ソールトゥヌス暦 4111年 春の後月 22日
女の子を守れる強い男になりたい。
この想いだけは忘れないよう握り締めて、新しい生を受ける。
おぎゃあと産声をあげて生まれ落ち、新しい両親に抱きしめられた。
前の記憶を持ち越すことを望んだはずだったが、あの白い嘴の子どもは死の神ウアクスに何やら便宜を図ってくれたらしい。
握り締めた手が開かれていくように、炎に包まれた恐怖の記憶は日を追うごとに薄れていった。
けれど、女の子を守れる強い男になりたいという決意だけは手のひらに残っている。
白い嘴の子どもが書いてくれた花丸が、薄い痣として手のひらに残ったのだ。
……あれ?
生まれたばかりはほとんど目が見えなかったのだが、ぼんやりと目が見えるようになってくると、ベビーベッドの縁に停まる白い物体に気が付いた。
いったいなんだろう、と目を凝らしてみると、それが白い梟だと判る。
種類は判らないが、とにかく白い梟だ。
羽角はないので、ミミズクではない。
この梟はとにかく利口なようで、気が付くと僕の世話を見てくれている。
足で薄い毛布を蹴飛ばしてしまえば毛布をかけ直してくれるし、おしめが濡れれば家族の誰かを呼んで来てくれた。
……でも、家族には見えてないみたいなんだよな、この梟。
他にすることもないので、一日中ベビーベッドの縁にいる梟を観察する。
それで早々に気が付いたのだが、まずこの梟には実体がない。
窓が閉まっていても、ドアがしまっていてもお構いなく飛び立ち、壁にぶつかるということがなかった。
すいっと扉の向こうへと消えたかと思うと、しばらくして家族の誰かが部屋の中へとやってくる。
その時には家族の肩の上に梟はいるのだが、みんな梟に関心をはらう様子はなかった。
というよりも、家族には梟の姿が見えていないのだろう。
……妖精とか、魔法の鳥っぽい?
ゲームやアニメに出てくる魔法の鳥みたいだ。
そう僕が理解すると、梟はゆっくりと瞬き、姿勢を正す。
それから、新しい父さんよりも低い声で僕に話しかけてきた。
――ふむ。もしやと思って観察を続けていたが、どうやら『アタリ』であったようだな。
……『アタリ』?
いったいなんのことだろう、と心の中で聞き返す。
まだ言葉をしゃべれないので、口から声を出しても「あう」とか「だーう」という音にしかならないのだ。
僕からの言葉は声にならなかったが、実体がないらしい梟には関係がなかった。
僕の心の声が聞こえているようで、普通にそのまま会話が続く。
――おまえには赤子なのに自我がある。
……そうみたい。それにしても、梟がしゃべってる。すごいね。
――すごいのは当然である。
自分は数少ない本物の精霊である、と言って梟は胸を張る。
姿勢はほとんど変わらないのだが、ちょっとだけ胸の羽が膨らんだ気がするので、おそらくは胸を張っているのだろう。
たぶん。
……精霊には本物と偽者があるの?
――偽者とは少し違うが、人工の精霊がいるな。
人工の精霊は『妖精』と呼ばれているらしい。
梟の話によると、妖精は妖精でまた『本物』がいるらしいのだが、人間が『妖精』と呼んでいるのは『人工の精霊』なのだとか。
……よく判んないや。レアリティの差みたいなもの?
――れありてぃ?
……カードゲームで言う、カードの強さみたいなものだよ。
星が多いほど強いのだ、と説明すると、梟はすぐに僕の話を理解して、精霊と人工精霊に当てはめて説明してくれた。
梟的には人工妖精は星1つの雑魚で、人工精霊が星2つ、妖精が星3つ、精霊が星4つ、精霊王が星5つで、その上に神王とかいう星6つのウルトラスーパーレア中のレアな存在がいるのだとか。
……その中だと、おまえは星何個?
