第187話
「すぅ…すぅ…すぅ……」
「俺がいればお前に辛い想いはさせなかったのにな…」
いつの間にか机に突っ伏して寝てしまったサンの頭を撫でながら呟く。未だユウリは眠ったまま。一晩中と言っていい程起きていたサンもついさっき眠ったところだった。
「んぅ…」
「起きたのか? まだ寝てていいんだぞ?」
「んぅ…、ぅん…」
「眠たいもんな。おやすみ…」
サァと赤髪を撫でると安心したような笑みを浮かべ再び目を閉じる。初めは疑似生命、そして魔物、最後はこうやって言葉を交わせる人…。意外と長い間一緒なんだよな…。
「…………」
初めて化けた時は娘という意識は無かった。しかしなんだろうな…。今ではもうそんな先入観は消えていた。
「お前は俺の娘だ。なんとしても守りきる!」
俺は静かに、しかし力強く呟くと1度部屋を出ていった。朝食でも用意してやらなければな…。
「おはよう。やっぱり早いな」
「そう言うリョウ兄は、ずっと起きてたんでしょ?」
「まあな。そりゃ心配になるだろ?」
「うん…。もしリョウ兄が倒れちゃったらティナもそうする…」
そう言って乾いた笑みを浮かべるティナ。考え直してみるとティナは最後、ほったらかしになってしまったからな…。
「…。取り敢えず座ろう。立ったままなんてキツイだろ?」
場を紛らわすように席を進め自分もその対面へと座る。まだまだ時間はあるだろうからな…。
「気、使わせちゃったみたいだね…」
「単にお前が大事なだけだよ」
「っ!」
「気付いてないだろうがな、俺はお前らがいなきゃ何も出来ないんだぞ?」
「嘘! ティナ達より強いのに…」
「強くてもできることと出来ないことがある。大切な何かがない状態では何をする必要もないだろ?」
「そうだけど…」
「この世界に来て俺を脱け殻にならないようにしてくれたのはお前達だ。俺はそんなお前達と供にいたいし…何があっても泣いてほしくない…」
「っ……」
「本当は単にお前達と一緒に楽に暮らしたいだけなんだ。武器も魔法も何もいらない。ただ…」
前の世界でも己を、家族を守るために血を浴びて…、転生した今も仲間を守る為血を浴びる。その血はドロドロとしていて俺に絡み付きまるで運命のしがらみのように離してくれない…。
「ティナもだよ。ずっと一緒に、ティナを受け入れてくれる唯一の人…。大好きだよ!」
俺の頬に手を当てニッコリと笑った。何度味わおうと慣れない。この体の中を貫くような、思考を吹き飛ばすような感覚は嬉しくて嬉しくて仕方がないんだ。ドキドキと高鳴る胸は俺の思考を、そして視界をも狭めていく。
「そのまま返そう、ティナ。この広い世界で俺を受け止めてくれる人よ…!」
1度目を閉じバラバラになった意識を1つにまとめる。そして次に目を開けた時には目の前でイタズラ気に片目を瞑るティナ。
「っぅ…!」
「その顔が1番好きだ」
朝ということであまり深度は無かったがそれでも気持ちだけでも伝わればいい。満足したような顔に同調するように笑みを向けると俺はギュッと抱き締め席を立った。
「行っちゃうの?」
「あぁ。未だ目を覚ましてないからな。一緒にいてやらなきゃ…」
「ティナがいたら邪魔?」
「んなわけないだろ? 来るか?」
「うん!」
どうせリアスを含めリリスが起きてくることもない。と言うことで俺は婆さんに飯を準備しておいてくれ、と頼むと2人で部屋へと戻った。
「サン、も、いたんだ…」
「まあな。昨日はずっと起きててくれたんだ」
「そうなんだ…」
「サン、起き‥」
「いいよ! ティナは適当に座るから」
「そうか…? わかった」
とは言え女を立たせて俺が座るわけにもいかない。俺の座っていた場所をティナにすすめると俺自身はベッドの端に腰掛けた。
