06 オニヅカへようこそ
荷物の検査が終わり、とうとう村の中に足を踏み入れることになった。
保安官の殺風景な部屋から出ると、どこか懐かしい音が鼓膜を揺らした。
聞こえるのは他人の話声だったり食器がカチャカチャなる音だったり単なる足音だったりと、ごく当たり前な人間社会の音である。
「想像以上に人がいる……!」
「なにその反応」
私は感動に目頭を押さえた。
「こんなとこで立ち止まってないで早く部屋に荷物置いちゃおうよ」
ぶつくさ言うシキに連れられ、ゆっくりと歩く。
中は適度に広い空間となっており、通路は5人以上が横になって歩いても通れるくらいの幅はある。
壁や天井は木材や鋼材で舗装され、天井にはよくわからない例の謎の照明が設置してあるおかげで夕方なのにかなり明るい。
道中すれ違う人々も老若男女、富裕層や労働者層までと幅広い。
彼らが着ている服も西洋的なカジュアルなシャツやジーンズのようなズボンで、意外と近代化が進んでいるように見える。
通路を10分ほど歩き、階段を2つ下ったところにある部屋の扉をシキは開けた。
合鍵をシキはポケットにしまう。いつの間に鍵を?
「到着」
ホテルのように、ベッドが1つと少しの空間があるだけの小さな部屋だった。
シキは靴を脱いで部屋の中に入っていく。
土足厳禁らしい。
「何日ここにいるの?」
「長くて三日」
「俺はどこで寝ればいい?」
シキは指先を下に向けた。「床」
「やったー」
まあ、凍死しないだけありがたいというものだ。
それに、一緒の部屋に置いてくれるのはもう歴史的な快挙に匹敵するだろう。
シキの愛を感じる。
彼女は扉の鍵を閉めて、密室を作った。
私は荷物を床に置くとシキがすぐさま荷物を持っていく。
「とりあえず、これを売ってお金にする」
そして中から出てくる大量の武器。
いつか見たリボルバーや、金属薬莢の実包が金銀財宝とばかりにリュックから顔を出す。
そこには私が拾ったハンドガンもあった。
電光石火の早業で私はハンドガンを取り上げた。
「ちょっと待てこれ俺のじゃねーか」
「どうせ使えないでしょ」
「そういう問題じゃない」
銃器には詳しくない私だが、固執した。
「あとな、俺からも一つ約束したいんだけど。俺が死ぬと復活するってことは秘密だからな、村の中では殺すなよ」
当たり前のようにシキは殺さないことを誓ってくれた。
○
オニヅカとかいう地下居住区では文明的な生活ができる。
なんと素晴らしいことだろう。
私は久方ぶりの湯舟に漬かりながら実感していた。
予想外にも、ここには公共浴場があるのだ。
「ふぅ……」
お湯から受ける浮力と快い暖かさに心が溶けていく。
シキの家ではせいぜい布で体を拭くことしかできかなかった。
あれでは疲れが取れるはずもなく、体も心も休めるはずがない。
「あぁぁぁぁ……」
無意識のうちにだらしない声が漏れる。
公衆浴場ということで、立ち上る湯けむりが天井をぼかし、巨大な浴槽に人が入れば波が立ち、その波の音は洞窟の内部で何度も反響する。
文明の力は素晴らしい。
でも、私はこれからどうしたらいいんだろうか。
湯を手ですくってみると、しなびた野菜のような自分の顔が水面に映っていた。
これであのわがまま少女ともお別れか……。
子供の脛をかじり続ける心痛ましい行為をしなくてもよくなるのはいいが、寂しいといえば寂しい。
また新しく人間関係を築く必要があるのか……とげんなりしながら、私はぶくぶくと湯船に沈んでいった。
○
食事処は共有スペースであった。
