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七話 モンスターウェルフェア、福祉

いよいよ本格的に授業が始まった。

生理学や解剖学や栄養学なんかについても学んだりしたが、それはあまりに複雑難解だし長くなるし疲れるしで省略御免と先に伝えておく。

僕は勉強を教えたいわけではないので、知識は選んで残すことに決めた。

どうしても詳しく知りたいのなら「飽きた」と書いた紙を枕の下に入れて眠って、自己責任でこちらへ来るといい。


「おはよう。川大くん」


「おはよう。花屋敷さん」


僕は、気は進まないけど、雲雀丘花屋敷さんと駅で待ち合わせて仲良く通学している。


「良かったやん。近所に友達おって」


百日紅はお母さんみたいなことを言って呑気に喜んでいたが、羽をクシャッとしてやろうかと思うくらい嬉しくない。

彼は四十三歳の独身おっさんで恋敵である。

結婚を前提に付き合う等という必殺技を使われては勝ち目がない。

彼はこの世界で生まれ育ち、介護用品や福祉用具を販売する会社に二十余年も真面目に勤めたことで桁違いのライフポイントを持つ大人だ。

このリードを僕が埋めることは断じて不可能。

赤ん坊と言われても仕方ない怠慢で未熟な僕の武器は若さのおしゃぶり。

そんなもの彼の経歴パワードスーツによって簡単に握り潰されよう。

そのうえ異世界人という肩書きまで役に立たない。

だから僕は、彼がどんなに親切な男でもまだ気を許してはいなかった。

少しでも気を抜けば背後から、熟女を、盗まれる。


「どうだ?こちらでの日常生活や学校生活には慣れてきたかい?」


「百日紅もいるし、みんな親切だし問題ないよ」


学校に通って二週間ほど。

僕はまだ熟女をチラ見することしか出来ていなかった。

悔しいことに僕より若い少女が隣に座っている。

僕が窓際で逆瀬川ちゃんが熟女側。

つまり、会話に参加することが不可能な絶体絶命の状況にあるのだ。

窓の反射で見る熟女の顔はとろけていて、聞こえてくる会話は楽しそうだ。

彼女は、あっという間にクラスの姪っ子になった。

毎日おじさんおばさんに可愛がられている。

優先して熟女と戯れる彼女に嫉妬しないわけがなかった。

でも彼女は僕の元いた世界の話を興味深く聞いてくれるし。


「おはよう川大くん!雲雀丘さん!」


と、わざわざ校門で元気に手を振って迎えてくれる良い子なので恨むことは出来ない。

彼女は僕達が学校へ到着する時間を覚えて待っていてくれるようになった。

理由を聞いたところ、友達と一緒に通学したいとのことだった。

彼女は校門から教室までの短い距離でも嬉しそうにカバンを揺らして、僕とおじさんと並んで登校する。

おばさ、お姉さん方がいるのに男と通学することを選ぶとは小悪魔な一面があるようだ。

たとえ小悪魔でも素直な良い子なので恨みこそしないが、どうしても、ハンカチを噛み締めたいほど嫉妬だけはしてしまう。

あの日、彼女からの無垢な告白に心臓が抉れそうになる衝撃を受けた。

彼女は校長先生の屋敷にホームステイしている。

僕も出来るならそうしたい。

ああ、いとうらやまし。


「はいどうぞ」


「けへへありがとう」


授業中に女の子に消しゴムを拾って貰ったのは人生初体験だ。

手も触れちゃった。

元いた世界では基本ノータッチで、無視されるか蹴られるかゴミ箱もしくは校庭に投棄されるかだったので消しゴムを四つ常備しているが、やれやれ、その心配もこの世界では杞憂のようだ。

