八話 モンスターエコロジー、生態
いつだったか百日紅の布団や食器をデパートにある大型の玩具店で購入した。
初め本人は背中の羽みたいに薄っぺらいプライドで、私はお人形さんやない、と不満そうに愚痴をこぼしていたが、今ではお気に入りになってそれらを大事に愛用している。
僕としては、まるでドールが生きているようで見てて楽しくはある。
何より畳の上に死体が転がっているという恐怖とおさらば出来たことが喜ばしい。
もう少しだけ、彼女との共同生活について話しておこう。
「今日の夜ご飯はコクアリスの唐揚げと、チロッポ貝の味噌汁にしようね」
「分かった。手伝うよ」
百日紅は妖精だから身長が約十五糎というロリを超越した小人だけれど、大きくて重い包丁やフライパンを手に持つやポルターガイスト現象のように器用に扱って上手に料理する。
調味料の計りも欠かさない。
クラスメイトのおっさん達がキャピキャピ茶化す愛妻風弁当も、平日毎日、彼女が早起きして手作りしてくれている。
僕がそれで腹を満たして青い春を満喫している日中、彼女は図書館へ通い脳を鍛練して様々な知識を身に付けている。
併設されたカフェスペースで井戸端会議を開いて、おば様たちから生活の知恵も吸収している。
僕はその二つをよく彼女から教わっている。
気が向いたら家事を手伝っている。
いつか、素敵な熟女との同棲果ては結婚生活を未来永劫イチャイチャ円満に過ごすために家事スキルを丁寧に磨いているわけだ。
「もうちょい上手に切られへんの?」
「そういう指図はいらない」
「いや、大きさがバラバラすぎるやん」
「いちいち細かいな。これくらいでいいだろう」
「火の通りが変わるっちゅうねん」
「そんなの調節すればいい」
「いちいちそれせんでいいように、いま私が言うたってるやん」
「僕の料理はこれでいいんだよ」
「じゃ、もう知らん好きしい」
「お前、それはないだろう」
「もう知らへんもーん」
小言が多いのが気に食わないと思わないこともないけれど、喧嘩をしないよう堪えてこそ男だ。
女にだってプライドがある。
諸説あるがキッチンは女にとって戦場だ。
かなり危険なので、軽い気持ちで反撃することをお勧めしない。
たとえ相手が妖精であろうとお母さんであろうと仲良くすべきだ。
「川大くんは洗濯物たたむの下手やね」
「にやにやするな」
とは言え、仲良くするのも簡単ではない。
服の畳み方についてもうるさい。
こだわりがあって衝突もあった。
しかし、小さな体でシワ一つなく綺麗に畳むので文句を言い難い。
「歯磨きは朝昼夜しっかりすること。奥まで、裏も綺麗に磨くんやで」
「はやく寝ろ」
寝る前まで指図してくることもある。
しかしそれもまた、相手が百日紅でなく熟女であれば幸せなのだろう。
僕は毎日ベッドにふんわり沈んで理想を夢見ている。
「はむちいのトリミングに慣れてきたようですね。コーミングがお上手です」
「先生のご指導のおかげです」
「おほほ。嬉しいですわ」
マダム先生と結婚できたら優雅な毎日なんだろうなと今でも胸をときめかせることがある。
見目麗しいので既婚者であるのも納得だ。
悔しくないと言えば嘘になる。
彼女は、この町で代々はむちいのトリマーを継いでいる由緒ある家系の生まれだ。
忙しさなど感じさせないほど、優雅にご指導してくださる。
さて、先にはむちいの生態に関して話しておく。
彼女でなく、ドワーフみたいに背が小さく髭モジャな先生からモンスターエコロジーの授業で学んだ。
モンスターエコロジーとはモンスターの生態学のことだ。
ドワーフ先生は初めにこの様なことを説明した。
「モンスターとは、神秘的活動によって活力を生態系に分け与え自然の理を守護する、最も重要な役割を持つ生き物のことだ」
ある一定範囲に生息する生物、猫の群や鼠の群など、その種類のまとまりのことを個体群という。
ある一定地域に生息する生物、モンスターや動物や植物や菌類など、それぞれの集まりを群集という。
そして生態系とは、群集とそれらを取り巻く土や空気などの無機的環境のことで、森林や砂漠や河川などの陸上生態系と、深海やサンゴ礁や藻場などの海洋生態系の二種に別れる。
生態系は、無機的環境が生物に作用し、生物が無機的環境に反作用して成り立っている。
「モンスターによる神秘的活動は、生物と環境の両方に良い影響を与えている。しかもその恩恵は、自然活動や自然エネルギーにまで深く関わっている」
難しい話から少しでも逃れようと僕の斜め後ろ、ヨシコさんの隣は向こう側に座る恋して止まない紗綾香さんを横目で見た。
