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03 厭世家 人間嫌い

「この本に何が書いてあるか知りたい。訳して」


 訪れたシキの目的はそれであった。


 シキが持っている本は英語で書かれたものだ。

 その見てくれは、手帳を思わせる小さな本である。


 幸いにも、私のスマホにはオフライン環境でも動作する辞書アプリがある。

 訳せないことはない。

 しかし心配なのは電池だ。


「それ訳している間はここにいていいからさ」


 追い出すぞと暗に脅される。


「……仕方ないな、貸して」

「はい」


 渡された本をぺらりとめくる。

 書かれている文字は手書きである、日記のようだ。


 軽くないように目を通すが――部分的には訳せるものの――自力ですべてを翻訳することは不可能に思えた。


 一つ分かることは、この場所では日本語をしゃべり仮名と漢字で読み書きをしている事実だ。

 ここ日本じゃないの?


「とりあえず紙とペンが欲しいんだけど」

「わかった」


 渡されたのは鉛筆とナイフだった。

 つけペンとインクが出るのではないかと警戒していたが、杞憂に終わった。

 紙も真っ白ではないがきちんとした洋紙だ。


「あと聞きたいんだけど、俺の持ちもの知らない? 中にハンドガン入ってたと思うんだけど」

「あれならここに置いてあるよ、ついてきて」


 廊下を歩き、入ったことのない部屋へと通される。


 そこは妙な倉庫だった。たんすを開けたときみたいな匂いがした。

 老若男女の種類を問わない雑多な衣服が、部屋の隅に大量に詰まれていたり、

 ツルハシや金棒といった武器が転がっていたり、

 埃の被ったライフルマスケットが転がっていたり、

 十数個はあろうリボルバーが箱に詰め込まれていたりしていた。


 各種鉛玉や、小さな木の入れ物には黒色火薬もある。

 誰かと戦争でもするんだろうか……。


 奥にあるテーブルの上に、私の目当てのものは置かれていた。


「あった! ハンドガンだ!」


 付属の予備弾倉も変わりなく揃っており、見つけたときのままが保たれていた。

 もちろんガンロック変わりなく揃っていて、使えない。


 倉庫の中を見てみると、近代的な多種多様で大量の金属薬莢の実包も保管されているようだ。

 真鍮の輝きが美しい、思わず指が伸びる。


「その弾、売れるんだから触らないで」


 その手はぺしっとシキにはたかれた。


「売れる?」

「売るために外で拾ったの」

「ふーん……」


 ハンドガンをケースの中に戻し、テーブルの上に置いた。

 テーブルには布がかけられている何か置かれていた。

 この際見てしまえと布をめくると、なんと、世にも珍しいカタカナ・タイプライターであった。


「これも売るの?」

「それは……」


 シキは口をつぐんだ。

 物の試しに聞いてみることにした。


「使ってるの?」

「使ってないけど……」

「俺使っていいかな?」


 シキは少し考えこんで、


「別にいいけど……壊さないでね」

「やったー」

「何書くの?」


 ワープロが普及したら用済みになるのがタイプライターの愉快なところだ。

 そこには趣味に燃える男の浪漫がある。


 さて、


「聞きたいんだけどさ、前にゾンビの頭を燃やして倒してたじゃん。あれ(なに)でやったの?」


 この少女には警戒すべき特徴がいくつかあった。

 そのうちの一つが、この問いだ。

 初対面の時のシキが、何か重武装をしていたとは考えにくい。

 ゾンビの頭を焼き砕くなにか小さな武器を隠し持っている疑惑があった。


 部屋には火炎放射器のようなものは見当たらない。


(なに)でってどういうこと?」

「どんな武器使ったかって聞きたいんだけど」

「魔術だよ」

「ん?」


 シキの突き出した手のひらから、小さな火の玉が浮かび上がり、弱い光を放っていたのである。

 この口下手な少女が手品に長けているとは思えない。

 奇術ではないならば、種も仕掛けもない本物の魔術だろう。

 流石は異世界……。


「……熱くないの?」

「これは、熱くないやつ。ただの光」

「触っていい?」


 私は手を伸ばした。

 まるで墓場に漂う鬼火のようだが、見たところ風に揺られて形を変えることもなく、手を焼くような気配もない。

 形だけの、熱を持たぬ幻想の炎。


「魔術なんてみんながみんな使えるわけじゃないけど、ソラの世界だとどうなってたの?」

「うちの世界にそんな力はないです」

「ふーん……不便そうね」


 微塵も興味のなさそうな、シキの返答だった。



       ○



 タイプライター使い方を試行錯誤していたら一日が終わってしまったのは誤算だった。


 慎重にカバーを開けて、予備に置いてあったインクリボンを交換する。

 タイプライターを引き寄せ、紙を挿入。キャレッジを右に動かす。


「……ちゃんと動くの?」

「たぶん、いける」


