精霊がいなくなった国の不安
その後はおやつの時間となった。
「公爵閣下がおっしゃらなくても出すつもりだったんだけど、おやつにどうかしら? こんなものしかないのだけど、口に合うかしら?」
アガサさんは心配そうに、クッキーを出してくれた。
食べてからアガサさんが心配そうにしていた理由がわかる。ふすまを入れてかさ増ししていたからだった。
「美味しいです! ここしばらく食事はパン一個と水ぐらいでしたし、神殿に入る前だって、クッキーを頻繁に食べられたわけじゃないですし。私にとっては御馳走です」
継母は、父が死んでからはとにかく私に食事をやるのすら嫌がった。
まだ子供に毛が生えたぐらいの年齢の私には、しばらく耐える以外の方法が思いつけなかったから、パンと少しだけ肉が入った野菜スープで耐え忍んでいたことがあったのだ。
間もなく町の外に自生してた果物の木のことを知ってからは、果物で甘いものを補っていたのだけど。
だからふすまのクッキーは十分に素敵なおやつだ。
私が心から言っているとわかったのか、アガサさんは頬をゆるめてくれる。
「良かったわ。いずれ食糧事情が厳しくなるでしょうから、来年に備えて切り詰めることになっているのよ。だから、かさましなんてしていたの。ごめんなさいね」
「食糧事情、ですか?」
私が問いかけると、アガサさんが話してくれる。
「この国の精霊が、本当に少なくなってしまったの。もう秋だから、今年の収穫量はなんとかなるみたいだけど、来年は厳しいわ。だからこの国は、飢饉にそなえているのよ」
「飢饉……」
そんな言葉を口にするほど、影響が出ているの?
「まだ今は、少し実のつき方が予想したほどじゃないような、という程度のものだけど……」
アガサさんがため息をつく。
たぶん、精霊がいなくなって間もないからだ。
それでも影響が出たことで、アガサさん達は警戒しているらしい。
「いずれ顕著になっていくでしょう。それまでに対策がとれるように、対策の時間を稼ぐためにも、今のうちに備えが必要なのよ」
私はなるほどと思った。
精霊が少なくなった影響なら、来年も、再来年だって収穫量が回復するとは思えない。
そのために魔法で改善する研究をしようにも、時間がかかる。だから猶予を確保するために、今から備蓄して、来年の分を確保しようとしているんだ。
代わりに公爵様でさえ、ふすまや、今までは捨てていたようなものでさえ口にするようにして、食事量を減らしているんだと思う。
精霊がいなくなるのは、本当に大変なんだと私は息をついた。
その日はお風呂に入れてもらった後、気づくと眠っていて、夕食を食べたらすぐ就寝した。
やっぱり牢生活と逃亡の疲れがまだ抜けなくて、本調子ではないみたい。
(体力が有り余ってるわけじゃないものね、私)
普通レベルなのだ。
それに引きずられたり、押さえつけられたり、山道を逃げて転んだりで怪我もしている。
12歳の肉体なら休息を必要として寝込んでもおかしくはない。
(変な薬も飲んだから、これで済んで良かった)
サリアン殿下がくれた薬。
本当に効果があるなんて思わなかったけど、それ以上に予想外な姿を変える魔法の薬だった。
錬金術をかじった私としては、成分が気になるけど……ほとんど魔法の力なんだろう。なにせ製造者が魔王なんだし。
思えば、今の私ってサリアン殿下と同じ年齢に見えるんだろうな。
(会ったら、きっとびっくりするだろうな。そもそも年齢が急に低下するなんて魔法は聞いたこともないし、殿下も私がリズだなんて思わないかもしれない)
ちょっと寂しい。でも殺されないようにできたから。
私を追いかけた兵士も、最後に追いかけた私が聖女シェリーズだとは思わないはずだし。見つからない以上、崖から落ちて死んだと思ってくれるかも。
それを聞いたサリアン殿下は悲しむかな。
でもいつか、手紙ででもいいから無事を知らせたい。そしてお礼も……。あなたのおかげで、私は生き延びることができた、と。
物思いにふけりっているうちに眠りについた。
翌朝。
慌ただしく食事をした後、簡易的な旅装として子供用のマントを着せられ、私は馬車に乗った。
馬車は高価なものではないけど、しっかりとした作りの馬車だ。
車輪は鉄製で、悪路でもがんばってくれそう。
乗ると、けっこう中は広かった。座席もえんじ色の布張りでクッションが入っているし、座り心地も悪くない。
ただ馬車が黒塗りのあげくに座席の色を考えると、アインヴェイル王国は徹底的に赤と黒が好きなんだなと思ってしまい、笑いそうになった。
でもアガサさんは別に赤と黒の服を着ているわけでもない。
私が着ている服も、砦の側の町で調達してくれた赤と茶色のワンピースだけれど。
当の公爵様は、馬車ではなく騎乗して王都まで移動なさるらしい。
窓の外に、近くで配下の騎士や兵士に指示している公爵様は、いつも通りの黒と赤の制服だ。
それにしても……。
「あの、公爵閣下の移動なのに、けっこう護衛の方が少ないような?」
神殿で聖女についていた人間なら、ここに疑問を持ってもだいじょうぶだろうと、私は質問してみた。
なにせ公爵様以外、騎士が五人と兵士が五人だけ。その兵士のうち二人は御者台に座ったみたいだし、隣国まで名前が鳴り響く公爵家当主の護衛にしては、少なすぎない?
アガサさんは微笑んで答えてくれる。
「沢山いても、逃げなくてはならない時には上手く動けなくなってしまうから」
逃げる?
万が一の場合ってことかな。
そんな良くない事態を想定しているなら、もっと護衛の兵が必要な気がするけど……。
この王国なりのやり方があるんだろうからと、私は黙ることにした。
そうして馬車が出発する。
やがて私は『沢山いても仕方ない』理由を知ることになった。