イハボ島が消えた
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ふーむ、今年はこも巻きをする樹が少ない気がするね。私が子供のころは、ちょっと幹の太い樹があったら、あの腹巻きをしていた印象が強い。こいつも時代の移り変わりかな。
こも巻きは木の防寒という目的以外に、葉のない冬の間。葉を住処としていた害虫たちの、いっときの隠れ蓑として使わせるために、開発されたという。そして春になるとこもを外し、隠れた虫ともども、燃やして始末してしまう罠と化すのだ。
実際のところ、こもに引っかかる害虫の数は少なく、別に木の割れ目などを中心に駆除する必要はあるらしい。だが、この「罠を張る」という守り方は、なかなか積極性を帯びたものじゃなかろうか? 攻めの姿勢を感じるね。
守ることについて、様々な動物が昔から工夫を凝らしてきた。人間もまたしかりだ。
火や様々な道具類も、外敵や災害から自分の生活を守るのに使われている。中には一見、理解が追い付かない防御法も、存在したらしいんだ。
最近、その防ぎに関して不思議な話を聞いてね。つぶらやくんの気に入りそうなネタだと思うし、耳に入れておかないかい?
むかしむかし。日本の各地に置かれた守護が、守護大名として力を振るい始めたころ。
とある漁村の住人が明け方、皆に妙なことを報告した。
「イハボ島の姿が見えない」と。
イハボ島は、ここから船で半刻ばかり漕いだところにある小島。島の周囲はおよそ半里(約2キロ)しかなく、ほぼ岩と砂で構成された真っ平らな地表に、人は住んでいない。
代わりに漁村の人々の手で、倉庫代わりの小屋が立てられ、木材や予備の網などの資材が保管されていたらしい。
それが一夜にして、姿を消したんだ。
村民たちが確かめたところ、浜から見ても、舟に乗って近づいてみても、島の気配は残っていなかった。大波をかぶって、一時的に島が沈んでしまったように見えるのかと思い、海中に潜っていった者もいたが、建てた小屋の影さえも見当たらなかったとか。
件の漁村の沖合は、多島海として地元の者に知られていたそうだ。小島の数はおよそ100にも及び、うちその半数近くには人が住んでいた。
それがイハボ島の消失をきっかけに、数年の間を置いて、順々に姿を消していったんだ。
海面上昇が原因とは考えづらかった。高めの標高を持つ島が、低い標高を持つ島より、先に消えることがあったからだ。
漁師たちの調べの結果、島はその面積の小さいものから、姿を消しているのではないかと考えられ始めた。実際に残った島の測量を行った結果、次に消えたのはやはり、その時点で一番小さい島だったんだ。
漁村は有人島へこの旨を知らせ、自分たちのいる本島への避難と移住を促した。
にわかには信じてもらえなかったが、それから二十年の間で、ついに最小の有人島が姿を消してしまったことで、ようやく危機感が植え付けられる。
やがて戦国の時代へ移り始めるが、100あった島はすでに、その20分の1に数を減らしていたという。
――もし、島が完全になくなってしまったら、その次はどうなってしまうのだろうか。
そう考える人が、じょじょに出てきた。島の痕跡は、少なくとも人の手が及ぶところで、再び確認することができなかったからだ。
村人たちは調べた。島が消え始めたという、100年以上も前の記録、口伝をあたり、原因を探ったんだ。
島の消失という大事をのぞくと、残るもののほとんどが個人規模の不祥事ばかりだった。が、最初の犠牲者もとい犠牲島であるイハボ島が消える数年前。漁村を含めた近隣の地域で、大規模な人夫動員が行われていたんだ。
案件は、木の伐り出しと運搬。守護が納める町での大火に伴い、焼失した建物の修繕のために使われたという。その際、漁村より上流にあった森が数日のうちに姿を消してしまったとも。
漁村の者たちが現地へ向かったところ、そこは住む人もなく開墾しなおされた様子もない、荒れ地として残っていた。
わずかにとどまる切り株たちが、かつての伐採の様子を物語る。しかし、この100年で何の種も埋まらず、雨も降らなかったわけでもないだろうに、この一帯には緑の姿が見られなかったんだ。
――確かに陸の木々が失われている。でもそれが、海の島に関係があるのか?
一度は引き上げた漁師たちだったが、それから数年。残っていた島が、次々と姿を消すという事態に見舞われる。
そしてついに、漁村の近場から島がひとつ残さず消え去ってしまってから、漁に出た者の行方不明が頻発するようになる。
更に海から獲物が取れなくなってきた。特に顕著なのが海藻類で、沿岸からめっきり数を減らし、代わりにウニなどがちらほらと姿を見せるようになる。「磯焼け」と呼ばれる、漁師たちにとっての、憂うべき状況の兆しだった。
――植林をすべし。
実態を前にした村民たちはいちかばちか、上流の緑を取り戻そうと試みたんだ。海に出ることを控え、出稼ぎに比重を置いた生活に切り替えながら、彼らはかつての伐採地に植林を行っていったんだ。
それから林が曲がりなりにも、体を成すようになる100年余りの間、かの沖合は舟が消失する魔の海域として恐れられたらしい。しかし育った林が葉をつけ、それを枯らし、四季のめぐりを表すようになってから、この怪現象はピタリと止んだらしい。同時に魚たちもじょじょに姿を増やし始め、漁場としての力をじょじょに取り戻していったとか。
森が海を、魚を育てる。
のちに「魚つき林」の言葉と共に、森林の本格的な保安が行われるものの、あそこの海に関しては、頭一つ抜けた食いしん坊だったのだろう。
山から流れ込んでいた栄養が減り、腹を減らした結果、その代わりとして島を。そして足らず、海に出ていた者を食べていったのかもしれない。