 後ろのシキが心配そうな表情でのぞき込んでくる。


 しかし慣れない配列だ。キーボードの仮名配列と若干酷似しているとはいえ、いちいち文字を探すのがうっとおしい。

 初めてパソコンを触った時のことを思い出す。

 私は力強くキーを押し込んだ。

 小気味よい稼働音を立ててタイプフェイスが紙を叩いていく。

 スピードは出ないが、使えないことはない。


「なんて打ったの? 見せて」


 紙には「ムカシムカシ アルトコロニ オジイサント オバアサンガ イマシタ」と印字されていた。


「なんて意味?」

「特に意味はない」


 続けてタイプする。「オジイサンハ ヤマヘ シバカリニ」


 チーン ベルが鳴り響き、改行の必要性を知らせる。

 私は改行レバーを右に押してキャレッジをスライドさせる。

 カチカチカチカチと私はタイプを続ける「オバアサンハ カワヘ センタクニ イキマシタ。」


「ねえ私もやってみたい」

「えー」

「元々私のでしょ。変わってよ」


 そう言われては逆らえないので、私は椅子から立ち上がった。


「結構力入れて打たないとだめだぞ」


 疲れた両指をパキパキ鳴らしながら私は助言した。

 人差し指でタイピングするシキが一行を打ち込むのに相当な時間をかけたことは、言うまでもない。



       ○



 日記を翻訳したり、タイプライターで日記を書いたりする毎日だ。

 薪ストーブの炎を眺めながら、時間を気にしないで作業に打ち込んでいると、こういう生活もアリだなと思ってしまう。


 英語で書かれた日記は、意外なほど面白い。

 言葉の通じない外国人がこの異世界で四苦八苦するようすと、その愚痴が事細かく綴られている。

 下品な言葉やスラングも多々見られるために、翻訳に困ることもあるが、そこは頭の使いどころだ。


 名も顔も知らぬ人の文章を翻訳することで、その人のなりがなんとなくだが頭の中に浮かんでくる。

 擦れた人柄は文章に、環境への苛立ちは荒れた文字と綴られる事実から読み取れた。


 そして考えていることは、寒いだゾンビだ銃だ帰りたいだの、まあ私と同じだ。

 人間が考えることは同じだと実感させられる。


 日記には人が蘇るという記述は見られなかった。

 ゾンビと戦うシビアな現実と、容赦のない結末だけが綴られている。

 私は余計に外に出たくなくなった。


 私はこの寒く死人が徘徊する世界について何も知らず、何も力を持たず、何も知らず、人脈の一つも持ってはいない。

 心の弱い部分は、もう寒いのと誰もいないのはいやだと叫んでいる。


 今日も今日とて知恵を振り絞って翻訳した文章を差し出し、対価に夕食を恵んでもらう。

 味は……飢えは最上の調味料だという言葉は正しかったとだけ言っておこう。


 シキは今日の昼に山菜を取りに外へと出かけていた。

 本日の料理は山菜がメインのようだ。

 シキが運んできたスープを口に含む。


「しょっぺ!!」

「……そんなに?」


 突き刺すような、刺激的な味だった。


「味見した?」

「してない」


 シキが作る料理の塩分の量は実に現代的だった。

 雪国では漬物に醤油をつけて食べるという。きっと環境がそうさせるのだろう。


 腹を膨らませるべく出された料理を口に運ぶ。

 苦いけど、我慢我慢。なんたらは口に苦し。

 よく噛んでシャキシャキの触感を楽しむべきである。


 シキは食卓には表れない。

 一緒に食べるということはしないようだ。


 調理場から出てきたシキがはっとした顔で言った。


「あ、今日の分の日記、まだ読んでなかった」

「メシの後で読めば?」

「今読みたい」


 そう言ってシキは部屋をのんびりと飛び出していった。

 彼女は冷めた食事は魔術で温めればいいとでも思っているに違いない。


 持ってるのも面倒だと、私は食事をかき込んで食べた。

 山椒でも入っていたのか、食後は口元にピリピリ感が残った。


 片づけをしようと立ち上がったところ、持った食器が手からこぼれ、床を転がっていった。


「……あれ?」


 何故か、手足がしびれ始める。

 立っていられなくなり、テーブルに手をつく。

 体がうまく動かない。強烈な腹痛が沸き上がってくる。


 脚が崩れ、私は床についに倒れた。


 症状が悪化していく。

 喉奥をまぐられるような吐き気。

 上手く息ができない、苦しい。


「どうしたの!?」


 戻ってきたシキが、珍しく声を荒げて駆け寄ってくる。


「あ、の、山菜……本当に、食べて、い、い、の……?」

「毒草だ……これ」


 シキが散らばった食器に張り付いていた山菜を見て、顔を青くしていた。

 ちくしょうなんて即効性だ。

 食い意地張って致死量を軽く超える量を接種してしまったのもまずい。


 苦しみが強くなっていく。

 久しぶりに、助からない感じがした。


 こうして私は二度目の死を迎えた。

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