九話 実習はむちい編
モンスタートリマーを目指す初めての実習が、はむちいだった。
彼らは校庭に暮らしているものと町から連れられてくるものがいて、授業の度に生徒の実習を助けてくれる。
校庭には地上三階地下一階建ての大きな白い建物がある。
これはリノベーションされた校舎とは別に、実習の為だけに新しく建てられた特別校舎だ。
僕達は、まず三階へとエレベーターで上がり、控え室に荷物を置いたら、更衣室でエプロンみたいなユニフォームに着替える。
それから一階へ降りると、清潔な大部屋が幾つもあって、二年生が早くも実習の準備に取りかかっていた。
僕達はそれを眺めながら、指定されたはむちい専用の実習室へ集合した。
「はむちいが砂浴びをする時に体に小石が残ってしまうことがありますの。それは、はむちいにとっても、私達にとっても怪我に繋がる恐れがありますので、ベーシックの時にしっかり取り除いてください」
マダム先生が言うベーシックとは、シャンプー前の手入れのことだ。
次にシャンプーを行うベイジング。
最後にハサミでカットするトリミング。
これらをまとめてグルーミングと呼ぶ。
そして、この作業を行う者を人々はモンスタートリマーと呼んでいる。
グルーミングを行う際、モンスターは巨体なので、各個体のサイズに合わせて、必ず二人以上のチームを組んで行う。
男は五人しかおらず、なおかつ若いのが僕だけだったので、実習の時は必ず逆瀬川ちゃんと組むことになった。
男と組まなくて結構だけどそこは熟女だろうと嘆いた。
さすがの逆瀬川ちゃんも、同性と組めないのは内心は不満だろう。
「それではみなさん。グルーミングの目的と心構えを忘れずに今日も頑張りましょう」
マダム先生の言うグルーミングの目的とは、清潔にして日常の健康を保つこと。
これこそ重要だ。
そして心構えは大きく三つある。
一つ、丁寧に綺麗にも大事だが、出来るだけ短期間に効率を進めモンスターの負担を少なくすること。
二つ、常にモンスターの気持ちや状態を気遣い、手際よく作業する。
三つ、個々の特性や性格をよく見極めて、冷静な態度の中に十分な愛情を込めて作業すること。
「川大くん。始めよっか」
セミロングの髪を後ろで一つに束ね、いつもとは雰囲気の違う大人っぽい逆瀬川ちゃんが合図をする。
僕は、はむちいのつぶらな瞳を見て頷いた。
「おう。今日もよろしくな」
可愛い女の子との共同作業なんて本当なら咽び泣くほど大喜びするだろうが、残念ながら僕は大人なんだ。
気を引き締めて、はむちい専用トリミングテーブルの上で寝そべるはむちいを観察する。
自らペタンコになってくれるのはいいが、それでも巨大だ。
僕達は作業前に個体の状態を細かくチェックしてプリントに記入した。
いよいよグルーミングの開始となる。
「まずはブラッシングだね」
逆瀬川ちゃんは道具を持つと、たちまち愛らしい顔が凛々しい顔に変わる。
スイッチの切り替えが完璧だ。
ブラッシングとは、シャンプー前に被毛や皮膚に付着するゴミやホコリを取り除き、また癖毛を直し、毛のもつれをときほぐすことである。
はむちいの場合は、付着した細かい砂と奥に入り込んだ小石や枝葉を取り除く作業になる。
「はむちいよ。貴様を傷付ける呪いを俺が今取り払ってやる」
「どうしたの?」
「あ、あはは。いや何でもないから気にしないで」
逆瀬川ちゃん、本当なら君を巻き込みたくなかった。
弱い俺を許してくれ。必ず守るから。
「真面目にね。川大くん」
マダム先生に叱られたら真面目になるしかあるまい。
僕はスリッカーブラシを持つ手に力を込めた。
くの字に曲がった針金が並ぶブラシで、これを使うことで、毛のもつれを早く解きほぐすことが可能となる。
はむちいは、あまりもつれの心配をしなくていいのだが、それでも見逃しのないよう丁寧に作業する。
被毛の流れに逆らわず下から上へ、毛先から根元までしっかりブラッシングする。
時おり見つける毛玉みたいなもつれは、まず指でほぐしてからブラッシングする。
高いところは台座を使って慎重に行う。
続けて、はむちいを横倒しにして、最難関、特に汚れたお腹もしっかり掃除する。
その後、コームという鉄みたいな素材のクシで改めて全身をチェックする。
それから、ピンブラシというピンの先に丸い玉のついた優しいブラシと、指も使って残った小石を丁寧に取り除く。
最後に、はむちいを隣の部屋に並ぶケージの一つに入れて、お皿に飲み水を入れて置いておく。
ここで昼休憩となり、僕達は三階の控え室に戻って食事をとる。
「お疲れ様です!」
控え室では先に作業を終えた四人の熟女が休んでいた。
逆瀬川ちゃんは自から先に、親しげに元気よく労いの言葉をかけた。
彼女は、僕以外に対してはしっかり敬語で話す。
大人のクラスメイト達は満更でもない様子で萌えている。
「おいで。まろちゃん、川大くん」
