第1話 異世界転生は突然に
それは、ある晴れた日の昼休みのことだった。
その時の私は、学院で知り合った友人たち数名と共に、喧騒を避けるようにして学舎の外れにある食堂へと向かっていた。
途中、階段の踊り場に差し掛かったとき、一人の少女が正面から私たちに近づいているのが私の目に映った。銀色の髪を無造作に結い上げただけの同学年の少女。
私が彼女のことを意識したのは、このときが初めてだった。
(あれは……たしかファルマ男爵令嬢だったかしら)
彼女が私の横を黙って通り過ぎようとしたので、私はその少女に向かって窘めるように声をかけた。
「ちょっとそこのあなた! 目上の者とすれ違ったなら、せめて会釈ぐらいはしなさいな!」
ここは貴族の子弟淑女が通う学院であるため、上下関係にとても厳しいのだ。
だからこの時の男爵令嬢に対する私の呼びかけも、取り立てて珍しくもない日常の一コマに過ぎないはずだった。
――でもこれこそが、これから始まる長い物語の始まりの合図だったのだ。
* * *
私の名前はエリザベート。
ホワイエ公爵家の当主である父のロベールは、現国王の実弟であり、母のフランソワーズは隣国の元王女で、典型的な政略結婚の末に生まれたのが私だった。
そんな家系に生まれた私は、母の胎内にいる時から会ったこともない第一王子の婚約者になることが定められていた。
さて、貴族の子女は王都の高等学院に通う義務がある。
十五になった年からの三年間、未来の宮廷生活で必要になる最低限の知識をこの学院で学ぶのだ。
今年で十五歳になった私は、規則に従って春から学院に籍を置いているのだが、そこに義務をはたす以外の意味を見出すことは難しかった。何しろ私は将来の王妃候補。姫教育と称した洗脳を、物心つく前から施されてきているのだ。
学院に入学してから一月ほどが経ったある日、私はとある女生徒と階段の踊り場ですれ違った。
同級生らしいその女生徒が、公爵令嬢である私に挨拶もせず通り過ぎようとしたので、注意しようと呼び止めようとしたのだが、彼女は私の呼びかけに気付かずそのまま立ち去ろうとした。
それを見咎めた私の友人の一人が彼女の道を塞ぎ、私の前に連れてきた。
涙目になりながら頭を下げている女生徒は、私もよく知っている人物だった。
彼女の父親は男爵位に叙爵されたばかりの元平民で、彼女自身も、成り上がりの娘として学院中から奇異の視線を向けられるという、悪い意味で変り種なのだ。
それだけでも目立つというのに、その上さらに、他を圧倒する眩い美貌と優秀すぎる頭脳をも併せ持つ彼女は、学院内では超のつく有名人だった。
それはともかく、目の前で展開されるこの光景に、私は奇妙な既視感を覚えた。
どこかで見た記憶があるはずなのだが、それがどこかまるで思い出せないのだ。
その違和感が原因で激しい眩暈に襲われた私は、結局、この日はそのまま学院を早退し、家路につくことになった。
屋敷に戻った私は、結局その日に予定していたすべての行事をキャンセルして、早々にベッドに潜り込んだ。学院の踊り場での出来事で頭がいっぱいで、何をする気も起きなかったのだ。
(あれはいったいなんだったの?)
記憶を探るも、私が彼女に声をかけたのはこれが初めてのはずだ。
もともと彼女と面識があったわけでもない。
しかし、それにしてはずいぶんはっきりとした映像が頭の中に浮かんでいた。
そう、それはまるでイベントを切り取った一枚の絵画のような……
――イベント!?
そう思った次の瞬間、何かの歯車がカチリと音を立て、壮大な幻聴が頭の中に響き渡った。
(なにこれ!?)
突然の出来事に、なに事かと戸惑う私。すると突如、未知の情報が奔流となって私の頭の中になだれ込んできた。まるで封印が解かれたかのように溢れてくるそれは、前世におけるもう一人の私の記憶だった。
統合されない記憶の混濁に引きずられ、激しく掻き回される私の自我。
体中汗びっしょりだが、そんなことに気を回している余裕はない。取り乱しそうになる自分を抑えるだけで精一杯だった。
(落ち着け、私!)
無自覚のまま自動で高速再生され続ける白昼夢を整理していくと、私は私の中に眠っていたもう一人の自分をはっきりと認識できた。
「……思い……出した!」
しばらくして完全に記憶を取り戻した私は、自分の置かれている立場を省みた。
公爵令嬢エリザベート。
うん。確かにいたわね、そんなキャラ。
どうやら私は乙女ゲームの中に転生してしまった転生者らしい。
――ちなみに私が家路についた後、私のあずかり知らぬところで元平民の彼女に対する糾弾劇が始まったそうなのだけど、でもそれって私のせいなのかしら?