――おま……失礼な。まあ、良い。赤子の言うことだからな。我のことは『賢者様』と呼びなさい。
……自分で自分に『様』とか付けるのはどうかと思うよ。
――おまえが呼ぶ時の手本として付けたまでだ。我とて、普段から自分に『様』を付けているわけではない。
……ふーん?
――まあ、よい。この中で言えば、我は星4つの精霊である。
……真ん中ぐらいか。じゃあ、あんまり強くないねー。
――強いよー!? ってか、弱くないよー!? ……って、そんなことはどうでもよろしい。
……よくないから怒ったんだよね。
――よろしいといったら、よろしい。
とにかく、と梟は無理矢理話の腰を折る。
自分のレアリティについてはこれ以上触れられたくないようだ。
――おまえを新たに生まれた『精霊の寵児』と認める。
精霊の寵児の誕生を柱の神子へ伝えてくるから待っていろ、と言って梟は羽を広げる。
それが合図だったようで、部屋の中へと翅の生えた小さな女の子や、あきらかに人間とは違う小人が入ってきた。
ご丁寧なことに頭上へと星マークがついているのは、梟の悪戯か何かだろう。
星の数から察するに、部屋に現れたのは『人工妖精』だ。
――我はしばしこの場を離れる。みなで協力して寵児の世話をするように。
柱の神子とかいう上司に用があると白い梟は姿を見せなくなったが、僕の生活は相変わらずだ。
人間の手が必要な時は人工妖精が小物を机から落とすといった悪戯をして家族の目を引きつけ、僕の世話を手伝っている。
おかげでオムツが濡れてもそんなに長い時間放置されることもなくて快適だ。
新しい両親は、前の両親より少し年上だと思う。
それというのも、僕は生まれたばかりだというのに、歳の離れた兄ちゃんがいた。
兄ちゃんの歳は、前の僕と同じか少し上かもしれない。
マリクという名前で、黒髪に茶色の目をした日本人と同じ色をしている。
新しい僕の名前は『テオ』だ。
マリク兄ちゃんが読んでくれた本『白銀のレオ』の主人公の名前を少し変えたらしい。
レオのような強い男になるように、でもお姫様をお嫁さんにしたレオまでは出世しなくていい、と僕の名前はマリク兄ちゃんが付けてくれたらしい。
新しい家は農家をしているようだった。
そろそろ外へ出してもいいだろう、と母に連れられて初めて外に出たのだが、精霊の梟がいたように、どうやらここは日本ではなかったっぽい。
両親と兄が黒髪に茶色の目といった日本人と同じものだったので、テレビも買えないなんかスッゲー貧乏な家に生まれたのだと思っていたのだが、違った。
見渡す限りの平原に、視界に山はひとつもなかった。
外ですれ違う村人の多くは黒髪をしていたが、中には金髪や赤毛のひともいる。
目の色についてはもっと種類が多く、これだけで明らかに日本人ではないと判った。
……おもしろい世界に生まれたなぁ。
こんなこともあるのか、と周囲を観察していると母さんに笊の中へと下ろされる。
この笊に紐をつけ、昼の間は木陰へと僕を吊るす。
天然のゆりかごというのか、外で家族が働きながら僕を見守るには丁度いいのだろう。
母さんたちが仕事に夢中になって僕のことを忘れてしまっても、僕の世話は人工妖精たちがしてくれる。
家の外には人工ではない妖精や精霊もいるようで、たまに星の数が多い誰かが僕の顔を覗きこんでいた。
……本物か人工かの差は、しゃべるかしゃべらないか?