原則として炊事場や浴場、トイレなどの施設は共同で、個人が所有しているのは寝室くらいらしい。
土地が狭いのかなと考えつつ、シキが購入した料理に舌鼓を打つ。
うまい。文明的な味だ。
「そういやなんであんなところに住んでるの? ここに住めばよくな――」
「っ!!」
シキは突然むせた。
「ん? どうした?」
「……あんまり大きな声で喋らないで」
「?」
「私にも事情があるの。他の人には知られたくないから聞かないで」
「……そうか、変なこと聞いて悪かったな」
いまさら深入りする必要もあるまいと、私はサクッと飯を飲み込んだ。
ゆっくりと食事をするシキは指で私の背中側を指すと。
「仕事はあそこに書いてあるから」
「助かる」
こうして私は自立への一歩を踏み出していった。
○
村にある人が集まるような共同の施設には、決まって掲示板があるらしい。
ごみ収集のスケジュールや、ニュース、ペット捜索の依頼など、皆が好き勝手にチラシを張っている。
この貼りチラシの文化は現代日本とは異なり、チラシの下部に切れ込みが複数入れられており、イカ足のようになっている。
そのイカ足にはチラシを張った者の連絡先が一つ一つ書いており、用のある人はメモ代わりに勝手にちぎって持っていく形式だ。
ロシアの映画でこんなものを見たことがある。もしかすると誰かが伝えた風習かもしれない。
さて、生命として生まれてからには、生き続けねばならぬ。
たとえ働かずとも私は蘇生するので生き続けることは可能だが、計算的に週に一度、多くて二度餓死してしまうので働く必要がある。
餓死は嫌だ。私だって死に方くらい選びたい。
まずは生き方から選ぶことにした。
仕事の情報は、肉体労働が大半だ。
そのなかでひときわ目立つ、数字の大きい高額な依頼。
仕事内容:ゾンビ退治
場所 :旧市街
旧市街の探索経験、ゾンビとの戦闘経験のある人、歓迎します
妙なことに、この依頼だけ誰も受けた痕跡がなかった。
見るからに危険だと私は判断するが、
「あなたもゾンビ退治を受けるの!?」
いつの間にか、隣に少女が立っていた。
身長は165cm程度、すらりとした顔の輪郭に丸く大きな瞳、不揃いな黒いロングヘアーが目を引く。
使い込まれてそうな地味でシンプルな洋服に、古びた外套を纏ってくる。
凛とした印象を併せ持つ可愛らしい少女だった。
「どちらさま?」
「私はイブキ。狩人の見習いなんだ」
「そうか」
「あなたの名前は?」
「……ソラって呼んでくれ」
渋々だが私は名乗った。
なんだか、壺でも買わされそうな予感がする。
「ゾンビ退治受けるの?」
「俺はただ見てただけで別にそんな――」
「初めて見る顔だよね。どこの村の出身?」
「知らん。そのへんの記憶がないから」
「へー。じゃあ前はゾンビと戦う人だったのかもね」
渾身のカミングアウトを軽くいなされてしまった。
嘘だけど。
「武器は何使うの? 私はボウガン使ってるんだ」
「武器?」
私は腕を組んで沈黙した。
「えっまさか素手!?」
「なぜそうなる」
正直、迷っていた。
イブキが私の顔を覗き込んでくる。
「武器ねぇ……銃でも使おうかと思ってたんだけど」
「ゾンビ退治に銃? 一人の時にはあんまりよくないよ」
「だよな――……」
シキの寄り道が功を奏し、私はゾンビに対して決して無知ではなくなっていた。
もう迷いはなかった。普通に肉体労働で行こう……。
「じぁあ私は用があるからまた今度ね。武器ならサクラちゃんのお店行ってみたらいいよ。ゾンビ退治行くんならよろしく!」
サクラちゃんのお店? よろしく?
