政局
その日、集会のあとでアレグリーニの妻マリアナが、ソフィーに内々の面会を求めた。
マリアナは齢30を迎えていたが、容色は衰えを見せてはいない。しかし彼女の存在が枢密院において重要な意味を持つのは、その美貌ではなくその叡智にあった。また彼女自身の役職は枢密院の無任所顧問の一人に過ぎないが、夫のパオロ・アレグリーニは司法院長の要職にある。
そして、ソフィーが知る限り、彼女はこの国の政治家で最も信頼に足る人物である。
「ソフィー陛下」
と、マリアナは敬意を込めてそのように呼ぶ。これは彼女がルブラン・サロンという濃密な空間をともに過ごしたことがなく、解放戦争がカーボベルデの陥落によって事実上終焉を迎えた際に解放軍によって救い出され、その際に初めて姉妹と面識を得たという付き合いの薄さもあろうが、それ以上にマリアナには特別な品格が備わっていた。
女王になってからも、例えばブラニクなどはソフィアのことを呼び捨てで呼んだし、サロンのメンバーだった多くの者はかつてのようにソフィーお嬢さん、ソフィアお嬢さんなどと呼ぶ者が多い。アレックスやシャルル、ヴァレンティノも以前のままである。無論、公式の場では彼らも自重することが多いが、姉妹を常に「陛下」と呼ぶのは、マリアナのほかはアレグリーニ、ペドロサ、ゲンスブール、デュランといった若い新参の者たちだけである。建国当初の枢密院の女王に対する距離感、あるいは扱いとは、そうしたものであった。
ソフィーはマリアナとは特に親しくしているから、非公式の面会も珍しくはない。
「陛下、本日は重要なお話があって参りました」
「もしかしてそれは、昨日の騒ぎと、今朝の枢密院の議事についてでしょうか」
「すでに報告がありましたか」
「書記のモンテスキュー先生が、先ほど血相を変えて伝えにいらっしゃいました」
「陛下に、前もってご了解を賜りたいことがあり参ったのです」
「マリアナさん、私は政治向きのことは」
「存じております。陛下のお志が政道ではなく、医道にあることは。しかし今回ばかりは、陛下の宸襟を悩ませ申し上げてでも、我が意を知っていただきたいと愚考し」
「マリアナさん、そんなにかしこまらなくても結構です。お聞かせください」
「実は拙宅へ、昨夜遅く、放火犯の一人が駆け込み訴えに参ったのです」
由々しき事態と言うべきであった。
マリアナによると、アレグリーニ夫妻の私邸に、トルドー邸に放火した連中の一味と名乗る者が血まみれで駆け込んできて、保護を願ったのだという。その者は革新派の最重要人物であるルブランに雇われ、婚約の儀式に沸くトルドー邸に火をつけるよう命ぜられたが、任務に成功して戻ると口封じのため殺されそうになったのだという。事情を細部まで知っており、信憑性は高いと思われた。
アレグリーニ夫妻は、事態の真相を握っているということになる。
「マリアナさんは、その真相を、どのように扱うべきだと?」
「陛下に仲裁をお願いするつもりはございません。本来ならば、これは廷臣同士のいざこざ。わざわざ陛下の御手をわずらわせることではございません。今回のことは、司法院長たる夫が、ペドロサ将軍に協力を依頼いたします。ペドロサ将軍は五龍将軍の筆頭で、公正無比の人格者。将軍の力を得て、事態は我々が隠密裏に解決します。陛下にはただ、事前にこのことをお耳に入れておきたく」
「そういうことでしたか」
ソフィーはしばらく考えて、さらに確認した。
「つまり、マリアナさんは私やソフィーに、命令や裁定、あるいは承認は求めない。ただしのちのち誤解のないよう、事が起こる前に真意を伝えておきたいということでしょうか」
「おっしゃる通りでございます。また口幅ったいことを申し上げるようですが、仮に政変が思わぬ方向に進行した場合に、両陛下は一切関与していなかった、とすることができますように」
