プロローグ
「あっ、朝!」
窓から入る光に目覚めた私は、慌ててベッドから飛び下りる。
素早く身支度すると、枕元に置いていた巾着袋を手に部屋を飛び出した。
白い石床の上に柔らかな緑の絨毯が敷かれた廊下を駆ける。
「リズ! おはよう、リボンが曲がっているわ」
お掃除をしていた召使いに呼び止められ、ずりおちかかっていたリボンを直してもらった。
桜色がかった波打つ髪に、赤いリボンを揺らしながら、私は急いで庭に出た。
秋の冷たい風に首をすくめる。
そんな私に、朝早くから薔薇の剪定をしていた庭師が声をかけてくれた。
「おはようリズ。まだ小さいのに朝早いなぁ」
「今日はちょっと早起きなんです!」
返事をしつつ、私は苦笑いしてしまう。私は12歳くらいに見えるはずなのに、それよりも子ども扱いしすぎだと思う。
私は目をつけておいた庭の一画へ行くと、石畳の上に袋から出した瓶を置く。
藍色の袋から出した瓶は、朝日を受けると中で気泡がぶくぶくと発生する。
そして次第に、赤茶色の瑪瑙の粉と中のオイルが混ざり合っていく……。
「よし、火の刻印に力を収束して閉じ込める図式を……」
私はそれをインクとして使い、持ってきていた紙に魔力図を描いていく。
その上に袋に入っていた水晶を置いた。そして金箔を少し。
「仕上げはこれ」
持ってきていたランプ。朝になったから必要もないのにこれが必要なのは、このためだ。
紙にランプで火を付ける。
燃え上がる紙と共に、石が火に包まれた。
出来上がりをドキドキしながら待っていると……。
「……何を燃やしている?」
ふいに、冷たくも聞こえる声をかけられて、慌てて振り返る。
そこにいたのは、灰色の髪に灰赤の瞳の青年。
年齢は正確には聞いたことはないけど、たしか20歳だったはず。
「で、ディアーシュ様、おはようございます」
私は内心でびくびくとしつつ、一礼した。
ディアーシュ様は黙って小さくうなずく。
早朝だったから、まだお休みしているかと思ったのに……。
剣を持っていて、肌寒いのに羽織り物も着ずにシャツ一枚なところを見ると、剣の練習でもしていたのかしら。
(……怒られないよね?)
錬金術で物を作るようにと言ってくれたのは、この人だ。
今は雇用主とお抱え職人みたいな関係。
でもこの人は、私の母国でも有名な冷酷公爵。
圧倒的な剣の腕と魔法で、一人で一軍を殲滅し、命乞いすら聞く耳を持たないというとんでもない人。
敵となれば慈悲はないとか、機嫌をそこねると側近でも首をはねられるとかすごい話が、私がいた隣国にも伝わって来ていた。
庭でごそごそしているのが気に食わない、とかだったらどうしよう。
私は平伏する気持ちで、お尋ねのことについて説明した。
「へ、部屋が暖かくなる石を作っていました」
「石?」
「はい」
太陽の光を集める力を持つ水晶に、朝の、ぐっと周囲の気温を上げていく太陽の力を込めて作るもの。
そのために魔法の刻印図を書き、炎の力も封じ込めたのだ。
「あ、できた」
燃えた紙は跡形もなくなって、そこにはころんとした水晶の結晶が一つ残されていた。
砂金は、水晶に星をまぶしたように貼りついて、美しいオブジェのよう。
「これです。あの……もうしばらくで、持てるほどの温かさになりますから、回収しますので……」
だから怒らないでくださいと、願いをこめつつお願いすると、ディアーシュ様がため息をついた。
「ずっとそこで待つつもりか?」
待ってはいけない理由はなんだろう。
この後の私の予定なんて、ディアーシュ様と朝食をご一緒するぐらいですが……。
なぜかこの人は、子供の健康チェックを自分の目でしたがるらしく、一日に一度は顔を合わせるために、朝食に同席させるのだ。
「朝食の時間には間に合うと思いますので」
恐る恐る言うと、ディアーシュ様は数秒黙った後、羽織っていた黒いマントを外す。
そして、ふわりと私の肩に着せかけてくれた。
温かくなる肩と背中。
それは風が遮られただけじゃなくて、たぶん、ディアーシュ様の体温が移ってのことで。
えっ、と驚いた後で、恥ずかしさがこみあげて来る。
――だって私、本当は17歳だ。
わけあって子供の姿になってるだけで。
自分の中ではどうしても、17歳の自分で想像してしまうから……。
たとえそれが恐ろしい噂のあるディアーシュ様で、自分のことを子供だと思っている人相手でも、ちょっと意識してしまう。
顔が赤くなりそうな私に、ディアーシュ様が淡々と告げる。
「風邪を引く。せめて着ているように」
「はい……あ、でも裾が」
ディアーシュ様の半分ちょっとしか背丈のない私には、マントが長すぎた。地面にぺったりついてしまった裾を見て、どうしようかと思っていると、ディアーシュ様が言う。
「気にするな。血と違って、土なら洗えばとれる」
そしてディアーシュ様は立ち去った。
「いや、たしかに血よりは洗いやすいかもしれないけど」
声も届かなくなるほど遠ざかった背中を見つめて、私はつぶやいてしまう。
「ぶっきらぼうというか、素っ気ないし、やっぱり怖いんだけど。まぁ、基本的には優しい……方なんだよね」
あの日、逃げる私の身元も何も知らずに、助けてくれたのはディアーシュ様だ。
彼に拾われたから、今こうして穏やかな日々を過ごせる。
まだ先入観のせいで怖いけど……。いや、実際怖いところも目の当たりにしたしなぁ。
そして子供の姿にならなかったら、絶対に殺されてただろう……と、私は少し前の出来事を思い出した。