05 出発の朝
リザルト
死亡1回目
死因:ゾンビに噛まれて
死亡2回目
死因:毒
死亡3回目
死因:シキに撃たれて
スマホのメモ帳を開いて、私はこう書き込んだ。
電池が切れる前に、この文章をタイプライターで写しておこう。
○
翌日。早朝。
外出用に、倉庫に詰まれていた服の中から私にあった防寒具を適当に見繕った。
臭いからがっつり洗浄し、シキに魔術で乾かしてもらった。
防寒着は学ランの上から着込んで、背中にシキが用意した荷物を背負う。
小汚いが登山にでも使えそうな丈夫で大きい布製のリュックには、ぱんぱんに物が詰め込まれている。
「うお……っ!」
ひっくり返ってしまいそうになるほど、リュックは重かった。
小さくジャンプすると、ちゃりちゃり金属音が聞こえる。
何が入っているんだろうか。
準備が終わって、戸締りの確認を終わらせたシキと共に外に出る。
「出発する前にゾンビの対策を聞かせてほしいんだけど」
「私と手を繋いでけば、襲われない。それだけ」
「はい?」
私は耳が変になったかと思った。
おずおずとシキは手袋に包まれた右手を差し出してくる。
「……いくよ」
出発してから1時間くらいは、恥ずかしさで何も会話が起こらなかった。
○
横を通り過ぎるゾンビは私たちが見えていないかのごとく運動を続けている。
透明人間になった気分だ。
しかし、突然ゾンビが襲い掛かってきたら……と被害妄想が、内で膨れていく。
不安は繋いだ手を通してシキに伝わったようで、
「ゾンビってあんまり目は見えてないって知ってる?」
珍しくわがままから始まらない会話だった。
「……そうなの? それにしてはあいつら結構しつこく追ってくるんだけど」
「音とか、匂いとか、そういうので人を探してるって聞いた。ほんとかどうかは知らない」
言われてみれば、ゾンビの目は腐った魚のように白く濁っている。
あれできちんとした視界が確保されるのかと考えると、まあそういうことなんだろう。
「……俺も魔法使えるようになりたい」
「魔術だって」
「俺も魔術使いたいっ」
「無理だよどうせ」
「あ――、そういう決めつけ良くないぞ。やってみなきゃわかんないでしょ」
「こっちの世界でもできる人なんて全然いないのに、別の世界から来たソラが使えるわけないじゃん」
確かに。
「あとさ、地下にある村ってところと方向違くない?」
「一回街で探し物してからいく」
「そういうことは事前にいえ」
景色の向こうに建物が見えてくる。
シキの写真で見たことある風景だった。
「町にはゾンビいっぱいいるから、変な事したら手ほどくからね」
遠回しに殺すぞと脅される私。
死んでたまるかとシキの小さな手を強く握った。
歩くこと30分。街の奥へ奥へとシキは進んでいく。
街並みはどこか見慣れたものになっていく。
そういえば、ここは私が初めて死んだ場所から少し歩いたところだ。
「確かこの建物」
シキは堂々と廃墟に侵入していく。
彼女の目当てのものは、分厚い一冊の本だった。
「これ、読みたい。訳して」
「また?」
ハードカバーの本である。おそらく、装いは手作りだ。
開いてみると、また英語圏から来た異世界人の日記だった。
「また日記かよ」
「どうせ暇でしょ」
背負ったリュックに本を入れてもらうと、遠くから鈍い銃声が聞こえた。
すると家の床下に倒れていたゾンビが家材を突き破って起き上がり、そっちの方向に歩いていった。
さらに複数の銃声がこだまする。
「ゾンビって、銃声に反応するんだよね。知らないとああやって音立てて集めちゃうから、結局死んじゃうの」
……笑えなかった。
「てか、そもそもゾンビって何なの? ウイルス的なやつ?」
「ウイルス? 何それ」
おうむ返しに疑問が飛んでくる。
ロメロゾンビではないらしい。
噛まれたら感染して一発でアウトということはなさそうだ。
若干、安心した私がいる。
