プロローグ
――熱い。
これが『僕』の最後の記憶だ。
何がどうしてそうなったのかは判らない。
気が付いたら一面が明るい火の海だった。
明るいというよりは、眩しい。
眩しいというよりは、目が痛い。
目が痛いというよりは身体中が痛くて、本当は痛みではなく熱さだったのだろう、と今なら判る。
熱い、熱い火の海に包まれて、頭の中は真っ白だった。
逃げなきゃいけないと判っているのに、立ち上がることはできなかった。
怖くて、熱くて、痛くて、頭の中が真っ白で――
「――くん、もう……大丈夫……だから」
突然真っ白な世界に黒い影が落ちる。
女の人に抱きしめられたのだと判ったのは、彼女の匂いだ。
温かで、甘やかな、昔からよく包まれていた匂い。
中学にあがるまでは夕方まで何度も遊んでくれた、近所の『ひな姉ちゃん』だ。
ひな姉ちゃんが中学生になってからは、時間が合わないのか顔を合わせることも減っていた。
それでも時々見かけることはあったが、服装の好みが変わったのか、付き合う友だちが変わったのか、どんどん自分の知っている『ひな姉ちゃん』と変わっていく彼女に、なんとなく距離を感じた。
違う。
距離を取ったのは僕の方だ。
綺麗な黒髪を茶色く変えたひな姉ちゃんに、ひな姉ちゃんは不良になっちゃったんだ、と避けるようになった。
僕の知っている『ひな姉ちゃん』から一人でどんどん変わっていくひな姉ちゃんに、なんとなくそれが面白くなくて避けた。
一度コンビニの前で新しい友だちといるひな姉ちゃんを見かけたことがある。
その時、ひな姉ちゃんはすぐに僕に気がついて声をかけてくれたけど、僕はひな姉ちゃんを無視してしまった。
僕の知らない友だちといるひな姉ちゃんが、なんとなく嫌だったんだ。
それなのに。
「――くん、大丈夫だから。姉ちゃんが助けに来たから。学校の避難訓練は覚えてる? 煙を吸い込まないように、できるだけ息は止めていてね」
大丈夫だから、と何度も僕を励ましながら、ひな姉ちゃんが僕を抱き上げる。
重たくなったから、もう抱っこは無理だよ、と少し困った顔で笑ったひな姉ちゃんの顔を思いだした。
無理だと言ったことを、今は歩けない僕のためにしてくれるらしい。
……ひな姉ちゃんは、ひな姉ちゃんのままだ。
ぎゅっとひな姉ちゃんの首筋に腕を回し、少し前の行いを後悔した。
ひな姉ちゃんが変わってしまったように思い、無視してしまった日を思いだす。
聞こえない振りをしたけど、あとで遠目に確認したひな姉ちゃんが首を傾げている姿も見ていた。
優しいひな姉ちゃんのことだ。
意味もなく僕に無視をされれば悲しかったことだろう。
……ごめんね、ひな姉ちゃん。
心がポッと温かくなる。
周囲の熱とは、まるで種類の違う温もりだ。
一面の火の海は、家が燃えているのだろう。
そこにひな姉ちゃんがいるということは、僕を助けに飛び込んできてくれたということだ。
自分の身に危険が降りかかることも厭わず、僕を助けに。
……強くなりたい。
今度は僕がひな姉ちゃんを助けられるように。
ひな姉ちゃんは僕よりも強いけど、だからって守られてばかりは嫌だ。
次は僕がひな姉ちゃんを助けられるように――
結局、『僕』は火事で死んだ。
僕を助けようとしてくれたひな姉ちゃんのことは気になったけど、死の神ウアクスの眷属だと言う白い嘴の子どもは僕のこと以外は教えてくれなかった。
個人情報ですからね、守秘義務があります、と妙に知ったような口を利いて。
白い嘴の子どもは、僕に二つの選択肢をくれた。
火に包まれた恐怖の記憶を忘れて新しく生まれるか、この記憶を持ったまま生まれるか。
この選択肢に、僕は後者を選んだ。
恐怖の記憶を持ったままでいたいという僕に白い嘴の子どもは驚いていたが、理由を話したら笑って褒めてくれた。
手のひらに花丸を書いてくれた。
偉いんだね、頑張って、と頭を撫でてくれた白い嘴の子どもは、ひな姉ちゃんよりも少し背が低い。
それと、たぶん嘴の奥には女の子の顔があるのだと思う。
白い子どもは何人かいたが、その子だけが作り物の嘴をつけていた。
新連載開始です。