幕間 サリアン
王宮の一画、急遽内装や家具が入れ替えられた部屋があった。
白壁が燭台の光を反射する明るい室内のはずなのに、なぜか空気は重く、壁際に縮こまるようにして立っているメイド達は、何も見るまいと視線を足元に落としていた。
そうでもなければ、見えてしまうからだ。
部屋の中に置かれた、誰の物とも知れない遺骨を。
僕はメイド達の前に立って、同じように見ないふりをしつつため息をつく。
「……どういうことなの」
骨を運ばせた張本人である聖女アリアは、憎々し気に目の前にいる騎士を睨んだ。
この騎士が、骨を運んで来たのだ。
――罪人の元聖女シェリーズの骨が見たい、というアリアの残酷な願いをかなえるため。
「しかし聖女様、あの罪人を運んだ者達の遺骸があった近くには、この骨しか……」
「適当な物を拾って来ただけではないの?」
「そんなことはありません! 大きさからして、私は間違いなく本人の物だと思ったのです! 体格からしてまさに大きさが罪人シェリーズの物だろうと!」
弁明する騎士の言い分はわかる。その骨は、おそらく後ろにいるメイド達と似たような体格の人間の物だろう。
普通の人間には、骨になった後では誰の物なのかなんて区別はつかない。
しかしアリアがそんなことを加味してくれるわけがなかった。
「何度無駄なことをするのよ! 役立たず! 私は精霊に本人かどうか確認させられるっていうのに、嘘をつくなんて、とんでもない人ね!」
精霊の力で確認させられるのは、アリアだけだ。骨から誰なのかを知るすべを持たない相手に求め過ぎだと思うが、サリアンは口を閉ざす。
「アリア嬢、こうまでして罪人を探さなくともいいのでは? 君の美しい瞳には、もっと綺麗なものだけを映してほしいよ」
第一王子カルノーが、アリアに寄り添ってそうささやいていた。
第一王子のその行動に、いつもは「女に媚びを売るのにためらいがない」、「弱い者にしか強く出ない」とひそひそ言っているメイド達が、願いを込めた視線を向けた。
お願い、がんばってください、と。
しかしアリアは強情だった。
「私の自由にさせてくださるはずでは? 何をどうしようと私の勝手でしょ! 私は、あの罪人が死んだという証拠を見せてと言っているだけよ」
聖女になった直後こそ、王子達の前では大人しやかな令嬢のふりをしていたアリアだったが、今では誰の前でも傲慢な態度を見せていた。
それほどに、誰も自分に逆らえない、絶対的に上位の存在になったという快感は強かったのだ。アリアが本性をさらけ出しても大丈夫だと、安心してしまうほど。
「そもそもきちんと死体を持ってきていれば、こんな風に確認する必要もなかったのよ!」
「捨てていいって、許可したのは自分なのに……」
背後でメイドの誰かが不満そうに小言を口にした。ささやかな声のそれは、カルノー王子に声を張り上げていたアリアには、幸いなことに聞こえていなかったようだ。
「だいたい、あの国には錬金術師がいないんでしょ!? なのにあの女が死んだ直後から現れただなんておかしいじゃない。死んでいないのに誤魔化したんじゃないの?」
アリアは、リズの生存を疑っていた。
原因は、アインヴェイル王国がアリアに謝罪をして来ないことや、なんとか精霊を戻してほしいとおべっかを使わなかったせいだ。
ずっと周囲が何でも願いをかなえる環境に置かれ続けたアリアは、以前よりも思い通りにならないことが許せなくなっている。なのに想像していた通りにアインヴェイル王国が行動しないので、おかしいと思ったらしい。
壊れかけの精霊を捨てさせて、被害を受けるように仕向けたのに、大変だという噂すら聞かないことも、ひっかかったようだ。
そして王子達に依頼してアインヴェイル王国のことを探らせてみた結果、錬金術師が現れて、問題を解決していることがわかったのだ。
(錬金術師というだけでリズのことを連想したのは、ただ錬金術師をリズしか知らなかっただけだとは思うけど)
おかげでアリアは、リズが死んでいないと嘘をついたのかと怒った。
王子達は、そのためリズの遺骸を探させられたのだが、本当に死んでいたとしても骨になっていてもおかしくない時間が経っている。状況から、本人のものだと思って探して来たものの、ことごとくアリアに別人のものだと見ぬかれて、よりアリアが激昂しているのだ。
カルノー王子はなんとかアリアをなだめようとする。
「しかし、アインヴェイル王国の錬金術師は大の男だと聞いたよ」
「あちらの神殿の人間からは、桜色がかった髪の少女だと聞いたわ」
アリアはまだ、アインヴェイル王国の神殿と繋がりがあるようだ。
彼らも、アリアを見出したのは自分達だという誇りから、自分達が選んだ聖女が戻ってきてくれればと思っているのかもしれない。
(厄介ごとを抱え込むだけだと思うのだけどね)
この聖女がラーフェン王国に来て、いいことなどあっただろうか?
