第168話
「ガルルルルルルルルルルッ!」
「なあ裏背…。勝てるかな?」
「ガルルルッ……」
こないだ倒したワニに匹敵するような強い魔力と殺気を持つ狼は、魔力を使えず戦闘能力が格段に落ちている今の俺には十分な脅威となり得た。久し振りに感じた。怖い…。
「ガルルルッ!」
身体能力の上がった今の俺でも追えないようなスピードで放たれた爪撃は完璧に俺の体を捉えていた。そしてその爪が俺の体を抉ろうとした瞬間…
「ガウッ!」
俺は何かに吹き飛ばされ、寸でのところで死を免れた。そして俺の隣に立ち尽くすのは…
「サンっ!」
「ガウッ、ガウッ!」
赤い瞳を輝かせ燃え上がった毛並みは水面を照らし一瞬だが夜を昼のような明るさに変えた。
「ガルルルッ!」
「負けてられないな。裏背、行くぞ!」
「ガルッ!」
影から現れたこともあり影を使うのは明白だ。それにさっきのスピードもスキルである可能性か高い。そしてここまで強い魔物と言うことはあと1つか2つ、スキルが残っているだろう。
「ガルルルルルルルルルルッ!」
「絶対にお前は通せない。刀技・返威陣」
振り下ろされた腕と刀身が触れる。その瞬間刀身に掛かった圧力は全て反対側へ移動し、斬撃となって爪もろとも腕を斬り裂いた。
「ガルルルルルルルルルルッ!」
「ガウッ!」
纏っていた炎が黒く染まる。まるでそれは俺の使う黒炎のようだ。
「ガルルルルルルルルルルッ!」
「ガウッ!」
振り上げた爪が黒炎に染まったかと思うと振り下ろされた傷口は黒く染まった。しかし空中でバランスを立て直せないサンは憤怒にそまった眼をした狼に思いっきり殴り飛ばされる。
「ガウッ…」
「ガルルッ、ガルッ、ガルルルルルッ!」
黒い傷に違和感があるのか近くの木々へ体をぶつけ、必死に消そうとしている。しかし消えない、筈だ。
「ガウッ…」
岩にぶつかってボロボロな状態にも関わらずサンは立ち上がる。しかしそんな満身創痍のサンとは反対に、傷を消すのを諦めた狼は傷口を口へ含むと勢い良く噛み千切る。するとその部分は影に覆われたあと、元通りに回復した。
「ガウッ……。ガウッ!」
「下がれ。もう無理だ!」
飛び出そうとしたサンの前へ立ち塞がるとその頭を抱き締める。人だろうが動物だろうが同じ、ギュッと抱き締めると落ち着いてくるものだ。
「ガゥゥッ…」
「お前は十分にやってくれた。もう、良いんだ。あとは俺がやるから」
ブスッ……
腹の部分が妙に熱い。目を向けると黒い刃が腹を貫き、サンの体も一緒に貫いた。
「ガゥ……」
「…………」
《無属性魔法・魔法強制分解》
影により作られた刃は霧のように消え失せる。そして体を真っ直ぐ貫かれたサンは地面へ下ろしその口へポーションを流し込んでおいた。俺は魔物という理由で仲間にも関わらず無下に扱うのは嫌なんだ。
「覚悟は、出来てるだろうな」
俺に睨まれた狼は1歩後退ると毛を逆立てる。周囲を包む妙な静寂が緊張感をより駆り立てていた。
「ガルッ…」
「ジワジワと、殺してやる。闇魔法・烈貫針」
己の影から伸びた影針が狼の体を貫く。その針には返しがついていて抜けることはまずない。
「ジワジワと殺すって言ったよな?」
グサッ…
再び肉を裂く音と共に狼の体からは影針が無数に飛び出す。それは狼が作ったものではなく、体内の影針が細かく分裂し、体を貫いたものだった。
「来い」
命令口調で良い放つと狼は自分の体が引き裂かれるのを分かりながらもゆっくりと俺の元へと歩いてくる。俺の目の前に来た頃には体内の影針が複雑に体内を抉り回していた。
「ガルッ…ガルルッ…」
「死んでくれ。刀技・羅綫螺旋刄」