真剣に学ぶ横顔まで、どんな高価な西洋絵画に描かれる女性よりも芸術的に美しい。
ウェーブのかかった白菫色の髪を指で弄びたいし味見もしたい。
そうしてずっと見とれていたかったが、僕の視線に気付いた逆瀬川ちゃんが僕に微笑むし、ドワーフ先生は僕の恋心など知らず構わずで話を続けるしで仕方なく目を前に戻した。
「モンスターは、人語を理解し人の生活を支え、そのほとんどが巨体であるという特徴を持っている。なお特に注目すべきは、水や大気といった世界構成に密接なモンスターは必要な時機に無性生殖を行うということ」
人語を理解するという話について僕は、この時にはまだ半信半疑だった。
無性生殖とは一個体で繁殖すること。
二十二種いるモンスターのほとんどが元いた世界の空想生物だ。
そのなかに、はむちいと言ったこの世界だけの固有種が混在する。
「初めに、はむちいの正式な学名はハムストリングである。はむちぃは、ここ春地方で大昔より人と関わって、どのモンスターより長く人と生きてきた。彼らは荷車を引いて奉仕することを得意としている」
この世界の住人は気性が穏やかで、移動を急ぐこともほとんどない。
特にこの地方では、町中の移動手段は徒歩以外にロープウェイと、はむちいによる回し車の二種しかない。
子供の遊具として一輪車や三輪車はあっても、自転車も自動車も飛行機までない。
この地方で生まれた彼らのほとんどが切り株の上という限られた土地で一生を暮らすために必要としないのだろう。
回し車の外装は馬車と人力車を適当に合体させてイメージしてほしい。
僕も何度か乗ったことがあるが、揺れも少なく乗り心地は良かった。
しかし、はむちいは人よりも荷物を運ぶことを得意とする。
「田野山くんの為にも説明しておこう。彼らは基本的に夜行性なのだが、産業経済種においては人の活動時間に合わせて日中に働いてくれている」
お気遣いありがとうドワーフ先生。
真夜中に動き回る怖い噂は野生種のことで、主に運搬や搬送の仕事をする産業経済種とは関係ない。
公園にいる野生種とは違い産業経済種のはむちいは奉仕を望むらしく、人の管理のもと用意された屋舎で暮らしている。
「私たちはモンスターを役割で区別するために、野生種と産業経済種との二つに別けて呼んでいる」
野生種のモンスターは、昔と変わらず自然のままに生態系へ貢献する。
産業経済種のモンスターは、人と助け合い社会へも貢献する。
人懐っこくて子供の遊び相手も得意なのは共通している。
「現在の野生種のはむちいは、主に他生物へ活力を分け与え精神を癒すことを役割とする。しかし、人のコミュニティで暮らす以前には当然に他の役割を持っていた」
はむちいは、駆けることで大地に活力を与えることが出来るモンスターの一種である。
春地方に豊沃な樹海が広がっているのは、彼らが大昔に春地方を駆け回ったからだと伝えられている。
人々が樹海に浮かぶ切り株の島で暮らすようになってからは、樹海の管理は新たに生まれたスライムへ引き継がれた。
「我々の暮らしを支える御神木が活力に満ちているのもまた、はむちいの活動による恩恵だ」
ドワーフ先生は言い終えて髭を撫でた。
これは彼の癖だ。
珍しく植物よりもモンスターを誰より愛し敬服している彼は、モンスターの役割を語る度によく髭を撫でる。
その輝いた顔はカブトムシを追う少年のそれによく似ている気がする。
そして不意に、伝説のカブトムシでも見つけたみたいに一筋の涙を流すのだ。
「はむちいは、一生に平均して六頭まで子を産む」
はむちいの平均寿命は六十年ほど。
四十年を迎える頃に繁殖の傾向が表れる。
普段は多くても十頭の小さな群で暮らす彼らも、繁殖期になると数十頭の大きな群を成して暮らす。
それぞれに密着して番を、簡単に言えばカップルを形成する。
人が割って入ることが出来ないほど強く密着していれば、それだけ深く相思相愛ということになる。
彼らは明け方前に短い繁殖活動を行う。
そして妊娠期間を経て、多くて六頭まで産むのだ。
最後に彼らの野生での好物を紹介する。
彼らは花肉植物なら何でも好んで食べ、果物や木の実も食べる。
しかし、ハムスターのように頬袋を持たないために口腔内に一時的にでも蓄えることは出来ない。
「はむちいは、砂浴びをして体を綺麗にする習性があります」
ここからマダム先生の実習授業に戻る。
ドワーフ先生のことは忘れてくれていい。
思い出してしまった髭に付いていた大きな鼻糞のことも忘れよう。