なんとなくの、ざっくりとした感想だったが、おそらくはこれだろう。
星の少ない人工妖精はきゃっきゃと楽しそうに笑うことはあるが、明確な言葉は発しない。
そして星の多い妖精や精霊は時々僕の話し相手になってくれた。
……あ、人工妖精が兄ちゃんに悪戯してる。
今日は父が畝を作り、母が種を撒き、兄が薄く土を被せると作業を分担しているようなのだが、兄の後ろに人工妖精がわらわらと続き、小さな如雨露で植えたばかりの種に水をかけていた。
これに気が付いてから一番最初に作業をした畝へと視線をむけると、うっすらと地面が緑に色づいているのが判る。
父が掘り返したばかりで黒い土を見せているはずなのだが、ほんのり薄い緑だ。
もしかしなくとも、もう芽が出ているのだろう。
途中でこの事態に気が付いた母が精霊の悪戯だと言って喜んでいた。
今年の実りは多そうだ、と。
新しい家族と妖精――本物だとか人工だとかいう区別は面倒なので、そろそろ『妖精』で括ってしまう――の存在に慣れたある日、とんでもない美少女がうちの畑へとやって来た。
ゆるく波打ち輝く金髪に、青と緑のオッドアイの美少女だ。
年齢は兄と同じぐらいだと思うのだが、背後にお付の大人が何人も付いていて、半端ない家のお嬢様なのだと僕でもわかった。
僕にも判る程度のことに、両親が判らないはずがない。
両親は美少女の姿に気が付くと農具を横に置いてその場へと跪いた。
まるでテレビで見た大名行列みたいだな、と思ったのは間違いではなかったようで、美少女が二言三言両親に言葉を投げかけると、両親は揃って僕の入った笊の方を見た。
……あ、賢者様。
両親の視線が僕に向くのと同時に、久しぶりに白い梟が姿を見せた。
やはり重さはないようで、木の枝に吊るされた笊の縁に止まっても笊が傾くことはない。
……賢者様が来たってことは、あの子が『柱の神子』って人?
――柱の神子『様』と呼べ。相変わらず礼儀のなっていない子どもだな。あの方は神王の血を引く、由緒正しい一族の姫君なるぞ!
……へー。お姫様なんだ。だからあんなに可愛いんだね。
視線を梟から柱の神子に戻すと、柱の神子に促された母が立ち上がって僕の方へとやって来た。
少しだけ戸惑った表情を浮かべ、笊の中から僕を抱き上げる。
その肩へと梟が移動し、僕はそのまま柱の神子の元へと運ばれることとなった。
柱の神子に畑で立ち話などさせるわけにはいかない、ということで村長の家へと招かれた。
僕の家じゃないのは、柱の神子を招くには狭いし汚いからだろう。
招かれた村長の家で一番に椅子に座った柱の神子は手を伸ばし、その腕へと僕が手渡される。
間近で見る柱の巫女は、遠目に見る以上に美少女だった。
テレビで日本一の美少女だとかが映っているのを見たことがあったが、柱の神子を前にすれば『日本一の美少女(笑)』だ。
これまでに見たどんな可愛い女の子よりも可愛い。
僕の中で一番の位置にいるひな姉ちゃんの隣に置いてもいいぐらいの美少女だ。
……綺麗な青い目。なんか、すっごい綺麗。
ただ『青』と呼んで片付けてしまうにはもったいない『青』だ。
『青』と呼ぶよりは、少し畏まって『蒼』と呼びたいかもしれない。
柱の神子に抱かれたまま、両親たちの話に耳を澄ませる。
柱の神子は、梟が教えてくれたように星6つの神王の血族だったらしい。
だったら星は6つなのか、と梟に聞いたところ、柱の神子は神王の一族ではあるが神王ではないため、星を付けるのなら3つだと教えてくれた。
……えっとつまり、この子って町長みたいなもの?