「ごめん聞き方が悪かった。……なんで死体が歩いているの? おかしいよね?」
「知らない」
「嘘つけ。シキはそういうの詳しいだろ絶対」
「私にその話しないで。……あっちに行ったら誰かに聞けばいいじゃん」
「あとさ、なんかゾンビって男しかいなくない? 気のせい?」
「うるさい」
○
案の定というか、またシキは目的地とは全く別のところに向かっていた。
「シキ、どこ向かってるんだ」
「銃撃った人のところ」
「なぜに?」
「なんとなく」
意味不明なシキの言動に、お前も銃声に引き寄せられるのかと軽口でも叩こうかと思ったが、本気で殺されかねないので自重した。
「もしかしてソラ、怖いの?」
「……黙れっ」
私は強がったが、怖くなかったといえば嘘になる。
ゾンビだけでも手に負えないのに、なぜ銃を持った人間にまで近づかなければならないのだろうか。
町の郊外に出て行くと、雪の中に、血。
そこには潰れた顔の成人男性の死体があった。
周囲にはゾンビがたむろしている。
現代人に、生々しい死体はキツイです……。
私は声も出せないほどに委縮していた。
おもむろにゾンビの一体が金属を手に取った。
恐らくはゾンビに殺された男性が持っていた銃だろう。
シキが物珍しそうに、それを眺めていた。
「ねぇ、ゾンビって銃撃てるのかな?」
「俺。異世界人なんだぞ、知ってるわけないだろう」
私は至極当然に正論を述べたつもりだった。
するとシキは、
「異世界人ってこと、あんまりむやみに人に言わないほうがいいよ」
「何で?」
「もし悪い人に狙われても、家族とか、助けてくれる人も復讐してくれる人もいないから、危険」
このようにもっともな正論で返された。
シキは不穏な笑みを浮かべると、
「……この手を放したら、ソラは撃たれるのかな」
よく見ると、ゾンビはリボルバーの引き金に指をかけていた。
私はシキの手を握りしめた。
○
日もすっかり暮れてしまい、暗い夕焼けに照らされながら山道を進み続けた。
新しい雪も降り積もってはなく、踏み固められた雪道を進むことになったのは幸いだったが大量の荷物がいつも以上に足取りを遅くした。
「ほら、着いたよ」
「……ここ?」
山の麓の岩肌にその横穴は開いていた。
一見してただの洞窟のように見えるが、奥のほうは木材や石材などで壁や天井に補強がなされていて、まるで鉱山のような雰囲気である。
つないだ手を放し、いそいそとシキは穴の中へと進んでいく。
安心と寂しさが入り混じった奇妙な感情を私は覚えた。
後を追って洞窟の暗闇に一歩踏み込んだ瞬間、暖かい空気が体を包み込んだ。
前にいるシキが防寒着を脱ぐ。
声も洞窟内で反響し、不思議と気分が高揚してくる。
私も重ねていた防寒着を脱いで、湿り気を帯び苔が薄っすらと生した壁に手をつきながら暗闇の中に進んでいく。
「……暗くない? 明かりも何もないけど大丈夫?」
「私、中がどうなってるか大体わかってるからソラは後ろついてきて」
そう意気込んだ瞬間、足をもつれさせて転ぶシキ。
「痛い……」
「言わんこっちゃない……大丈夫?」
転んだシキに手を貸して立ち上がらせると、ぶつけた鼻頭に泥がこびりついていた。
「鼻、泥ついてる」
「う……」
シキは乱暴に袖で拭った。
「取れた?」
「取れてる。あとさ、おとなしく明かり使おうよ。暗いし」
「イヤ。……あまり人に見られたくはないの」
彼女と適当に会話しながら3分ほど歩くと、遠くに光が見えた。
明るいランタンの光に、長く伸びた二人の人影が地面に落ちている。
「誰だ!」
若い男の声が洞窟内にやまびこのように反響した。
声に私は思わず委縮してしまった。
シキの背中についていく形で進んでいくと、厳重に組まれた木製バリケードの奥に兵士が一人見えた。
身長は自分よりやや高め、それでいて体も筋肉質で大きく、男らしいシルエットである。
