三話 異世界スーパーで妖精と買い物する
夜風は冷気を仄かに帯びていた。
人々の心を温めるこの町の街頭は趣があって可愛い。
鈴蘭の花灯りに照らされた夜道を歩いているとつい楽しくなってきた。
町の人達からの会釈はまだ続いている。
これから日を重ねるうちに落ち着いていくことになるとも知らず、僕は木製のバスケットを上機嫌に揺らしながらどんどん調子に乗った。
まったく情けなく恥知らずだ。
僕よりも百日紅が注目を受けていることも、まだ知らなかった。
レア度は異世界人よりも妖精の方が高い。
分かりやすく説明するなら、異世界人が穴子で妖精が鰻だ。
それと、これもまた後に知ることだが。
妖精はフェアリーゲートという「転移ゲート」を作るために召喚された者が多く、主に役所や運送会社に勤めていて町中で見かけることはほとんどない。
妖精達はこの世界のある場所に秘密の花園を作って暮らしている。
百日紅が俺のもとを去ってしまうのかと心配したり不安になったり焦ったりとかはなかった。
俺が主で百日紅は眷族だからだ。
この先も二人が離ればなれになってしまうことはないと先に伝えておく。
「スーパーワン。ここやね」
一号店だからワンか。
中途半端に英語を取り入れて異世界を舐め腐っている。
そのうち世界各国の言葉が顔を出してくるが、どれも日本に馴染みあるものが選ばれている。
所詮この世界は異世界の日本ということだ。
おっとやめよう。これではロマンまで腐る。
ホームシックで身なりを整えたハンターが俺を捕らえに走ってくる。
「スッキリしてるな」
「せやね。ぴかぴかで綺麗やわ」
スーパーは神経質なくらい整理が行き届いていた。
どの商品も無駄なくキッチリ陳列されている。
掃除も凄い頑張っているらしい。
材質は何か知らないが、白い床は百日紅の白いパンツが反射されるくらいよく磨かれている。
わざわざ床に手を触れる小汚い妖精を摘まんで胸ポケットに収納する。
その拍子に彼女の綺麗な羽がポトリと取れて床に落ちた。
思わず変な声が出たが着脱自由ということで、とりあえず急いで拾って僕のズボンのポケットに突っ込んでおいた。
ざらついていたのが多少気持ち悪かった。
「驚かすなよ。下手に目立つだろう」
「夜ご飯なににするん?」
百日紅は売り場の半分を占める野菜を眺めながらきく。
主の言葉を無視するとは折檻する必要があるかも知れない。
僕は元いた世界より一回り大きな野菜を一つ一つ確かめるように眺めながら答える。
「何か作れないか?」
「私が?」
「お前以外に誰がいるんだよ」
この世界に頼れる姉はいないのだ。
僕が幼い頃に母を失った我が家にとって姉は唯一無二の女神だった。
掃除も洗濯も料理も姉に任せていたのだが、今になって少しでも手伝えば良かったなと反省している。
出来のいい次男の兄はよく手伝っていた。
見倣うべきだった。
「僕は料理が出来ないから頼めないか?」
「私は記憶がないんよ?」
「そうだったな。無理か」
「や、出来るかも。知識はあるっぽい」
ぽい、が気になる引っ掛かる。
けど頼るしかないっぽい。
異世界でインスタント生活とか冷凍生活はごめんだ。
それにもし百日紅が料理を得意とすれば、僕はそれを手伝い、技を盗み調理を習得することで、熟女と素敵なお家デートを叶えられるかも知れないということはなかった。
未来の僕は未だ熟女のハートをものにしていない。
「とにかくやってみて。百日紅は何が食べたい?」
「え、あー私はええよ。気にせんで」
「夜ご飯なにか聞くやつが遠慮するな。お前こそ僕のライフポイントを気にしなくていい」
「でもやで」
百日紅が目を潤わせてこちらを見上げる。
僕はロリコンでもないし親切な人間でもないから、おでこをツンとしたりキスなんて絶対しなかった。
代わりに、ちょうどそこにあった試食のミカンを口に運んでやった。
百日紅は目を細めて口いっぱいのミカン一房をちゅぱちゅぽ咀嚼する。
卑しい妖精め。
僕は皮が嫌いだから中身だけをちゅぱちゅぽして百日紅にあらためてきく。
「で、何がいい?」
「何でもいいよ」
「じゃ、何にするとか聞くなよ。食べたいものでもあるのかと勘違いするだろう」
「別にいいやん。気になっただけよ」
「気になると言えば、この世界ならではの未知の食材だな」
どうせならそれを食べてみたいが、どう調理すればいいのか分からない。
肉を食べないと言っていたけど、スーパーの隅っこで精肉コーナーと鮮魚コーナーが身を寄せていた。
肉はショーケースの中で、パックに詰められることなく一塊ずつ整然と並んでいる。
肉は切り分けられているから見慣れたものだが、姿形そのままの魚は見慣れないもので、それぞれの名前に関しては全く聞き覚えがなかった。
