この私が代筆させて貰ったがね」
「そんな――――!?」
失望の余り、膝からがくりと崩れ落ちる。外征騎士が――あの悪魔共が、この村にやってくるのだ。
「ああ、そういえば昨日…外征騎士から正式に返答が返ってきたよ。“忌み魔女退治、請け負った。明後日にはルエル村に到着する故、兵糧の準備をされたし”明後日―――つまり、明日にはこのルエル村に到着するそうだ」
楽しみでたまらない、といった風にダラスは鼻歌まじりに残酷な真実を突きつける。ああ…どうやらこの男は、自分が起こしたことの重大さを全く理解していないようだ。
「この村に守護税を納めるだけの財力はありません!それなのに、貴方は…!」
「確かにカネは無い…だがここにはあの森があるだろう?私はイルエラの森の所有権を守護税の代わりとして、聖都と契約したのだよ。彼らはどうも、あの森に興味津々なようでね」
「なんてこと…!あの森は女神様より賜った神聖な場所、それを売り渡すなんて!」
ルエル村に住む者であれば、何があってもあの森を手放すという選択だけはしない…!彼らにとって、イルエラの森とは何よりも大切なものであったはずでしょう?!
少なくとも、“私が初めて村を訪れた時”はそうだった。皆が森に感謝し、慈しんでいた。
「そもそも、森を失えば私達の生活が立ち行かなくなってしまいます…!」
食料も、資源も、娯楽も―――全て私達はあの偉大な森へと依存している。それが失われれば、結局村は滅び去ってしまう。イルエラの森とルエル村は一心同体と言っても過言ではない…!
「ああ、だから村人には全員、聖都の近隣の町へと引っ越してもらうことにした。イルエラの森を含めたこの周囲一帯は聖都の領土となる、ルエル村は取り壊され…新たに森を調査するための前線基地が設けられるそうだからね」
「何ですって!?村が、無くなる…!?」
「ああ、安心したまえ、既に聖都の連中が村人たちの住居も用意してくれている。最も…奴隷用の質素なボロ屋でよければ、だが」
「皆を騙したんですね…」
「そう怖い顔をしないでくれ、村長である私と、祭祀長である君に限っては…聖都で真っ当な人間として暮らす権利が与えられている」
故に、他の村人たちと同じような扱いは受けないから安心したまえ――とダラスはみっともなく口を開けて大笑いした。この男は、この期に及んでなお、今の状況を愉しんでいるようであった。既にルエル村のことは眼中になく、聖都での生活を想像して心を躍らせているのだろう。
ルエル村を救うための唯一の方法のように演出して村人たちを騙し、自分だけが幸福を得る。本当に、度し難いほどの愚か者だ。
私は悔しさのあまり、彼に対して何も言葉を発することができなった。
「では、私は行くとしよう。新天地での暮らしに向けて、色々と準備が必要だからねぇ」
そう言い残し、ダラスは不敵に笑いながら地下牢から去っていった。