「ねえ、ユウリの病状はどうなの?」
「分からない。体の方はほぼ完璧に蘇生したうもりだが、生魂については取り扱った数が極端に少ないんだ…」
「そうなんだ…。大丈夫かな?」
「信じよう。コイツは戦友だ。救ってやらねば…」
「…………」
「…………」
何か言いたそうに視線を向けるティナ。と言うかその言いたいことと云うのは十中八九予想がついている。
「リョウ兄、辛そう…」
「そりゃこれだけ傷付けば‥」
「そうじゃない! 本当はユウリのことも好‥」
「これはユウリの望みだ。俺達はあくまでも戦友だ。好意を露にすることはない…」
「リョウ兄はそれでいいの?」
「…………」
「ティナ、最近思うんだけどリョウ兄って誰にも本性見せてないでしょ?」
「…………」
「ティナ達にも?」
「……。教えてやろうか?」
「ん?」
「俺は1度死んでいる。だから正直次死んでも何も思わない」
「…………」
「だから自分が夢中になった人に気持ちを捧げて果てるのなら本望。お前らの為なら喜んで死のう」
「…………」
「だからそれに関してお前ら‥」
「止めて!」
「………」
鋭い声。
目を潤ませながら俺を見つめる姿に俺は思考が追い付かなかった。
「リョウ兄はやっぱり自分を大切にしていない。ティナ達は守ってほしいわけでもリョウ兄を縛りたいわけでもない!」
「ティナ…」
「ただ一緒にいたいだけ…。ただ一緒に静かに暮らしたいだけなのに…。リョウ兄はどうしてそんなことを言うの?」
「ゴメン…」
「ティナ達のことは気にしなくていいよ。リョウ兄も好きなように生きるべきだよ!」
純粋無垢なその言葉に俺は言葉を詰まらせる。転生してからの全てを否定された気分、なのだが不思議と悪い気はしなかった。
「…………」
「じゃあ、ティナは戻るね。少しスッキリした気がするよ」
「あ、あぁ」
ティナはそうとだけ言い残すと部屋を出ていった。酷い、よな…。
「んっ!」
その時、重ね合わせた手がピクリと動いた。慌てて振り返るとユウリが虚ろな目で俺を見ていた。
「ユウリ、起きたのか?」
返事はない。俺の言葉に目を覚ましたサンも急いでその瞳を覗き込む。
「リョウ…」
「っ! だ、大丈夫か!?」
俺を見つめる瞳に光が戻ってくる。身体中の傷は治っているが精神的、魔力的なダメージは癒えていない筈だ。
「リョウ、俺は、どうなったんだ?」
「………」
「まあいい。立たせてくれるか?」
「あ、あぁ」
俺が肩を貸して立ち上がらせるとフラフラながらもしっかりと自分で立った。回復が早い…。いや、違う。我慢してるだけだな…。
「俺はどれくらい伏していた?」
「一晩だ。本当に大丈夫なのか?」
「俺はそんなに柔じゃない。もう武器も振れる…」
ザッと振り下ろされた短剣。確かに鋭い。しかし風切り音が大きい時点で本調子じゃないことは明白だった。
「無理するな。ここはスラムじゃない。お前が動けない間くらい俺が守ってやる」
「……ありがとう」
少し照れたように顔を伏せるユウリ。意外にそんな仕草が初々しく俺はクスリと笑ってしまう。
「サン、ユウリが目を覚ましたんだ。婆さんから朝食を貰ってきてくれるか?」
「うん。待ってて!」
上機嫌に尻尾を揺らしながら出ていくサン。俺の後ろでは未だ顔を伏せるユウリ。
「本当に体は大丈夫なのか?」
「だからそれほど柔じゃないと言っている。リョウは心配し過ぎだ!」
「魔力操作もろくに出来ない状態でか?」
「っ!」
「俺が気付かないとでも思ったのか?」
「………」
「お前こそ俺に頼れ。愛しき戦友よ…」
最後だけ聞こえないように小さく呟くと俺は温かく、そして優しく抱き締めた。