調理場がなく店員も見当たらないので聞くことも難しい。
しかし我が眷族が一仕事してくれた。
百日紅がその辺をうろつくエルフに片っ端から声をかけてくれた。
「お困りでしょうか?」
やがて、親切な男性がどこからか女性店員さんを一人連れてきてくれた。
味は知らなくとも情報を知っているという彼女をさっそく尋問すると、彼女は生姜焼きや唐揚げなる料理名を次々と吐露した。
どれも懐かしい友の名前のようだった。
それらが肉の正体を暴くヒントとになったことは素晴らしい利益だ。
よくやったと口には出さないけど、百日紅の目を見て頷いてやった。
「オーグアが豚でミノグロスが牛っぽいな。それでコクアリスが鳥かな」
「料理を考えたらそうやね」
「お前は豚とか分かるのか?」
「分かるよ」
元いた世界の情報や価値観を共有出来ることは嬉しい。
百日紅は傍らに置いておいて惜しくない存在のようだ。
「魚の方は食べてみるしかなさそうだな」
「せやね。美味しいか知らんけど」
「待てよ。ネットや図書館を利用すればいい」
「せやね。あるか知らんけど」
「あるに決まってる。それは後で考えることにして、今夜は肉を食べよう。朝は、パンでいいだろう」
「私は夜ご飯だけでいいからね」
「一緒に食べないと寂しいだろう」
「そっか」
「お前がな」
「ん?」
ショーケースからトングでオーグアを一塊取って、側に備えてある指定の厚紙に入れる。
初日に油ものは色々と面倒なので野菜炒めにすることに決めた。
肉魚は高いが野菜は安い。
花肉植物を調理することも考えたが、こちらは種類が肉や魚より豊富で情報を得てから食すことに決めた。
さらに多種多様な食用花は食う気ないしいらないのに百日紅の奴が物欲しそうに見つめるからぶつぶつ……。
役所から支給された米と調味料を除いて、肉に野菜に果物にジュースにお茶葉と必要とするものを順調に見つけて買い物は易々と進んだ。
最後にお菓子コーナーで足を休ませる。
スナック菓子をバスケットに放り込んでいると、百日紅が何かを見つけて声を上げた。
「あれ欲しい……かも」
か細く語尾が消えそうな遠慮がちの要求で危うく聞き逃すところだった。
主たるもの眷族のいかなる声も聞き逃してはならない。
これも責任だ。
商品を指して確認すること数個目。
辿り着いたのは落花生だった。
どこからどう見ても世界の壁を越えても殻付きの落花生。
百日紅は申し訳なさそうに胸ポケットに隠れて、頭を半分だけ出してそれを見つめている。
その頭を指で押すと、彼女のアホ毛以外のすべてが簡単に胸ポケットに沈んだ。
その間に素早く落花生をバスケットに入れた。
餌だけでなくオヤツも大事だ。
手懐けるのが簡単になる。
「やっぱあかん?」
指を離してやると、百日紅がまた頭を半分だけ出して懇願する。
僕に注がれる切ない視線を鼻息で、ふん、と吹き飛ばしてやる。
「どうだろう。僕の気分次第かな」
僕がそう言うと、百日紅はムッとして、顔が今にも不満で破裂しそうになった。
言いたいことがあるなら言えばいいのに。
金に服従するやつは三流だ。
餌に服従するやつは二流だ。
はやく成長して一流の眷族になれ。
いずれ隣に立って貰わねば僕が困る。
と、百日紅がバスケットの中の落花生に気付いたようだ。
僕の乳首に尻を擦りつけて喜んでいる。
やめてくれ。そんな趣味はない。
「ジッとして」
「はーい。ありがとうね」
セルフレジに向かう。
どういう仕組みかバスケットを機械のトンネルに潜らせると合計金額がパネルに表示された。
え、なんか気持ち悪。
そんなことを思いながら人差し指をスキャナーにかざすと、会計も滞ることなく済んだ。
よく出来ていると感心する。
その一方で本当に大丈夫かと不安になる。
出てきたレシートを見るからには大丈夫そうだ。
人差し指一本で事が済む生活は慣れるまで一週間はかかった。
「じゃ、野菜炒めと味噌汁作ってみまーす」
「お願いします」
「任せとき。絶対に、うまい、言わせたるから」
自信に満ちた顔で語勢も盛んに言ってのけた百日紅は、その小さな体で大きな調理器具を巧みに振るってみせた。
料理は結果的に言うと大成功の上出来だった。
美味かった。
百日紅は使える。利用価値の高い存在だ。
なくてはならない。
しかし、頼りっぱなしで終わる僕でないことを証明しなければならない。
立場が逆転することがあってはならない。
対等でなければならない。
いつか彼女が僕にとって、強敵と書いて友となることを僕は信じている。
そのためにも僕は努力しなければならないのだが、そのことは後々に考えることにしよう。