プロローグ?
――熱い。
それは、灼熱の如き感覚だった。
痛みを感じるよりも先に体を襲ったのは、耐え難い感情と熱。それらが腹部に刺さっている包丁が原因による痛覚だと気づいたときには既に血だまりに体を突っ伏していたところだ。
「ああ、畜生。こんなことなら、胸の一つでも揉んでおけば良かったか、なぁ?」
下らないことを口走りながら、オレは目の前に立っている彼女に命乞いの視線を送る。
日頃から死にたいと言っていたオレではあるが、こうしていざ死を間近に感じてしまうと生への執着を捨てきれなくなるのだから情けない。
そんなオレの後悔と願望など知ってか知らずか彼女はオレを弄ぶかのように唇の端を歪めると、その真っ白な指を傷口に向かって差し出す。
それと同時に膝を曲げて姿勢を低くするが、残念。スカートならば中の秘宝を垣間見ることが出来たであろうに、ショートパンツなため隙間から見え隠れするもので満足するしかなかった。
「――ッ、くぇrちゅいおp」
瞬間、口から声にならない叫びが漏れ出る。それは掠れた空気の奔流。意味を成さない危険信号の知らせ。
ふざけんな。この女、目の前に桃源郷をチラ見せしながら傷口に容赦なく指を突っ込みやがった。
ぐちぐちと嫌な音を鳴らしながらオレの中をまさぐる様は無邪気な子供のようで、しかし、実際に行っていることを考えると狂気の沙汰としか言いようがない。
「……あたたかい」
そりゃそうだろうよ、オレはまだ生きている。そんな嬉しそうに頬を赤らめて恍惚の表情をするんじゃない。何故だか、いけないことをしているみたいじゃないか。いや、されてはいるんだけども。
「やぇお!」
抗議の声をあげようにも舌が上手く動かず言葉を発することができない。最早、体が限界を迎えているようで、このまま彼女にされるがままでいるしかないのかも知れない。
オレが不安な瞳をしたからだろう。彼女がそれに気づくと優しい笑みを浮かべてそっと耳元に顔を近づけてきた。
「大丈夫、最期まできちんと面倒を見るから」
勘弁。絶対、それベッドから抜け出せないヤツですよね。文字通り命を握られちゃうヤツですよね。
恐怖で震える中に、ちょっとだけアリかもと思ってしまうのはオレの隠れたMの顔がこんにちはした所為に違いない。
絶望的な状況の中、オレはどうしてこうなったのかを考える。
あの時こうしておけばよかった。他に選択肢はなかったのかあれこれ思い浮かべようと試みるが、腹に手を突っ込まれた違和感と痛みで思考がまとまらない。
「ふふん、絶対誰にも渡さないから」
彼女の不敵なセリフを遠くで聞きながら、重くなった瞼を閉じまいと必死に抵抗するも、致命的な傷はそんなささやかな抗いさえ蝕んでいく。
もしかしたら、オレはここで脱落かもしれない。
そのことに恐怖を覚えるが、それよりも気がかりなことが一つだけある。
それは――。
「それじゃ、ね。おやすみなさいアッ君」
最期に見たもの。
それはとても綺麗な彼女の凄惨な微笑みだった。