私は致命的なまでに、この村の事情を知らなかった。
○
無知が原因で損をするのもアホらしいので私はサクラとやらの店を訪ねることにした。
地下に作られた村の構造はかなり複雑になっており、捜索は困難を極めた。
何度も人に道を尋ね、10分ほどで行けそうな距離を30分以上歩いた。
不思議なことにあちこちの通路のすみに用途不明の木材が置いているが、目印にはならず余計に混乱した。
自分の部屋に帰れるかどうかも怪しくなってきたとき、ようやくたどり着く。
店の前にはわかりやすく雑貨屋と書かれた看板が立てられていた。
外見はそれほど奇をてらっているようなものではなく、村でよく見かける一般的な部屋とそれほど変わらない。
扉を開けて中に入ると、中には人影が一つ。
「いらっしゃいませ!」
幼く、明朗な少女の声だ。
店のカウンターの奥には、ショートカットの似合う少女がいた。
幼さが強く残る顔立ちに、まん丸の目、フェイスラインに沿うようおしゃれに整えられたショートカットの髪。
ちょこんと乗っているもふもふした帽子がなんとも愛らしい。
例のごとくべっぴんさんである。
なぜ異世界の顔面偏差値はなぜこんなに高めなのだろうか。
いやしかし。確信していることが一つだけあった。
シキのほうがかわいい。絶対にかわいい。
「何をお求めになりますか?」
私は丁寧語で返答する。
「私は仕事を探しにこの村に来たんですが、武器が必要ならこの店を訪ねろとイブキって人に言われまして」
「ああ、イブキさんにですか! 武器が必要ってことは、ゾンビとかネクロマンサーとかと戦うんですか?」
「ネクロマンサー?」
私は少女の言葉をそのまま疑問として繰り返した。
ゲームやらアニメやらで聞きかじった知識だが、現世に死霊を呼んで話を聞いたり使役したり、といった行為をするのがネクロマンサーだ。
「……まさか知らないんですか?」
「記憶がどこかに飛んでいってしまって、そういうのはいまいち知らないんです」
「今もどこかに悪いネクロマンサーがいて、どんどん人をゾンビに変えてるんですよ」
「なぜにそのようなことを?」
「秩序を破壊する、というのが目的だとか」
「えっ!?」
私は戦慄した。
「これ以上危険になるのか……」
本当に、本当にろくでもない異世界だ。
どうにかして元の世界に帰らなければという思いが強くなる。
「あの――。余計なことかもしれませんが、無茶はしないほうがいいと思いますよ? 死んじゃったらそこで終わりなんですからね?」
少女に本気で心配される私である。
「あれ? お客さん?」
店の奥から女性の声。
店員もう一人でてくる。
背が高く大人っぽい雰囲気、すらりとした細身の体。
丁重に手入れされているであろう流れるような黒髪ロングに嫌でも目が引きつけられる。
べっぴんさんである。
「いらっしゃい」
長身の女性は値踏みをするような視線で私の身体を嘗め回すように目を動かした。
「……。見ない顔だね。もしかしてこの村に来たばっかり?」
「ええ、まあ」
「私はハルカ。サクラの店を間借りして武器商人をしてるの。よろしくね」
「はじめまして、武器商人ですか」
「そうだね。いろいろ売ってるよ」
店の目に入る場所には武器は見えなかったが、女性は言った。
「お兄さん。どんな武器がほしいの?」
繁華街の呼び込みのような口調でハルカは私を呼び止めた。
お兄さん? ふざけているようなのでとりあえずスルーしておこう。
「ぶっちゃけ今お金ないんでいいです」
「とりあえず見るだけでもいいからさ。……こういうのは?」
と、ハルカがカウンターに両手をついて言う。
彼女はカウンターの影から装飾の入った木箱を取り出し、パチリと蓋を開けた。
中には一丁のリボルバーが入っている。
黒光りするそれは、保安官たちが持っているものとは微妙に形の違うものだった。
しかし一目見ただけでは何がどう違うのかを、私はうまく理解することができなかった。
箱の空いたスペースには、細長い口のついた火薬筒と、ドングリ型の鉛弾、固められた綿など様々な品が収められている。
予備のシリンダーが二つ入っていたのも気になった。
「それは保安官たちにも普及してるシロモノよりもいいものだぞ。昔の熟練工が手作業で入念に仕上げた一品だからね。ガタつきも少ないはず」
ハルカが銃身の部分を掴み、私にグリップを差し出した。
銃を受け取る。
受け取った銃は尋常じゃない重さであった。
命を奪う武器の重さがどうこう、という話ではない。
単純に大きいし、銃身が長いので余計に重さを感じるのだ。
以前友人の家で触ったモデルガンとは大違いである。
「使い方は分かる? 一定量の"黒色火薬"を入れてから綿と弾とグリスを詰めて、銃身の下にあるレバーを引いて、シリンダーの後ろに雷管をはめ込んだらハンマーを起こして引き金を引く。装填が面倒なら弾と火薬をひとまとめにしたものもあるよ」
そう言ってハルカは弾と火薬がひとまとめになったペーパーカートリッジを取り出した。
