二話 さようなら熟女、よろしく妖精
役所から出た瞬間、世界まで僕を温かく歓迎してくれた。
柔らかな日差しと熱気を含んだそよ風が僕を撫で、全身に土と葉の匂いが広がった。
自然と融合した緑の町は爽快だった。
まるで森の中にそっくり一昔前の町を持ってきたみたいだ。
しかしよく見ると、近代的な電子掲示板等が模様のように溶け込んでいる。
正直言って、一瞬、プリンセスの魅力を忘れるくらいにうっとり見惚れた。
町の上にはロープウェイが走っていて、球状の木の揺りかごがゆっくりと行き交っていた。
プリンセスに訪ねると主な移動手段だと教えてくれた。
芝生のない道路の中央は、はむちぃが引く回し車が通る道だという。
はむちぃ?
見渡すと耳の尖った人ばかりで、彼らは僕を一目見るなり愛想よく会釈して通り過ぎて行った。
エルフな見た目をしているのに、あっさりした洋服に身を包んだ彼らに妙な感じを覚えるも気にしないことにした。
ここでは僕こそ妙なやつなのだ。
「私達は異世界からの来訪者に親切にするよう教育を受けています。耳の形が違うので、あなたが来訪者であることは皆すぐに分かります」
ちらと見る、百日紅の耳も尖っている。
こちらの世界に容姿を合わせたのだろうか。
それならば何故、夢の中から生まれたのに、何故、熟女として、生まれてきてくれなかったのか。
その不満は傲りになるだろうから心に仕舞っておくことにした。
「いつかこの異世界の住人と結婚して子を授かっても、その子供は必ず耳が尖っていますのでご安心ください」
やっぱり僕のことが好きらしい。
子供の話までしてしまうなんて、よっぽど僕に夢中なのだろう。
いや待て。早計だから童貞だと馬鹿にされる。
彼女が既婚者であるかまず確認せねばなるまい。
だが、結局それを知ることは叶わなかった。
ここで先に伝えておくが、この世界の住人はあのブァファリン以上に優しさで構成されている。
怒りや憎しみ等が欠けていて暴力は空想で非現実的だ。
僕ら異世界人も遅かれ早かれそうなるらしいのが少し恐ろしい。
とにかく彼らは闘争することがなく、だからか警察もいなくて代わりに自治隊が形だけでも存在して、どこかで弁護士が暇をしている。
しかし、それでも社会は甘くなかった。
働かざる者食うべからずはもちろんで、生活に関しての厳しさは何よりも色濃く現実的だ。
それをこれから嫌でも思い知ることになる。
自分のことは自分でしっかりしなきゃならない。
百日紅がいなかったら心が折れて泣いてたかも知れないとかそんなことはない。
「先に、ここで健康診断を行ってもらいます」
役所からそう遠くない大病院が最初のデートスポットに選ばれた。
開けた土地に建つ一際立派な木造建築物。
不思議に思うが、この町の建物には大抵どれも頭に草が生えている。
ロープウェイの二つが病院の傍らに建つ木みたいなところに繋がっていた。
小さな駅みたいなものだろう。
ロープウェイはどれも料金を必要とせず良心的だ。
帰りに乗るらしいので楽しみ。
「あなた方の体調のチェックはもちろんですが、こちらで服や靴を用意させてもらう必要がありますので、これから様々な検査をあなたに受けて貰います。どうか今しばらくお付き合い願います」
「分かりました。お付き合いましょう」
突然の告白で驚いたが、プリンセスの言うことは最もだ。
僕だけ安物のパジャマで、役所で渡されたスリッパを履いている。
衣装は緊急で用意してほしい。
ああ、町中で目立っていたのはそれもあってか。
気付いて、恥ずかしいと今更ながらに思う。
プリンセスの隣で安物のパジャマなんてあまりにも失礼だ。
悔しいですとさえ思う。
「お似合いです」
「ありがとうございます」
様々な試練を乗り越え装備を与えられた僕はさながら勇者のようだ。
と例えたが、嘘つきたくないから仕方なく真実を話そう。
今の僕はゴルフに行くオジサンみたいなポロシャツズボンマンだ。
とにかく、プリンセスの隣に立つに相応しい権利を得た僕は彼女に病院内にある食堂に誘われて昼食を共にすることにした。
いわゆるランチデートだ。
妖精は食事の必要がないらしいのだが、ご厚意に甘えた百日紅は好奇心から注文した。
僕ら三人は揃って日替わり定食を頼んだ。
「お待たせしました」
しばらくて男の店員が運んできた日替わり定食は風変わり定食だった。
見た目は見慣れた普通の定食だ。
安心感がもの凄いくらいのハンバーグ定食だ。
味もそっくりだった。百日紅ががっつくくらいに美味い。
サラダも味噌汁も漬け物も雑穀米?もこちらの世界と変わりない。
しかし、ハンバーグだけが違った。
これ花弁らしい。
花肉植物と言ってお肉の代りらしい。
微かな甘い香りが特徴的なくらいで味も食感も近い。
「この地方の人達はお肉を頂きません。命は全て植物から頂戴しております」
後に資料を読んで、彼らが植物を最上級に畏敬していることが判明した。
この町が緑と一体化しているのはそれが理由だ。
巨大な切り株が御神木で、人々はその上に町を築いて暮らしている。
彼らにとっての自然からの恩恵は、僕らの想像や理解を遥かに越えるほど偉大なのだ。
「お口に合いますか?」
「すごく美味しいです」
プリンセスの笑顔がお日様みたいに明るくて僕は目を逸らして答えた。
その視線の先で、百日紅が小さな体に定食を収めようと奮闘していた。
小さなモンスターだ。
