幕間 公爵閣下の少し穏やかな日
その日の早朝は寒かった。
寒い間に外に出たのは、素振りをするためだ。
朝日が昇り始め、剣先に反射してまぶしさに一瞬目をすがめた。
その時に、ふと桜色の髪が見えたような気がして、見回す。
こんな朝早くから、リズが外に出て来ていた。寒いというのに焦っていたのか、思ったよりも薄着をしている。
注意しようとおいかけ、リズが何をしているのかようやくわかった。
どうも新しい錬金術のアイテムを作っていたらしい。
どうやら部屋が暖かくなる石らしいが。
その次の日、朝食をとる部屋がやけに暖かかった。
暖炉に火はついていない。
「どうしてこの部屋は暖かいんだ?」
家令のオイゲンに聞けば、リズの作った『暖石』を置いたのだという。
見れば暖炉の上に、赤みがかった石が置かれていた。
「あれが『暖石』か」
「はい。昨日リズさんがたくさん作った物を、様々な部屋に置いて使ってみています。これ一つで部屋がまるまる温まるのですから、素晴らしいアイテムですね」
オイゲンはとても嬉しそうだ。
老体に寒さが凍みると言っていたので、温かくて嬉しいのだろう。
そのオイゲンが、お茶を飲む合間に尋ねてきた。
「このアイテムで節約できた薪を、貧民街の者に譲ってもよろしいでしょうか?」
貧民街に薪を譲る。クラージュ公爵家で、そうした施しをしたことはあるが。
もしかしてと聞いてみた。
「それはリズの発案か?」
「左様でございます」
やはりそうだったようだ。確認できると、なんだかふっと笑いたくなる。
リズの考えていることが自分の予想通りだったのが、なぜか嬉しい。
――次の日には、リズが執務の合間に飛び込んできて、頼み始めた。
「お願いします! この暖石も魔力石の作成をしている薬師の人達に、量産をお願いできませんか!?」
「暖石もか?」
私は耳を疑った。
まさかこれも他人に作らせて大量生産させるつもりだったとは思わなかったのだ。
薪を必要としないアイテムなど見たことがない。そして便利だったから、欲しい者はいくらでもいるはず。
これを量産させて値段を下げて、リズはどうするつもりなのか。
驚きすぎたせいか、思わず言ってしまう。
「お前は、これから得られるはずの財貨を喜捨する気なのか?」
本人は、そのつもりはなかったのかもしれない。
思わずといった風に「あ」と口に出してから、にへらと笑う。
「私がやりたいことを達成しようとしたら、毎日暖石ばかり作ってへとへとになるのが目に見えているので。私は他のアイテムも作りつつ、他人が作ってくれた中から権利料を少しもらえれば、それでいいです」
リズは決して利益を度外視しているわけでもなく、合理的判断だと言う。
「やりたいこととは?」
尋ねると、リズは堂々と言った。
「アインヴェイル王国中の人が薪を無理に買わなくても、冬を温かく過ごせることです」
あっけにとられるしかない。
彼女は、アインヴェイル王国中の者を救おうというのだろうか。
既に魔力石で、たくさんのアインヴェイル王国人を救っているのに……。
「あの子の方が聖女のようだ」
本来聖女とは、この世界が災害で終わろうとしていた時に、人々を助けた女性を表す言葉だ。
今は宗教的な地位の一部として使われていて、儀式を執り行うための役どころ程度の意味になってしまっているけれど。
本来の聖女とは、多くの人間を救う者のこと。
ただ、大人に守られるべき存在が、大人を守ろうとすることに対する申し訳なさが、一瞬よぎってしまうのだ。
彼女の申し出を受けることが、この国を守る最善の手段だとはわかっているのだが。
今はただ、感謝と大人としての責任を果たすために、彼女に憂いがふりかからないように策を講じ、行動するしかない。
そうして信頼を得た先でなら、彼女にあのことを聞けるだろうか。
……本当は、大人なのではないか? と。