黒色火薬と紙の薬莢かぁ……。
私は少しばかり気を落とした。
「もっと手軽に連射できるのはありませんかね」
リボルバーを返して、図々しいお願いかなと思いつつも、私はそう言った。
いやしかし、武器一つでゾンビ戦の結果も変わってくるのだ、ここは図々しくいくべきだろう。
合理化の心理機能が働いた瞬間である。
「手軽ねぇ……ちょっと待ってて」
ハルカはもったいぶるように店の奥へと歩いていき、右手に何かを握って帰ってきた。
「じゃあこれなんてどう?」
彼女が持ってきたのはレバーアクション式ライフルだ。
「金属薬莢使う後装式ライフル。部品数多いし貴重だから今だとかなり高値の取引になるね。弾の補充も不安定になるけど、そういう不便を知ったうえでどうかな」
「きついっす」
「前向きに検討してくださいな」
「努力します」
割と本気で努力しようと心掛けたのは内緒である。
しかし、私が何をどうすれば大金を安定して稼げるかは知らない。
「ここだけの話、いいお金稼ぎの方法があるんだけど」「聞きましょう」
ハルカの言葉に自分でも驚くほどのスピードで返答を返した。
「一応聞いておくけど、外がゾンビだらけなのはわかるよね」
「もちろん」
「この世界にはたまに別の世界から人がやってくるってことは?」
「ええ」
私がそうです。
とは言えなかった。
チャリンチャリーン。何故か隣のカウンターにいるサクラが小銭を落とし、音が室内に響き渡る。
「……サクラちゃん大丈夫? お金拾うの手伝おっか?」
「い、いえ大丈夫ですから」
うわずったサクラの声。
なんで動揺しているのか少し気になった。
私も心配して目を向けてみると、にこっと意味の分からないサクラの笑顔が返ってくる。
かわいい。笑ってごまかそうとしているようだ。
「じゃあ話の続き。別世界からこういうものがたまに持ち込まれたり、異国で作られたコピー品とかが外で見つかったりするんだけどね」
もう一つ取り出した実包は弾頭が取り外されていて、ハルカは小さな皿にその中身を広げて見せた。
皿に広がるのは黒色火薬とは違う鼠色の火薬が少々。
見れば弾頭も鉛色ではなく赤褐色。
「さっきのが黒色火薬で、こっちが無煙火薬。この別世界出身の無煙火薬が使われてる弾薬は今の時代高値で取引されてるんだ。宝くじよりも小銭稼げる確率高いから外の町に出たら探すといいよ」
「へぇ……」
私は固唾をのんだ。
「一発でもそこそこで売れるんですか?」
「何十発も纏まって見つかる時があるから、お金になるのはそういうのだね」
考える。
確かに銃弾の一発だけでは大して役には立たない。
数が無いと金にならないというハルカの言葉は妥当と言える。
言葉の裏を探ってみる。
本当においしい話ならわざわざ儲け話を人に教えることはしないだろう。
ゾンビやらのリスクが相応に高いのだろうと私は推測する。
「私武器の一つも持ってないんで、できそうにないですね」
「え? そうなの? じゃあさっきのリボルバーとかどう?」
金がないと言ってるのになぜそういう流れになるのだろうか……。
私は吹っ掛けてみた。
「じゃあ、タダなら欲しいです」
「いいよ。はい、あげる」
「えっ?」
想定外の事態だった。
「いいんですか?」
「いいよー。ゾンビの時代は銃が終わらせるが私のモットー。それでさ、最終的には危険なネクロマンサーも全員倒しちゃってよ」
「簡単に言わないでくださいってば、自分でやってくださいよ。武器もいっぱいあるじゃないですか」
私は店の奥に置かれている銃の数々を指さす。
「武器商人が自分の商品で戦争したら終わりかな」
ハルカのその言葉には、哀愁のようなものが含まれていた。
「そう言えば少し前に、金の髪の、奇妙な言語を使う、別世界の人間がこの近くに住んでいたらしくて。外から来たお兄さんはその人のこと知ってる?」
「いいえ」
あまり他人から聞かない、別世界の人間の話であった。
「今は?」
「どこかの村に逃げてないのなら死んだんじゃないかな」
あっけらかんと話したハルカの言葉に、私は顔を手で覆った。
異世界人で、言葉が伝わらず誰の助けも得られなかったならもうゾンビに殺されていてもおかしくはない。
「すこし前、別世界の人間が『空気から肥料を作る方法』を伝えてさ。彼もそういう何かを持っていたかもしれないと考えると残念だねぇ」
ハルカは大きなため息をついた。
そして私も大きく気持ちを落とした。
武器商人が言う『空気から肥料を作る方法』は恐らくハーバー・ボッシュ法のようなものだろう。化学の授業で習った記憶がある。
彼女の少し前、という言葉がどのくらい前の時間を指すかあまりよく分からないが、少なくともこの場所まで異世界人の影響は届いているようだ。
○
タダより高い物はないと昔の人は言っていたので手ぶらで店を後にしようとしたら、ハルカから半ば強引にパーカッション式リボルバーを押し付けられてしまった。