最初は少し、秋の実りを良くする作用があったりもしたようだし、冬も例年になく温かい。
しかし近頃は、不安の声も市井で上り始めている。
――あまりに雪が降らなさすぎる。雪が少ない年は、夏に川の水が少なくなる。水不足になってはどうしようか、と。
アリアが晴れている方がいいと、雪を降らせないようにしているせいだ。
代わりに、王都から離れた地域で雪が降っているようで、そちらは豪雪で苦労していると聞く。
春になってから、どれほど実害が出るのかわからない。
「それなら、あの罪人は君より年上だったはずだから、別人だろう」
カルノー王子の言葉に、さすがのアリアも渋い表情をする。
「そうだけど……。神殿の人間は、それは嘘だと言ってるわ」
「だけど君の指示通りにその錬金術師を連れて来ないじゃないか。嘘をついているのかもしれない。君に戻ってほしいから」
カルノー王子の言葉に、アリアは不満げな表情を見せた。
「私の機嫌をそこねたくないなら、嘘は言わないはずよ。死をもって償ってもらうって言ってあるもの」
恐ろしい言葉に、僕の後ろでメイドが息をのんでいる音がした。
「きっとシェリーズだわ……。上手く行かないのは、たいていあの女のせいなのよ。生きてたんだわ!」
アリアの、おかしいまでのリズへのこだわりに不可解なものを感じながら、僕は思う。
(そろそろかな)
焚きつけなくてはならない。
この女の部屋にわざわざ来たのは――僕を嫌わせるためだ。
「ひどい……リズは悪いことしてなかったのに」
小さい声だった。
でもふっと静まった瞬間に出した声は、異様なまでに響いた。
もちろんアリアにも届いた。
彼女はゆっくりとした動作で僕に顔を向ける。ギラギラとした、今にも血走りそうな目をしている。
「あんた……あの女を庇う気?」
それからクククと笑い始める。
「確かシェリーズと仲が良かったんだっけ。へぇ、あんな女をねぇ。子供しか惑わせられなかったのかしらね」
汚い考え方をする人間だ。僕は素直に不愉快さを表情に出してみた。
「気に食わないわね」
「待ってくれアリア! これでもそいつは王子なんだ」
カルノー王子が止めようとしてくれたが、まぁ、僕のことを心配してではないはずだ。表面上、良い人でいたいだけ。
だからちらりと僕の方を見て、恩に着ろとばかりの浅ましい笑みを見せるのだ。
本当なら、僕はこの兄の手を借りる必要などない。
でも自分の計画のために、弱々しい子供のふりを続ける。
「でも兄さん、リズは僕と仲が良かったんだ!」
「馬鹿、それ以上言うな!」
「それよりリズは隣の国で無事に暮らしてるの!? ねぇ教えて!」
「おい!」
せっかくの配慮を無駄にしそうな僕の発言に、カルノー王子が慌てる。
その間にも、アリアの表情は悪魔のような笑みに変わる。
「私の前でシェリーズのことを庇うなんて、こんな子はラーフェンに必要ないわね」
「僕のことも隣の国に捨てる気か。それでもいいさ、僕は隣の国でリズを探すから」
強気な子供のふりをして言うと、アリアがふっと何かを思いついた表情になる。
「そうね。私が行ってリズが生きているかどうか確認したらいいんだわ。フフフ。それに、思ったよりも早く補充が必要みたいだし、あなたを生贄として連れて行ってあげましょう」
そしてアリアはカルノー王子に命じた。
「私、アインヴェイル王国へ行ってくるわね。ついでにこの子を捨てて来るから、この子は逃げないように檻にでも入れておいて。あと準備もよろしくね」
笑顔で告げられたカルノー王子は、しばらく呆然としていたのだった。
その後、アリアに催促され、戸惑う王宮の衛兵によって僕は王宮の自室に連れ戻された。
「外に出ないようにしてください」
と言われたたので、カルノー王子は僕を牢に入れるのはためらい、自室で軟禁するつもりらしい。
有無を言わさず従わなかっただけ、マシかなと思っていると、間もなく訪問者がやってきた。
「サリアン!」
慌てて会いに来たのは、国王。僕の父親だ。
いつも一歩引いたところから僕を見ている人間。
「どういうことだ! なぜあの聖女に関わったのだ! 聖女がだだをこねたら、もうお前を救えなくなるというのに! このままではこの国が……」
短くととのえた顎髭の、いつもは勇ましそうな表情を見せるようにしていた国王が、真っ青な顔色をしている。特別に作らせて替えまである緋色の裏地がついた白豹の毛皮のマントを羽織った肩が、ぶるぶると震えていた。
「父上、そろそろ問題を解決しなければ。あの聖女をアインヴェイル王国へ戻す好機ですよ」
「なんだと……好機?」
「自分で帰ってくれるというのです。そして、僕はあの聖女がもうラーフェンへ来ないようにするつもりです」
すると国王の表情が、ぱっと明るくなる。
「そうか! 雪の降り方をおかしくさせたり、害ばかり目立つようになってきたからな! だいたい、こっちのいう通りに動かなくなったし、役に立たん」
文句を一通り口にした国王だったが、ふっと不安な表情に変わる。
「本当にどうにかなるのか? そもそも、怒らせ過ぎてお前が損なわれては……」
「大丈夫ですよ。怯えて震えていれば、満足するでしょうから」
僕の返事に、信じ切れないという顔をしてはいたものの、国王は引き下がった。
「どうせ、どうにかできる力も知恵もない」
はなから期待していないし、手を借りるつもりはなかった。
とにかくこれで、アインヴェイル王国へ行くことができる。
「リズを、死なせはしない」
それだけが、僕の願いだ。
「回りくどいことをしないといけないのが、歯がゆいな」
もっと早く、彼女を助けられたら良かった。
けれど一縷の望みをかけて、リズを隣国の公爵に出会うようにと仕向けたのだから。