四話 異世界がくれる甘い蜜はパンケーキに合う
遠い昔話。
この世界はたった一人の盲目の異世界人によって創られた。
彼が石壁に描いた夢物語は命を宿して、そこから様々な種が現実に飛び出した。
次に自然の理の要としてモンスターが召喚された。
不死鳥は陽となり表の世界を照らし、妖精は星となり裏の世界を見守っている。
「おはよう。ご飯もうすぐ出来るよ」
「分かったよ姉さん」
「姉さん?」
「寝言だ」
「何や寝言か。寝ぼけてんと早く起きい」
「起きるから撫でるな」
姉さんには遠く及ばない百日紅はいつも早寝早起きだった。
畳の上で死んだように眠り朝になると蘇る。
眠っている姿が恐ろしくて見ていられないのでソファーを寝床に譲ってやると勧めたが、畳がいい、と頑なに拒まれた。
本当に不気味だからやめてほしい。
あと、荷物置き場にしている百日紅の部屋に荷物を運んだときのことだ。
昼寝していた百日紅を踏みそうになって止まってバランス崩して転んで壁に頭を叩きつけたことが一度だけあった。
そんな危険まであるので、いち早く彼女の布団を用意しようと考えるもすぐに忘れて幾日も過ぎた。
そして今日も朝七時きっかりに優しく起こされたのだった。
「シャキッとせなあかんで」
「こんな朝早くに起きたってやることないだろう」
正論を吐いてリビングに行くと、テーブルの上にクシャクシャのカピカピになった百日紅の羽が今日も埃を被ってスヤスヤと眠っていた。
ポケットに入れっぱなしにしていたことで、そのまま洗濯機に放り込んだことでこんなことになってしまったが、僕は悪くない。
手洗いして伸ばして乾かして伸ばしてみたりと贖罪はした。
だからもう反省もしていない。
そもそも彼女は妖精のくせに羽がなくても浮遊が出来る。
もはや妖精ではなく幽霊か宇宙人だ。
きっと正体はそうなのだろう。
「いただきます」
「召し上がれ!」
顔を洗ってテーブルに着き食事を共にする。
今朝のメニューは、クルミパンとサラダとゲニョムのスープだ。
スープを口に含んで歯みたいな骨を皿に吐き出して憂鬱になる。
骨のせいじゃない。問題というか悩みがある。
僕の生活にはタイムリミットがあった。
一年の間に職を見つけなければならない。
もしくは学校に通わなければならなかった。
幸か不幸か専門学校の入学式が二ヶ月先にあった。
専門学校なら試験がなくごり押しでいける、と僕の前で歯みたいな骨を、もしかしたら歯そのものを、バリゴリ咀嚼する宇宙人に勧められて専門学校へ行くことに渋々決めた。
「ゲニョムの骨、けっこー美味しいのに」
「人が口から出したものを食べようとするな気持ち悪い」
「だってもったいないし。洗ってくるわ」
この常識を夢に置いてきた汚らわしい宇宙人は役に立つ。
知識だけはあるので家事を教わることが出来る。
何より、彼女は固有スキル尋問を利用して狙った相手から様々な情報を引き出すことが出来る。
僕はこれまで彼女を利用して癖ある役所の手続きを幾つも始末してきた。
専門学校の入学願書もそうだ。
受付おわってるけどいいよ、という特別待遇までさせた。
数日置きに家と役所を往復しては手強い敵を倒すことを繰り返してきた。
経験値を得て社会人レベルが幾らか上昇したに違いない。たぶん。
陽が昇り沈みまた昇り、疾うに一ヶ月が過ぎた。
とうとう異世界の町を見慣れて、人々からの会釈も減ったことで、僕のテンションは下がりつつあった。
しかも、いつの間にか仕込まれていた手続きの毒が回ってきたらしい。
「専門学校たのしみやね」
お前が通うわけじゃないだろうという余計なツッコミはしない。
望まぬ会話が生まれて疲れてしまう。
僕は毒にやられて頭がクラクラしているのだ。
確かに専門学校に関して少しは楽しみにしている。
例の分厚い資料を読みながらお経みたいに長い職業や学校の一覧に目を通し終えようとしたところ、その最後に見つけたのがモンスタートリマー専門学校だった。
本当に最後にあった。
それを見た瞬間これしかないと直感した。
トリマーはシャンプーするだけで楽だろうという偏見と、動物ではなくモンスターと触れ合える奇跡体験アンビリーバボーに思いを馳せた。
ドラゴンがいるのは例の資料で知っていた。
男としてワクワクしないわけがない。
が、その熱も次第に落ち着いて平熱になった今は不安が勝っている。
近所の公園で出会った、はむちい、という名の巨大なハムスターのモンスターと触れ合っても癒せないほど深刻な毒に侵されている。
「ごちそうさま」
「また残すん?」
「だから、食欲ないから減らしてくれって言ってるだろう」
「私が食べるけど、お昼はちゃんと食べや」
量を減らすつもりはやはりないらしい。
食事の主導権を彼女に奪われた以上は文句は言えない。
僕は二人分の食器を洗い終えてソファーに横になった。
