山を下りましょう
魔物が突撃してきた!? と緊張する。でも小屋に駆け込んだのはアガサさんだった。
「閣下! 目覚めました……か!?」
なにかディアーシュ様が目覚めたと思う出来事があったんだろう。ディアーシュ様が起きていることを期待して、やや明るい顔をしていたアガサさんの表情が凍った。
私も凍った。
ど、どうしよう……。
思わずアガサさんと見つめ合ってしまう。
そのアガサさんの視線は、ふと私の服に向いた。
そういえば、私はかっちりとした服装ではなく、今はもう懐かしい生成りの囚人服代わりの貫頭衣を着ている。
温石があるにせよ、この服装で外を歩くなどありえない。
あきらかに怪しい。
(言い訳、なにか良い言い訳を……)
必死に考えるけど、思いつけない。
そのうちにアガサさんがもういちど私の顔を見て、穏やかな表情で眠っているディアーシュ様を見て……額に手を当てた。
ついでにアガサさんは扉をパタリと閉める。
風が吹き込んで来なくなった。
外の木々のざわめきも遠のいたので、静まり返る。そこにアガサさんのため息まじりの声がした。
「……リズ、それは錬金術の薬を使った……とか?」
良かった。私のことリズだってわかったみたい。
「薬ではないんです。いえ、薬かも……」
「薬じゃないの?」
「その、薬の効果が切れたから、戻ったというか」
もうこれ以上隠して誤魔化しても仕方ない。それに良い機会だ。私は正直に話すことにした。
「実は、ラーフェン王国から逃げるために、子供の姿になる薬を使って……今まで効果が無くならなかったというか」
治し方もわからなかった、とは言えない。
レド様に聞けば、もしかしたら治す薬の作り方がわかったかもしれない。ただみんなを騙していることを知られたくなかったのと、アリアに見つかりたくないので聞かなかったのだ。
「ラーフェン王国から逃げて来た身なので、子供の姿のままでいないと見つかりそうで不安だったのもあって、そのまま黙ってここまできてしまいました。ごめんなさい……」
とにかく謝る。
それしかないと思って、私はうつむく。
アガサさんは、私が子供じゃないと知ったら怒るだろうか。
またしばらく黙り込んだアガサさんが、つぶやいた。
「良かった……」
顔を上げると、アガサさんが両手で顔を覆っていた。
「最近、閣下の行動がどうも大人の女性にするようなことに近い気がして。そういう性癖が芽生えたのか、建前上でも婚約者という立場になったから、それを遂行しようとしたのかも、と迷っていたのだけど」
「アガサさんも……」
そう思ってたんですね。最近は保護した子供というより、婚約者らしく扱っているような気がしてはいた。
しかも女っ気がほとんどないディアーシュ様が、だ。
(ロリコン疑惑をうっすら感じてもおかしくないかも)
建前上の婚約者なら、沢山の人の前以外では子ども扱いらしくすればいいことで。アガサさんに任せきりにしたらいいことだ。
しかしアガサさんは、意外なことを言い出す。
「一番、閣下が心を預けようとしていると感じたのは、リズ、あなたにあの黒い石を渡した時よ」
「あの石ですか?」
アガサさんがうなずく。
「あれは閣下の中にある魔力。その物には特別な力はないけど、渡した時に自分が魔王の器であることを教えると決めたことがわかったから……」
苦い笑みを見せて、続けた。
「器のことを知っている人間は、ごく少数よ。公爵家の人間が代々魔王となっていたから、公爵家に勤める者の一部と公爵一家、そして王が知っているだけ。……他に知らせたことなどないのよ」
「そんなに少数なんですね」
今回、ひょいと私を連れて行ったことと、ディアーシュ様が私に隠すそぶりがなかったことから、もっと多くの人が知っているのかと思った。
「公爵家の人間では、騎士だと知っている者が多いわ。魔王の器になる時には、ここへ来なければならない。それに付き従うためでもあるけど……だからこそ、知った上でそれまで生きていく器となる方の話し相手や、相談相手もするから」
自分の人生が、魔王の意向一つで断ち切られる。
さらには体が利用されてしまうと知った上で、生きていかなければならないなら、納得はしていても自分とそのほかの人達との差なんかが気になって、割り切れない気持ちにもなるだろう。
逃げ出したくなるかもしれない。
「ディアーシュ様も、ずっと前から知っていて……?」
