これが代償だ
「二人とも!」
カイの声がして、小脇に抱えられて宙を飛んだ。
恐ろしい破壊音がして、身震いしたところで着地。
だけどカイの小脇に抱えられたまま、私は先ほどまでいた岩が砕け散った様子を目の当たりにする。
「なんで……」
魔物でも出て来たのだろうか。そう思ったけど、違った。
「やっぱり……生きてた」
そこにはアリアがいた。
魔王に来るように指示されて急いだのか、身なりを気にするアリアにはめずらしく、黒髪は乱れている。
衣服は冬の聖女の衣装だ。
青や白の布を重ねた物で、優美だけれど、元々派手で華やかなドレスが好きだったアリアの趣味とは違う気がする。聖女の衣装が気に入ってしまったというよりは、その衣装の方が称賛されることが多くて、その快感から他の衣装を着る気になれないのかもしれない。
でも私が驚いたのはそこじゃない。アリアが来るだろうことは予測はしていたから。
「なんで!?」
アリアの後ろには、騎士に抱えられたサリアン殿下がいたのだ。
(そんな。どうして殿下が?)
意味がわからなかったけど、アリアの高笑いとともに告げられた言葉に納得がいった。
「この王子に驚いているの? たしかあんたが仲良くしていた王子だったらしいわね、シェリーズ。魔王に生贄が必要だろうから、連れて来ただけよ」
「そんな!」
「怒っている場合? あんたはこの王子より先に死んでしまいなさい!」
悪魔のような形相のアリアがそう言うと、彼女の周囲に煌めく光が現れ、そこから炎がこちらに向かって吹き出してくる。
アガサさんが魔法の盾でそれを防御しようとした。
でも精霊の力だ。しかも私を殺そうとした物。
とても防げないと覚悟したけど――炎は私に触れなかった。
「リズ、手伝いに来たよ」
いつの間にか私の前に、サリアン殿下がいた。
そして彼の前には闇色の靄がゆらめいて、炎を軽々と防ぎきってもまだ漂う。
「サリアン殿下……?」
「うん。また会えたねリズ」
こんな場に不似合いなほど、ほのぼのとした笑みを見せるサリアン殿下。
きらめくような金の髪も、可愛らしいという表現をするしかないその顔立ちも、全てがサリアン殿下そのものだ。衣服も王宮で着ていた物とさして変わらない。
「どうして、ここに?」
「手伝いに来たんだ。今から呼ぶ彼が、行動しやすいようにね」
「どういうこと?」
驚いている間に変化が起きた。
「え!?」
その姿が変わったわけじゃない。
雰囲気が変化した。後退りしそうな強さを感じる。そして声も……。
「今だけ、サリアンは吾輩の依り代だ」
レド様だ。間違いない。
サリアン殿下のものより少し低い声。
「サリアンはそのために、わざとここへ来た。一時のことだが、魔王の力であれば精霊の攻撃ぐらいは防げる。助けになれるだろう」
サリアン殿下が、一時的にレド様の器になった?
とっさにサリアン殿下の身が心配になったけど、レド様は一時だと言った。なら、サリアン殿下はこのままレド様になってしまうわけではない。
それに私は、レド様を信じてるから。
「もしかして先日、私にサリアン殿下の姿を見せたのは……このためですか?」
「ああ。一度は見せておかないと、驚くだろう? お前が弟とも思っている者がやって来ることも、私がその体を借りることも」
驚かせないため。想像させて、そういうことかと思わせるために、レド様は一度人の姿に変わって見せたのだという。
もう、その頃からレド様は想像していたのかな。ディアーシュ様が魔王に挑むことにしたことも、アリアがやってくることも。
「さぁリズ、もう少し砂を使え。疑いの気持ちが強かったせいか、一つだけでは足りないようだ」
レド様に言われて、私は懐に隠し持っていた砂袋を出す。
そして投げつけようとしたのだけど。
「生贄にしかならない子供の分際で、生意気よ……」
睨んでいたアリアが、唐突にふふっと笑う。
「その砂が、魔王様の邪魔をしているのね!」
叫んだとたん、横からの風が質量を持って私を突き倒す。そして砂を袋ごと火口へと落とした。
白い蒸気の向こう。赤黒く煮え立つように見える溶岩の中へ。
アリアがせせら笑う。
「これでもう手はないわ。おとなしく……」
「リズ、今だ」
サリアン殿下から漏れるレド様の声に、私は瞬時にやるべきことを理解して動いた。
ささやかな風なら、私でも作れる。
それで方向を間違わないように定めて――口を広げたもう一つの小さな砂袋を魔王に投げつけた。
二袋作ったアイテム。そのうち一つをさらに二つに分けておいたのだ。
私の風に、なにかの力が加わった気がする。
そのまま砂袋は魔王の上で弾けるように飛散し、砂を落とす。
青くきらめく砂が降る中、魔王はふっと表情が抜け落ちた。
動きが止まる中、ディアーシュ様がうなる。
「思い出せ、器とされた者よ。愛する誰かの眠る土地、愛する者達の子がいる土地を守るために、どうせならば魔王の力に反抗してやれ!」
檄を飛ばされた魔王が、ぴくりと動く。
そして……ゆっくりと、レド様の魔力で押し留められたアリアを見る。
何かに気づいたアリアの表情がひきつる。
「えっ、どうして、嫌……なんで魔王が負けるのよ!」
アリアの文句は、最後は叫びになった。
そして炎の魔王がアリアを指さした途端、悲鳴を上げてその場にしゃがみ込む。
――とたんに、アリアの周囲からぱっと七色の光が弾けるように舞い飛び、離れて拡散していく。
その七色の光は、まるで花弁のような服をまとった小さな人や動物の姿に見えて……。
「あ、精霊?」
精霊だったのかもしれない。アリアにひきつけられていたけれど、もうその必要がなくなったから、離れて行ったのだ。
「うそ……」
呆然とそれを見上げていたアリアは、ふらふらと立ち上がる。
そして私の方を睨みつけた。
「あんたが……あんたがまた邪魔をしたのね、シェリーズ!」
ふらつきながらも、墓から這い出した動く死人のようにゆらゆらと私に近づく。
どうしたものかと思っていたら、レド様が手を上げてアリアを制止した。
おそらく魔力で動けないようにしたのだと思う。私に危害を与えないようにするためなんだろう。そう思ったけど、それだけじゃなかたようだ。
「邪魔をしないで!」
「あと数秒だけだ。それ以上は、邪魔をする必要すらない」
「え? 何を言っ……」
アリアの言葉はそれ以上続かなかった。
もろりと、彼女の伸ばしていた手が、指先からくずれる。柔らかな綿を燃やしたように、黒ずんでほろりほろりと地面へ落ちていく。
「身にあまる力を振るい続けた代償だ。力の源を奪われれば、もうその体は支えられない」
驚愕の表情のまま、アリアは崩れ去った。
地面に黒く固まった灰のようなものが落ちている。それが、アリアの痕跡。
「……終わったな」
そしてディアーシュ様の声がした。
振り返ると、そこにもう炎の魔王はいなくなっていた。
私達はやりきったんだ。
ディアーシュ様の命が失われることなく、アリアの力を奪い、アインヴェイル王国に精霊を戻すことができた。
嘘じゃないかと疑いそうになるけど、レド様もアガサさんも、カイも……ディアーシュ様までがものすごく珍しく微笑んでいた。
それで私は、ようやく全てが終わったんだと確認できたのだった。