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02 馬鹿は死ななきゃ治らない

 全身全霊の力を込めてテストを解いた反動が来て、玄関で力尽き寝てしまった。

 玄関で力尽きたと思ったら、異世界でゾンビに追いかけられていた。

 ゾンビに追いかけられていたと思ったら、死んで美少女に遭遇した。

 美少女に遭遇したとおもったら、何故か意識を失った。


 理解が追い付かないのは、私自身のせいではないと思いたい。



       ○



 誰かに揺さぶられている。

 妙に寝苦しい。悪い夢を見ていた気がするけど、思い出せない。

 ただ、言いようのない不快感だけが体の中でくすぶっていた。

 寝違えたように体のあちこちがじわじわ痛い。


「起きた? 起きてる? ねぇ」


 可愛らしい声に現実へ引き戻される。

 私は椅子に座らされていた。

 目を開けてみると、私が死んだ後に出会った少女が私の肩を掴んでいる。

 息遣いが聞こえるくらい、驚くほど距離が近い。

 人形のような長い睫毛の奥、グレーの虹彩がじっとこちらを見つめていた。


 後ろ手に縛られ、私は体は荒縄で椅子に固定されている。

 きっとこいつのおかげで寝苦しかったのだ。


 学ランを剥ぎ取られワイシャツ一枚だが、驚くほど暖かい。

 壁の向こう側で薪の爆ぜる音がする。


 覚えているのは首元に走る激痛と遠のく意識。

 確か、死んだ記憶の後、少女と出会ったのだ。

 ならばあれは死後の記憶で、ここは死後の世界?

 冗談じゃない。

 完全に現実の続きじゃないか。


 五感が確かで、拍動と体温が感じられる死後の世界なんて、意味が分からん。


「これ何に使うの?」


 少女の両手には私の二つスマホが握られていた。


「俺のスマホ! なんで二つ……!?」

「スマホ? ……君どこから来たの? ここ世界の人じゃないよね?」

「はい?」


 死んだ記憶、何故か増殖しているスマホ、少女の現実離れした言動。

 頭が痛くなってきた。勘弁してくれ……。


 ここはどこだ?

 殺風景な部屋は石造りで、窓は見当たらず、家具も大して置かれてなく狭苦しさを感じた。石の壁には継ぎ目がない。地下室か?

 天井には謎の照明が備え付けており、明るさは十分。

 しかし、ほかの物音が一切聞こえないせいか、不安が心の底に積もっていく。


「この本は読める?」


 少女は部屋の隅にあった本を開いて、私に紙面を見せつける。

 本の右ページには見たこともない象形文字のような字が、左ページには見たこともない音素文字のような字がずらりと並んでいる。

 私は眉間にしわを寄せた。


「じゃあこれは? こっちは?」


 続けてお出しされる二冊にに見たことのない――いや。

 これは逆さまになった仮名文字と漢字、そしてアルファベットだ。


「よし、わかった」


 何が分かったというのか。

 少女は真顔で言う。


「ここはね、たまに別の世界から人がやってくることがあるんだって。平行世界って言うのかな? 私は見たことないけど……」

「平行世界? わけのわからんことはよしてくれ」

「……信じないなら信じなくてもいいよ。なんで自分がここにいるか説明できるのなら話は別だけど」


 妙な世界に来てしまった実感はあったが、得体の知れない少女の言葉をうのみにするのは抵抗があった。

 都合のいい情報だけを耳に入れたいというわけではない。


 私は拉致監禁されているといっても過言ではない状況だ。

 今最も重要なことは、このヤバイ女からいかにして逃げるかということである。


「トイレ行きたいんだけど」

「まだ大丈夫でしょ、我慢して」


 出まかせの嘘は即否定された。

 彼女は排便すら許さない鬼畜のようだ。


「聞きたいんだけど、別の世界から来た人ってみんな生き返るの?」

「生き返った……?」

「それ、君でしょ」


 首だけで振り返ると、それ呼ばわりされた私の死体が背後に転がっていた。

 ザクロのような傷口から噴き出した血が青ざめた肌を濡らしている。

 驚いた体が椅子をガタリと揺らした。


「……!」

「君が特殊なの?」


 知るかと答えたかったが、肺から空気が出てこなかった。

 少女は傍若無人に、自分勝手に話を進めようとする。

 話題はスマホに戻った。


「でさ、これ何の道具? どうやって使うの?」

「それ知ってどうするんだ」

「売れそうなら売る。駄目そうなら知らない」


 私は一瞬考えた。


「俺じゃないと使えないし、ちゃんと動くかは使ってみないと分からない」


 パターン入力でロックしてあるからな。

 少女は拷問などの強硬手段には出ないような気がしたので、私は強気になって応対することにした。

 なんというか、相手はコミュニケーションが苦手な子供のような気がするのだ。

 口車にのせれば状況の打破は不可能ではない。


 ……しかし問題なのは私もコミュニケーションが苦手なことだ……。


 部屋の逃げ道は少女の後ろにしかないようだ。

 逃げるなら、あそこから?