「そうよ。幼い頃から知っていたし、そういう方は守られながらも自分が魔王の器となるからこそ守れるものを、目の当たりにするように育てられるわ」
「ああ……」
だからか。
王族ではないのに、国のためになにくれと心を砕いて働いている姿を見て、多少驚いてはいたのだ。
あんな風に国を愛する気持ちが強い人は、珍しいなと。
アリアが色々と酷いことをしたのをまのあたりにしたり、自分が難癖をつけられた時に、つっぱねたせいだと後悔しているのかなと思っていた。
でも違ったんだ。
一番愛している物のために、自分を投げ打つ覚悟を持つよう育てられたディアーシュ様が、王国のために奔走するのは当然のことだった。
「魔王は、どうして器を必要としているんですか?」
アガサさんは首を横に振った。
「肉体はこの世のしがらみを越えられないから、とは聞いているわ」
(魔王は、魂だけの存在なのかもしれない)
だから肉体だけを取り換える。
魂だけではこの世界にあり続けられないのだろう。
そこでふと、もう一人の魔王のことを思い出す。
一度だけ、サリアン殿下の姿になったレド様。
ということは、レド様もまた、人の……ラーフェン王族の器を持っているのでは? だからサリアン殿下そっくりだったんだと思う。
「とにかく、あなたの状況については理解できたわ」
アガサさんがそう言ってくれる。
「大丈夫。みんなあなたに恩がある。恩の意味をわかっている人間は、決してあなたに悪いようにしないわ。いえ、問題があれば私がなんとでもしましょうとも。閣下にももちろん率先して行動していただくわ」
むん、とアガサさんが握りこぶしを作った。
「にしても……。閣下が知っていて黙っていたなんて」
アガサさんが、今度はふふっと笑う。
なんだか嬉しそうだ。
「とにかく、魔物がいなくなったわ。山を下りましょう。閣下は騎士達が連れて降りるから……っと」
私の姿を改めて見て、アガサさんが付け加えた。
「その服装では薄着すぎるわね。私のこれを羽織って。マントで体をくるんでおけば、なんとかなるでしょう。靴は……仕方ないわ。馬までカイに直接運んでもらいましょう」
「あ、はだしでしたね……」
素足だったことを、すっかり忘れていた。
いつも元の姿に戻る時は、魔力がなくなってヘロヘロで、身なりにかまう余裕がなかったので気づかなかったのだ。
そしてアガサさんに呼ばれたカイが、私の姿に目を丸くしたり。そのカイが連れ出した私の姿に、同行してた他の騎士達がぽかーんと口を開けてしまったりした。
けど、私がみんなを騙してたと怒られることはなかった。
そしてカイはショックを受けていた。
「え、俺より年上っすか!? 嘘だ! 年下だって言ってくれっす! いや、今からでも元のちっさいリズに戻れないっすか!?」
自分が一番年下なことが、どうしてか気になるお年頃のようで、私が小さくなるように願い始めた。
「私もどうして戻っているのかもよくわかっていないので……」
苦笑いしながらそう答えるしかなかった。
ただ問題はある。
ディアーシュ様が気を失った状態のままで、貴族令嬢という肩書を持ってしまった私が、成長した姿でマディラ伯爵の館へ行くのは難しい。
説明も難しいし、いつ戻るかわからないのに目撃されても困るし。
「せめて閣下が目覚めて、上手い言い訳を思いつくまでは……」
ということで、アガサさんは一時的に別の場所へ逗留することを決めた。
山を下りてすぐの場所に、小さな空き家があったのでそこを借り上げ、私達は宿泊した。
その上で、アガサさんは騎士を一人だけ、マディラ伯爵家に向かわせた。
農地改革の進捗確認や、王都から何か知らせが来ていないかを確かめるためだ。
そしてディアーシュ様が目覚めるまでの間、私達はのんびりと待つことにした。
できることもないので、休むのが一番だと思ったからだ。
一日経ったけど、私はなかなか縮まない。
ディアーシュ様の方は、身動きするようになったので、もう少しで目を覚ましてくれるだろうとほっとしていた時だった。
「アガサ殿!」
マディラ伯爵家へ向かわせた騎士が、慌てた様子で帰って来た。
青ざめた顔を見ただけで、とんでもないことが起ったとわかる。
「どうしたのですか?」
アガサさんは冷静に尋ねたが……。
「ラーフェン王国から、あの聖女達が来ているそうです」
報告を聞いて、誰もが黙り込んでしまった。