ひとまず逃げます
「そのように警戒されなくとも……」
神官の方はまぁまぁと、アガサさんをなだめるように笑みを浮かべる。
三十代ぐらいの男性だ。人の好さそうな顔をしてはいるけど、目はじっと私を値踏みするように見ている。
……なんだか気持ち悪い。
「うちの子によくわからない言いがかりをつけてきたのですから、警戒されて当たり前では? それに公爵家や公爵閣下へ御用があるのなら、王都の館の方へ打診なさってください」
「たまたま見かけたものでして、他意はないのですよ」
アガサさんが断っても、神官はあいまいな笑みをうかべたまま立ち去らない。
「それで、その方とお話させていただくことは……」
「人違いです」
ぴしゃりと言ったアガサさんは、五人の護衛のうち一人に指示した。
「神官様のお相手をお願いします。うちの姪っ子が疲れて来たみたいなので、先に連れて帰ります」
「承知いたしました」
メイド長とはいえ、騎士としても戦うアガサさんは地位が高いのか、状況の判断と決定、護衛に命令ができるらしい。
指示に従い、兵士のうち一人が神官の前に立ちふさがり、私を連れてアガサさんと他の四人は急いで馬に乗って王都へ駆けた。
「どうしてそこまで警戒しているのですか?」
ディアーシュ様がやたらと行く場所や護衛の数を気にしていたこと、アガサさんの行動。どちらも私が想像する以上のものを警戒しているように思えた。
だから聞いてみたのだけど。
「……閣下にご説明を聞いた方がいいかもしれまないわ」
と、歯切れが悪いものの、少しだけ話してくれる。
「神殿が、あなたに目をつけたみたいなのよ、リズ」
「私に……」
「大きな力を持つ人間は、どうしてもそれを利用しようとする人間が現れるものよ。せめて、お互いに良い取引ができるならいいでしょうけど。でも、子供のあなたに対等な取引を持ち掛けるとはとうてい思えないわ」
私もそうだと思うので、うなずく。
「そもそもあの人達は、女王陛下を怒らせてもなお、聖女アリアが周囲に被害をもたらすまでは真剣にいさめようともしなかった人達なの。そんな人間達が、子供の権利を守ってくれるわけがないと思ってるわ」
ようするに、自分達にも大きな被害が出たから、アリアをいさめるようになって……で、反発したアリアがラーフェン王国の口車に乗ってしまったということなのね。
どこの神殿も、そういう傾向があるんだな……と私は思う。
彼らは自分達の権威が大事だ。
ラーフェン王国ではあまり力がなかったからこそ、神殿は表立っては権威主義を口にしてはいなかったけど、内部では神殿の権威があまり王家に通じないことを嘆く人が多かった。
だけど冬は凍てついて引きこもって耐えるような、厳しい環境で生きていた北国アインヴェイルでは、神にすがりたい気持ちになる人々が多く、権威が中途半端に保たれていたんじゃないだろうか。
だからもっと強い権力があってもいいはずだと考えていたのかもしれない。
そして権力を高める材料になるだろうアリアを甘やかし、自分達が困るまで周囲がどれだけ被害を受けても放置したんだろう。
「聖女アリアの件で、神殿の権威は地に落ちたわ。聖女を正しい方向へ導くこともできず、聖女は国に呪いを残したから。その権威を取り戻したいんでしょうね。そのために、国に貢献したリズを自分の元に取り込もうと考えているんでしょう。神殿が保護する錬金術師が、国を救ったのだということにしたくて」
「うわ……」
私は顔をしかめてしまう。ありえるなと思うから。
正直、もう神殿なんかに関わりたくない。
ラーフェン王国での聖女の役目も、元々無理やりにさせられたものだった。それでも真面目に頑張っていたのに誰も手を差し伸べてくれなかったことで、完全に神殿に嫌悪を感じるようになってしまっていたみたいだ。
私の顔を見て、アガサさんが苦笑いする。
「リズが嫌がるだろうからと、閣下も私達も神殿が接触したがっていることを隠していたのよ。今日も公爵邸の近くで神殿の人間がほどこしを行うということで、なにかの拍子に公爵邸に潜り込む可能性があるかもしれないと、王都の外へ出かけることにしたんだけれどね。ここまで追いかけてくるとは思わなかったわ」
追いかけてくる……というより、公爵家の縁のある場所に、あちこち人を配していたように思える。
でなければ、あんな風に偶然を装って現れることができないはずだし。
「私、どうしたらいいんでしょう」
できればこのまま、錬金術で色んな物を作って暮らしていたい。
神殿に連れていかれてしまったら、神殿側の要求する物だけ作らされるんだろう。あげく、自分達の権威を高めるために人々が困るようなこともさせられそうな予感がする。
雪が一か所だけでやたら降るようになる物を作らせるとか。
もっと悪いのは、私が実はラーフェンを追われた元聖女だとバレることだ。
それすらも利用して、こちらが真の聖女だなんだと喧伝するかもしれない。
かんしゃくを起こした子供みたいなアリアは、アインヴェイル王国にもっと酷いことをしかねない。私を保護してくれたディアーシュ様やアガサさん達が、そのせいで苦しむのは嫌だ。
抵抗しようと思ったところで、やすやすと封じられて殺されそうになるかもしれない。直近でその恐怖を味わったばかりの私は、思わず身震いしそうだった。
すると、アガサさんがぎゅっと私を強く抱きしめてくれる。
……温かい。
今自分が子供の姿だからこそ、こうしてくれるのだとわかっている。でも心細さと思い出した恐怖が、じわりと溶けて消えて行く。
「大丈夫、守るわ」
その言葉に、私は少し泣きそうな気持ちになったのだった。