 しかし私の考えは見透かされていたようで、釘を刺される。


「言っておくけどここには他の人いないからね。私の言うこと聞いてくれたら、普通の人がどこに集まって暮らしてるかちゃんと案内してあげる」

「言うこと? 言うことってなんだ、奴隷にでもなればいいのか」

「……何をさせるかは後で考える」


 少女が考えなしに私を拉致したのは、明白だった。


「で、どうするの」

「……内容による」

「じゃあ、絶対に守ってほしいのは、一つは私のことを誰にも喋らないで秘密にすること。もう一つは……」


 少女は願うように言った。


「私と戦おうなんて思わないで。これだけは、絶対」

「わかった。約束する」


 お安い御用と私は首を縦に何度も振った。

 信用が薄くなるかと思われるほどになんども振った。


 思いが通じたのか、少女は後ろに回ると、私の縄をほどいた。

 束縛から解放され、無理な姿勢で固くなった筋肉に安らぎが訪れる。


「名前は大隅空。君の名前はなんていうんだ?」

「オオスミソラ? 変な名前ね」


 奇妙な少女の返答だった。


「……私の名前はシキ。別に覚えなくてもいいよ」


 敵対が解けたのか、ようやく少女の呼び名が判明する。


「はい。じゃあこれが何だか教えて」


 思い出したようにシキと名乗った少女はスマホを私に突き付けた。

 私は肩を回して筋肉をほぐしながら、こう行った。


「……その前に、トイレ行きたい」


 今度は、許可が下りた。



       ○



 生命として生まれてからには、生き続けねばならぬ。

 これが今の私の行動規範である。

 できれば元の世界に帰りたいが、甘ったれたことを言っている場合ではない。


 私のスマホは何故か2つある。

 一個のスマホと引き換えに、私はパンとコップ一杯の水と干し肉を恵んでもらった。もう一個のスマホは返してもらった。


 ヒトの精神も、当然のように環境に左右される。

 声明の危機的状況に気高く羽ばたいた精神は、ゾンビによって蝋の翼を溶かされ墜落した結果、輝きを失い醜く腐った。

 直接的な原因は原始的な欲求が満たされたことだ。

 空腹、喉の渇き、危険を克服した今、自己暗示を用いて無理な行動をする必要はない。


 シキとやらの住まいであるこの場所は地下にあるようで、意外と寒さはなく、設置されたストーブのおかげでむしろ暑い。

 アリの巣みたく下へと多少空間が広がっているようだが、一人で暮らしているようで使っている部屋は少ない。

 私は部屋の一つを拝借して、勝手に居候することに決めた。

 だって外は寒くてゾンビだらけなんだもの。これは仕方のない判断である。

 生命として生まれてからには、生き続けねばならぬ。

 生きていれば、きっといいことが起こると私は信じている。

 ……まあ、一回死んだわけだが。


 私はゆっくりと一日を過ごし英気を養った。

 翌日になって、シキがぱたぱたと私の部屋に駆け込んできた。


「ねえ、これ動かなくなっちゃったんだけど!」


 シキが持っているのは私のスマホであった。


「何したんだ」

「知らない。……私何も変なことなんてしてないもん」


 スマホを受け取って電源ボタンを長押ししてみる。うんともすんとも言わない。

 念のため電源ボタンと音量ボタンを同時に長押ししても、結果は同じであった。


「ただの電池切れ。……ずっと使ってたのか」


 これだから最近の若者と呆れる老人の気持ちが、少しだけ理解できてしまった。


「どうすれば治るの?」

「充電器があれば」

「それは今持ってる?」

「元の世界に帰ればあると思う」


 タイミングがよかったので、私は尋ねてみた。


「……元の世界に帰る方法とか知ってる?」


 シキはなにを言うでもなく、大きなため息をついた。


「それ、もういらない」


 不機嫌そうに彼女は部屋から出ていった。

 こうして、私のもとには2つのスマホが残されたのだった。


「異世界人はバッテリーを使い切るのが速い……」


 この戯言が誰かに届くことはなかった。


 私も異世界人から何か不思議なガチェットを持ってきたら一日中いじくりまわすだろう。

 シキがスマホで遊び続けていたとしても別段不思議ではない。

 何をしていたのかは、非常に気になるが。


 もう一つある私のスマホは電源を切ってあるのでまだ使える。

 私のスマホは多少風変わりな機種で、よくあるハイエンドモデルにはないような性能なのが特徴だ。

 ネット環境がないのできることは多くないが、何かに役立つかもしれないので使わずに我慢を続ける所存である。自然放電で電池残量がなくなるまで。


「あっ」


 突然私は閃いた。

 そういえば、このスマホは電池の取り換えが簡単に行える。

 電池を入れ替えれば、シキが何をしていたかがある程度わかっちゃうのでは?


 これはもう、やるしかない。

 約束したのは『戦わないで』ということだけ。

 これは敵対行為ではない。好奇心だ。

 いたずら心がスキップしながら私の体を操縦しようとして――


 ぱたぱたと軽いシキの足音が部屋の外から聞こえ、私はとっさにスマホをポケットにしまい込んだ。


「ねえ君さ」

「……あんまり君って言われるの、好きじゃないんだけど。名字でもいいからそっちで呼んで」

「名字?」


 ん?

 奇妙な少女の反応、会話がかみ合わない違和感。

 とりあえず私は会話を続けた。


「大隅でもいいからさ」

「名字って何?」

「……」


 ……頭が痛くなってきた。


 名乗ることが許されなかっただけで、室町時代にはすでに農民は名字を持っていた……と授業中の先生の雑談で聞いた記憶がある。


 名字を知らない? どういうことだ?


「わかったわかった。あとで説明するから……そっちはなんて呼んだらいい?」

「……」


 長い沈黙の後、シキは前髪をいじりながらいった。


「……シキでいいよ」


 その後、私はソラと呼ばれことに決まった。

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