暗闇に目を凝らしてよく見てみると、微妙に眼つきの悪いイケメンがそこにいた。
目立つのは適当に切りそろえられた黒髪と鋭い目つきくらいで、他の特徴のないパーツは十分に好青年の範囲に収まっていた。
背もたれのついていない簡単な椅子に腰かけ、紐で綴じられている和綴じの本を煤で汚れたランタンを照明にして時間をつぶしていたようだ。
「……なんだ君か。……後ろの彼は?」
威圧的な物言いに、私は引き返したくなった。
シキが応対する。
「私はまたいらないものを売りに来ただけ。三日もすれば出ていく。……この人は、ちょっと前に拾ったから案内しただけ」
「こんにちは……」
私は適当に自己紹介をすます。
「私はカガだ。ここの保安官をしている」
「あっ、はい、ソラって言います」
作業着のような紺色の防寒ズボンとハーフコートを身に着けていて、若干の威圧感を感じる。
彼の腰のホルスターに回転式拳銃がぶら下がっているのが見えた。
見た感じでは、現代のように丸みを帯び洗練されたデザインではなく、銃身はほとんど起伏がない。
シリンダーもレンコンのようにつるつるしている。
坂本龍馬がもっていたリボルバーのような古い時代の拳銃だが、細部は暗くてよくわからなかった。
「では、この先で荷物を預けて」
カガと名乗った保安官は本を座っていた椅子に置き、入り口をふさぐバリケードを移動させ道を開いた。
慣れた様子でシキがその道を通り、バリケードの奥にある扉を開く。
「おぉ……」
中は意外なほど明るく、自然のままだった洞窟の壁とは打って変わって綺麗に整備されていた。
壁や天井も綺麗な平面に整えられ、洞窟の中とは思えないほど立派な部屋になっていた。
天井には謎の照明もあり、明るくて暖かい。
歩いていくと、大きなテーブルが中央に置かれている部屋に出た。
テーブルの向こう側にはカガと名乗った保安官と同じ格好をした女性がいる。
「こんばんは。……あらあら、今日は一人じゃないのね」
「……私疲れてるから早くしてください」
美しすぎる保安官と言うべきだろうか。
自分の目を疑うほどの美人がそこにいた。
身長は自分と同程度でスタイルもよく、まるで画面の向こう側にいる女優のようである。絶対に性格もいい人なんだろう幻想まで抱いてしまうほどだ。
透き通るような白い肌に、艶やかな茶色の髪は綺麗にそろえられていて、後ろを小さく結い上げられた髪が動くたび揺れる。
そして、紺色の制服に包まれた大きな胸部が激しく主張していた。
真っ先に視線が吸い寄せられられたのは男ならば当然かもしれない。
というか女でも見ると思う。
実際に確認してみるとシキも見ていた。
「はいじゃあここに荷物を出してくださいね」
「ソラ、早く」
「わかってるって」
今更驚きはしないが、保安官の二人も日本語を喋っていた。
「ソラさんっていうんですか。どこ出身なんですか?」
屈託のない笑顔でキズナと名乗った保安官はその問いをぶつけてきた。
自然な会話の流れだが、私にとってその質問は鬼門であった。
異世界からやってきたことを他人に打ち明けるのは、シキから警告を受けている。
「わかりません……記憶がないんです」
咄嗟に出てきた言葉はそれだった。
隣にいるシキの動きが止まる。
そして今まで軽快な空気が一転、キズナは神妙な顔になった。
「あ、……ごめんなさい」
「いえ気にしないでください。さ、早く終わらせちゃいましょう」
私は少々強引に会話を断ち切り、テーブルに荷物に落とす。
想像以上に気まずい雰囲気になった。
いや、実際この世界では天涯孤独で元の世界に戻る手段も見当たらないどころかすでに2度死んでいるわけで、実際悲惨な状況であるが。
荷物検査は意外なほど早く終わった。
「まあ大丈夫でしょう。あなたたちの入場を認めます。オニヅカへようこそ。私たちはあなたを歓迎いたします」
シキが何を私に運ばせていたか分からなかったが、無事に通過した。