頭上の会話を整理すると、おそらくはこんな感じだ。
柱の神子の名前はセイリナ。
この『セイリナ』という名前は、この土地の名前と同じらしい。
神王の血を引く一族の姫君で、『セイリナ』の名前が示すように、この土地を治める役割を持っているのだとか。
僕は真っ先に『町長』と理解したが、土地の広さによっては『市長』とか『県長』ぐらいなのかもしれない。
とにかく、間違いのないところとしては、この場で一番偉いのが周囲の大人たちではなく、柱の神子セイリナということだ。
「……では、改めまして。私はアミシク長たる柱の神子、セイリナ。新たなる『精霊の寵児』の誕生を神王の使いより啓示され、こうして寿ぎにやってまいりました」
「ア、アミシク長様に……このようなところまで、ごそくりょういたらき……」
上品に微笑むセイリナに、うちの両親といえばガチガチに緊張で固まっている。
緊張のせいか、普段使わない丁寧な言い回しのせいか、噛みまくってほとんど意味が判らない音の羅列にしかなっていないのだが、セイリナやそのお付の人が怒り出すことはなかった。
どうやらこの身分の高い美少女たちは、善良な人らしい。
そんなに畏まらなくても大丈夫だ、と少し言葉を崩してくれた。
……あ、神子様には賢者様が見えてる?
両親と交わされる言葉の合間に、時折セイリナは梟へと視線を向ける。
梟はこの場の会話を僕に判りやすいに解説してくれているのだが、セイリナはその解説に時折訂正を入れていた。
「このアウグーン領に精霊の寵児が見つかるのは二十年ぶりのこと。真に喜ばしいことなのですが……テオくんには少し残念なお知らせですね」
綺麗に微笑んでいるのだが、セイリナは少し困ったような顔もしている。
俺のまだ小さな手をふにふにと握っているのだが、蒼と緑の瞳が一瞬だけ揺れた。
「精霊の寵児テオの養育に、アミシクからは毎年金貨を一枚お支払いいたします。その金額でテオを飢えさせず、健やかに育てなさい。小さな怪我でも、軽い風邪でも油断せず、必ずセドヴァラ教会を頼るように」
とにかく無事に僕を育てることが両親に課されたアミシク長セイリナからの命令だった。
「アミシクからはテオに乳母か子守女中を付けましょう。精霊だけでは心もとない時もありますから」
無事に十三歳まで僕を育て、そのあとは神都にある学園へと通うことが僕には強制されるらしい。
この『十三歳で親元を離れなければならない』というのが、セイリナが悲しげな顔をした理由だ。
それぐらい、寮のある中学にでもあがったと思えば、なんということはない。
学園の説明として、セイリナは両親に長期休暇には会いに帰ってくることも、両親の側から会いに行くこともできると説明していた。
……少し遠くの学校に行くぐらいで、神子様は大げさだね。
――柱の神子が案じているのは、そこではないのだがな。
……違うの?
――学園で学ぶのは、戦い方だ。精霊の力を借りられる『精霊の寵児』は、その素質を見込まれて戦い方を学ぶことを強いられる。柱の神子は、おまえのような幼子の未来が決められてしまったことに対して憂いているのだよ。
戦い方を学園に通って学ぶとか、アニメかゲームみたいだ、と単純に思っていたのだが、違ったらしい。
セイリナは、僕が「医者になりたい」だとか「サッカー選手になりたい」といった将来の夢を持つ前にまず「戦い方を学べ」と義務付けられたことが悲しかったようだ。
……神子様ってさ、優しい女の子だよね。
――我等の神王の血を引く、由緒正しい姫様だからな。
この優しい女の子が僕のために悲しんでくれるのなら、僕はその悲しみを止めたいと思った。
戦い方を学ぶことが悲しいのなら、その課程を楽しもうと思う。
嫌なことを強制されているのではなく、楽しんでいるのだとセイリナに伝えられれば、この悲しそうな顔も本当の笑顔になってくれるんじゃないかと思った。
……ひな姉ちゃんは、もう笑わせてあげられないけどね。
ひな姉ちゃんの代わりとは言わないが、優しい女の子が僕のために悲しんでくれているのだ。
僕は優しい女の子を笑顔にしたい。
これが僕が『僕』のまま生まれてきた理由だ。