マリアナの知性と忠誠心は、驚嘆に値すると言っていいであろう。ソフィーはすべてを彼女に委ねることを決意し、ソフィアにも相談の上で、事態の推移を見守ることとした。
翌々日、マリアナの夫であるアレグリーニは、司法院長の職権をもって革新派の会合の場に乗り込み、彼らの犯した犯罪とその証拠を述べるとともに、枢密院の全役職からの退任を迫った。本来、アレグリーニには財政院長ルブラン、経済院長カッシーニ、大学院長チェーザレ、教育院長クレッソンといった面々に退任を要求できるような権限も影響力もない。ただ彼はこのとき五龍将軍のペドロサとゲンスブール、そしてその軍を伴っており、いわば実力によって、彼らを制圧したわけであった。加えて、トルドー邸放火犯の一人も帯同させていたことから、ルブランらも観念せざるをえなかった。条件は枢密院からしりぞくこと、それだけで、いかなる刑罰も課せられないし、領土や財産もそのままである。中道派に証拠が渡り、より苛酷な裁きを受けるよりはよほどよいという、彼ら自身の保身本能にも響いた。
アレグリーニはさらに中道派の領袖であるトルドー、中心人物であるトスカニーニ、ブーランジェ未亡人といった人々と会談の場を持ち、革新派の退任によって一連の対立や事変は水に流すよう求めた。中道派としても、自らの影響力を拡大できるし、何より軍をアレグリーニに握られていては、承服するほかない。
こうして、再びの国内分裂の危機は間一髪で避けられることとなった。この間、マリアナは自邸から一切出ていない。筋書きはすべて彼女の頭脳で組み立てられているが、表舞台にあってその実行を担うのは夫たるアレグリーニであった。後世、彼女がいわゆる良妻賢母の理想像と称せられるようになるのは、このあたりの振舞いが人に与える印象にあると言っていい。
いずれにしても、ルブランらは枢密院をしりぞき、中央政界からは事実上追放された。
こののち、枢密院の体制は中道派を中心に安定と調和を取り戻し、術者姉妹の在位中は大きな混乱もなく平穏に国内統治を行うことに成功している。
政変の処理に最大の貢献を果たしたアレグリーニであったが、不遜な野心を見せることもなく、以後24年の長きにわたって司法院長の座にあった。彼個人からは才気の感じられることが少なかったが、その政治的判断や立ち回りはのちに「法の番人」と呼ばれるまでに清廉で手堅く、裏でマリアナの支えがあったことは半ば公然の事実であった。
この政変については、多くの歴史調査において甲論乙駁の研究対象となっている。
つまり、革新派の失脚は、アレグリーニ夫妻が中道派及びペドロサ、ゲンスブールら軍の実力者と結託して仕掛けた陰謀だったのではないか、という異説である。確かに政変ののち、彼らは枢密院や軍において確かな地歩を築いており、アルジャントゥイユへの正式遷都の際に女王補佐のため創設された貴族制度においても、ペドロサ、トルドー、トスカニーニの三家は、テオドール率いるルモワーヌ家と並んで、四大貴族家と称せられるほどの特別の栄誉を受けている。時系列の上では、彼らは革新派の追放によって浮いた利益を、共同に分配したように見えなくもない。
この点、事態を主導したアレグリーニ家が司法院長の座に留まり、貴族制度の成立にあたっては伯爵の分際で満足していたことが反証の材料にされることが多いのだが、それさえも、後世の指弾を避けるためにマリアナが目論んだ自衛策だったのではないかとの見方もある。
ただ、トルドーやトスカニーニは確かに俗物だが、アレグリーニやペドロサは高潔な人物として知られ、彼らが積極的に革新派を蹴落とすための策謀に加担するとは考えづらいこともあり、上記の異説はあくまで異説の域を出てはいない。
真実はどちらか、よく分からない。
ともかくも、国はようやく落ち着きを得たことになる。