嫌なことは忘れて悪癖は早めに直そう。

思い改めた僕は配られたプリントに向き直る。

空欄を埋めるだけなので、七十を過ぎた可愛らしいお婆ちゃん先生をほっこり見る余裕が生まれて助かる。

背の低い僕と逆瀬川ちゃんは入学式の時とは違って、雲雀丘花屋敷さんと清荒神えにしさんの二人に気を遣ってもらって最奥から最前列へと移動していた。

うっとりするほどお婆ちゃん先生の爪先からつむじまでよく見えるし、雅な声もしっかり聞こえる。

勉強するに最適なポジションだ。

先生はモンスターウェルフェアという授業を担当している。

福祉についての授業だ。

授業は抗議と実習の二つに分かれていて、だいたい日毎に交互に行われる。


「ヨシコさん。動物やモンスターに関する愛護と福祉の違いは何でしたか?」


クラスに三人いる既婚者の一人であるムチムチ美人のファイナルクライマックスヨシコさんは、超合金のように輝く才色兼備だ。

旦那さんにとっては自慢の奥様だろう。

見た目通りに歳は若い方のようだ。

彼女は冷静にハキハキと答える。


「愛護は主観的であり、情緒的で直感的であります」


可愛い、可哀想、等と人からみる主観。

感情的に愛して護ろうとするのが愛護だ。


「福祉は客観的であり、科学的でもあります」


福祉は愛護の次のステップになろう。

感情の先にある行動が福祉だ。

動物やモンスターの主観で考え、彼らをより幸福にしようと客観的に行動する。

その為には、動物やモンスターは感受性のある生き物だということを理解することが必要だ。

客観的に見るにして冷静であっても冷酷に見てはならない。

その心には愛護があって然るべきと僕は考えている。

この授業では、その基本を教えてくれる。

先生の声にはいつも熱がこもっている。


「動物やモンスターに関する福祉の定義とは」


先生の熱をエネルギーに変えて活動する蒸気機関車のように筆記用具をプリントの上で走らせる。


「個体が自らが置かれた人工的環境に対して上手く対処することが可能な状態にすること、そうして最大限の幸福を得られるようにする。それが命心あるものと向き合う我々の責任であり義務です」


その為には個体の習性や特性をよく知らねばならない。

観察や考察する時間と忍耐が必要となる。

客観的な目線からよく観察して、望んでいることや、そのサインを見逃さず受け取ることが大切だ。


「人間社会に密接な動物やモンスターに対する福祉も、人と同じく公的扶助による生活の安定を目指します」


しかし、ただ扶助するだけでない。

人間社会と密接であっても工夫して、本来の生活により近く、個体が持っている機能を使えるように努力する。


「モンスターの前に産業動物で説明すると顕著で解りやすいでしょう」


オーグアというこの世界の豚さん。

彼らは後ろ足が特に筋肉質で、両足で立って相撲みたいにぶつかり合うコミュニケーションを取る習性がある。

過去に、早く肥満化させるために飼育スペースをわざと狭くして一匹ずつ区切った歴史がある。

すると彼らはストレスによって様々な病気を患ったり、餌を食べ過ぎて嘔吐や下痢をするなど不健康になってしまった。

また、頭を柵にぶつけるという本来持っている行動様式が変調する変則行動。

体を前後に揺するといった目的が明確でない行動を長く繰り返す常同行動。

といった異常行動も起こしてしまった。

これは彼らにとって苦悩であり苦痛である。

お婆ちゃん先生は間を置いて、沈んだ声で話す。


「異常行動とは、環境への不適応の表現であり、ストレスを抑えるための行動なのです」


それを取り除くことこそ福祉だ。

十分なスペースを確保して飼育環境を改善することで健康に、適当な数で多頭飼育してやることで本来の生活に近く、彼らが持つ行動パターンが十分に取れる状態になった。


「これは彼らにとって幸福と言えます。では川大さん」


「は、はい!」


お婆ちゃん先生に名前を呼ばれたとき僕は、言葉では表せない幸福を痺れるほど感じた。

教室というケージで、お婆ちゃん先生に飼育されていると仮定すれば、これも福祉と言えるだろうか。


「幸福には幾つか種類がありましたね。言ってみてください」


「えーと」


僕が慌ててプリントファイルを捲っていると、ふと逆瀬川ちゃんが小枝みたいな指で横から止めた。


「これだよ」


彼女は答えを、とんとんと指して、小声で教えてくれた。

僕はお礼の笑みを返して読み上げる。


「生物学的幸福と獣医学的幸福と心理学的幸福があります」


お婆ちゃん先生は頷いて、難度が低い順に説明する。

「生物学的幸福」

身体的に問題なく生きている。

上手く繁殖できる状態にあること。

「獣医学的幸福」

食餌管理と健康管理によって、身体的には健康な状態のこと。

「心理学的幸福」

動物本来の行動パターンが取れる状態。

心身ともに充実しているということ。


「川大くんは、いま幸せ?」


ある日、いつものように学校から帰宅して夜ご飯を共にしていた時だ。

百日紅がにわかに、新婚の嫁のように、しかしその淑やかさとは真逆にがさつにきいてきた。

僕はエッグプラントの煮びたしを箸で摘まんだまま考える。

熟女に囲まれている好適環境に満足して何ひとつストレスも不自由もなく、満ち溢れるマイナスイオンと野菜尽くしと異世界人がくれる甘い蜜のおかげで心身ともにすこぶる健康的だ。

十分に、幸せと言えよう。


「もちろんだ」


百日紅は僕の答えに満足したようで、フォークで仕留めた自身とさほど変わりない大きさのエッグプラントの煮びたしを一口に頬張って口から汁を溢して、美味しかったようで恵比寿顔になった。

幸福の万の中に一つは彼女かも。

僕は心の中で南無百日紅南無百日紅……と唱えて拝んでやった。

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