三人いる既婚者の一人、寿司さんが僕まで誘ってくれたあの日のことを思い出すとキュンとなって、ずっと忘れられない。
その思い出話は別に書くとして、彼女は一年間、こうして何度も席へ誘ってくれた。
彼女の名前は寿司と書いて、ことぶきつかさ、と読む。
外見はショートヘアーで男勝りな感じだけど、面倒見の良い気さくな熟女だ。
僕達は誘いにほいほい甘えて、おじさん島に置いていた荷物から弁当を取り出して熟女の楽園へと移した。
「そろそろ行かなきゃね」
司さんが教室の時計を見て慌てて言った。
それは女神の嘆きと言えよう。
楽園とおさらばする悲しい報せだ。
休憩時間には当然に決まりがある。
僕らはそれぞれ休憩を終えて実習室に戻った。
「次は耳掃除だね」
「僕は左耳をするよ。逆瀬川ちゃんは右耳をお願い」
「分かった!」
午後の作業は耳掃除から始まる。
耳掃除は、外耳道、つまりは耳の中の無駄な毛や汚れを取り除き、通気性を良くするために行う。
はじめに逆瀬川ちゃんと確認を取りながら両耳を点検して、ムダ毛、耳垢、皮膚の状態をチェックする。
次に耳の周辺や外耳道に生えている毛を指で抜く。
指で届かない毛を鉗子というハサミで抜く。
カンシは親指と薬指を穴に通して持つ。
それから、耳掃除液を浸した綿を鉗子に巻き付けて、外耳道をソフトに拭いて殺菌と消毒を行う。
奥まで行う必要はなく入り口付近を掃除すれば良い。
モンスターも動物も人も、生き物の耳は奥から外へと耳垢が運ばれる仕組みになっているため、もし奥まで掃除すると、入り口付近まで運ばれた耳垢を逆に奥へと押し込んで病気の原因となってしまいかねないのだ。
最後に、新しい綿を巻き付けて乾拭きをする。
ゴミは感染防止のために即座に捨てる。
「怖い……」
続いて、逆瀬川ちゃんが珍しく自信のない怯えた表情をする作業だ。
僕も自信はないけど、それでも安心させてやりたくて励ましてみる。
「大丈夫だよ。先っぽだけだから」
「痛くないかな?」
「血が出ることは滅多にないって」
はむちいの爪切りは怖い。
人と違って血管が通っていて、まれにそれが先の方まであって傷つけてしまうことがある。
粉の傷薬を塗ってやれば済むのだが、やらかしたことのショックは大きくモンスターに対してとても申し訳ない気持ちになる。
はむちいの爪は半透明で血管が見えるが、先は黄色く変色している。
そこを切る。
「僕からいくよ」
「うん」
人が扱うものとは違う巨大な爪切り道具は先に丸い穴があって、そこに爪を通して、取っ手を握ることでパチンと寸断する仕組みになっている。
簡単でも気は抜けない。
作業を覚えているのか、自ら手を差し出すはむちいをモフモフしたい気持ちをグッと抑えて真剣に向き合う。
慎重に、丁寧に、真心を込めて、逆瀬川ちゃんと交互に四つの足をそれぞれ切っていく。
逆の手で肉球と爪の根本をしっかり固定して、最低でも地面に着かない長さに切る。
切り終わったら必ず断面にヤスリをかける。
爪切りで角をしっかり落としていると時間短縮になるのがポイントだ。
「逆瀬川ちゃん。交代だ」
「ううー緊張するよ」
爪切りは、細胞分裂によって成長し伸び続ける爪を適度な長さに切り詰めて、何かに引っ掛けて爪が根本から剥がれたりしないよう行う。
はむちいの場合は毛繕いの時に自分を傷付けたり、人と戯れる時に誤って傷付けてしまう恐れがあるので、しっかり行う。
「終わったあ」
逆瀬川ちゃんは一仕事終えたように表情を崩した。
しかし、まだ作業は続く。
「お疲れ様。最後はバリカンだ」
「もうひと頑張りだね。はむちいも、私達も」
「うん。頑張ろう」
モンスターによっては爪切りの後にベイジングを行うのだが、はむちいは水が苦手なのでそれを行わない。
公園からはむちいの姿が消えたら明日は雨、というのがこの地方の常識となっているくらいだ。
野生のはむちいは雨が来るのを察知すると、公園に必ずある地下洞窟は切り株の中へと避難する。
「次は私からするね」
足裏バリカンの作業へと移る。
はむちいは足裏の毛が伸びていると砂利や枝葉をどんどん巻き込んでしまい、それが怪我の原因となってしまうことがある。
まず砂を払って、足裏に巻き込まれた小石や枝葉を丁寧に取り除く。
プラグを指定の場所に刺して電源を取ったら、親指は上に、残りの四本の指を下にバリカンを支え持つ。
逆の手でしっかり足の関節を持って、親指と人差し指と中指を使って肉球をしっかり開き、そして刈り込む。
肉球に毛が被さってこないように、毛流とは逆にバリカンを入れて逆刈りをする。
肉球の間の毛も刈る。
「終わり!お疲れさま、はむちい、川大くん」
「うん。お疲れさま」
はむちいをケージへ戻したら、グルーミングに使った道具の手入れをしっかりして、他のチームの作業の終わりを待ち、みんなで実習部屋の掃除をする。
そしてマダム先生の挨拶で実習は終わりとなり、別れを惜しみながら帰宅する。