静かに切っ先を額へ向ける。それと共に刃からは細かく鋭い針が細かく交差しながら渦を巻くように発生し密度を増していく。
「ガルッ…」
「お前の体は、使わせてもらうぞ…」
切っ先を額へ当てる。それと共に密度を増したソレは一気に放出されその頭を吹き飛ばす。そしてそれだけでは収まらない勢いは後ろの森林も一掃した。
「…………」
「ごめんな、サン。俺が弱いばかりに…」
いくらポーションを飲んだとはいえ体を貫かれたのだ。ドクドクと流れでる血は俺の足元へ水溜まりを作っていた。
《白狩君、サンを殺そう》
《お前、ふざけているのか?》
《君のスキルは?》
《…………》
《出来ない。俺には…》
俺の手の中で必死に生きようと息をするコイツを殺すことなんて俺には出来ない。息も絶え絶えで溢れ続ける血は抱き抱える俺の手を真っ赤に染め上げる。
「ガゥゥ…」
「どうしたんだ? あまり力を使うな。聖霊魔法・蘇‥」
回復させようと魔法を構築し始めると途中で魔力が散ってしまう。集中できない…。
《裏背、俺に取り憑いて良いから頼む!》
《………》
《裏背!》
《ダメだよ。もう、死んでるよ》
俺が目を向けるとサンの息は止まっていた。俺の大太刀に体を押し付けたサンの体からは血が飛び散っていた。
《なあ裏背、もしかしてこれは俺が殺したのか?》
《違う。サンは自分で死んだんだよ》
《違う。俺があんなことを言ったからだ》
《違う。サンは君にもう1度会いたかったからだよ!》
《………。すまん、取り乱した》
魂を失った肉体は霧となって消えていった。それと共に俺の中に入ってくる魂もあった。
《早く復活させてあげれば?》
隣にある狼の胸を切り裂き肋骨を砕く。そして中にあるドクドクと鼓動する臓器を千切りとった。そして中にある真っ黒な魔晶を眺めると胸に抱いた。
《火炎魔法・疑似生命刻印》
勢い良く渦巻く炎は俺を包みながら懐に抱いた魔晶へ吸い込まれていく。そしてそれ全てが吸い込まれた時には真っ黒だった魔晶が黒さを帯びた美しい紅色へ変わった。
「再び会おう。サン…」
魔力を込めると炎を吹き出しながら体長1メートル程の狼が姿を現す。そして続けてその額へ指先を添えた。
《『奪魂ノ統者・結魂』》
普段ならば適当に選出された質の悪い魔力が使われるのだが、そこを敢えてサンの魂を探し肉体と結び会わせる。
「サン…」
目を閉じた狼の美しい紅色の毛を吹きすぎる夜風が優しく撫でた。そして再び目を開けた時には人懐っこそうなあの瞳へと変わっていた。
「ガウッ!」
嬉しそうに俺に顔を擦り付けるサンに俺はただただ嬉しかった。守りきれなかったから。
「ゴメンな、サン。痛かったろ。もう大丈夫だよな?」
「ガウッ、ガウッ!」
大きいながら「大丈夫!」と言うような表情で吠える。手がうもるフサフサの毛皮がなんとも言えない触り心地だ。
「や、止めろよ。分かったから座ろうぜ?」
「ガウッ!」
夜の暗闇の中、嬉しくて仕方ないのかサンは頭を擦り付けながら尻尾を千切れそうなくらい振り回す。流石に少し疲れて座り込むとサンも俺の隣へ座る。しかしその尻尾は相変わらず機嫌のいいことを示していた。
「ホント分かったから止めろって。サン!」
「ガウゥ…」
「……。分かったよ」
「ガウッ!」
頭を擦り付けるサンをグッと押し戻すとあまりに残念そうな悲しそうな顔をする。仕方無く手を離すと俺に飛び付いてきた。
「んぅ…」
急に意識が朦朧として嬉しそうなサンの顔が二重に見えた。そしてズキンという痛みが頭を襲い俺の意識はジリジリと削り取られるようだ。
「ガウッ!」
心配そうに目を向けるサン。大丈夫、と手を伸ばしてやりたかったが手も動かない。遠退いていく俺が最後に見たのは自分の手についた真っ赤な血だった。