テレビをつけてボッーとする。
他の町の情報や和やかなニュースを見て時間を潰す。
異世界に来てまで一日中そうしているのは、きっと僕だけだろう。
ゲームとか漫画とか見つけたけど、自身のライフポイントが限られているために無駄遣いは出来ない。
ゆえに自宅でダラダラして、ゆるゆるアニメで我慢している。
三日に一度は洗濯もしている。
ニートではない。
「今日はリリコンバージュ買いに行くんやろ?」
「そうだったな」
リリコンとは、スマホと同じだと思ってくれればいい。
連絡する相手がいないから、役所から電話がくるのが嫌だから、とワガママに後回しにしていたが、やはりこれから生活するにあたってどうしても必要になる。
それでも本音を言えば、一年中他人と繋がりたくないから避けたい。
元々控えめな性格だが、まさかそれが重症化して引きこもり気質になっていたとは自分でも驚きだ。
本当にびっくりしている。
今でも信じられないし受け入れ難い。
「百日紅もリリコンを買うか?」
「いらんよ。あれ私くらい大きいやん」
「でも、連絡が取れないと困ることもあるだろう。お前が自由に出掛けられないのもそのせいだ」
「せやな。でも、別にいいんやで」
テーブルの上に座る百日紅は変わらぬ笑顔で言った。
趣味でやっている落花生の皮剥きがそんなに楽しいか。
というかよく飽きないものだ。
皮剥きも味も。
小さな手で、せっせと皮を割り開いて中身を取り出す。
次に薄皮を剥いで食べる。そしてナッツを皿に置く。
僕はその作業とついでに失礼を承知で百日紅の白いパンツを観察しながらお昼ご飯のことを考える。
プリンセスとのランチデート以来、外食は一度もしていない。
見かけて気になっていた、百日紅が、いつも目を奪われるパスタの店に行って気晴らしをしよう。
ち、まただ。
百日紅は時折り顔を上げては俺に微笑む。
可愛いとか思ったことはないとは言い切れない。
「昼前に家を出よう」
「はーい」
取り寄せた専門学校のパンフレットを手に取って開く。
これはある日に配達人の妖精が届けてくれた。
百日紅も彼女より可愛い妖精も、互いに顔を合わせても特にこれといった反応はなかった。
妖精についてはこの世界の住人でもよく分かっていない。
乙女の秘密が多いらしい。
「また行きたくないとか思ってるやろ」
「思ってるよ。関わりたくない人間が集まるから、僕は進学せずアルバイトをしたんだ」
「それ前に聞いた」
「だろうな」
「この世界の人は、みんな優しいから心配せんでいいよ」
気味悪いくらいにな。
まあそこも心配だが一番は。
「あー冒険してハーレムつくって無双したい」
「友達くらいすぐ出来るって」
記憶にないけどお母さんみたいなこと言いやがって。
これは見抜かれている。
馴染めない恐怖を見抜かれている。
そうだ。人と仲良くすることも、人に合わせることも僕は苦手なんだ。
仕方ないだろう。
それでも克服しようとアルバイトして頑張ったんだ。
誰かその努力を認めてくれたっていいはずだ。
いちいち他人には言わないけど。
「私と友達になれたやん」
「お前は成り行きで契約した眷族だ」
「その眷族てなんなん?」
「知らん」
「知らんのかい」
馬鹿にしやがって今に見ていろ。
彼女は最近ずいぶんとフレンドリーになってきた。
遠慮も減ってきた。
無駄口を叩かないだけ評価しているが、相手が嫌がることを言うのは減点だ。
主従関係の崩壊は平穏の終わりを意味する。
トラブルは嫌だ。
僕がしっかり威厳を保って、彼女がこれ以上つけあがらないようにしなくてはならない。
「お昼は外食にするけどいいか?」
「外食……!いいのそんなことして!」
「心配するな。専門学校に入れば追加で支援金が貰える」
これも専門学校に進学することを決めた理由のひとつ。
進学を選ぶなら学費は無料で、通っている間の生活費として支援金がまた貰える。
返さなくていいので節約すればライフポイントは増えていくだろう。
僕は役に立たないプライドなぞ捨てて、この世界がくれる極めて甘い蜜を吸い尽くすつもりでいる。
後で後悔するなよ異世界人。
「なんか悪いね」
「うん。そうだな」
やめろ。良心をチクチク責めるな。
そういう制度を作ったやつが悪いんだ。
僕は決して悪くない。悪人とは違う。
「外食はやめておこうか」
「せやね」
自分で言っておいてションボリするな。
こいつは何を考えているのかさっぱり分からないことが多い。
僕が女心を理解出来ないということではない。
女心だかフェアリーハートだか知らないけど、こいつはそこから溢れ出た想いの奔流に逆らわず素直に活動している気がする。
「やっぱり行こう。悪いことじゃないし」
「でも」
「食事は生活の一部だから問題ない。そうだろう」
「うん……せやね!」