プリンセスはその小さなモンスターを娘を見守るような眼差しで愛しそうに見つめている。
僕はそんな彼女を恋しく見つめている。
「支払いは簡単です。こうするだけです」
食事で腹も心も満たしたあと、プリンセスがレジで支払い方法を教えてくれた。
役所にあった機械とよく似た小型のスキャナーに指をかざす。
それだけだった。
「ご馳走してもらってすみません」
「いいえ。これからも助けが必要であれば、いつでも気軽に役所を訪ねてください」
僕は毎日のように彼女に会いに行こうと誓った。
でも簡単に会えるわけなくて、彼女と過ごす時間は今日限りの特別だった。
勇気があれば、僕はあの時に何か行動を起こしていただろうか。
そうして後悔しないために、人は今一瞬を大切に生きなければならないのかも知れない。
彼女とロープウェイに乗って眺めた町の景色と淡い恋心を、僕は一生涯、大切に心に留めると決めた。
「到着しました。こちらが、今日これからあなた方の住まいになります平和壮です」
「景色ええやん!」
百日紅が叫ぶくらい平和壮は素敵な景色を一望できるところに建っていた。
住宅街の上は開けた丘の上にポツンとある。
異世界人への配慮かも知れない。
「この平和荘には現在、他に居住者がおりませんので、どうぞ自由にご利用ください。ではさっそく中をご案内しましょう」
そう言って部屋へ案内して、玄関前で生活に関する簡単な説明をして、一通り仕事を終えたプリンセスはささっと城へ帰ってしまった。
別れはあまりにも突然で、あまりにも淡白で、あまりにも悲しかった。
僕は用意された部屋に頭までめでたい妖精と二人で取り残された。
まあ上等なもので、部屋は三つあった。
リビング兼ダイニングキッチン、ただの部屋、そして一つだけ畳の部屋。
風呂とトイレは別。
便器にはウォシュレット機能が備えてあり、便座は冷えた俺の体を温めてくれる機能を備えていた。
心は無理だった。
便器で健康が分かるシステムがマジキショい。
「ほんまに畳の部屋貰ってええの?」
「ふん」
僕はフローリングの部屋を貰うことにして、畳の部屋は百日紅にやった。
リビングダイニングキッチンには、日用品、衣装、何かの書類やら仮の保険証やら、それらが詰まった段ボール箱のようなものがそれぞれ一つずつあった。
見るも空しい引っ越しに凍った心が砕けそうになった。
静かで心細い。一瞬で全てを失った現実が目を眩ませる。
百日紅がいなかったらここで凍死かあるいはショック死していたかも知れないということはない。
よし、家電は一通り揃っている。
テレビとか気になり出したけど、まずは真面目に資料を読むことにした。
この世界について知らなければならないことが多い。
異世界で熟女と結ばれてハッピーエンドを迎えるためにも。
と、その前に通帳でライフポイントの確認だ。
危ない危ない。
これが尽きたら冗談でなく死と向き合うことになる。
「通過単位はSと書いてシードと表す。円と変わりないって言ってたな」
つまり一円一シードというわけだ。
僕は三十五万シードも支援金として無償で頂いてしまった。
額にビビってない。
「大事に使わなあかんね。私のことは、何にも気にせんでいいから自分のために使いよ」
畳の上に死体みたいに転がって喋る妖精を遠目に一瞥してゾッとした。
死体にくれてやる金はない。
気にするなと言うのだから気にしないぞ。
ディスカリフの烙印を押された闇のしもべである俺はこれから自力で人間性を取り戻し必ずや光を掴んでやる。
環境が変わったからか、どうしようもないほどに追い詰められたからか、僕は生きる意思を燃やしていた。
そして日暮れと共に燃え尽きる。
「がえりだいっ……!!」
切実というかもう切迫していた。
駄目だ。詰んだ。
いきなり異世界で一から生活しろなんて土台無理な話だ。
ソファーから体を起こして向こうを見ると、やっぱり妖精は死んでいた。
頼れるものは己のみ。
僕はまるで崖下に落とされ牙を折りプライドを失ったライオンだ。
あの都市伝説を書いた間抜けを末代まで呪ってやる。
ちくしょう。腹が空いてきた。
窓の外に輝く星が金平糖みたいで美味そうだ。
「起きろ百日紅。狩りの時間だ」
「なに?」
「獲物を探しに町に繰り出す」
スーパーまでの道はプリンセスから直筆のメモを貰っていた。
それを御守りのように財布に入れている。
これがあれば一人でお使いくらい造作もないし、心配や不安だってなかった。
僕の世界の面影のある町なんて夜だろうと怖くもなんともない。
しかし、闇の世界を歩くには光が必要だ。
「行くぞ。俺達の逆襲の一歩だ」
「急にどうしたん?」
「いいから来いって」
全く要領の悪い眷族だ。
これから彼女の躾までしないといけないと考えると嫌気がさした。
自分のことだけでも大変だってのに、こいつの面倒まで見なきゃならないなんて。
ま、仕方ないか。
彼女と契約して主になることを決めたのは僕だから。
僕はアルバイトの経験を通じてそれなりの責任感を身につけている。
果たしてみせるさ。この命尽きるまで。
「川大くん」
「これからは主と呼べ」
「川大くんで別にええやん」
「少しは口を慎め」
「夜ご飯なににするん?」
「人の話を聞け」
やれやれ。
こいつはコミュニケーションが苦手らしい。
星がこんなに綺麗なのに先が思いやられる。
空にも僕にもツキがない。